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【特集】Bungieの新作オンラインシューター『Destiny』誕生の経緯を見る

すでに華々しい販売数のニュースも報じられ成功の予感が漂っている『Destiny』ですが、同スタジオはいかにしてこのビッグプロジェクトを生み出したのでしょうか。

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2014年9月11日、日本国内にて新作オンラインシューター『Destiny』の発売がスタートします。同作の開発を担当したのは、『Halo』や『Marathon』シリーズなどを開発してきた米国イリノイ州シカゴのスタジオBungie。すでに華々しい販売数のニュースも報じられ成功の予感が漂っている『Destiny』ですが、同スタジオはいかにしてこのビッグプロジェクトを生み出したのでしょうか。

■開発は7年前から

1990年代に『Marathon』シリーズ3部作を完成させ重厚なSF世界観で名を馳せたBungieは、2000年にMicrosoftにより買収されました。そして数百万本を売り上げるXboxの看板シリーズ『Halo』を生み出します。その後、2007年10月にMicrosoftから独立したものの、同社とのパブリッシング契約は継続させ、343 Industriesにバトンタッチするまで『Halo 3: ODST』と『Halo: Reach』をXbox 360向けにリリースしました。

まだ誰も『Destiny』の片鱗すら掴めていないこの時期、この『Halo 3: ODST』にはすでに同作のヒントが隠されていました。これは『Halo 3: ODST』の「Mombasa Streets」レベルや「Firefight」モードに仕込まれていたイースターエッグを、2011年5月にユーザーが発見しようやく発覚したものです。同作が発売された2009年9月には、すでに『Destiny』プロジェクトは存在していたことになります。

またこれにくわえ、2008年から2010年にかけて元Bungieの従業員であるJaime Griesemer氏が、未発表プロジェクトのプロトタイプに関わっていたことを自身のブログに記載。ファンらによって発見され2011年に大きな話題に。これ以外にも2007年12月にBungieの社員であったMartin O'Donnel氏らによりダミー企業が登録され、同社が「Destiny」や「Be Brave」なる商標を所有しているとのが当時ささやかれていました。

これらの情報から察するに、2007年10月にMicrosoftから独立してすぐにもBungieは『Destiny』の開発をスタートしていたようです。2007年といえば海外では初代『Gears of War』が販売され、国内ではニンテンドーDSやWiiの市場が活況だった時期。そんなおよそ6年か7年前から、Bungieは広大なSFワールドを一から丹念に築き上げてゆきます。


地球に降下している白い球体(Traveler)のイメージと、「Destiny Awaits(Destinyが待ち構えている)」のメッセージ。現在の『Destiny』のタイトル名や世界観と完全に一致している ― 『Halo 3: ODST』


■Activisionと10年越しの契約

時間を少し巻き戻し1998年。Bungieが発売したリアルタイムストラテジーゲーム『Myth II: Soulblighter』のアジア版から重大なグリッチが発見されます。それはインストールしたマシンのハードドライブをフォーマットしてしまう酷い内容で、発売前にゲームは大量にリコールされ、Bungieは100万ドル規模の多額の負債を抱えることとなってしまいました。2000年にBungieがMicrosoftの買収契約に合意したのは、この一件による財政不安が一因であるのではないかとみられています。

しかし実はこの事件以前からBungieに目をつけていたパブリッシャーが存在しました。その1つが今作『Destiny』の販売を担当するActivisionです。かつてBungie公式サイトに掲載されていた同スタジオの歴史を語るページには、『Marathon』が発売される1994年よりも前にActivisionがオファーを申し出たことが記されていました(キャッシュ)。

2010年秋の『Halo: Reach』発売が直前に迫っていた同年4月、ActivisionはBungieとの独占パートナーシップを結んだと発表し、10年間にわたりBungieと複数のプラットフォーム向けにゲーム開発を進めていくと明らかにします。実はActivisionとBungieのこの関係は、Microsoftによる買収と彼らからの独立を経て10年後しに成就したものです。2007年ごろから手がけてきた『Destiny』は、2010年のActivisionとのパブリッシング契約を経て徐々にその存在を認知されるようになります。


1990年代初頭、Activisionは現CEOであるRobert Kotick氏ひきいる経営陣に入れ替わった。1990年代後半から2000年初頭にかけて、ActivisionはPandemic StudiosやあのInfinity Wardを生み出したほか、Raven Softwareとの独占契約やNeversoftの買収など、規模拡大を進めている


■リーク騒動と正式披露

2010年4月の発表からいくつかの噂がささやかれたものの、沈黙を一番に破ったのはリーク情報に定評のある海外メディアKotakuです。2011年2月に関係者から情報を入手した海外Kotakuは、Bungieの最新作がSF設定であり、MMOへとFPS要素を混ぜたタイトルであると報道しました。開発段階のコードネームは「Tiger」、実際のゲーム名は「Destiny」とも伝え、ご存知の通りこのリーク報道はほぼ的中します。

このころからオンラインで複数のプレイヤーがプレイするアクションシューターという題材がすでに決定されていたと思われる『Destiny』。前述した『Halo 3: ODST』に隠されたヒントやダミー企業のほか、Bungieスタッフらが着用していたTシャツや帽子にも『Destiny』関連のロゴマークが散見されていました。

Kotakuの報道からさらに大きく動いたのは2012年5月。あのActivisionとInfinity Ward元幹部らによる裁判の資料より、Bungieが『Destiny』を全4作として発売し、拡張パック「Comet」も配信予定であるとの情報(※)が露呈したのです。ここにてきてActivisionとBungieが開発している『Destiny』は、単なる最新作ではなく、1億4,000万ドルを注ぐ巨大フランチャイズを目指していることが発覚します。同年11月、IGNにて広大な世界設定に関するリーク情報があったのち、2013年2月のGDC 2013にて『Destiny』は正式披露をむかえました。

※ 2012年の裁判資料と現在の『Destiny』には対象プラットフォームなどで差異が見られ、2年が経過した現在でもシリーズ4作であるのか拡張パック「Comet」を配信するのかなどは不明



従来のXbox 360にくわえ、次世代機Xbox OneとPS3/PS4でのマルチプレットフォームタイトル同時発売を完遂した『Destiny』。今年5月、ActivisionのCEOであるBody Kotick氏は、同フランチャイズへと5億ドルを投資するプランがあることを明らかにしていました。初代『Destiny』である今作とフランチャイズ全体への投資を区別しなければならない点を考慮しても、『GTA V』の2億6,500万ドルや『Star Wars: The Old Republic』の2億ドルと比較すれば、膨大な投資額です。『Halo』などの実績があるとはいえ、初めて契約するスタジオBungieへこれほどの資金を投じるていることから、『Destiny』がプロトタイプの時点でどれほどActivisionの興味を惹いたのかが見て取れます。

長い年月と山のような資金をかけて開発された『Destiny』がはたしてどのような運命を今後たどるのか。同作は本日より日本国内にてローンチです。
《ishigenn》
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