西暦2026年7月。記事執筆時点での世界は、やるせない絶望と諦念に満ちています。何もかも投げ出したくなるような現実の中で、しかしひとつの操になりうるインディーゲームがありました。それが『くつひも物語』と、『PAIC: ムーンライダー物語』です。
デベロッパーのKITTYPOOLは、3月6日にビジュアルノベル『くつひも物語』を、4月1日に同作のスピンオフ『PAIC: ムーンライダー物語』をリリースしました。両作は、インディーゲーム、というごった煮大歓迎なジャンルの中でも随一に"闇鍋的"なスラップスティックSFでありながら、同時に、現実においてわたしたちを強く縛りつける、構造的な差別や搾取、そして暴力に対する怒りを思い出させてくれる怪作と言えます。
両作には戦争や虐殺におけるトラウマ的描写、性暴力、フェミサイド(性差別に基づいた、女性に対する殺人)、トランスジェンダー当事者に対する制度的差別などの描写が含まれています。プレイされる場合は、ご自身の精神状態を鑑みた上で、安心できる環境で遊ぶことを強くお勧めします(なお本記事では、こうした描写に対する詳細な言及は控えています)。
正直に言えば筆者自身、両作のボディブローのような切実な怒りと悲しみに、思わず目を逸らしたくなる瞬間も多々ありました。しかしだからこそ、「こんな酷いことがこれ以上起きていいはずがない、この怒りや悲しみを無いことにしていいはずがない」と、感情を強く揺さぶられたのです。
そしてその「諦められなさ」は、リリースから4か月あまりが過ぎた今、まさにわたしたちに必要なものなのではないでしょうか。本記事では改めてこの2作の、カオティックな魅力を紹介します。

『くつひも物語』と『PAIC: ムーンライダー物語』の両作は、同じ舞台・時代を共有した、いわば仮想戦記ともいうべきSFファンタジーです。舞台は地球。科学技術が高度に発展しきった人類と、謎の敵対生物「マモノ」との900年にも渡る戦争の果てを、しぶとく生き延びるキャラクターたちが描写されます。
『くつひも物語』の主人公「ラブキャッチ」はそんな対マモノ戦争の、"おそらく教科書のほんの1行にも満たないような虐殺"によって戦災孤児となった女性。フリーのルポライターを生業としており、過去のトラウマで声を発せないながらも、独自の奇妙なボディランゲージで意思疎通を取っています。一方、私生活は酒とドラッグに溺れる毎日。慇懃無礼な執事犬「バディ」と、奔放なフェミニストの猫「ディーバ」に"飼い躾けられる"ことでなんとか生きているようです。

そんなろくでなしのラブキャッチはひょんな事から、人類の希望である「勇者」となることを国の大統領に命じられます。マモノを統率する「魔王」を説得し、900年続いた戦争を終わらせろと強制されるのです。しかし勇者と言っても、与えられたのはおもちゃの剣ひとつ。それどころか魔王への手がかりさえ皆無という始末。
ラブキャッチたちはどうにか魔王の情報を集めるため、ライターとしての技能を活かして、多種多様な人々と交流し、人助けをしていくこととなるのです。

同作はポイント・アンド・クリック型のビジュアルノベル。プレイヤーはフィールドを探索して、各地で起こるイベントを探すだけ。ちょっとしたパズルのミニゲーム群も実装されていますが、基本的に操作はマウスクリックで完結します。

カオスな世界で怒りを思い出す
ラブキャッチと縁を結ぶキャラクターたちは、まさに混沌そのもの。3,000年の時を生きる機械生命体に、汚職を恥じようともしない能天気な悪徳市長。スパイスカレー中毒の禁断症状で倒れた新聞編集長や、巨大化しすぎて自治区になった武装ショッピングモールの管理職……。これらはほんの少しの一例ですが、同作の世界観がいかにトんでいるかが十分に理解できるはずです。

突飛で奇妙なキャラクターたちは、その荒唐無稽さとは裏腹に、ときおり思わず息が詰まるようなリアリティを見せます。それは、彼らの抱える問題が常に、現実のわたしたちと鏡合わせになっているからでしょう。
彼らがラブキャッチに依頼する「困りごと」は、常に一定の切実さを抱えています。例えばラブキャッチは冒頭、ほぼ無告知で施行された人工中絶禁止条例を無効にするため、スパイ行為を依頼されます。

性行為の有無と同意のあるなしは必ずしもイコールで結びつきませんし、もちろん"自分自身の意思"で妊娠の成否を決められるわけがありません。タイミングさえ揃ってしまえば、「望まない妊娠」はいとも簡単に起こります。まさか、と思うかもしれません。でももし、そんな状況に立たされたとしたら?
自分の権利や尊厳を、たやすく踏みにじるような「新しいルール」が、まったく預かり知らぬところでいつの間にか決まってしまう恐ろしさを想像できるでしょうか。こうした状況は、2026年7月現在では特に身近に感じる人も多いはずです。
『くつひも物語』は、そうした切実な問題への怒りの向け方を、混沌としたキャラクター同士の掛け合いの中で思い出させてくれます。
サブカル雑食ナードのための"闇鍋SF"
『くつひも物語』・『PAIC: ムーンライダー物語』の両方に共通して言えるスタイルが、膨大でジャンル無差別なオマージュやパロディ、引用の嵐です。
『moon』でお馴染みラブデリックをリスペクトしたようなグラフィックに始まり、SF古典の独特な翻訳文体や言葉遊び、BUDDHA BRANDの「緑の五本指」、バチェロレッテ、チェルノブイリ原発事故の報道音声、果ては押井守の愛好するバセットハウンド…。筆者が気付けたものだけでも枚挙に暇がありません。

中には現実の企業や既存のゲームタイトル、作品などの固有名詞がゴリ押しで登場する場面まで。「『FF9』のビビのような目」というモノローグや、冥府の住人が「AKAIのサンプラー、買ってもらえたのかな……」と独りごつ場面を見た瞬間、筆者は思わず手を叩いて笑い、同時に言いようのない感動を覚えました。

こうした歪でトゥーマッチなパロディは作中の一貫した世界観をぐらりと崩してしまいますが、反面、より作中世界に没入できる手がかりにもなるのです。
幽霊はいるし、ヒーローもいる
両作には共通したモチーフが存在します。その中でも注目すべきなのが、「幽霊」と「ヒーロー」です。
『PAIC: ムーンライダー物語』は先述した通り、『くつひも物語』のスピンオフです。主人公はトランス男性の「マニエラ」。バイクで帰路を急ぐ彼の眼前に、謎の妊婦の幽霊「パイク」が現れるところから物語は始まります。

両作に登場する幽霊たちは、やはりと言うべきか、生前に無念の死を遂げています。彼女たちは現世の人間に真偽不明の噂として扱われ、それどころか自分が何者かさえも分かりません。でも彼女たちは、いつか、どこかで精一杯生きてきたし、今なお世界に存在しています。一体それを、誰が否定できると言うのでしょう?

様々な作品の中で、幽霊はクィア当事者※を表すモチーフとして描かれてきました。ゲームでの卑近な例を挙げれば、『UNDERTALE』に登場する幽霊たちも、明確にクィアとして描写されています。
※ クィアとは、LGBTQカテゴリーの「Q」にも位置する、多様な性的マイノリティを広く指す言葉。日本語圏で言うところの「オカマ」と似た、強い侮蔑のニュアンスがあった言葉ですが、当事者がクィアを名乗り直すことによって、そのニュアンスをポジティブなものに変化させてきた歴史があります。
クィア当事者は常に、マジョリティからの好奇の目線や、あるいは徹底的な無視に晒されてきました。そして法制度の中でもイレギュラーとして扱われ、見ないふりをされることも少なくありません。確かにいるのに、いないことにされる人々。
そんな中、ヒーローであるラブキャッチやマニエラは、彼女たち幽霊の声に耳を傾けます。二人は決して、道徳的に褒められた人間ではありません。さらに言えば、誰かを助ける余裕がある訳でもありません。でも二人は、幽霊たちと会話を交わします。とりあえず隣人として、面と向かっておしゃべりをする。両作のヒーロー観は、少なくとも筆者自身にとって切実に受け取れました。

KITTYPOOLが送る両作は、理不尽な現実に生きるわたしたちのすぐ隣に立って、支えになってくれる作品と言えます。差別や不均衡に対しては共に怒り、悲劇に対しては寄り添い、時に鼓舞し、享楽で心を満たしてもくれるでしょう。こんな今だからこそ、PCに貼り付いて難解なノベルゲームをプレイするのも、ひとつの冴えたやり方なのではないでしょうか。
『くつひも物語』・『PAIC: ムーンライダー物語』は、PC(Steam)にて配信中です。











