ハードコアゲーマーのためのWebメディア
横須賀ドブ板に私はいた。少女がかわいがる猫の名前をつけたり、ホットドッグ屋のトムと話したり、気づけばドブ板の華僑コミュニティにクビを突っ込んだり、外国人船員と喧嘩をする日々。Read more »
ゲームセンターでは『バーチャファイター3』が好評稼働中。セガサターン版で増えた『バーチャ』ファンも取り込み『バーチャ2』時代よりさらに活気があふれる店内。強いプレイヤーの立ち回りを見て連携や技を確認する。Read more »
ゲームセンターで3D格ゲーにハマっていた頃、家庭用ゲーム機はどうだったかというと、それまで絶対王者だった任天堂は、スーパーファミコンの後継機として発表していたニンテンドウ64を1996年6月に発売。Read more »
1993年末からゲームセンターに登場したセガの3D対戦格ゲー『バーチャファイター』。『ストII』を筆頭に2D格ゲーが全盛を極めるこの時代に、生ポリゴンでカクカクの無骨なキャラクター達が映しだされたゲーム画面は、お世辞にも楽しそうなゲームの空気はなかった。Read more »
ゲームセンターでは相変わらず格ゲーが幅を利かせ、あとはクイズゲームとパズルゲーム、80年代そのロゴを見るだけで私の体温が上昇した、ナムコのタイトルもRead more »
いつもの様にゲームセンターで『ストリートファイターII』をプレイしていたら、小学生ぐらいであろうか? こどもがいきなりコインを入れ乱入をしてきた。Read more »
自室でのゲーム環境も、スーパーファミコンの勢いに押されたのか、店頭でディスカントされお買い得になっていたメガドライブを買い直し、夏には『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が発売され購入する。Read more »
1990年春、すっかりバンドブームの熱狂に巻き込まれていた私は、それまで、自宅、学校、ゲーセン、ファミコンショップ。だった行動範囲に、楽器屋兼バンドの練習スタジオが入り、ゲームをする時間は激減していた。Read more »
メガドライブ版『テトリス』の販売中止から6ヶ月後、私は雨の秋葉原に立っていた。高校生活の一大イベント、修学旅行で東京へやってきたのだ。Read more »
年明けに昭和天皇が崩御され、昭和から平成になった1989年。愛読していたビデオゲーム情報誌「Beep」が89年1月号で行ったリニューアルから誌面に独特の熱気が消え、同年6月号で突然の休刊宣言を誌上で行いそのまま休刊となってしまった。Read more »
高校生にもなると、周囲のゲーム熱が多少落ちてきていることに気が付き出す。男子しかいない工業高校機械科のクラスでも、高校生になってまでゲームに夢中だったのは40人ほどいたクラス内でも2割程度だった。Read more »
当時、中学3年生だった私の周辺での勢力図としては、男子はファミコンをほぼ所有、ディスクシステムが2割程度、セガマークIII(マスターシステム)、PCエンジン、MSXユーザーはクラスにひとり、ふたり居るかいないかRead more »
「独占スクープ ファミコン史上最強のゲームが登場!!」と大見出しが踊り、小見出しに「これこそが本当のロールプレイングゲームだ!」と記された『ドラゴンクエスト』なるゲームが紹介されていた。Read more »
1987年、中学生だった私の夏休みは当時大流行していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の最終章となるファイナルコンサートの事で頭がいっぱいだった。この頃の夏休みといえばハドソンのファミコン大会「全国キャラバン」に夢中だったのだがRead more »
1985年、ゲーム好きの中学生だった私は情報に飢えていた。ゲーム仲間でポケコンを所有してプログラムもたしなむヒラタ君が購読していた「マイコンBASICマガジン」のおまけ程度に掲載されていたゲームコーナーがアーケードゲーム(特にナムコ)の情報源だった。Read more »
アナログからデジタルまで野球ゲームにもどっぷり漬かっていた私にとって、ファミコンの『ベースボール』も6球団しか選べなかったが、野球ゲームとしては当時最先端でお気に入りだった。Read more »
ファミコンが我が家に導入されたのがお正月ということで、その冬休みはまさにファミコン漬けだった。本体が兄の所有物となっていたお陰で、プレイの優先順位は兄が1番となるのだが……。Read more »
小学5年生だった私は、エポック社の『カセットビジョン』が欲しかった。さして親しくもない兄の同級生が所有しており、ゲーム目当てに図々しくも遊びに行ってはプレイをし、なかでも『木こりの与作』には本体据え付けのレバーを折るほど夢中になっていたのだ。Read more »