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『ドラクエ』30年の歴史、そして堀井雄二が語るゲームデザイナーに必要な3つの資質とは

堀井雄二氏とスクウェア・エニックスの齊藤陽介氏による「ドラゴンクエストへの道 -ドラゴンクエスト30周年を迎えて-」と題された講演のレポートです。

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『ドラクエ』30年の歴史、そして堀井雄二が語るゲームデザイナーに必要な3つの資質とは
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8月24日から26日にパシフィコ横浜にて開催されたゲーム開発者向けのカンファレンス「CEDEC 2016」。今回は、ゲームデザイナーの堀井雄二氏と株式会社スクウェア・エニックスの齊藤陽介氏による「ドラゴンクエストへの道 -ドラゴンクエスト30周年を迎えて-」と題された講演の模様をお伝えいたします。

■堀井氏がゲームデザイナーになるまで


講演は、堀井氏がゲームデザイナーになるまでの話からスタートしました。子どもの頃から工夫するのが好きだった堀井氏。麻雀の牌を使ってスゴロクをするなど、自分でルールを決めて遊びを作るのが好きだったそうです。中学生になると漫画家を目指し、高校3年生のときには漫画家の永井豪氏の事務所に原稿を持ち込んだりもしたとのことです。

早稲田大学の漫画研究会に入ると、編集者のつながりがあったことから卒業後はフリーライターとしての道を歩んでいきます。印象に残った記事は、雑誌『セブンティーン』で初めて書いたコラム。このコラムは、山口百恵さんの楽曲「美・サイレント」にある「あなたの○○○○が欲しいのです」という歌詞の「○○○○」には何が入るのかを想像するという内容で、読者の反応がとても良かったそうです。


堀井氏の大きな転機となったのが、27歳で出会った「マイコン」。世間でも大変話題になっていましたが、価格が高額であったこともあり購入はできなかったとのこと。そこで、当時「パピコン」と呼ばれていた日本電気の「PC-6001」を10万円程度で購入。BASICの教則本と合わせて勉強をし、四則演算や基本的なプログラミングを学習しました。初めて作ったゲームは、名前や血液型などを入力して結果を表示する占いプログラム。プレイする友人の情報を出力文にあらかじめ入力しておき、「こんなことが分かるのか!」と驚かせるといったイタズラもしていたそうです。さらに、BASICで作られていた『スタートレック』や『信長の野望』などをプレイし、パラメータを書き換えてステータスを調整するといった遊びもしていました。

■ゲーム開発をスタートしてから


その後、本格的にゲーム開発に取り組んで作ったゲームが『ラブマッチテニス』でした。開発にはBASICだけでなく描画を速くするためにマシン語にも挑戦したそうです。本作は、エニックスが1982年に主催したゲームコンテストで見事入選作品に選ばれました。なお、このコンテンストで優秀賞を獲得したのが、スパイク・チュンソフトの代表取締役会長が開発した『ドアドア』。堀井氏と中村氏は後に『ドラゴンクエスト』をともに作ることになります。


『ミステリーハウス』など海外のアドベンチャーゲームというジャンルを知った堀井氏は、次に『ポートピア連続殺人事件』を開発します。本作では、コマンドとなる単語をキーボードで入力するというシステムでしたが、必ずしもプレイヤーが堀井氏の想定する単語や表現を使うとは限らないという問題を経験したそうです。なお、多くの人に衝撃を与えた結末については、冒頭と合わせて最初から決めており、「犯人として一番意外性のある人物は誰か」から考えたとのことです。

ポートピアに続くアドベンチャーゲームとして、『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』と『軽井沢誘拐案内』を開発した堀井氏。これらの作品では、単語を入力するシステムから、特定のコマンドを選択するシステムへと変更となっています。そんな折、世間にはファミコンが登場。家庭でキレイなグラフィックのゲームを子どもたちも遊べることから大ブームとなり、当時『Wizardry』や『Ultima』にハマっていた堀井氏はファミコン向けのRPGが作れないかとエニックスに相談します。しかし、エニックスからの回答は「その前にファミコン向けのアドベンチャーゲームを作りましょう」というものでした。そこで堀井氏は『ポートピア連続殺人事件』のファミコン版を開発しますが、このバージョンに3Dダンジョンが追加されたのはRPGを作りたいという思いからだったそうです。

■『ドラゴンクエスト』の歴史がスタート



いよいよRPGの開発を始めた堀井氏。タイトルの『ドラゴンクエスト』という名称については、多くの人に馴染みのある単語「ドラゴン」と馴染みのない単語「クエスト」を掛け合わせて作られたとのことです。ここからは、各シリーズ作品の開発時のエピソードが語られました。

1986年に発売された『ドラゴンクエスト』は、容量が64KBだったためアイテムを15種類にするなど工夫を凝らして開発したそうです。続いて、1987年の『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』では、容量が倍になったことで3人パーティプレイが実装されました。ただ堀井氏は、本作で初めてRPGをプレイするユーザーもいると考え、最初は勇者1人でスタートし、物語の中で仲間が増えていくという内容にしたとのことです。1988年の『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』では、パーティメンバーの入れ替えや転職といった要素を組み込みました。物語は初代『ドラゴンクエスト』よりも前の時代が語られましたが、初めから構想があったわけではなかったそうです。

大ヒットとなった前作を受け、大きなプレッシャーがかかる中で開発したのが、1990年『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』でした。本作では、ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターたち1人1人にも物語があることに注目し、キャラクターごとのエピソードを描くオムニバス形式がとられました。なお、本作で初めて固有名を持ったキャラクターが登場しています。


1992年にスーパーファミコンでリリースされた『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』では、「プレイヤーを本気で悩ませる」と「親子で魔王を倒す」をコンセプトに掲げ、誰と結婚するのか大いに悩ませることとなりました。また、途中で主人公が変わることのないよう、主人公の少年時代から物語をスタートさせ、子どもとともに戦うというシナリオにしたそうです。

1995年に発売された『ドラゴンクエストVI 幻の大地』では、初めから行き来できる2つの大陸を登場させる試みをしています。さらに、フィールドマップを自由に移動できる「魔法のじゅうたん」が登場。移動範囲が広いため、マップをデザインする際に苦労したとのことでした。


2000年にプレイステーションで発売された『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』では、データ容量が格段に増えたため、スタッフもやれることも増え、開発に時間がかかったというエピソードを伝えていました。また、仲間と「はなす」コマンドが追加され、堀井氏は特にマリベルが印象に残っているそうです。2004年、プレイステーション2でリリースされた『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』では、レベルファイブとの出会いからフル3Dグラフィックによる新しい体験を実現しました。どこまでも歩いていける大地がコンセプトとなっているそうです。

ニンテンドーDSで2009年に発売されたのが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』でした。本作では、すれちがい通信を使った新しい遊びを提案し、メタルキングスライムが登場する「まさゆきの地図」が大きな話題となりました。堀井氏も当時の盛り上がりは予期しておらず、「バーチャルがリアルを侵食したような感覚があった」と伝えました。2012年にサービスインをした『ドラゴンクエストX オンライン』は、ナンバリングタイトル初のオンラインRPGです。構想は10年ほど前からあったというエピソードも聞かれました。

■質問コーナー


次に、事前に募集した質問に堀井氏と齊藤氏が答える質問コーナーが行われました。


──『初代DQ』にあった「○○が あらわれた! コマンド?」。『DQII』以降では「コマンド?」の部分が削除された意図はなぜですか?

堀井氏:言われるまで気が付きませんでした(笑)。ポートピアではコマンドと聞いて回答するのが普通だったので、その名残だと思います。『II』以降はなくても問題ないと思い省略しました。


──バランス調整やデバックに、どのぐらいの時間と人数を掛けていますか?

堀井氏:『DQIV』から『DQVI』では最初にシナリオを作成し、その後1ヶ月ぐらい自分でテストプレイデータを精査しながら細かな調整をしていきます。自身がプレイしていて気持ちが良いという感覚を軸に、マスターアップ後ギリギリまで数値を直していますね。

──『DQV』でモンスターを仲間にするというシステムはどのように生まれましたか?

堀井氏:『DQIV』の騎士ライアンと回復薬のホイミンの組み合わせが面白かったので実装しました。

齊藤氏:ちなみに、「ゲレゲレ」という名前はどうして出てきたのですか?

堀井氏:思いつきです(笑)。ゲーム内で必ずどこか遊びになる要素を入れたいので。



──『DQX』のシナリオは、バージョン1の時点でどこまでできていましたか?

齊藤氏:バージョン3ではレンダーシア大陸や竜族が登場していますが、これらはバージョン1の時点では決まっていました。バージョン4については現在骨格が見えてきた段階です。バージョン5についてはプレイヤーの動向や要望を踏まえて取り組んでいきます。

──初代『DQ』ではゲーム開始時に目的地である「竜王の城」が望めますが、その意図は何ですか?

堀井氏:目的地を最初に示し、代わりに行き方が分からないので探って行くようにしたかったためです。また、ワールドマップはまず全体の形を作り、街やNPCを調整しながら配置していきます。

齊藤氏:ドラゴンクエストチームの特徴として、シナリオチームが物語に基づいて導線を考え、街の構造を作るというのもありますね。

──「アレフガルド」などの地名はどうやって付けていますか?

堀井氏:現実の世界地図の地名をヒントにしています。「アレフガルド」は始まりを意味する「アレフ」、「サマルトリア」は出会いを意味する「サマル」に実在の地名の語尾を付け、地名らしさを表現しています。マップのデザインも実在の地形から考えています。

──「critical hit」を、なぜ「かいしんのいちげき」と名付けたのは何故ですか?

堀井氏:気持ちのいい言葉が「会心の一撃」だったのでそれにしました(笑)。独特な言い回しは、漫画の吹き出しをイメージし、短いセリフでドラマチックに描くことを意識した結果だと思います。文字もグラフィックと考えているので、行替えにも工夫しています。


──ゲームデザイナーとして一番必要で大事なものは何ですか?

堀井氏:自分が面白いと思うものを作る「発想力」ですね。それをシステムに形作っていくための「忍耐」。そして、出来上がったものが面白くなかった場合にしっかりと切る「勇気」が必要だと思います。

■最新作『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』について


最後に、現在開発中のPS4/ニンテンドー3DS向け最新作『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』についても語られました。現在シナリオはすべて完成しており、開発バージョンをテストプレイして問題点の洗い出しが行われているとのことです。開発はニンテンドー3DSの3Dバージョンでチェックをし、他のプラットフォームに反映をさせながら行っているそうです。「ふっかつのじゅもん」や「カジノ」といった30周年らしいものも導入する予定とのことで、続報に期待が高まります。


最後に堀井氏は、忙しい現代において自分のゲームを遊んでもらうためには「やれば面白い」ではなく、「こういうゲームなんだと一言で説明できる掴みが大事」と述べました。そのためにはアンテナを常に立て、ゲームに限らず様々なエンターテインメントに関心を持つことが重要であると伝え、講演を締めくくりました。
《インサイド》
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