プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

ハードコアゲーマーのためのWebメディア

プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか

ミュージカルと心が重なるには長い前置きが必要です。

連載・特集 特集
プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか
  • プレイヤーの手を最後まで掴んで離すな―『バラン』は何を間違え、『アイマス』は何によって輝くのか

私はステージパフォーマンスが大好きです。ミュージカルはもちろんのこと、シンガーやアイドルの全身全霊を込めたパフォーマンス、そこに目映いスパンコールとカラーライティングが煌めく、ひとときの夢のような世界。ゲームであれば『FFXI』の「永遠の豊穣」、『クロノ・クロス』のマブーレ、『FFX-2』の「Real emotion」、『龍が如く5』における遥のストーリーなど、要所で登場する演出は何年経っても鮮烈に思い出せるでしょう。最近では『No Straight Road』『The Artful Escape』が記憶に新しいですね。

2021年、そのステージパフォーマンスをテーマにした作品が2つ国内からリリースされました。ひとつは『バランワンダーワールド』、もうひとつは『アイドルマスター スターリットシーズン』です。どちらも音楽、演出は高水準であったのに、大きく明暗を分ける結果となりました。

私は『バランワンダーワールド』のPVで流れた「Hurray!!」が気に入り、「開演」の日を心待ちにしていました。しかし、ゲームの中でそれを耳にすることは遂にありませんでした。一つ目のステージで力尽きてしまったのです。エンディングを見るまでサウンドトラックの封を切らないと決めているのに、今回は泣く泣くそれを破ることになりました。

パフォーマンスも音楽も、小説版の物語も、ギミックたっぷりのステージも、制作者の情熱が込められた素晴らしいであることは分かっています。ですが、多くのプレイヤーがその楽しさを受け取れず、残念な結果になったのは皆さんもご存じでしょう。ゲームシステムの問題点についてはレビューにもあるとおりで、不自由さと説明不足によって目指していたであろう体験が損なわれているのは明らかです。

第一章が終わった後のダンスシーンの喜びを、私は受け取ることができませんでした。ボスを倒した時点で、私は徒労で膝をつき、そこで力尽きました。素晴らしい演技を見ても、もう一緒に歌う気力も無く、ぐったりとしているだけでした。

ゲームシステムのあれこれもそうですが、私が一番嫌だったのは、「プレイヤーがその歓喜を分かち合えなかった」という点です。キャラクターとともに苦難を乗り越えた先にある喜び、それがミュージカルの一番楽しい部分なのに、それが苦痛に変わってしまったのです。

私は見知らぬ世界に1人で放り出され、自由に身動きがとれない着ぐるみで延々歩かされていました。住人たちは私のことなど全く気にせず踊り続け、あまつさえ連れてきた張本人は「意地悪」を仕掛けてくる始末。

わけの分からない世界から早く脱出したい。そんなネガティブな感情が心をずっと支配していました。「ポジティブとネガティブのバランス」が本作のテーマであったのに、プレイヤーの心はそのバランスを大きく崩していました。

人間にとって、「分からない」という状態はとても負担がかかります。多くの物語においては、この「分からない」を解消するために、観客や読者へ説明を行う「狂言回し」という役割のキャラクターが存在します。本来であればバランがその役目を負うところなのでしょうが、言葉による直接的な説明を嫌ったのか、ステージの表現から間接的に感じさせようとしていました。ですが、十分な背景説明がなければ積極的に見て回る動機が作れません。言葉でちゃんと言わないと伝わらないことを切ってしまったために、プレイヤーは心象世界の物語に気持ちを合わせることができず、ゲームがただの「作業」になってしまいました。

物語を持つゲームは、体験を通すことでプレイヤーを劇の役者として参加させる仕組みになっています。つまり、ゲームの仕掛けは役作りの一環として機能しないと物語のドラマに感情移入できなくなるのです。選択肢のないノベルゲームであっても「ゲームらしい体験ができた」という感想が出るのは、この主人公への感情移入がうまく機能していたからです。

RPGやアクションのバトルシステムは言わば「殺陣」であり、主人公に立ち塞がる強敵であればそれに相応しい攻略難度を備えていなければなりません。『バランワンダーワールド』であれば、テーマパークのアトラクション、または何でもできる夢の世界のように、プレイヤーに動き回る楽しさを提供しなければなりませんでした。体験さえうまく与えられれば、ゲーム性に粗があってもプレイヤーにとっては些細な問題です。ですが実際は、お世辞にも軽快とは言えないキャラクターののろさと、ワンアクションしか行えない「枷」が、動いているだけで「重さ」を感じてしまうアクションの感触を生み出し、窮屈さだけをプレイヤーに与えていたのです。これではアトラクションも罰ゲームのように見えてしまうでしょう。

『アイドルマスター スターリットシーズン』は逆に感情移入を徹底することで圧倒的高評価を獲得しました。最近の流行ではプレイヤーにすぐ遊ばせる傾向がありますが、『アイマス』ではあえて2時間に及ぶイントロダクションを用意しました。この時間はひたすらダイアログが続き、プレイヤーが自発的に操作できる場面はほとんどありません。

その代わり、所属アイドルたちとの再会、他事務所のアイドルたちとの初顔合わせ、そして奥空心白との出会い、駆け足ではありますが、プレイヤーの演じる「765プロのプロデューサー」がどのような人物なのかをしっかりと説明しています。正直に言いますと、私は『アイドルマスター』シリーズは本作が初めてで、これまでの作品で培ったアイドルとの関係性を知りません。それでも、潤沢に時間を使ったイントロダクションによって気持ちを入れることができました。

特に印象に残ったのが、緊張して笑顔が引きつるアイドルに技術の甘さを指摘せず、一生懸命であることを真っ先に褒める場面です。このシーンで、「彼」がアイドルを心の底から信じている人物であると私は理解し、どんなときでも常にポジティブに、そう演じるべきなのだとイメージが固まりました。

これまでシリーズを敬遠してきた私ですが、初めて『スターリットシーズン』の「SESSION!」のMVを観たとき、一瞬で心を奪われました。これまで観てきたどんなゲームのキャラクターよりも、彼女たちの表情が輝いていたからです。このステージを一緒に作り上げる一員として参加してみたい。その気持ちに本作は見事に応えてくれました。努力の裏にある不安や悩み、時には不満や怒り。まさに「ポジティブとネガティブのバランス」をチーム一丸となって共有するからこそ、ステージに立つアイドルたちは一際輝きを増すのです。

リズムゲームはただ得点を稼ぐためのゲームではなく、これはアイドルたち、そして「765プロのプロデューサー」とプレイヤーの気持ちを一つにする役作りの一環です。メンバーの長所や短所を把握し、ひとりひとり気にかける体験をするからこそ、大舞台で活躍する姿を見て感慨を抱けます。感情が溢れ出るまさにその瞬間にこそ、ショーアップされたミュージカルが相応しい。私が求めていたのもがここにありました。


《Skollfang》

好奇心と探究心 Skollfang

ゲームの世界をもっと好きになる「おいしい一粒」をお届けします。

+ 続きを読む
【注目の記事】[PR]

編集部おすすめの記事

特集

連載・特集 アクセスランキング

アクセスランキングをもっと見る

page top