『ドラゴンクエストI&II』プレイレポート。1作目が作り手の憧れから生まれ、2作目がその後の可能性を見せて約40年。HD-2Dリメイクが見せる古典 “新訳”の世界 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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『ドラゴンクエストI&II』プレイレポート。1作目が作り手の憧れから生まれ、2作目がその後の可能性を見せて約40年。HD-2Dリメイクが見せる古典 “新訳”の世界

いまやRPGの古典となった「ドラゴンクエスト」を新訳するかのようなリメイクには、約40年に及ぶ日本のRPGの歴史が詰まっている。

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『ドラゴンクエストI&II』プレイレポート。1作目が作り手の憧れから生まれ、2作目がその後の可能性を見せて約40年。HD-2Dリメイクが見せる古典 “新訳”の世界
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1作目は自分の経験で書ける。2作目は1作目の執筆で覚えた技術で書ける」最近、とある作家の言葉でなるほどね、と思ったものです。

主に小説の新人作家が新作を書き続け、キャリアを成長させる大まかな傾向について指摘してるんですね。これは。とある作家は60年代から70年代に活躍した方なので、決していまの作家に当てはまるとは言えないですが、ある意味でゲームのシリーズでも近いようなことが言えるのではないかと思ったんですね。

言い変えるならこんな形はどうでしょう?「1作目は作り手の先行タイトルへの憧れで作れる。2作目は1作目を作った技術で、後のシリーズの可能性の多くを含んだものが作れる」こちらもどんなゲームシリーズにも当てはまるかどうかはともかく、少なくとも僕は最初の『ドラゴンクエスト』と『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(以下、ドラゴンクエストII)に関してそう思っています。

原作の発売から40年近くが経った現在。この2作は何度も移植され続けたあと、『ドラゴンクエストI&II』へとHD-2Dリメイクされるのでした。昨年の『ドラゴンクエストIII  そして伝説へ…』のHD-2Dリメイクに続く形で、今のクリエイターたちが原点を作り直す流れです。

それがどんな形になったのかを確認するチャンスがありました。8月某日、スクウェア・エニックスが開催した、『ドラゴンクエストI&II』のメディア向けの試遊会です。そこで僕が体験したのは、古典が “新訳”として語られなおすことでした。

●本レポートでプレイしたのはPlaystation 5版となります。

伝説の「3作目」から、1作目と2作目をやり直す意味

冒頭に取り上げた、とある作家はさらに続きの言葉を残しています。「問題なのは、3作目なんだ」作家はこう言います。「自分の経験も、技術も、すべて使い果たし、からっぽになった状態から3作目を書くことから、作家の本当の闘いが始まるんだ」デビューしてから1冊、2冊は小説を書けるけれど、作家として続けていくのに3冊目がとても大事になるということを指摘しているのですね。

ゲームのシリーズにも近いことが言えるかもしれません。特にシリーズの3作目が大事になるのは、ゲーマーなら身に染みているのではないでしょうか。1作目、2作目が良くても、3作目があまり広がらない出来だったために、シリーズの流れが潰えたゲームがどれだけあったことでしょうか。駄作とも違う、 “広がらない出来”によってシリーズが限界を迎えてゆく姿を、僕は長くゲームを遊んできて何度か体験してきました。

『ドラゴンクエストIII』はそんな壁を乗り越え、見事にシリーズを続ける強い影響力を持った3作目となったのは疑いようもないでしょう。それどころか、日本のビデオゲーム史に刻まれた傑作です。未だにリメイクされて、遊ばれ続けるのですから、一種の古典といっていい。

古典はいかに古典となり、遊び継がれていくのでしょうか?「ドラゴンクエスト」シリーズは、初代『ドラゴンクエスト』から『ドラゴンクエストIII』までに連なる “ロト三部作”があまりにも強く、綺麗に繋がり、日本においてRPGを浸透させたことで古典になったと思います。

ですが古典はそのままでは時代が経った後、今のゲームプレイの基準とギャップが生まれてしまう。小説の古典が、現代語の新訳で読みやすくされるのと似ていて、『ドラゴンクエストI&II』は、リメイクされた『ドラゴンクエストIII』に繋げるかたちで大胆なほどのアレンジが加えられているのでした。

新訳された『ドラゴンクエスト』は、原作版が憧れた世界と別の世界を描く

1986年にリリースされた、原作の『ドラゴンクエスト』は今にして思えば簡素でした。しかし、当時はまだ日本でRPGというジャンル自体が広まっている最中です。英語圏のコンピュータRPGの先端を走っていた「ウィザードリィ」シリーズや「ウルティマ」シリーズといったRPGを日本語であそぶだけではなく、それらに影響を受け、日本でもPCで「夢幻の心臓」シリーズや「ザ・ブラックオニキス」などのRPGが作られていた時代です。

『ドラゴンクエスト』もそんなひとつでした。違いは、本作がPCではなく家庭用ゲーム機、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)で作られた初めてのRPGということでしょうか?もちろんアクションRPGなど広いジャンルも含めれば必ずしもそうとは言えないのですが、ターンベースのコマンド選択RPGという意味で “初”と言えるでしょう。

もう一つの違いは「まだコンピュータRPGをあまり知らない世間に、いかにこのジャンルの面白さを伝えるか?」というスタンスで作られたことでしょう。当時、日本で最も広まったゲーム機のファミコンでリリースされることもあり、主な客層である子供でも理解できるようにデザインされたことは、さまざまな開発秘話から読み取れるものでした。

日本は『ドラゴンクエスト』からRPGを教わり、40年近くが経ちました。僕も後から「ウィザードリィ」シリーズや「ウルティマ」シリーズに触れ、「ああ、これが『ドラゴンクエスト』の作り手たちが憧れた原点なのか」と思ったものでした。

さてHD-2D版『ドラゴンクエストI』には、オリジナルが憧れた「ウィザードリィ」シリーズや「ウルティマ」シリーズの手触りはあったのでしょうか?結論からいえば、ほとんどない。そこにあったのは、「ドラゴンクエスト」シリーズの約40年間が積み重ねたもの、そして日本のRPGの約40年間が積み重ねたものでした。

日本のRPGが40年近くにわたり磨き上げたものはなにか。最たるものは、ストーリーやキャラクターの強い表現でしょう。まさに今回の『ドラゴンクエストI』では、なんとストーリーイベントが多数追加されている。そして、 “ロト三部作”の一貫性を強める作り方を行っているのです。

試遊ではガライの町から始まったのですが、なんと悪徳商人が “とうぞくのカギ”を宣伝するイベントが展開される。とうぞくのカギ?まさか『ドラゴンクエストIII』のあのカギなのか?

どうも王様に話を聞くと「ロトが使った3種のカギ」と言ってますから、『ドラゴンクエストIII』のカギで間違いないようです。

原作版の『ドラゴンクエストI』は消耗品の “かぎ”で世界の扉をなんでも開けることが出来たんですが、今回はおそらく “とうぞくのカギ”、 “まほうのカギ”、 “さいごのカギ”で統一される模様。ということは、HD-2D版はどうやらゲームの進行も大きく変わっていくようなのです。

さらにイベントを追って、悪徳商人が向かった南の橋へ。途中、魔物に遭遇するのですが驚くことに。なんと一対一ではなく、勇者ひとりで多数の魔物を相手にするのです。さすがに一匹一匹戦うのは手間なので、装備を付け替えて全体攻撃できるムチ系の武器や、攻撃力の高い剣や槍系の武器を選んで戦えるようにしています。

驚きは続きます。コマンドに“とくぎ”が追加されているではありませんか。これもHD-2D版『ドラゴンクエストIII』のゲームデザインを引き継いでいますが、やはり原作版・移植版を考えれば、まったくプレイフィールが違うのは確か。より選択肢が増えた戦いを要求される形へ変わりました。

とくぎは「ドラゴンクエスト」シリーズによって覚え方が変わっていきますが、今回は “巻物”からも習得できるかたち。宝箱などに隠された巻物を見つけ、戦闘や探索に役立つとくぎを覚えていくのです。これもまたプレイフィールを原作版から大幅に変えるデザインなのは間違いないでしょう。巻物でとくぎを覚えられるのは、HD-2D版『ドラゴンクエストII』も同じとのことです。

やっぱり原作版を知っていると、ずっと驚きが続くんですよ。まったく違っていますから。

橋へ向かうとなんと、原作版~過去のリメイク・リマスター版にはなかった宿場があるではありませんか。ここも単なる休憩所というわけではありません。ストーリーをドライブさせるイベントが織り込まれているのです。僕はここで「橋の扱いをストーリーに寄せる方につかうんだ」と思いました。なにしろ、橋は原作版で重要な体験を作る境界線でした。実態が知れない凶悪な魔物が外の世界にうようよいると感じさせる体験です。

「橋を超えると、今までよりも強力な敵が出てくるぞ」と町の人に忠告され、本当かと気軽な気持ちで渡ってみたら、おおさそりに抹殺される。いまなら「おおさそり程度で?」と思うんですが、当時は世界の広大さと、橋の先にある恐ろしさを感じさせられたものです。ほんとに。

ですが、本作では「ストーリーが進む先で、強力な敵のフィールドへ向かう区切り」という流れに新訳されているんだと思います。

宿場では、なんとさっきの悪徳商人が、誰かにやられて倒れている。どうやら何者かにやられたらしい。覆面を被った裸の男にやられた。裸……覆面……まさか?「カンダタという危険な盗賊団ですね」。本当に『ドラゴンクエストIIl』の歴史が強く繋がっている!こうしたストーリーも加えることで、宿場を超えた橋の先のさらなる敵を予感させるのですね。

いやしかし、本作の時代は『ドラゴンクエストIIl』から数百年は経ってるんじゃないのか?まだカンダタっているのか?と思いながらフィールドを歩いていると、「本当に時代は変わった……今のRPGでけっこう見られる特徴が溢れてるなこれは……」としみじみ思いました。

その特徴とはなにか?プレイ中、小さくとも「ノーリスクでなんらかの利益が得られること」「ゲームプレイで煩わしい要素が削られていくこと」です。

たとえば、オープンワールドのマップを歩いたら素材が手に入るようなタイトルが少なくないように、ゲームプレイで1分に一回はプラスになるものがあるデザインは珍しくなくなりました。言うなれば、ストレスを感じることがなく、常に成功体験をくれるデザインですね。

今回の『ドラゴンクエストI』も常時、利益がもらえるデザインに変貌。なんとフィールドマップ中にアイテムやお金が落ちている。原作版で最初に買うのも苦労していたこんぼうが簡単に手に入ったりする。ステータスを上げる種も手に入る。ここに、最近の日本のRPGの傾向を反映しているのではないかと感じました。もちろん移動中も世界地図はミニマップとして表示されますし、次に何をすればいいかの目的地の表示も全部ある。小さなストレスをほとんど削っている。

このあたりは隔世の感がありましたね。原作版は淡々とプレイヤー自身の手で世界を探索し、切り開いていくものでした。時代は変わった、と思うんですが「いや、『ドラゴンクエスト』こそがRPGの煩わしさを無くしていく始まりだったんじゃないか」とも考えました。

そもそもRPGは「ウィザードリィ」シリーズや「ウルティマ」シリーズのように “プレイヤーが全滅すれば即ゲームオーバー”でした。これはいまでも変わってないでしょう。しかし『ドラゴンクエストI』は、死んでも王様の場所から復活させるというデザインを取り入れ、再プレイしやすくして煩わしさを解き放っていたのでした。

その後の競合の登場で、煩わしさはどんどん消えていったように思います。たとえば「ファイナルファンタジー」シリーズが「はなす」、「しらべる」のようなコマンド選択の煩わしさを廃止したり、それどころかアイテムの所持制限という煩わしさまでやめていった。

そんな煩わしさを消していく傾向は、RPGの語源であるロールプレイのリアリティとしてどうなのかと、昔はしばしば議論されたと思います。ですが、いまではアイテムの所持制限がないことに文句をいう人はほとんどいませんよね。

日本のRPGは、この40年近くのなかでいかに煩わしさを消し、常にプラスの要素を感じるようにしていくかという歴史でもあったんじゃないか。そして昔ながらの世界を切り開く感覚のゲームプレイは、ソウルライクのジャンルに求められるようになった。これが(少なくとも僕の)RPGが変わっていった概観ですね。

『ドラゴンクエストI』の “新訳”はそうした方向性で出来ています。もちろん、古典の手触りが好きな人向けに、オプションで細かい設定を変えられる配慮も欠かしていません。ミニマップを消したり、難易度を変えたり出来るようになっています。

ともあれ、カンダタが逃げたという洞窟へ向かうと一行と戦闘へ。撃破すると、なんとこいつは『ドラゴンクエストIII』に出てきたカンダタの子孫だというではありませんか。

カンダタはでたらめな盗賊なのかと思いきや、数百年も血族を維持して後の世代にカンダタ名を引き継いでいくほど、まめに活動していたらしいのですね。半裸に覆面は変態ではありません。あの一族の正装なのです。そうなると初代カンダタの息子も、孫も、親世代の正装に反発はなかったのでしょうか?確実に恥ずかしいあの格好の父親に対し、思春期をどう乗り越えてきたんだ?どこで息子たちは「これが僕の運命なんだ」と服を脱ぎ、覆面を付け、一族の宿命を受け入れるに至ったのか?

考えるだけで一本スピンオフができそうですが、ともかく「日本のRPGの魅力はキャラクター性である」を証明する一例ではないかと思います。新訳『ドラゴンクエストI』を代表するキャラは勇者。ローラ姫。りゅうおう。カンダタ。いいのでしょうか。はい。これも未来の世代のゲーマーに伝えるためなのです。

このようにリメイクされた本作は、原作と同じく世界を探索するRPGであると同時に、『ドラゴンクエストIIl』を引き継ぐストーリーとキャラクターがドライブしていく体験のRPGへ新訳されたと言っていいでしょう。

あ、そうそう。ラダトームの町でふらふらついてくる女の子と、宿屋に入ると「ゆうべはおたのしみでしたね」ってセリフは原作からしっかり引き継がれていますよ。

ただ世は令和に入り、このシーンも考えてみたら大丈夫なのか?とは思いました。勇者という立場を利用した搾取ではないか、勇者が告発されてスキャンダルとなり竜王を倒す前に職を追われるのではないか、放逐された勇者は休業か引退を発表するような展開になってしまうのではないか?

一瞬ハラハラしたんですが……そもそも “おたのしみ”だからトランプか何かをやってたんですと言っても成立するから大丈夫なのか?ある意味、試遊していて強敵との戦闘以上にハラハラしたというか。どう考えてもひと笑いするところでいいはずなんですけども。

『ドラゴンクエストII』の新訳は、意外な新キャラ加入とともに血まみれの旅路だった原作版を少し思い出させる

こんな風に『ドラゴンクエストI』が『ドラゴンクエストIII』を引き継いだストーリーやキャラクターを押す形であれば、『ドラゴンクエストII』はまさにロト三部作を締める一作として作り上げられるのでしょう。試遊会のスタッフにお話を聞いてみると、「ファンには驚きのラストが待っていますよ」と完結編として力を入れている模様でした。

『ドラゴンクエストII』では新たに仲間が加わり、船を使い世界を股にかける旅ができるようになったことで、いまのような冒険の形が出来上がりました。

仲間ができたことは戦略が広がっただけではなく、日本のRPGならではのキャラクターの魅力が高まったことも大きいでしょう。「ドラゴンクエスト」シリーズの中で『II』の仲間は後のシリーズに比べれば地味な方かもしれませんが、やはり忘れられないキャラクター性を持っていました。

さんざん探し回ったあげく、こちらに「いやー、さがしましたよ」と言い張るのんびりもの・呪文と肉弾戦の二刀流のサマルトリアの王子。故郷を滅ぼされ、呪いを受けながらも生き延びる、呪文のエキスパートのムーンブルクの王女。思い返してもじんわりと印象が強い仲間揃いなのでした。

そんな原作版からの仲間に加えて、リメイクの本作では、長らくファンに小説版やゲームブック版などで注目されていたあのヒロインが新キャラとして追加。サマルトリアの王子の妹、サマルトリアの王女です。

本作で彼女はヒャド系呪文や全体攻撃のとくぎを持ち、肉弾戦もなかなか強いマルチプレイヤーなキャラ。しかも戦闘中は突然、遊び人のようにコマンドを無視した行動をとったりするなど、有能だけど勝手なところのあるキャラクター性がうかがえますね。

そんなことより、ちょっと戦闘を続けてみると「なんかサマルトリアの王子より、王女のほうが通常攻撃のダメージが高い気がするぞ?」という疑問が。気になってステータスを見てみたら驚愕しました。普通に王女のほうが多くのステータスが兄を上回っている

原作版でさんざん「サマルトリアの王子が死にやすいし、うまく強くできないし困ったよほんと」と思ってましたし、HD-2D版ではさすがにそのあたりは変わるのかなあと思ったら、もっとえげつないことになってました。古典。未来へ語り継ぐべきもの。そんな新訳に、妹にステータスが完敗する兄という一節が加わるのです。

そんなことより、ゲームシリーズならではの2作目にしばしば言えるのが「可能性を切り開いたと同時に、難しいゲームバランスになるところがある」こと。その意味でも『ドラゴンクエストII』は印象深い一作でしょう。

HD-2D版の本作はどうか?意外にも気を抜くと次々と死にます。アンデッドマン4体に囲まれるとHPの4分の1が削られていく。一応、通常の難易度でプレイしていたのですが……。今回の試遊は原作版でも屈指の難易度を誇った大灯台の探索が舞台。試遊会スタッフは「皆さんゲームがお上手ですから、今回は推奨レベルより低めの設定なんですよー」とさわやかに言いましたが、ゲームメディア関係者はかならずしも皆そうではないことを知らないようです。

とどめを刺されていくローレシアの王子、サマルトリアの王子を見ながら、僕が思い出したのは映画監督・黒沢清さんの著作「映画はおそろしい」に掲載されている、90年代初頭に書いたエッセイでした。黒沢氏はオリジナル版『ドラゴンクエストII』をプレイした当時、「そうなのだ。ドラクエll、あれは確かに凶暴なゲームだった」という言葉を残しています。

黒沢氏は「プレイヤーが手塩に掛けて育てたキャラを、容赦なく皆殺しにしてしまおうとするドス黒い意志が全編を支配していた」と指摘。すでに90年代の時点でキャラの育成や成長を楽しませる傾向が強くなったRPGを嘆いていました。それゆえか、これからのRPGは「ドラクエllにもどるべきである」と大胆な提言を残していたのでした。

「たかがマンドリルくんだりにボロ負けして、命からがら城へ逃げ帰ったことを思い出そう。あれは、はっきり生きるか死ぬかのゲームだった」と黒沢氏はその魅力を語り。「はっきり言おう。RPGとは、断じてキャラを成長させるゲームではなく、プレイヤー自身が成長してゆくゲームなのだ」と黒沢氏はまとめています。もはや、現代の死にゲーの魅力を語っていると言っていいでしょう。

そう、原作版の当時、『ドラゴンクエストII』の世界は安全にガイドされて旅できるものではなく、まさに魔物に支配された世界とはこういうものだと、RPGとは未知の世界を疑似的に旅するものであり、未知の場所とはおぞましい暴力や災厄にまみれているものでした。

僕たちはキャラクターやストーリーの強い日本のRPGに慣れすぎたかもしれません。原作版『ドラゴンクエストII』のように、RPGでの体験は「手を触れてはならない暴力が満ち溢れた場所を旅するもの」というところへ戻るべきかもしれません。

通常の難易度でストーリーを追いかける体験は、これから『ドラゴンクエストII』という古典を知る新しいゲーマーにまかせましょう。原作版を知っている人間こそ、暗黒に満ちた『ドラゴンクエストII』を体験し直すべきです。難易度を最高に変え、ミニマップも消し、次に行くべき場所の指示もすべてオフにして、大灯台の全滅やロンダルキアの地獄を蘇らせるのです。世界とは未知の暴力と暗黒に満ちた場所なのです。

あの頃のRPGとは、作る方も遊ぶ方も未知を切り拓く旅でした。『ドラゴンクエストII』をいま遊ぶ意味とは、RPGとは未知の世界を旅するものだったのではないか?という記憶を取り戻すべきところにあるかもしれません。

『ドラゴンクエストI&II』は、ニンテンドースイッチ2/ニンテンドースイッチ/PS5/Xbox Series X|Sにて2025年10月30日にリリース予定。Steamは10月31日の配信を予定しています。


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ライター:葛西 祝,編集:TAKAJO

ライター/ジャンル複合ライティング 葛西 祝

ビデオゲームを中核に、映画やアニメーション、現代美術や格闘技などなどを横断したテキストをさまざまなメディアで企画・執筆。Game*SparkやInsideでは、シリアスなインタビューからIQを捨てたようなバカ企画まで横断した記事を制作している。

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編集/いつも腹ペコです TAKAJO

Game*Spark編集部員。『Crusader Kings III』と『Mount & Blade II: Bannerlord』に生活リズムを狂わされ続けています。好きな映画は「ダイ・ハード」、好きなアメコミヒーローは「ナイトウィング」です。

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