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【俺の電子遊戯】第15回 『バーチャファイター』が教えてくれた勝負の喜び

1993年末からゲームセンターに登場したセガの3D対戦格ゲー『バーチャファイター』。『ストII』を筆頭に2D格ゲーが全盛を極めるこの時代に、生ポリゴンでカクカクの無骨なキャラクター達が映しだされたゲーム画面は、お世辞にも楽しそうなゲームの空気はなかった。

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【俺の電子遊戯】第15回 『バーチャファイター』が教えてくれた勝負の喜び
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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

息をする人型ポリゴン

1993年末からゲームセンターに登場したセガの3D対戦格ゲー『バーチャファイター』。『ストII』を筆頭に2D格ゲーが全盛を極めるこの時代に、生ポリゴンでカクカクの無骨なキャラクター達が映しだされたゲーム画面は、お世辞にも楽しそうなゲームの空気はなかった。2D格闘ゲーといえば『スーパーストリートファイター2』『餓狼伝説SPECIAL』『龍虎の拳』『サムライスピリッツ』など、漫画やアニメから飛び出したようなキャラクターが派手な必殺技を駆使しながら戦う時代だったので無理もなかったと思う。

そんな見た目が地味なポリゴン格ゲーは、対面の対戦台としてゲーセンの一等地に設置されることもなく、横に座って対戦する通常のゲーム筐体かメガロ50という50インチのプロジェクターをモニタとする大型筐体で設置されていた。相変わらず2D格ゲーには興味を持てなかった私だが『バーチャファイター』をはじめて見た時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。誰もプレイしていない筐体から流れてくるオープニングデモ。画面の中にいる空手着の男が肩で息をしながら拳を開く、握るの動作を繰り返す。相手は派手目に衝撃を受けて吹っ飛ぶのだが、そこにはリアル世界の空気感を感じる“人”がいた。

「何なんだ? このゲームは?」そのまるで生きている人の様なモーションに驚き、さらにオープニングを見ていると、漫画「ドラゴンボール」に出てくるようなカンフーの達人キャラや熊殺しウイリー・ウイリアムスにそっくりな黒人空手マン、勝利ポーズがルッテンジャンプのレスラー、ファイトスタイルがジークンドーのファイター。プロレス、格闘技好きな開発者が作った感じがプンプンするこのゲームをプヲタで格闘技好きの私がスルーする訳にはいかなかった。

ゲーセン文脈から離れたCoolな遊び


筐体に貼られているインストラクションカードで簡単な技の出し方を確認して、コインを入れた。1レバー、パンチ、キック、ガードと3ボタンのシンプルな操作形態。パンチやキックを放つと、そのモーションはリアルの格闘家が放つ技の重みを感じた。バーチャルリアリティから名付けられたと思われるタイトル『バーチャファイター』画面の中で戦うキャラクターと気持ち的にこれほどシンクロできバーチャルな体験を与えてくれるとは! 久しぶりにゲームセンターに通う価値のあるゲームが現れ、私はその情報を追いかけるようになっていくのであった。

『バーチャファイター』の主な情報源は、雑誌ファミコン通信に掲載されていた連載コーナーだった。編集者のひとりが新宿のゲーセンで98人抜きを達成し、有名プレイヤーとなり情報を誌面で公開していた。一般向けのイベントでも国立代々木競技場周辺で行なわれていた大規模イベントLIVE UFO'94にて期間中のNo1を決めるオープントーナメントが行なわれたりとそのムーブメントは、今までゲームをプレイしていた層を飛び超えて、最先端の若者文化という文脈に変わろうとしていた。

そんな盛り上がりを局地的に見せていた『バーチャファイター』だったが、社会現象に近いほどブームが過熱するのは続編の『バーチャファイター2』がゲーセンで稼動をはじめ、家庭用ではスーパーファミコン、メガドライブの次の世代となる、セガサターン、プレイステーションが登場した94年末以降のことになる。

いつだってゲームは私を肯定してくれる

当時の私は『バーチャファイター』にまたゲーセン通いへの活力を与えられるも、活動していたバンドは解散、ミュージシャンで大成することを期待していた彼女は、次の音楽活動をなかなか開始せずゲーセン、パチンコ、公営ギャンブル通いだった私に三行半をつきつけ去っていくと災難続きだった。

しかし、悪いことが続くと逆にそれが発奮材料となってまた頑張るのというのも人生である。音楽活動の方は、専門学校時代に顔見知りだった同級生から、今ベースを探していてやってくれないか? と誘いを受けバンド活動を復帰。新しく加入したバンドのメンバーも『バーチャファイター』が好きで、バンドの練習が終わった後、メンバーの家に再度集合し、リリースされたばかりのセガサターン版『バーチャファイター』で朝までバーチャ三昧という日々を送った。

対人戦での圧倒的敗北、ふたたび


セガサターン版『バーチャファイター』のおかげで、コマンド入力のコツも覚え、ゲーセンでプレイする『バーチャファイター2』でもその修業の成果が現れてきた。となると、強い奴に会いたくなるのは当然の流れである。地元の国分寺、立川界隈でも勝率はさほと良くなかった私だが、最強と呼ばれるその強さはやはり気になるもの。強者が集うと言われた新宿西口界隈にあるゲーセン「スポット21」へ遠征した。混みあう店内、対戦台が空いているのに大勢いるギャラリーは座ろうとしない。対戦台の向こう側に座っていたのはウルフ使いの有名プレイヤーだった。

折角だから……意を決して、空いている対戦台に着座する。100円投入、キャラクターはラウを選択。「Fight One、Ready Go!」筐体から流れる音声、手数で押そうとするも的確にガードされ、しかも隙があれば投げられ、リプレイを見ているかのようにあっさりと3本取られて終了。何も出来ないとはこのことである。ギャラリーからの「下手なやつはプレイするなよ」という無言の視線も辛かったが、自ら対戦格ゲーの最前線に飛び込んだことは、数年前『ストII』でシングルプレイがやりたいのに、小学生に乱入されて完敗した時とは全く逆の気分であった。

私は弱いが、強くなりたいとそう思った。負けた後も恥ずかしさのあまりすぐ店を出たかったが、強い人のプレイを時間が許す限り見て帰宅した。それからは、ゲーメストムックのバーチャ本を読み、そこに書かれている立ち振舞をノートに写して覚えるなど、強くなりたいの一心で『バーチャファイター2』に夢中になった。そのかいあって、勝率もそこそこ上がるようになったが、ここ一番でのコマンド入力の不正確さや読み下手等あり、突き抜けた強さは手に入れられないままだったが、ゲーセン通いをまた復活することになった。

『バーチャファイター』の宴は続く


私をゲーセンに呼び戻してくれた『バーチャファイター』のムーブメントはその後さらに加速。テレビ東京系で放送されていたバラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」のいちコーナーとして大会が開かれるなど、一般メディアでも取り扱われるほど流行していた。家庭用ゲーム機でも『バーチャファイター』が遊べるセガサターンが発売8ヶ月後の95年7月に100万台を突破するなど波及効果も見られていた。年末には『バーチャファイター2』がサターンに移植され、家庭用でプレイした層がゲーセンに流れ込みブームは最高潮に達する。

そして次回作『バーチャファイター3』の情報が流れ始める、1996年のことであった。
《DOG COMIC》
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