
※銃器哲学とは
銃器哲学とは、筆者が提唱する「なぜその銃がそこにあるのか」「どのように演出されているのか」を問う試みです。本稿では『メタルギア』シリーズの本編作品に登場する銃器が、どのように演出・選出され、結果的にどのように「ただの道具」以上の存在として機能しているかを読み解いていきます。
はじめに
2004年12月14日、日本の創作、ひいてはビデオゲーム全体における銃器描写は上限が一段階引き上げられました。
そう、今なお大傑作として名を残すタクティカル・エスピオナージ・アクションゲーム、『METAL GEAR SOLID 3: SNAKE EATER』(以下MGS3)の発売日です。
『MGS3』は、銃器を単なる戦闘ツールではなく、時代や思想を語る「語り部」として描き、プレイヤーに深い余韻を残しました。
本稿ではリメイク作品となる 『METAL GEAR SOLID △(デルタ):SNAKE EATER』 の発売が近いこの機会に、一度『メタルギア』シリーズと作中での銃器描写の歩みを発売順に振り返り、その銃器哲学に迫ってみたいと思います。

『メタルギア』が興したもの:全てを進化、深化、昇華した
メタルギアがシリーズとして誕生したのは1987年の事です。
それは、スターウォーズ計画に代表される技術競争の過熱により、軍事が「情報化・電子化」されようとしており。同時にベトナム戦争の経験、アフガニスタンへのソ連侵攻の泥沼化から、「正規戦ではない戦い」、つまりは特殊部隊・非対称戦が注目され始めた時代でした。そして、文化・メディアの視点では映画「プレデター」「ロボコップ」「フルメタル・ジャケット」が公開され、軍事・SF・ポリティカルなテーマを組み合わせた表現が主流化した「デジタルの夜明け前夜」の時代でもありました。
その様な時代に、当時まだ24歳だった小島秀夫監督が手掛け、MSX2用ソフトとしてリリースされた初代『メタルギア』は、ハードの性能的制約を逆手に取り、当時としては珍しい「敵に見つからずに進む」というステルスゲームの概念を打ち出し、根強い人気を集めました。
しかしその革新性が真に世界に響いたのは、1998年に発売された『METAL GEAR SOLID』からです。シリーズ初のフル3D作品となった本作は、カメラワークをはじめとする映画的な演出、「20世紀最高」とさえ評されたシナリオ、何より「銃器をはじめとしたミリタリー描写」の劇的な進化をもたらしました。
『メタルギア』において、銃は単なる装備アイテムではなく、キャラクターの信念や思想、立場を反映する「語る存在」として描かれます。シリーズを追うごとにその傾向は深化し、特に『MGS3』では、冷戦期を舞台とした歴史的背景の中で、銃器は「時代の記号」として物語に組み込まれました。
『メタルギア』『メタルギア2』の銃器哲学:「ステージ攻略の道具」として
ここからはシリーズ作品それぞれの銃器哲学を分解していきます。

まずは記念すべきシリーズ初作品である『メタルギア』と、その続編の『メタルギア 2:ソリッドスネーク』について語りましょう。
始めに特記すべきこととして、この二作においては銃器は視認性を重視した、機能のシンボルとして機能しています。
2Dドットの限界の中で、「銃は装備の一つ」であり、正確な描写より「役割と印象」が重視されているのです。
1では武装要塞国家兼傭兵派遣会社であるOUTER HEAVEN(アウターヘブン)が樹立された1995年の南アフリカ奥地、2では1999年に中央アジアの架空国家ザンジバーランドの連なる戦いを描くこの2作品は、今日多くのゲーマーからは、敵から隠れて進む「ステルスゲーム」の概念を打ち出した始祖として扱われます。

同作において実在の銃器は二作とも 「ハンドガン」 としてベレッタ92が、「サブ・マシンガン」としてイングラム MAC11が登場しますが、プレイヤーキャラであるソリッド・スネークを通して使用できるのはそれにとどまります。
敵によっては中国製の消音拳銃である六七式微声手槍やステアーAUGの使用が確認できるものの、全体としては多彩で正確な銃器描写はありません。しかし上述の、スネークが使用する二種には「サプレッサー」の装着がアクションとして可能であり、意味とそれによる選択肢が機能しています。

また携行兵器全般で見ればこの時点でシリーズお馴染みの兵器であるリモコンミサイルやリモコン爆弾が登場し、ユニークな性能を使いどころやギミックで表現する事に成功していました。

俯瞰して見ると、メタルギアシリーズの銃器哲学の骨子の一部である「ステージ攻略の道具として」の銃器の描き方は、この時点で基礎が完成していたと言えるでしょう。なお余談ですが、『メタルギア 2:ソリッドスネーク』は「ソリッドスネーク」の方が正式タイトルとされています。
『METAL GEAR SOLID』の銃器哲学:無機物の人格化
「戦闘中のリロードがたまらない。銃に命を吹き込んでいるようだ――そう思わないか?」
ーーリボルバー・オセロット
メタルギアにて骨子を完成させたのち、初代PlayStationにて『METAL GEAR SOLID』(以下『MGS』)が、そしてさらに次世代ハードであるPS2にて『METAL GEAR SOLID 2:SONS OF LIBERTY』(以下『MGS2』)が、それぞれのマシンスペックを十全に活かす形で登場しました。
『MGS』はすべての要素が前作に比べ飛躍的に進化した、現在においても金字塔的作品です。
2005年のアラスカ州、ベーリング海の孤島シャドーモセス島における武装蜂起事件と、それに立ち向かうべく復帰したソリッド・スネークの戦いを描き、核廃絶を強く訴えたそのメッセージ性・作家性も上述の扱いに拍車をかけていることも特筆しておくべきでしょう。
もちろん銃器描写においても発展を遂げており、実在の銃器はプレイアブルでは SOCOM Mk23 や FAMAS、PSG-1 。非プレイアブルとして デザートイーグル に コルトSAA などが登場し、いずれも効果的に使用されました。

MGSでなされた銃器描写の革新を一点あげるとすれば、それは間違いなく「無機物の人格化」をも可能にした精細な描写にあると言えるでしょう。
これは単純に情報量の多さにより銃のキャラクター性が高まったという意味にとどまらず、作中の人物を象徴する一丁として機能するようになったという事を指しています。
この傾向は単独潜入と戦闘のプロであり SOCOM Mk23 を使用するスネーク、経験が浅いながらも苦も無く デザートイーグル を操るメリル、 PSG-1 を携え対峙するスナイパーウルフ、コルトSAA でガンプレイを披露するリボルバーオセロット、そして通常の人間には到底扱えない M61 バルカン を軽々と振り回し立ちふさがるバルカン・レイブンに顕著です。




ちなみにMGSにおいて、敵の一般兵士(ゲノム兵)が主装備とし、スネークも使用可能なフランス製アサルトライフルの FAMAS は、当時東京マルイにより史上初の電動ガンとしてリリースされた名機が存在し、その特徴的ルックスと性能のインパクトにより人気を博していました。


当時の電動ガンとしてのFAMAS開発秘話などを探ると「初の電動ガンとして、モデルガン的価値も持たせようという選定理由だった」とされています。まさにそのモデルガン的価値を備えるディテールが、ゲーム中のモデリングなどに活かされたものと考察します。
こうした背景を踏まえると、ゲーム中のFAMASも単なる「撃てる装備」ではなく、兵器としての機能性と、モデルガン的に愛玩される外観の双方を備えた、プレイヤーとの感情的な接点として設計されていたと考えられます。
そしてこれは、単に銃器を「出す」のではなく、どんな文脈で、誰に持たせるかまで演出するという、後のシリーズに通じる哲学の始まりとも言えるでしょう。こうしてあらゆる意味でアイコニックな銃器の描き方が『MGS』で確立されました。
そして続編として登場した『MGS2』にて、その傾向はさらに深まる事になります。
『METAL GEAR SOLID 2: SONS OF LIBERTY』の銃器哲学:リアリズムとの接続の果てのミーム化

俺達は伝えなければならない
俺達の愚かで、切ない歴史を
それらを伝えるために、デジタルという魔法がある
未来を創ることと
過去を語り伝えることは同じなんだ
ーーソリッド・スネーク
タンカーの沈没から端を発する巨大海上施設ビッグシェル占拠事件を描き、新主人公として雷電を迎えたのが『MGS2』です。
特殊作戦における装備の情報がある程度明らかになった時期というのもあり、M4A1カービンやAKS-74U等の軍事的・政治的リアリズムを備える銃器が加わり、より現実と地続きと認識させる機能が銃器描写に加わりました。


劇中において使用場面が多い拳銃カテゴリにおいては、前作から SOCOM Mk23 が続投したのに加え、 同系列の USP(9mm) が、非殺傷の麻酔銃として改造された ベレッタ M9 が加わりました。



『MGS2』のみを見るとレールガンやその他背部から伸びるマニピュレーター付きパワードスーツ等、現実でも追いついていない超兵器や、日本刀型の高周波ブレードなどとにかく「カッコイイ」ものが登場しましたが、実銃も小島監督作品特有の「外連味」を持って非常に魅力的に描かれ、その存在感が損なわれることはありません。


また、本作ではプレイヤーが「どの銃を使うか」を選ぶという構造そのものが、キャラクターの価値観をプレイを通して表現する仕組みとして機能していました。USPやMk.23 SOCOMによる撃ち合いを選ぶのか、M9による非殺傷を選ぶのか。
そこには単なる性能差ではなく、「殺す/殺さない」を自らに問う、倫理的な分岐が仕込まれていたのです。

銃器はここで初めて、「撃つこと」そのものがストーリーテリングの一部となる舞台装置へと進化しました。
つまり『MGS2』では、銃器の使い方がそのままプレイスタイルの表明であり、キャラクターをどう「演じるか」という問いそのものだったと見ることができます。『MGS2』の物語において、最も重要な主題のひとつに「ミーム」があります。
人は遺伝子(ジーン)だけでなく、思想や行動、価値観といった形なきものをも受け継ぎ、次代へと託す存在であるというメッセージは、物語だけでなく登場人物たちの「構え方」や「選び方」にも深く息づいています。
同様にそれぞれの銃は、撃つ者の覚悟や立場、そして「どのように生きるか」という意志を映し出すものとして描かれています。もし銃がそのように語り、誰かの価値観を伝えるものであるならば、銃もまたミームとなりうる。
これがMGS2の銃器哲学であり、そしてその語り方をプレイヤーが選び、デジタルという魔法の中で伝播することそのものが、尊い営みであるとも言えるでしょう。
まとめ
こうして振り返れば、初代『メタルギア』と『メタルギア2』で銃は「ステージ攻略のための道具」として描かれていました。
一方でその中にはプレイヤーに「選択」の重みを感じさせる萌芽があり、それは『MGS』と『MGS2』でついに「無機物の人格化」へと昇華し、キャラクターの信念や思想を背負い語り出す存在へと変化しました。
それは単にリアルな銃器描写という枠にとどまらず、銃という存在が人間と世界を映す鏡となり、どの銃を手にし、どう撃つのか、その行為自体がプレイヤーの価値観を問う装置へと変貌したことを意味します。
それがこの前編で辿り着いた、メタルギアの銃器哲学の第一歩であり、これから語られる「時代を映す銃」、そして「業を背負う銃」へと繋がる大きな礎となっていきます。
この銃器哲学が、続編である『MGS3』以降の作品でどのように深化していくのか――それはまた次回、中編にて。
「METAL GEAR's METAL ARMS:『メタルギア』の銃器哲学【中編】」はこちらから「METAL GEAR's METAL ARMS:『メタルギア』の銃器哲学【後編】」はこちらから※UPDATE(2025/8/11 20:33):本文中の誤記を修正しました。コメント欄でのご指摘ありがとうございます。
※UPDATE(2025/8/13 2:13):本文内容を修正し、一部の画像とキャプションを追加しました。コメント欄でのご指摘ありがとうございます。











