キリスト教。現代の世界を形作った世界宗教の一つですが、4つの福音書を中核とする新約聖書は「イエス・キリストの旅の記録」でもあります。

ナザレ出身のイエスが各地で様々な奇跡を起こしつつ、その時代には既に考え方が膠着化していたユダヤ教の律法学者を説得していく……というのがマタイ・マルコ・ヨハネ・ルカの4福音書の大まかな内容です。なぜ、イエスは旅に出たのか。彼がしたかったこと、言いたかったことは何か。
そうしたことを学べるオープンワールド一人称シム『I Am Jesus Christ』というゲームが登場しました。現在はデモ版が配信されています。何と、プレイヤー自身がイエスになって新約聖書にある出来事を追体験していくというゲームです。本記事では、デモ版を通じて、本作の内容に迫っていきます。
「イエスが出てくる作品」は珍しくない!
聖書というものは「人類史上最大のベストセラー書籍」と言われていますが、かつては神父か修道士しか読めないものでした。
イエス登場以前の旧約聖書の原典はヘブライ語、イエス登場以後の新約聖書の原典はギリシャ語で書かれています。これを読むことができる平民は、昔は殆どいませんでした。だからこそ、カトリックの神父やプロテスタントの牧師は一般信徒に対して聖書の内容を分かりやすく解説してあげる必要があります。それが絵画だったり、歌だったり、お芝居だったり、 20世紀に入ってからは映画やテレビドラマで聖書の内容を噛み砕いて伝える試みが何度も実施されました。

「イエスを主人公にしたゲームなんて配信したら、教会から怒られないの!?」
日本人は、そう考えてしまいがちです。しかし、決して絵にすることができないイスラム教の預言者ムハンマドとは違い、「イエス関連作品」は今に至るまで大量に作られています。たとえば、1959年の映画「ベン・ハー」は没落したユダヤ貴族ジュダ・ベン・ハーから見たイエスの奇跡の物語という側面もあります。この作品は日本でもよく知られていますが、実際に鑑賞してみると宗教色が非常に強い作品だということが理解できます。

そうした背景を認識すると、『I Am Jesus Christ』のような「イエスの生涯を追体験するゲーム」はいわゆる「奇ゲー」ではなく、むしろ「いつか誰かが作りそうなゲーム」と解釈することができます。
「移動のだるさ」がないオープンワールド一人称ゲーム
デモ版では、イエスがナザレを出る場面から「荒野の誘惑」や「カナの婚姻」などを追体験することができます。
これは一人称視点のゲームですから、キーボードでの操作方法はWASDで移動、シフトでダッシュ、スペースでジャンプという伝統的な割り当て。「困難を乗り越えながら新約聖書の内容を達成する」というよりは、「新約聖書の内容をなぞる」というゲーム性です。
したがって、プレイヤーがミスをしてイエスが倒れてしまう……ということはありません。HPやスタミナの概念がなく、シフトキー押しっぱで常に全力失踪したとしても、イエスは疲れません。

広大な世界を移動し続けるゲームですが、一方でマップ画面からのファストトリップ機能や移動のスキップ機能も実装されています。これらの機能のおかげで、オープンワールド一人称ゲームにありがちな「移動のだるさ」が一切ない! やはりこのゲームは「聖書の内容を分かりやすく伝えるため」というのが主目的で、省いても支障のない部分は省いてしまおう……という姿勢が随所に見て取れます。この点は、素直に高評価できます。

「敵」を絶賛したイエス
イエスは「神の子」であり、神性と人性の両方を併せ持っています。
そのため、ゲームでも「神の目」という特殊能力を使うことができます。これは隠されたヒントを見通す能力ですが、発動すると信仰ポイントを消費するため、合間合間にお祈りをして信仰ポイントを回復させる必要も出てきます。
さて、ナザレの市場にやって来ました。そこでは槍と盾で武装したローマ兵が、我が物顔で歩いています。

この時代のイスラエルを統治していたのはローマ帝国。そのため、ナザレもローマ領……というよりも、ローマの植民地と言ったほうがより正確です。ローマ兵が町の取り締まりを行い、場合によっては民衆に暴力を振るうこともあります。ゲーム内でも、ローマ兵は今にも暴れ出しそうな様子でイスラエルの民に睨みを利かせています。
そのため、イスラエルの民はローマ兵を心の底から憎んでいます。
しかし、イエスがその生涯の中で最も絶賛した人物はローマ軍に属する百人隊長でした。彼について「イスラエルの中でさえ、これほどの信仰心を持つ者は見たことがない」と褒め称えています。ですが、それは自分の同胞よりも敵軍の部隊指揮官のほうが素晴らしい人間だと主張しているのと同じです。この部分一つ取っても、新約聖書というものは様々な解釈ができる実に難解な書籍ということが理解できます。
パズルを解きながら聖書を勉強しよう!
これは個人的なことですが、筆者はカトリックの洗礼を受けています。
洗礼する直前に教会の神父さんに言われたのが、「聖書は自分一人で読むものではない」ということ。聖書というものはその解釈が人それぞれで、故に狭い部屋の中で一人で読み込むと突飛な解釈になりがち。したがって、聖書はみんなで読むべき……と忠告されました。
それを思い出しながら『I Am Jesus Christ』をプレイしてみると、「聖書の入門編」としては確かに面白く、キリスト教に詳しくない人にとっても取っつきやすいものになっていることが分かります。

ただし、章と章の合間に差し込まれているパズル形式の謎解きは、聖書の記述をヒントに解かなければならないというもので、キーひとつでヒントを閲覧できるとはいえキリスト教徒でない人にはいささか難易度が高い気も……。もっとも、このあたりにも開発者の「聖書を学んでもらう」という明確な意図が見受けられるため、難しいくらいがちょうどいいのかもしれません。
とにかく、オープンワールド一人称ゲームとして見ても『I Am Jesus Christ』はよくできています。「こんなゲームもあるんだ」と考えさせられると同時に、今一度聖書を読み返そうかと思い立つきっかけにもなる作品ではないでしょうか。
『I Am Jesus Christ』は、PC(Steam)向けに2025年第4四半期に配信予定です。













