
どんな立場の意見があれど、ゲームシステムは常に進歩し続けていると言って間違いないでしょう。しかしゲームの歴史が前に進む過程で、死んでいったゲームシステムもまた、数えきれないほど生まれてきました。数十年ほどゲームを追ってきて痛感するのは、多くのゲームが何らかの可能性を追いかけたゲームシステムを実装しても、それがスタンダードにはならなかったものがいくつもあるということです。
新しくリリースされるAAAタイトルでも、小さな規模のゲームでも、基本的には生き延びているゲームデザインを引き継いで洗練させていますよね。たとえばアクションのコンボシステムとか、RPGのスキルツリーシステムなどなどは、ゲームプレイのテンションを保つ最適解だからこそ、多くのゲームが使い続けることでスタンダードになっているわけです。
ではスタンダードにならなかったゲームシステムは、すべて可能性が無かったのでしょうか?いいえ。そんなことはないんじゃないでしょうか。ゲームシステムは死んでも、その可能性までなくなったわけではありません。いま、再検証すべき死んだ5つのゲームシステムを思い出そうじゃないですか。
『ファイナルファンタジーXV』で仲間が写真を撮ってくれるシステム

いやなんで? このゲームシステムがなんで死んでるの?
すいません、一本目から感情的になって恐縮ですが、2016年にリリースされた『ファイナルファンタジーXV』(以下、FF15)の “仲間が旅の写真を撮ってくれるシステム”を追従するタイトルが出てこない理由、全然わかんないんですよ。
これは4人で旅をするなかで、仲間のひとり・プロンプトが自由に写真を撮ってくれるゲームシステムですね。プレイヤーが戦闘したり、探索したりする姿をプロンプトが自由に撮影してくれるのを特徴としています。このシステムは単なるおまけかと思いきや、ストーリー体験としても重要な位置に食い込んでいることで、心に刻まれているシステムでもあるんです。
「この写真システムは今後のRPGとか複数の登場人物と過ごすゲームのスタンダードになるゲームデザインなんだろうなあ」と、プレイしていた当時は思ってましたよ。ところが、発売から10年近く経とうというのに「FF15」の仲間が冒険の写真を撮るゲームがまず出てこない。
まずフォトモード自体は多くの3Dゲームにてスタンダードになっています。でもあれは、プレイヤー側がゲームプレイの世界からちょっと離れた位置から、自由にゲームの世界を撮影するという、いわばプラモデルとかフィギュアのジオラマ撮影みたいなところがあるじゃないですか。言うなればプレイヤー本人のゲームプレイをメタな位置で見つめるモードですよね。使い古された言葉ですが、いわゆる没入感から外れた位置から、好きな写真を作ろうとする仕掛けでもある。
そこで「FF15」でプロンプトが撮影してくれるシステムが他のフォトモードと違うのは、撮影している写真がゲームの中の世界やストーリーと一致していることなんですよ。プロンプトが撮った写真は、プレイヤーがそのゲームの世界で生きた記録になっている。リリースから10年くらい経ってみて、あれは尊いシステムだったんじゃないかと痛感していますね。本当に。いや当時は「世界の破滅が始まっている事態で、何を卒業旅行みたいなことをしているんだ」と批判も多かったんですけども。

しかし、なぜ仲間が写真撮影してくれるシステムの後続が現れないのか?推測ですが、このシステムを構築したスクウェア・エニックスのAI班の試みを、意外にも他の企業が追随できないからなのもあるのでしょうか。プロンプトの撮影システムは、ゲーム開発者向けの技術解説の講演GDC 2017でも詳細な解説が行われています。
実のところ「FF15」はビッグタイトルである一方で、著名なAI研究者である三宅陽一郎氏が主導するAI班の研究と実践が行われたタイトルでもあるのです。それゆえに、他社が技術面も含めて真似できない可能性などはあるのでしょうか?
こうした技術面も含め、ちょっとChatGPTにも「なんで『FF15』で “仲間が自動で写真を撮ってくれる”システムは他のゲームも真似しないんだろうね?」と相談したところ、「あー、なるほどなあ」という回答をいくつかもらいました。
まず「AIを利用した、仲間による写真撮影自体を他社ができないわけじゃない」とのこと。どちらかと言えば、「AI技術そのものより、このゲームシステムの設計の意図が特殊。『FF15』の実現した、 “旅の物語性を強めるためのAI写真”という文脈は他作では少なく、再現しづらい」という指摘は「そうなのかもしれないな」と思いましたね。
プロンプトの撮る写真の「キャラ同士の関係を視覚化する瞬間」や、「明らかな失敗写真も含めて物語を語る演出」は、そもそもの『FF15』のゲームデザイン全体が “オープンワールドで4人の仲間と旅の思い出を重ねていく”体験を生かすために使われるため、AIの意図不明な撮影やミス写真も受け入れられるピーキーな構造なのも大きいのではないか、とChatGPTは考察。
なんだかAIの絡んだ機能について、AIに質問するのもなんですが、ともかく仲間が写真を撮るシステムは “仲間との旅の思い出を体験していく”根本的なゲームデザインに絡むがために、他のRPGなどが追随しないのではないか? という話ですね。「AIの写真が、ややデタラメになりやすいというシステムを、プレイヤーに納得させるのも難しい」ともChatGPTは語っており、なんか納得しましたね。
いや、そうだとしても僕としては「FF15」の仲間が写真撮影してくれるシステムから可能性を見だしていたんですよ……。たとえば別に写真じゃなくてもいいから、AIの仲間に画家がいて、旅してきた思い出を自動で絵にしてくれるとかあってもいいじゃないですか。絵描きの仲間って、過去に『ファイナルファンタジーVI』にもリルムがいたりするので珍しい設定でもないじゃないですか。そういう絵を使ってサブイベントだとか、メインストーリーの体験に収めていくようなアプローチとか他のファンタジーRPGがやったりしないかなあ、と夢を見ていた時期がありました。
旅や冒険する体験を発展させるゲームシステムの可能性として、まだやりようがあるんじゃないか? と思ってますね。僕は。
『ゲッタウェイ』のUIも照準も一切ない銃撃戦

オープンワールドも、シネマティックなFPSやTPSの銃撃戦も、とっくに洗練されつくしてしまい、新しいゲームシステムをやってみる事は今ほとんどないですよね。だからこそジャンルの初期、答えなんて見つかっていなかった時代のゲームを遊ぶと「え! こんな挑戦的なことをやっていたんだ!」と、ひとつの可能性を提示したまま消えていったゲームシステムが見つかったりするのでした。
そんな挑戦的なゲームだったと気づいたのが『ゲッタウェイ』です。2002年(日本語版が2003年)にリリースされた本作は、まさに『GTA』シリーズによって都市を舞台としたオープンワールドの可能性が注目される時代の渦中に登場した一作。元ギャングの主人公が、古巣の犯罪に再び巻き込まれていくストーリーを、オープンワールドでのドライブと、アクションによって、まるで映画のように体験するゲームデザインとなっています。
本作はリアルさを目指しているゲームということで、実際のロンドンをそのままオープンワールドで再現させる試みが特徴ですが、僕が再評価したいと思うのはそこではありません。銃撃戦です。

なんと『ゲッタウェイ』の銃撃戦には一切のUIが存在しません。体力表示がない。弾数表示もない。ミニマップもない。それどころか、銃の照準もない。主人公がダメージを受けても、壁に寄りかかると手をついて呼吸を整えて体力を回復させる。まさにリアルな銃撃戦を想定してこうした仕様にしているんでしょうが、当時としても思い切った作り方なのは間違いありません。
リリースから20数年が経ったいま『The Last of Us』シリーズや『コール オブ デューティ』シリーズの銃撃戦がいくらリアルに作っていても、『ゲッタウェイ』ほどの思いきりはやらないというか。シネマティックなリアルさのある映像を保ったまま、ゲームのルールを理解させるUIの配置を考慮した結果が現在のFPSやTPSのゲームシステムだと思います。
それでも、「銃撃戦なのに、照準すら存在しない」みたいな思い切ったアプローチをすることは普通、採用しないですよね。ところが『ゲッタウェイ』はやっているのです。その結果、どういう可能性が見えるのか?
これが、北野武監督や黒沢清監督の映画のような銃撃戦を体験するような可能性が出ていると思います。つまり、シューターがシューターとして “的を狙って撃つ”というわかりやすい競技性から外れることで、まったく別の体験に変わっています。
先述の映画監督たちは、銃撃戦をアクションの快楽として描くのではなく、無機質な暴力として扱っています。そうした暴力をビデオゲームに落とし込んだケースは体験したことがありません。ですが、『ゲッタウェイ』にはその可能性があるんじゃないかなと。
もちろん、シューターの暴力に対して「それが正しいのか?」と自己言及したシューターやアクションはいくつもあります。
『The Last of Us』シリーズや『ファークライ3』、『Spec Ops: The Line』など少なくないタイトルが出てきました。今年は『Dreams of Another』というタイトルも出ましたね。それでも、体力や弾薬のUIはありましたし、やっぱり照準を狙って戦うゲームシステムまでは変わらないです。
でも、あれらはゲームの暴力を批評しようとしたと思うんですけど、あくまでストーリー面でだけでしか言えてなかったのではないか? 今思うにゲームはゲームデザインからしか本当の非暴力や、暴力への批判性をプレイヤーに体験させられないのではないか? と思うんですが、どうでしょう。
「いくらストーリーが暴力に批判的でも、ムービーの後の戦いは体力と弾薬を気にしながら敵を狙って戦うゲームプレイやるんでしょ?」って、それでプレイヤーを本当に納得させられるのかって前から思っていました。
『ゲッタウェイ』はストーリー自体はありきたりなギャングと警察の諍いがメインです。しかし、銃撃戦のゲームシステムには思いがけず、シューターの暴力性に対して批評的になりえるゲームシステムの可能性を持っていると思います。それゆえに単なるガンアクションとは違う体験となる可能性を秘めています。北野武監督の映画「その男、凶暴につき」が普通の刑事ドラマではないのと同じように。
難しい話ですみません。AAAタイトルのFPSやTPSで照準無し・UI無しのタイトルが出る可能性はかなり低いので、今後の個人クリエイターが自主制作でやる人が出てくると思いますね。
『シグマ ハーモニクス』のRPGとADVのミックスによる「超推理システム」

いま思えばニンテンドーDSって、ハード自体が二画面+タッチペン、しかも縦画面でのゲームプレイもできる挑戦的なデザインだったこともあり、ソフトもいろいろなチャレンジが出てきていたなあとしみじみします。
ということは、このハードは死んだゲームデザインの宝庫ともいえるわけです。いや、こんな特殊な形状のハードは後世に引き継ぎようがないですから、必然的にDS限りで死ぬことになったゲームシステムが溢れることになったのですけど。
さて、そんなニンテンドーDSにリリースされた一作として心に残っているのが『シグマ ハーモニクス』です。本作はRPGと推理ADVのジャンルを複合した新機軸のゲームであり、当時のDSブームに乗って作り手がいろいろ試している手触りがあって好きでした。浜渦正志氏の音楽もいいんですよ。世界観も音楽が重要なのもあって、浜渦氏のスクウェア・エニックス時代の仕事で最も美しい楽曲が揃っているとも思います。
そんな見どころが多い『シグマ ハーモニクス』なんですが、やっぱり「超推理システム」がいろいろ可能性あったかなと思っています。
このシステムは、事件の証拠を集めて、まるで囲碁の碁盤に証拠をロジカルに当てはめていくことで真相に近づいていくというもの。これが面白いのは、別に推理が間違っていても先に進めることです。間違ってると主人公が「~じゃないかな?」みたいに言い切りが弱くなるのも面白いですが、推理の内容によってボスの強さが変化するというのもRPGとADVをミックスさせた落としどころとして興味深いなあ、と思います。
ミステリを選択したのも、当時は携帯ゲーム機で『逆転裁判』が人気だったことが念頭にあったと思うんですが、「別に推理が当たってなくてもいいよ」というのは、ミステリADVのカウンターとしては面白いやり方だったと思います。
それにしてもジャンル複合ゲームってめちゃくちゃ難しいですし、死んだゲームシステムが出る確率が跳ね上がる領域ではあります。それでもスクウェア・エニックスは挑戦し続けているからすごいですよね。いや、このご時世で本当に。企業が新規のシステムを開発するのに挑戦するどころか、新規IPを出すさえ難しいんですから!
最近でもマーダーミステリーとマルチプレイ対戦アクションゲームをミックスする『KILLER INN』などが出てきているわけですから、今でも果敢にチャレンジしているなと思うところはありますね。
あ。書きながらFrogwaresの『シャーロックホームズ』シリーズでは、タイトルによっては推理が間違っていても先に進めるシステムがあったことをいま思い出した! やばい、年末のぎりぎりで執筆してるから書き直す時間ねえぞ、どうしよう? あ、『シグマ ハーモニクス』は「RPGと推理ADVをミックスしたうえで、推理を間違っても先に進めるシステムは後にも先にもなくって~」と書けばいいんじゃないかな? よくない。言い切りが弱い。以上、超執筆システムでお届けしました。
『エンドオブエタニティ』のt・A・B(トライ・アタック・バトル)

味方の列と敵の列に分かれて交互に戦うターン制RPGや、自軍と敵軍が交互に行動するSRPGって、いくらなんでも、どんどんリアルになっていくゲームの世界からしたら絵的には無理があるのではないか? だって、ムービーとかで戦闘するシーンだと皆さん味方の列とかに分かれずに戦ってますよね?
2000年代も終わりになるあたりから、みんながそう思ったのかどうかはわかりませんが、だんだんとターンベースのRPGなどが姿を消し始めていました。ゲームの世界でリアルさが増していくにつれて、「ファイナルファンタジー」シリーズみたいな人気RPGもアクションベースのゲームシステムに変わっていきました。
ムービーで描かれるような戦闘のリアリティと、ターンベースの戦略性を噛み合わせた解決策はないんでしょうか? 当時、そういうことを考えていた中で『エンドオブエタニティ』のt・A・B(トライ・アタック・バトル)は「これだ!」と思っていましたね。
このシステムは3人のキャラクターがマップ上で移動するルートを決め、走り回りながら銃撃戦を行うというもの。ここでは、SRPGのような敵や地形を踏まえて戦略を練りながらも、戦闘の演出ではまるでムービーのような銃撃戦を展開してくれるのです。
このあたりのやり方を見て、当時は「ターンベースのRPGなりSRPGなりが、戦略性を担保しながら、どんどん映画的に進歩していくグラフィックと折り合わせたバトルシステムを組むならこのあたりかなあ」と思っていましたね。
そんな次世代を模索していた頃のJRPGから10数年。2025年は味方の列と敵の列に分かれて交互に戦うターン制RPGである『Clair Obscur: Expedition 33』がGOTYを獲るほど高評価を得るのですから、世界がどうなるかなんてわからないものです。いまこそ『エンドオブエタニティ』のトライ・アタック・バトルを海外も再評価しろ!
『シャドウ・オブ・ウォー』のネメシスシステムと『ウォッチドッグス レギオン』のAIによる自動生成のキャラクターが織りなすドラマ

最後は、どうやら死につつあるらしいゲームシステムを振り返りましょうか……。ここでは近いゲームシステムを持つ2本をまとめていきましょう。
ゲームの魅力とは、やはり先がわからない状況で何が起こるかを楽しみにするところはありますよね。そこで、自動生成されるキャラクターによって次々と別の物語が生成されていく、というのはひとつの可能性だったと思います。
そんな可能性を追求していたのが、『シャドウ・オブ・ウォー』(もしくは前作の『シャドウ・オブ・モルドール』)のネメシスシステムと、『ウォッチドッグス レギオン』だったのではないかなあ、と思います。
両作品とも、オープンワールドの世界の中でキャラクターが自動生成され、しかも各キャラに様々な特徴が出るようになっている。『シャドウ・オブ・ウォー』では敵が自動生成されるわけですが、『ウォッチドッグス レギオン』は街の人間が自動生成され、プレイヤーの仲間になっていく違いがあります。

両作品とも、AIがキャラクターを自動生成することでメインストーリーとは違う物語を生み出す可能性を見越していたんだと思いますね。
正直なことを言うと、『シャドウ・オブ・ウォー』も『ウォッチドッグス レギオン』もAIのキャラクター自動生成がゲームプレイ全体を生かしきれているか? というと、難しいところはあります。それでも、「AIが登場人物を自動生成することで、決まり切っていない物語を生み出していく」という可能性は評価したいところはありますね。
それにしてもいま、世の中がどこもかしこもAIの話でいっぱいなのに、『シャドウ・オブ・ウォー』から遡って、敵AIが狡猾な動きをするFPSの『F.E.A.R.』などゲーム産業のなかで早い段階でAIを活用したゲームを作り続けたMonolith Productionsが閉鎖してしまっているってどんな皮肉なんでしょうか。
以上、いま自分が思いついた死んだゲームシステムでした。どれもこれもクセがありますよね。後半の文字数が激減したのは締め切りの都合です。
こうして振り返ってみると、意外にもふたつほどAI絡みという、いまトレンドとなっているはずの技術が入ったゲームシステムなのに死んでいることに驚いています。AIの時代なのに、最近のAAAタイトルではAIが目立つように使われるゲームシステムが少なくなっている気がしなくもないです。
死んだゲームシステムを振り返っていると、実際のところビジネスとクリエイティブを天秤にかけた場合はリスキーなシステムだから先送りになってきたんだろうというのもわかるんです。開発でうまく実装できるかはもちろん、そもそもプレイヤーに受け入れられるかもわからない。それならやらないほうがいい。そうしてゲームシステムの挑戦は消えていくのかもな、などと思いました。
というわけで、死んだゲームシステムを蘇らせようというのは、企業側としてはビジネスとクリエイティブの天秤を破壊する挑戦になるので、相当な蛮勇なのも間違いないでしょう。だからこそ、いまはある種のリスクを取れる独立系のデベロッパーとか、個人制作のゲームに注目してるところはありますね。彼らが死んだゲームシステムのなかに可能性を見出したりすることを、ささやかに願っています。
またいくつか死んだゲームシステムを見つけたら、第2回を書ければと思います。













