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【JRPGの行方】第6回 「JRPG」とは何か

そもそも「JRPG」とは何なのか? 単純にいえば「海外から見た日本のRPG」のことだ、ということができます。しかしこの「JRPG」という言葉には、それにはとどまらない含意がある気がするのです。

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【JRPGの行方】第6回 「JRPG」とは何か
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■ 「OTAKU」との融合

こうして「後進性」「不変性」といった性質を与えられたJRPGに、別の流れとの融合が始まります。

これまでの連載で伝えてきたような日本のRPGの「アニメ化」「キャラ化」といった流れに、90年代後半からの海外の「OTAKU」文化受容が合流していきます。次第に、日本のRPGは「ANIME」や「MANGA」といった“オリエント”なものとミックスされていきました。

そこで、セクシーやエロスといった言葉では言い表せない、特殊な「官能性」といった性質も付与されていくことになったのです。これを「萌え」と片付けていいのかはわかりませんが、「Otaku」「Manga」「Anime」をそれぞれ画像検索してみれば、言わんとすることは伝わるはず。

ここでは、オリエンタリズムがもともと持っていた東洋に対する「憧れや好奇心」と、サイード的な「優越感や偏見」が綯い交ぜになった、JRPGに対する奇妙な感情が生じています。ジャパニーズカルチャーとしてのJRPGへの憧れが、かえってRPGとしての正当な評価を阻害してしまう、といった側面もあります。ここでも“異質なもの”としてJRPGは存在し、極端にいえばRPGとは異なるジャンルである、とさえ見なされてきた可能性があります。

こうした性質を負わされながら、海外でも人気を博したのが『ペルソナ』シリーズです。世界観からして西洋とは「異質」な作品たちは、アニメ的な変容を遂げながら、シリーズを重ねるごとに評価を高めユーザーベースを拡大してきました。「JRPG」の性質を付与されながらも高い評価を得るという点で、本シリーズは日本のRPGにおけるひとつの可能性だと考えます(ただし開発において、「JRPG」という自覚をもってつくられたかどうかは定かではありません)。

ここで一度まとめておきましょう。

JRPGとは「西洋によって後進性、不変性、奇矯性、官能性といった性質を付与され類型化された“異質な”日本のRPG」のことである

これまでの連載で取り上げてきた日本のRPGの傾向は、しばしば「JRPG」のカテゴリに入るものです。しかし「JRPGの行方」と題しながら、これまでJRPGという呼び方を避けてきたのは、上記のような含意を持たせたくなかったからでした。

一方、これまで私たち日本のユーザーが自ら、日本産のRPGを「JRPG」と呼ぶことはありませんでした。多くの人においては、海外RPGを「発見」したことで、その対比として「JRPG」という言葉を使うようになったといえます。

■ JRPGという「くびき」

さて、「オリエンタリズム」において、日本は独特な立場にあります。『オリエンタリズム』訳者の今沢紀子氏のあとがきに、日本について記されています。

    主体=観る側としての西洋と客体=観られる側としての非西洋世界とが対立するオリエンタリズムの構図に対して、近代日本はきわめて特異な関わり方をしている。西洋から観て地理的・文化的に非西洋世界である限りにおいて、言うまでもなく日本は客体=観られる側である。しかし(中略)努力の結果、日本は西洋の東洋観をも摂取して、オリエンタリズムの主体=観る側に立ったのである。
    ー同著 訳者あとがき

観られる側でありながら観る側にもなりうる日本。私たちが自ら「JRPG」という言葉を使うとき、欧米のRPGを礼讃しながらJRPGを批判するユーザー(=主体)であり、一方でそうした批判を受容している日本人(=客体)でもあるという、矛盾にも似た特異性が見られます。「海外RPGと比べて、やっぱJRPGはだめだよなー」といった語りは、(実は多様性を持っている)日本のRPGの全体を見ないまま、偏りを持って見ているという点で「オリエンタリズム」にとり込まれていると言えるのではないでしょうか。

これらの状況をふまえ、自らの作品を「JRPG」と標榜するとき、何が起きるか。上記で示した「海外から見た“異質な”日本のRPG」「アニメ的、キャラ的なゲーム」といった特性を自ら引き受けることは、結果として作品の類型化を産み、RPGとしての限界を定めてしまうことになってしまいます。場合によっては、それは“迎合”にも映るでしょう。

第一回で私は本稿を「ゲイシャ化するJRPG」と題していましたが、これは「オリエンタリズム」的視線を意識しながらつくられる日本のRPGのことであり、芸妓でなくゲイシャとして、過剰に日本らしく振る舞ってしまうような様子を指します。実際、そういう傾向を持ったRPGタイトルもありますが、ここでは言及しません。

先ほど例に挙げた『ドラゴンズドグマ』は、あえて海外のRPGを積極的に“模倣”する(本編はオープンワールド、追加DLCの『ダークアリズン』はハクスラを特徴としている)ことで、膠着した「JRPG」からの脱却を目指しました。また『キングスフィールド』の流れを汲む『デモンズソウル』は、日本産RPGの主流とは別の場所から生まれたことによって「JRPG」の“くびき”から完全に自由でした。これらは、日本のRPGの脱ガラパゴス、グローバル化への手がかりになるものだと思うのです。

次回は「JRPG」がどのように捉えられていたのか、もう少し具体的に見ていきたいと思います。
《Kako》
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