ハワイはアメリカ一の多民族州で、ネイティブハワイアン含むポリネシア系は現在およそ10%、白人は約20%、最も多いのがアジア系で約35%と、入植と移民の人種が大多数を占めています。そして約25%が複数ルーツを持ち、島ごとでもその比率は様々です。そのなかでもやはり目立つのは日本の移民達が形成してきた日系文化で、『龍が如く8』では主要メンバーのエリック・トミザワ(井口さんのブレス演技がうまい!)など日系の人物が多く登場し、海外のアウェーでありながら日本人にも親しみやすい雰囲気になっています。

ハワイにおける日本移民の始まりは、1868年の「元年者」と呼ばれる約150人です。カメハメハ大王が欧州技術を取り入れて統一したハワイ王国は、列強と渡り合うために積極的な西欧化を推し進めていました。その一環としてサトウキビの生産を行なうため、プランテーションの労働力を移民に求めたのです。受け入れを減らした中国移民に代わり、元々ハワイ王国と江戸幕府間の交渉で実施されたのですが、明治新政府に替わると、国交を新政府と正式に結んでいないことから中止命令が下されます。しかし一団は無許可のままハワイへ強行出航し、この一団が初めての日本の集団移民となったのです。
新政府はその後改めて王国と契約を結び直し、1885年から「官約移民」が始まります。3年という期限付きの労働契約でしたが、廃止される1894年までに約29,000人がハワイへ渡りました。そのうちの約20,000人を広島県と山口県からの移民が占め、さらに山口の周防大島だけで約4,000人が送り出されました。官約の後は民間で移民団を結成し、約40,000人が追加で移住したといいます。
給金は出稼ぎとしてそれなりに良い額だったものの、肝心のプランテーションの労働はそれに見合わない過酷なものでした。監視役に鞭を振るわれるような奴隷同然の扱いも多く、契約期間が切れたら更新せず南米などの別の国に向かう「転航」する人もいたといいます。そして1898年にハワイがアメリカに併合されると、ロサンゼルスなどアメリカ本土へ多くの人が転航するようになりました。こうしたハワイからの流れがアメリカにおける日系人のルーツの一つになっているのです。

日本移民はストライキを重ねて労働環境の改善を求めつつ、生活拠点の日本人街を築いていきました。1924年には日本移民は完全に禁止されますが、それまでに全体で22万人にも及ぶ移住で日系人の人口比は40%を越えていました。それに対して、白人層からは日系人に対する警戒も同時に高まっていきます。マジョリティになった「馴染まない」日本移民に強硬な排斥論も唱えられ、高まる差別感情は増えていた日本語学校の取り締まりなどで表出します。一方で日系コミュニティのなかでも現地人との同化を推し進めるか、日本文化を維持していくかで割れていました。ですがいかにアメリカ流の文化を身に付けようとも、近づくほど「アメリカ人」との間の溝が越えられず、やがてそれは太平洋戦争で加速していくことになります。

1941年12月8日、真珠湾攻撃が起きると、ハワイの日系人は即座に「敵性外国人」として拘束され始めました。移民一世だけでなく、米国籍を持つ二世三世でさえも危険分子と見做され、かの悪名高き「強制収容」に突き進んでいきます。志願兵にエントリーしても受け付けられず、既に兵役に就いていた者も強制除隊。人種の壁がここでも立ちはだかったのです。
それでもどうにか母国への忠誠心を示す機を求めて二世達は軍に嘆願書を提出し、ハワイ日系だけの「第100歩兵大隊」が創設されました。ここから本土の日系を加えて編制されたのが、米軍史に名を残すあの「第442連隊」なのです。欧州戦線で数々の武功を挙げたものの、日系への偏見を覆すことは容易ではありませんでした。

最初の元年者からおよそ150年たった現在においても、日系のみならずアジア系全体への風当たりは未だ強いままで、米国内における移民排斥の風潮が強まる中で再びやり玉に挙げられる可能性も否定できません。奇しくも先日、米軍の公式サイトから第442連隊の解説が一時削除される事態もありました(現在は復帰)。現在の日本国内においても、在日外国人に関する様々な言説が飛び交っており、今後労働力の受け入れが本格化すればますます議論は活発になることでしょう。かつての同胞が海を渡った先に待ち受けていたのはどのようなことだったのか……歴史に学ぶことも、こうした難しい問題を考える一助になるかもしれません。









