
インドのゲームというと、ブロック崩しやトランプゲームといったシンプルなものや『グランド・セフト・オート』のパチもん『Indian Bike Driving 3D』などのモバイルゲーム、あるいは2009年に発売され、ヒンドゥー神話に登場するハヌマーンを主人公にしたため、ヒンドゥー教を軽視していると別の意味で話題になったプレステ2のクソゲー『Hanuman: Boy Warrior』といったイメージしかありませんでした。ところが近年、というかここ2~3年の間で目まぐるしいほどに急成長をみせ、世界市場で注目されるほどになってきているのです。
今やインドの人口は世界一。地方によって言語も違えば、エンタメの発展の仕方が異なっているため、インド国内であっても一概に共通しているとは言えない部分があるものの、映画やドラマ、アニメ、漫画、そしてゲームも独自の発展をしています。
かつては死んだ市場ともいわれてきたインドのゲーム業界が、いかにして急速に発展しようとしているのでしょうか……。本記事では、過去のインドゲーム産業を振ってみましょう。
なぜコンシューマーゲームが普及しなかったのか?
そもそもインドにおけるゲームの歴史を辿っていくと、初めて完全オリジナルとして開発されたのは、2009年に発売された『Hanuman: Boy Warrior』ですが、それ以前にも何度かインドにおけるゲーム市場の動きはありました。
しかしどうしてコンシューマーは普及しなかったのか……。電力や流通の問題もあったのですが、一番の原因は価格が高すぎたことです。
日本がファミコンブームに沸いていた1980年代後半に遡ってみましょう。
80年代にインドでゲームを購入することは決して簡単ではありませんでした。雑誌やケーブルTVから流れてくる海外のCMなどを通して、セガや任天堂の存在は知られていましたが、一般家庭の個人が購入することは、輸入規制や関税の問題があって現実的ではなかったのです。つまり海外に出張するような仕事をしている親や親戚がいたり、富裕層でもない限りは、入手することができませんでした。
そんな特殊な環境下、もしくはファミコン(NES)やメガドライブ(GENESIS)を持っている友達がいて、その子の家に集まってプレイする機会に恵まれていたかどうかに限られていたといえるでしょう。
1987年、インドのゲーム市場が動きます。サムライ・エレクトロニクスのマヘーシュ氏は、学生時代の友人を訪ねようと大阪に訪れた際に、ファミコンに衝撃を受け、インドに持ち帰りました。実際にプレイしてみると、自分も含めて、妻や子ども、母親までもが夢中になっていました。
「ファミコンはインド人でも夢中になる、インドでも販売したいと思いたったことで、一年に渡る交渉の末、インド市場に乗り気ではなかった任天堂から正式にライセンスを取得し、SAMURAIを販売することになります。
しかしインドでは、輸入商品に対して、複数の関税がかかるため、本体自体はインド国内で組み立て、コスト削減しても当時の価格で320ドル(米ドル)、1987年の平均ドルレート144円で計算すると、約46000円で販売されていたことになります。ちなみに日本での1987年のファミコン価格は14800円。その約3倍の価格だったことがわかりますし、当時のインドにおける一般家庭の平均年収と同じぐらいです。ソフトも一本70~110ドル前後販売されていたのですから、そもそも簡単に手を出せるものではありません。
とはいえ、海外に行って購入するというハードルが無くなった分、無理をしてでも購入する人もいて、発売当初は、月間販売台数で最大3000台を記録します。『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』、『メトロイド』といった人気タイトルも発売され、出だし好調だったといえるでしょう。
ところがそれは長く続きませんでした。1991年の経済危機で外資系企業の進出や輸入規制が緩和化されると、中国から海賊版が入ってくるようになったからです。その頃はSAMURAIも約250ドルまで価格を下げましたが、それでもインドの一般家庭で購入することは困難。それに比べて、ファミコン、スーパーファミコン、メガドライブのクローンおよびエミュレーター機のターミネーターシリーズは、10~20ドル前後で販売されて、ほかにも複数の類似機が出回ります。仮に15ドルだとしても新卒者の月収と変わりません。海賊版も一般人からしてみれば高額ですが、少し無理をすれば買えないこともない価格だったことがわかります。
ちなみにターミネーターシリーズは、インドのほかにもネパール、ポーランド、セルビア、ケニア、ルーマニアなどの多くの国で流通していました。皮肉なことに、正規商品ではなく、海賊版がビデオゲームという概念と知名度を一般家庭にもたす役割を担ったのですが、結果的にゲーム市場の成長を妨げることになったといえるでしょう。
1994年にはショー・ウォレス・エレクトロニクスがセガと提携し、メガドライブ2をインドでも販売開始します。SAMURAIや中国の海賊版よりも出だしが遅れたことで、思うほどの利益を上げられず苦戦しますが、セガのインド進出は前向きで、なぜかセガサターンは飛ばして、ドリームキャストが3社から販売されるなど、粘り続けます。
一方、サムライ・エレクトロニクスも1994年に日本製品の輸入制限が撤廃されたことで任天堂との業務提携が終了。1994年以降は、メディアビデオがスーパーファミコンとゲームボーイを輸入し、2000年代は、アクティブ貿易がゲームキューブとゲームボーイアドバンスを輸入していました。サムライ・エレクトロニクスも業務提携終了後も2007年頃までWiiを少し輸入していたとされています。
2010年代に入ると、インターネットが普及したことで、正規の輸入ルートは存在せず、任天堂製品を購入する場合は、eBayやAmazonを通して購入することができます。ただし関税が加算されて高額になるため、Wii U以降のゲーム機はほとんど流通していませんが、全く売っていないわけではなく、コレクター向けのゲームショップでは扱っていました。
そして忘れてはならないのがPlayStationの存在です。プレステは1999年に少量流通し、2002年に一般販売されました。この頃でも一般家庭には高すぎる出費です。そのためゲームパーラーにコインを入れて遊べるプレステが設置されると人気を博すことになります。
"キング・オブ・ボリウッド"ことシャー・ルク・カーンによる『Ra One』カンファレンス
PS2になると、DVD再生機能が付いたことから、家電製品として売り出せる利点を活かし、一気に普及させようと大掛かりなプロモーションをかけます。冒頭でも触れた通り、2009年に悪名高き『Hanuman: Boy Warrior』が発売されたのです。同年にはゲームシャストラが、クリケットや凧揚げといったインドの人気スポーツを集めたミニゲーム集『Desi Adda: Games of India』をリリースします。
その後もDQエンターテインメントやトラインゲームズといった企業が続々とゲームを開発したものの、全体的にあまり好調とはいえず、ゲームシャストラもシャー・ルク・カーン主演映画「闇の帝王DON ベルリン強奪作戦」(2011)を原作とした『Don 2: The Game』を最後にコンシューマーからは撤退し、現在はPCやモバイルゲームの開発を中心に行っています。
映画関連でいうと、トラインゲームズが同じくシャー・ルクの主演映画「ラ・ワン」の前日譚『Ra One : The Game』を映画と同じ2011年にPS2とPS3版、本体同梱版でリリース。さらにはモバイル、PC向けにも展開。映画の内容自体がゲーム世界とリンクする構造となっていたこともあって、シャー・ルクを広告塔にしたメディアミックスとしてプロモーションが行われました。
これからインドで開発したオリジナルゲームが続々と展開されていく、そう意気込んでいたゲーム企業は、2010年代後半に差し掛かろうとした頃には、コンシューマーの独自開発からは一旦距離を置き、海外ゲームの販売代理店となったり、PCやモバイルゲームの開発にシフトしていきます。あるいは『グランド・セフト・オート』シリーズで知られるロックスター・ゲームズによって買収されたドゥルヴァ・インタラクティブのように、海外企業の傘下としてゲーム開発をサポートしている企業もあります。
改めて言いますが、これらのゲーム市場は、あくまで中流家庭や富裕層を対象としたものであり、一般家庭や低所得者、学生が手を出せるのは、今でも海賊版です。インドの路面電気街に行くと、HDMIをテレビに接続するだけでプレイできるエミュレーター機が10~20ドルで手に入ります。
ところが、急激な経済成長、ITブーム、雇用システムの改善など、様々な要因、そしてコロナパンデミックのロックダウンによって、ゲームを趣味とする人が圧倒的に増加。何より映画やドラマで家にPS5が置いてあるシーンが増えました。未だに一般家庭の水準では贅沢品に違いありませんが、『Marvel's Spider-Man 2』や『サイバーパンク2077』といった人気タイトルの発売日にはゲームショップに行列ができるほどにまで市場が成長したのです。
市場成長に伴い、一度は身を引いていたオリジナルゲーム開発にも積極的になり、各地に続々とゲーム開発企業が誕生しています。
次回はインターネットの普及が追い風となり、PS5、そしてXboxがいかに市場を開拓していったかをさらに深堀りしていきます!!





