【俺の電子遊戯】第16回 『ときメモ』で崩壊した俺の価値観 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

ハードコアゲーマーのためのWebメディア

【俺の電子遊戯】第16回 『ときメモ』で崩壊した俺の価値観

ゲームセンターで3D格ゲーにハマっていた頃、家庭用ゲーム機はどうだったかというと、それまで絶対王者だった任天堂は、スーパーファミコンの後継機として発表していたニンテンドウ64を1996年6月に発売。

連載・特集 特集
【俺の電子遊戯】第16回 『ときメモ』で崩壊した俺の価値観
  • 【俺の電子遊戯】第16回 『ときメモ』で崩壊した俺の価値観

    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

ありがとう

これで、終わり……? クライマックスから最終2話、もはやアニメの体をなしていないが主人公の精神描写で締めくくった「新世紀エヴァンゲリオン」。私は特にアニメ好きという訳ではなかったが、好きだったロックバンド、筋肉少女帯のボーカリスト大槻ケンヂ氏が雑誌のコラム等で同アニメをプッシュしており、視聴をはじめるとズッポシハマっていた。なんかよくわかんないけど、凄いラストだったなぁ、予定調和を崩してのあの表現は……。と、製作者側の意図を読み取ろうとする気持ちと、なんでこうなった? という気持ちが半分半分のもやっとした感じで視聴を終えた。その後20年近くもその“もやっ”とした感じが解決しないまま、エヴァの最新作を待ち続けるとは思わなかったが。

弟の上京と『バーチャファイター3』

1996年の春、高専を卒業した弟が就職で上京してきた。学年で3つ離れた弟も、ビデオゲーム好きだった。久々に会って所有するゲームソフトやゲーセンでの振る舞いを見ると、ハイティーンの時代を格ゲーブームど真ん中で過ごしたので、2D、3D問わず格ゲーが好きで得意な様子だった。当時たまに遊びに行くと、もっぱら話題にするのはバーチャ最新作『バーチャファイター3』の情報が中心。今までのPKG3ボタンに加えエスケープのEボタンが加わり、ステージには高低差が。雑誌で紹介されていたデモ公開やロケテストの情報を頼りに、ふたりしてよくおもちゃショーや新宿のゲーセンにその姿を確認しに行ったものである。

いくぜ、200万台


ゲームセンターで3D格ゲーにハマっていた頃、家庭用ゲーム機はどうだったかというと、それまで絶対王者だった任天堂は、スーパーファミコンの後継機として発表していたニンテンドウ64を1996年6月に発売。しかし、時代のニーズをつかんで市場を席巻していたセガサターンやプレイステーションに対し大きな遅れをとっている状況であった。

当時の私といえば、1995年末に発売され、セガサターンハード初のミリオンヒットとなった『バーチャファイター2』を見て、家庭用ゲーム機のセガマーク3時代から続く、万年2位のポジションから「セガがついに家庭用ゲーム機市場で覇権を取るのでは!?」とセガファン的に色めき立ちサターンに肩入れをしていたが、同時期に発売されていたプレイステーションが気にならない訳ではなかった。貧乏フリーターだった私に、ソフト込で4万円近くするハードを同時に2台買える財力はなく、プレイステーションは様子見と決め込んでいただけであった。

その様子見も、96年春の本体値下+コントローラー2個同梱の「ファイティングボックス」が発売されたことにより、とうとう購入に踏み切る。プレイステーションで、『バイオハザード』『ボクサーズロード』『鉄拳』など、様子見をしている時に気になっていたゲームを買い込み、めでたくプレステユーザーとなったのであった。

高校生時代を上書き保存『ときめきメモリアル』


サターン、プレステで、自室のゲーム機環境もすっかり次世代仕様になっていた私に襲った次なるインパクトは、恋愛シミュレーション『ときめきメモリアル』の洗礼であった。PCエンジンで発売され、プレイステーション版も95年10月に発売。愛読していた雑誌に連載されていた、異様に熱量の高い連載記事を読んでいるうちに、「とりあえずプレイはしてみようか」と思うようになり、サターン版の発売と同時に購入してプレイをはじめる。遊ぶ前は、「ギャルゲーなど硬派なゲーマーのやるものではない! 可愛い女の子のアニメイラストを見て喜ぶような趣味は私にはないんだ、俺はロボやマッチョマンが活躍する破壊と爽快感をゲームに求めているんだ!」などと思っていたが、そんな考えも『ときメモ』をプレイするたびに崩壊していった。

「気になるキャラクターにどのパラメータを上げれば逢えるのか? 季節は、選択肢は? 私は、片桐さんのイベントCGが見たいんだ! 運動会も文化祭も修学旅行も一緒にいたい、片桐さん好きです! リアル高校生時代は工業高校の機械科でクラスに女子なんていなかったんだよ、コレだよ俺の求めていた青春は! カムバック、青春!!」とまぁ、プレイ前にあれだけ抵抗のあったギャルゲーにハマっていたのであった。

追いかけているのは夢なのか?

二次元に恋することを覚えた頃、現実での活動といえば上京して5年経ち、周囲では同級生たちが段々バンド活動をリタイアして行くようになる。明らかに私より才能があるのにと認めていたバンド仲間が、5年で芽が出なかったら田舎で家業を継ぐと親と約束していたから、などとUターンする姿に、「私はどうするべきなのか?」と身の振り方を悩む時期でもあった。この時期によく思ったことは続けられるのも立派な才能のひとつ。ということだ。

フリーターで売れないバンドマンをいつまでやれるのか……。この5年でバンドの解散、結成を繰り返しつつも、出演するライブハウスのグレードは上がっていたり、メンバーにプロのミュージシャンの元で下働きをする者がいたり、ライブでの対バンが、メジャーデビューしたミュージシャンが再結成したバンド。など、なんとなくプロのミュージシャンに近づいている気がして、まだミュージシャンへの道は諦めきれなかった。

一緒に上京してきた幼なじみのユースケとはもうバンドを一緒にやっていなかったが、暇が合えばよく会って遊んでいた。部屋で遊ぶときは、私があまりプレイしなくなったスーパーファミコン円熟の『ファイナルファンタジーVI』『クロノトリガー』『ドラゴンクエストVI』など彼の好きなRPGの話から、ソフトを貸してもらったり、プレイステーションでリリースされた『ナムコミュージアム』で80年代ナムコのゲームを一緒にプレイし中高生時代の思い出を語りながら、ユースケに「バンド頑張れよ、もうお前ぐらいしか上京した仲間でバンドやってないし」と励まされ、やれるところまでやるしかない。コントローラー片手にそう思う私、テレビからはなつかしのナムコPSGサウンドが鳴り響いていた。
《DOG COMIC》
【注目の記事】[PR]

編集部おすすめの記事

特集

連載・特集 アクセスランキング

アクセスランキングをもっと見る

page top