
先日、4月23日に発表と発売が突如同時に行われ、全世界のゲーマーを興奮と喜びの渦に巻き込んだ『The Elder Scrolls IV: Oblivion Remastered』。原作となる『The Elder Scrolls IV: Oblivion(以下オブリビオン)』は我々世代のゲーマーにとって深い思い入れのある傑作であり、今なお根強い人気を誇っています。しかし、この『オブリビオン』も発売からすでに20年近くが経過。現在の20代や10代のゲーマーたちには「一体何がそれほど特別なゲームだったのか?」と疑問に思う方もいるでしょう。
ということで、今回の記事では当時リアルタイムでプレイした筆者が、当時の思い出話を交えながら、なぜ『オブリビオン』がこれほど人気を博したのかについて掘り下げていきます。当時を知る方々は「自分もそうだったな」とか「こんな感じ方をする人もいるんだな」と思いながら、また若い読者の皆さんには、ひとりの古参ゲーマーの昔語りとして読んでいただければ幸いです。

『オブリビオン』のPC版が発売されたのは2006年3月20日。当時はゲーミングPCが今ほど普及しておらず、PCでゲームをプレイする人はまだまだ少数派でした。筆者も同様に、PC版が発売された時点ではゲーミングPCを所持しておらず、その噂すら耳にしなかった記憶があります。存在を初めて知ったのは、Xbox 360版が国内で発売されて以降のことでした。
筆者はそれまで海外ゲーム(いわゆる「洋ゲー」)にそれほど親しんでいるタイプではありませんでした。とはいえ、『グランド・セフト・オート』シリーズのいくつかの作品は遊んだことがあり、楽しんでいました。
また「自由度が高い」という触れ込みの作品が大好きで、『シェンムー』や『ルナティックドーン』シリーズなど、インターネットで「自由度が高い」と評判のゲームを探しては熱心にプレイしていた記憶があります。
とはいえ当時はすでに大学生でしたし、最新のゲーム機を購入して遊ぶことからは少し距離を置いていて、すでに最先端とは言えなくなっていたPS2の作品を時々遊ぶ程度の生活だったように思います。

そんな折、当時おそらく「ニコニコ動画」で、『デッドライジング』のプレイ動画を目にしました。同作はいままで自分がプレイしたどんなゲームよりも色々なことができ、また広大なマップを備えた作品に見えました。
非常に遊んでみたかったのですが、当時Xbox 360でしか発売されておらず、経済的な理由からゲーム一本のためにゲーム機を購入するのは憚られたので、指を咥えて見ているしかありませんでした。(時系列が定かではないのですが、『デッドライジング』は当時自分が愛聴していたラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でもよく言及されていたように思います。このラジオは当時の映画好きや音楽好きな大学生が全員聴いていました。)
そして『デッドライジング』の動画を視聴してからしばらくして、今度は「『オブリビオン』がヤバいらしい」という話を各所で耳にするようになります。大学の友人の中でも特に海外ゲームに詳しい人物から噂を聞きましたし、当時常駐していた2chのスレッドでも「『オブリビオン』はすごいゲームだ」という話題を目にするようになりました。ついに筆者も興味を抑えきれなくなり、Xbox 360を購入することを決意したのです。

はじめて『オブリビオン』をプレイしたとき、しばらくはその面白さがわからなかったことを覚えています。物語は断片的でつかみどころがなく、キャラクターの顔も名前も記憶に残らず、何が起きているのかも十分に理解できませんでした。海外ゲームの文法に慣れていなかったこともあり、またあまりに高い自由度に「何をすればいいのか全くわからない」という状態に陥ってしまいました。
しかし、しばらくプレイしていくと、徐々に『オブリビオン』の楽しみ方が見えてくるようになりました。最初は「盗賊ギルド」のクエストに取り組んだような記憶があります。ちょっとだけネタバレ的なことを言いますが、盗賊ギルドのクエストのストーリーは非常に面白く心惹かれるものでした。普通のゲームだったらデメリットにしかならないであろう「逮捕」をされることで新しい物語が開始するということに驚いた覚えがあります。

『オブリビオン』には、それまで『グランド・セフト・オート』シリーズや『シェンムー』などで感じた自由度とは異質な自由度がありました。筆者なりにその異質さを分析すると、やはり「テキストが用意されているクエストの豊富さ」という要素が重要だと感じます。本筋に関係ないサイドクエストがここまで充実し、どこへ行って何をしても新しい物語が始まるという体験が、当時としては非常に新鮮に感じられました。
思うに『オブリビオン』は、プレイしながら「やばい、超面白い!」などと騒ぎながらアドレナリンが溢れ出るようなタイプの「面白さ」を持つ作品ではありません。気がつけば夢中になっていて、遊びながらもどこか心地よくリラックスでき、不思議と長時間プレイしてしまうという独特の魅力を持った作品です。数多くのオープンワールドと呼ばれる作品を遊んできた今となっては思い出しづらいことですが、そういう「チルな楽しさ」のようなものをRPG作品で感じたのも、この作品が初めてでした。
その後『Fallout 3』が発売され、自分にとってはより世界観がフィットする作品だったため、そちらに夢中になりました。『Fallout 3』は生涯ベスト作品の一つに数えられるほど大好きな作品ですが、もし『オブリビオン』をプレイしていなければ、その遊び方がわからず、十分に楽しめなかったかもしれないとも感じます。(余談ですが、もし『The Elder Scrolls IV: Oblivion Remastered』のようなクオリティで『Fallout 3』がリマスターされたら、一生ベセスダに着いていきます)
Xbox 360を購入し、『オブリビオン』にハマり、そこから『Fallout 3』などを連続してプレイしていったあの頃の経験がなければ、自分がいまこれほどゲームをやっていたかどうかわかりません。そういう意味では『オブリビオン』は自分がゲームライターをやっていることの理由の一つとなっている作品だと言えます。あのころの海外のゲームに影響を受け、今もゲーム好きを続けているという人間は自分の身の回りに多いです。
今考えると『オブリビオン』『Fallout 3』『Fallout: New Vegas』『スカイリム』がすべて同一世代のゲーム機で発売されているというのは本当にすごいことで、ゲーマーはかなり密度の高い体験をできていたのではないでしょうか。

と、いうわけで我々世代のゲーマーにとって、『オブリビオン』はとても重要な作品です。「洋ゲー」のイメージを一変させた作品であり、それまでとは一線を画す「自由度」を初めて体感させてくれた作品でもあります。今でも新しいオープンワールドゲームをプレイするとき、心のどこかで初めて『オブリビオン』を遊んだときのような衝撃を求めている自分がいることに気づいたりもします。
筆者は今『The Elder Scrolls IV: Oblivion Remastered』を遊んでいますが、まるで子供の頃住んでいた街に再度訪れたかのような、すごく実在性を持った記憶として、当時の思い出が蘇ってきます。それだけで、本作を発売してくれたベセスダには「ありがとう」という気持ちですし、当時『オブリビオン』を遊んだプレイヤーにとっては必携の一作となっていると感じます。新規プレイヤーにおすすめできるかどうかはちょっとまだわからないですが、もし興味があるなら、遊んでみてください。
『The Elder Scrolls IV: Oblivion Remastered』は、PC(Steam/Microsoft Store)/PS5/Xbox Series X|S向けに発売中。Game Passにも対応しています。