2026年9月22日と23日、東京日仏学院にて「The Tenth Mosaic」が開かれました。
欧米では第十の芸術とも呼ばれるようになったゲームをテーマに、さまざまなクリエイターがコンテンツを展開するイベント。
こちらで水口哲也氏による『Rez』誕生を語った講演「25年の旅と、まだ続く未来」と、クリエイターたちによる対談が行われましたので、その模様をレポートします。
※本公演では写真撮影可でした。


水口哲也が語る『Rez』25年の旅――ゲームと音楽、身体感覚を結びつけてきた挑戦の軌跡
講演の冒頭、水口氏は「25年かぁ、長かったですね」と感慨深げに溜息を吐いて、『Rez』発売までの背景を語ってくれました。

原点は1997年、チューリッヒでの体験
『Rez』の原点として水口氏が挙げたのは、1997年にスイス・チューリッヒで体験したストリートパレードでした。

当時、人口約30万人のチューリッヒに40万人もの若者が集まり、夜には約15万人がスタジアムに集結。電子音楽、光、色、そして人々の身体が一体となった光景を目にした水口氏は、それまであまり興味を持っていなかった電子音楽に強い衝撃を受けたといいます。
その体験から思い出したのが、画家ワシリー・カンディンスキーでした。
カンディンスキーは音楽からインスピレーションを受け、それを絵画として表現した人物です。水口氏は「昔の画家も音のインスピレーションをビジュアル化することをしていた」と振り返り、「ゲームでも何かできないかな」と考えるようになったことを明かしました。

この構想は、のちに『Rez』というゲームに代わる「K-Project」へと発展します。Kはカンディンスキーの頭文字から取ったものです。
「グルーヴはいったい、どこから生まれてくるのか?」
彼はのちに『Rez』のディレクターを任される人物、小林潤氏と出会い、約1年半に渡って、さまざまな実験を行いました。ブラウン管テレビに、音に合わせてオブジェクトが変化するデモを映し出しながら、これが最終的にどのようなゲームになるのかを模索していたといいます。
さらに、佐渡ヶ島で太鼓のライブを聴いたり、夜の渋谷のクラブへ足を運んだりしながら、人間が音楽に対してどのように反応するのかを観察しました。
「みんながいつ音楽を聞いて手を上げるのか」といった人々の行動を見つめるなかで、水口氏が抱くようになったのが、「グルーヴはいったい、どこから生まれてくるのか?」という疑問でした。
その答えを探すなかで出会ったのが、『Rez』のサウンド・ディレクターである田沼 “ebizo” 伸彦氏がケニアで撮影した映像でした。

アフリカの音楽に見られるコール&レスポンスの構造を目にした水口氏は、音が徐々に積み重なり、やがてトランス状態へと入っていく様子に、コンピューター上で音を構築していく行為との共通点を感じたといいます。
「何もないところから、最初の音が鳴って、ループして、増えて、動き始める。このコール&レスポンスをゲームのインタラクションに当てはめられないかと思ったんです」
「撃つ」を音楽を演奏する体験へ
そこから生まれたのが、「撃つ」という行為を音楽を演奏する体験へと変えるというアイデアでした。
水口氏は、撃つという行為について「プリミティブで打楽器的な体験」だと考え、ゲームの入力と音楽のリズムを結びつけていきます。
そこで重要な役割を果たしたのがクォンタイズです。

プレイヤーのバラバラな入力を音楽の拍に同期させることで、撃つことを「コール」、敵が消えて音が鳴ることを「レスポンス」として成立させました。
さらに、ボタンを押した瞬間に音を鳴らすのではなく、あえて少しだけタイミングをずらすことで、音楽としての気持ちよさを生み出していきました。
ただし、それだけではすぐに飽きてしまうのではないかという懸念もありました。
そこで、打楽器を演奏する気持ちよさに加えて、DJがトラックそのものを変化させていく気持ちよさを組み合わせます。
打楽器を演奏する気持ちよさ×DJがトラック自体を変化させる気持ちよさによって、上昇気流のようなうねりが生まれました。
「この実験によって、あ、本当にいけると思いました」

原始的なビジュアルから世界観の構築へ
開発初期のビジュアルは、あえて原始的なものにしていたといいます。
四角や丸といったシンプルな形を使うことで、ゲームのどの要素がプレイヤーの体験に影響しているのかを見極めようとしたためです。
水口氏が「なるべく四角や丸でいい」と伝えたところ、アートチームからは嫌な顔をされたというエピソードも披露され、会場からは笑いが起こりました。
しかし、ゲームシステムの核が見えてくるにつれて、徐々に世界観も作り込まれていきます。水口氏が目指したのは、本能的な記憶に結びつく設定でした。
受胎とコンピューター世界を結びつけ、ウイルスに侵されたコンピューター世界をホワイトハッカーとして治療していく。プレイヤーキャラクターも卵から始まり、人へ、そしてベイビーへと変化していく構想が生まれました。

発売前の実機デモでは「髪の毛を真っ白に」
発売半年前には、PS2のパーティーで実機プレイのデモを披露しました。しかし、水口氏にとっては非常に緊張する場だったようです。
「緊張のあまり、前の日に髪の毛を真っ白にして、当日はデモを遊んだら何も言わずに去ることにした」と当時を振り返ります。
その一方で、ソニーの会長からは「『Rez』は今後のゲームと音楽の関係性を変える」と言われたと語ります。彼はこの言葉を25年間、忘れられなかったそうです。

そして2001年、ついに『Rez』が発売されました。
ゲーム本編だけでなく、強烈な振動を体感できる装置「トランスバイブレーター」も商品として展開され、『Rez』はゲーム画面だけにとどまらない身体的な体験へと広がっていきました。

『Rez HD』から『Rez Infinite』へ
2007年には『Rez HD』が発売されました。
高解像度化が進むなか、水口氏は『Rez』を後世に残したいという思いからセガに直談判。ライセンスアウトを受け、自分たちでパブリッシングを行い、Xbox Live Arcadeでの展開を実現しました。
辞めた人間の話を聞いて、そのうえでライセンスアウトまでしてくれたセガに大きな感謝を抱いたと語っています。
そして、2016年には『Rez Infinite』が登場します。
4K、8K、そしてVRという新たな技術環境のなかで、「今の時代でできるRezとは?」という問いから生まれたのが「Area X」という追加ステージです。

従来の『Rez』を象徴する線の表現に対して、Area Xでは大量のパーティクルを使用。さらに、レールシューターだった従来作とは異なり、プレイヤー自身が自機を動かせる仕組みも導入しました。
また、本作ではついにVRに対応。水口氏は初めてVRで『Rez』を体験した際、「涙が止まらなかった」と語ります。
そこで感じたのが、彼が兼ねてから目標としている「シナスタジア(共感覚)」でした。
The Game AwardsではBest VRを受賞し、「本当に嬉しかった。励みになった」と振り返ります。
『Rez』を作った当初から、水口氏が考えていたのは「古くならない体験とは何か」ということでした。その問いに対する答えのひとつが、VRによって実現したのです。
『Rez』から広がったシナスタジアの探求
水口氏はセガ時代のエピソードとして、ゲームギアを削ってVRのような装置を作り、そこで『ぷよぷよ』を遊んでいたことも明かしました。
それを役員会に持っていったこともあるといい、技術がまだ十分に成熟していなかった時代から、VRや身体感覚を使ったゲーム体験を模索していたことがうかがえます。
2017年には「Rez Infinite Live with Ken Ishii」を日本科学未来館で開催しました。
水口氏が『Rez』をプレイしながら、ケン・イシイ氏がライブで音楽を演奏。さらに音楽に合わせてビジュアルも変化するという、ゲームとライブを融合したイベントです。
観客も交代しながらゲームをプレイし、「シナスタジアの向こう側へ」という新たな体験を提示しました。
こうした『Rez』での試みは、その後の水口氏の作品にも受け継がれています。
2004年の『ルミネス』、2011年の『Child of Eden』、2018年の『Tetris Effect』、そして2025年の『ルミネス アライズ』へと、その思想は発展していきました。

さらに、26個の振動子を搭載した「シナスタジアスーツ」や、44個のハプティックデバイスを搭載した音楽を聴くための椅子「シナスタジアX1」など、全身で音楽を感じるためのデバイスにも取り組んでいます。

特にシナスタジアX1は、実際に体験した人からは、「死んだようだ」「生まれたようだった」「宇宙に行っていた」といった凄まじい感想が寄せられているそうです。
講演の最後には、セガや開発スタッフだけでなく、自身の作った「気持ちよさ」を言葉にして伝えてくれたゲームジャーナリストにも感謝を述べてくれました。
『Rez』を生み出したクリエイターたちが25年を振り返る――インタラクティブミュージックを深堀りする対談が実現
講演後には、水口哲也氏、ディレクターの小林潤氏、ミュージックプロデューサーの弘石雅和氏、そして楽曲提供を担当したアーティストのケン・イシイ氏による対談も行われました。
まずは水口さんが、小林さんを壇上に呼びます。

水口哲也:久しぶりだね。丸くなったね。
小林潤:色んな意味で丸くなりました(笑)。
水口哲也:最初にK-Projectの構想を聞いてどうだった?
小林潤:面白いなと思いました。
たしか、その時ビデオを作ったんですよ。それが見返したら、完成した『Rez』に案外近かったんです。
映像と合わさって音楽を積み上げていくというアイデアは、自分の中にもあったんですね。

水口哲也:作り始めた頃は3、4人だよね。あるタイミングから、他のプロジェクトが終わって人が入ってきたりして、増えてきて。
小林潤:最初、僕は映像ばかり作っていて、それを水口さんに見てもらっていました。プログラマーが入ってきて、急に開発のステージが上がった感じがしましたね。
水口哲也:とにかく僕は皆に何かデザインして~と言っていた。忙しすぎて記憶がないんだよね。『スペースチャンネル5』も作ってたし。

小林潤:めちゃくちゃでしたよね(笑)。
水口哲也:日本テレビのドキュメンタリーも入っていて……。
今だから言うけど、あれは「このままだとゲームできないかも」と思ったから、第三者の目を入れたかったんですよ。
オンエアされた内容は「えぇ?」と思ったけどね。開発現場が全然楽しそうじゃなくて(笑)。俺はわけもわからず怒ってたりなんかして(笑)。実際はもっと柔らかかったよ。
でも、あれがあったから出来上がったのかなと思います。
小林潤:後押しにはなっていたかもしれません。

水口哲也:今思えば、僕の仕事は待ち続けることばかりでした。ちょっとしたことを頼んでも、時間がかかる時代でしたしね。
待っている間は妄想が膨らむばかりで……。
小林潤:PS2移植も、トランスバイブレーターも急でしたよね……。
水口哲也:トランスバイブレーターをねじ込んだのは俺です。すみません(笑)。
伝説のアーティストたちとの交渉
水口哲也:あの頃は、ゲームで音楽というと、どこも内製でしたね。外の人を使うのは珍しかった。『Wipeout』くらいかな?
でも、僕らは音楽は譲れなかった。それで、最初に相談したのが弘石さんです。それでは弘石さん、ご登壇を。
(弘石雅和さんが登壇)

弘石雅和:どうも、弘石です。あの頃は、ソニー・ミュージックでテクノばかりを出していました。
音楽業界の節目だったんです。会社の体制が変わるというので悩んでいたんですが、良いタイミングでお話をもらって、辞めて独立したんです。
水口哲也:『Rez』にはどういうアーティストがいいか、弘石さんとたくさん相談しました。まず、ケン・イシイさんとはやりたいと言っていました。
そのとき名前が出ていたのは、エイフェックス・ツイン、アンダーワールド、ファットボーイ・スリム。
弘石さんの紹介で、アダム・フリーランド、コールドカットとも話しました。
アンダーワールドがライブで来ていたときに、彼らのホテルまで行ってプロジェクトを見せて、「面白いね!」と言ってくれたんです。でもシューティングゲームなのが引っかかると言われてしまって……。
水口哲也:ファットボーイ・スリムについては、エリア2が完成していました。発売の3週間前までは、それで行く予定だったんです。
でも突然セガの法務から「あの曲は問題があるらしい」と言われて。他の人の曲をサンプリングしているらしくてね……。もう泣きそうでしたよ(笑)。
で「俺がやる!」と言って、エリア2の曲を2週間で作ってくれたのがebizoさんです。
弘石雅和:そんなこともありましたね(笑)。エイフェックス・ツインは、当時僕が担当でした。
ロンドンの事務所に彼が遊びに来ていたので、プレゼンしたんですよ。

小林潤:僕も同席してて、彼らに見せるためにプレイしたんです。ただドリームキャストのバグがひどくて、ハードからギャーみたいな音が鳴ってて、そのたびに謝りながらやり直して。
でも、そのバグ音を聴いたエイフェックス・ツインが「今のかっこいい音だね」と……(笑)。それで彼らにお願いしたんですけど、ギリギリまで納品がなかった……。
いよいよという日に電話したら「ごめん、無理だ」と言われちゃいました。
水口哲也:あー、だんだん思い出してきました。本当に毎日痺れまくっていましたね(笑)。
やっぱりケン・イシイさんは安定感があって、仕事が早くて確実です。
1997年にチューリッヒに行ったとき、やっぱりアジア人って全然いないんですよ。お店とかでもジロジロ見られるくらい。
でも、話しかけてくるとみんな「ケン・イシイ知ってるか?」って聞いてくるんですよね。
僕は当時電子音楽を全然知らなかったんだけど、ホテルでMTVをつけてみると、これがケン・イシイがかかっているんですよ。「これはすごい人だ」と思いました。
「1音レベルでバラバラにして」という無茶な提案
で、帰ってきたら弘石さんと出会って、ケン・イシイさんと仕事することになったんです。では、ケン・イシイさんに来てもらいましょう。
(ケン・イシイさん、登壇)

ケン・イシイ:アーティストのケン・イシイです。まだなんとかやっています。
あの頃は、ほかにもゲームに曲を提供していたんですけど、まず「曲の要素を全部バラバラにしてくれ」と言われたのを覚えてます。ハイハットやベースも、1音レベルでバラしてくれと(笑)。
水口哲也:ああ、俺、言ってたもんね。「バラバラにしますけど、いいですか」と。
ケン・イシイ:でも、ユーザーが上手く遊ぶと最後には完成した曲になるんですよね。
アーティストとしては、手の内を明かす感じはありましたが、出来上がったものを見て、「こういうことだったのか」と思いました。
それこそ、最初は「ん?」と思いましたが、革命的なゲームなので、ワクワク感のほうが大きかったです。

水口哲也:僕らだけだとアーティストにゲームのコンセプトを説明できなかっただろうな。
その点では弘石さんには助けられました。
弘石雅和:僕が説明する役割だったんですよね。
水口哲也:アダム・フリーランドのブライトンの家まで行って、弘石さんに説明してもらって、「いいよ、やる」と言ってくれたんだよね。
コールドカットのときも、彼はすでに音楽業界の重鎮でしたけど、話の途中で彼自身が「シナスタジア」と言ってくれた。「わかってくれている人だ」と思いました。
弘石雅和:コールドカットって、80年代からイギリスのクラブでカット&ペーストしていた人だから、今回のコンセプトを聞いて、「コールドカットがハマるかな」とすぐに思ったんです。テクノはパーツ単位で成立する音楽じゃないですか。
ケン・イシイ:そう、ゲームの中でシーケンスを組む感じですね。
弘石雅和:プレイヤーがリミックスしている感じです。
インタラクティブ・ミュージックとその後の音楽制作への影響
水口哲也:ケン・イシイさんに聞きたいんだけど、『Rez』を経て、インタラクティブな音の作り方に変化はありましたか?
ケン・イシイ:自分が音楽を作るときって、他の人の音楽は聴かないようにするんですけど、ゲームでは「自分だったらこう撃つけどな」というのが皆違うじゃないですか。
それで、委ねる楽しみってあるのかも……と思って、リミックスコンテストとかも楽しめるようになりました。
まだあの頃って、どんなアーティストも「これは俺の作品だ」という価値観があったじゃないですか。
でも、人に触らせてもいいのかもな、新しい気付きがあるんじゃないかなと、そういうステップになりましたね。
水口哲也:この25年で変わりましたよね。
ケン・イシイ:今の音楽は、1音ずつ作り込むより、パーツ単位で選ぶセンスが問われるようになったと思います。
あとは、AIに仕事を奪われないようにしないと(笑)。
でも最後はセンスですからね。そこだけは光らせないといけないですね。
弘石雅和:僕の会社であるUMA(ユナイテッド・ミュージック・アーツ)も25年なんです。
水口哲也:おめでとうございます。弘石さんは音楽シーンをどう見ていますか?
弘石雅和:地続きだなと思いますよ。
たとえば、10代の若者はネットで聴いていて、時系列で聴いていないんですよ。良いものは良いという価値観です。
『Rez』が生まれたときの世代の子どもが、ゲームも音楽も新しいものを生み出してくれる気がします。
その後、Q&Aセッションが行われました。
――自分でゲームを作っていると、ゲームのレスポンスの速さと音楽の気持ちよさがぶつかることがあります。そういう場合はどうしていますか?
水口哲也:これ、わかりますねえ。
小林潤:ようはクォンタイズですよね。『Rez』ではロックオンしてから撃つまでのタイミングで調整しています。
ただ、アクションゲームだと難しいかもしれません。
水口哲也:音数が増えると、行間が埋まってしまうんですよね。ケチャップをかけるような感じになってしまう(笑)。
そういう意味では、あのコール&レスポンスの間を空けたのは、発明だったのかもしれません。

水口哲也:その後も、実験はたくさんしました。『Child of Eden』では、オーガニックな音や歌を取り入れました。あと、スタッフから聞いた話では、『Tetris Effect』と『ルミネス』は音数が違うそうです。『Tetris Effect』のほうが音数が少ない。ようは音数が多いと、設計が難しくなるんですよね。
ケン・イシイ:ダンス・ミュージックも爆音で流れていますが、実は、少ない音数のほうが身体は動くんですよね。
交響曲では、なかなか身体は動かないですよね。
――音楽にとってもゲームにとっても、これからのアーティストにとって大事なことは何でしょうか?
ケン・イシイ:いかに他人の音楽を聴いたうえで、そこにどう自分のものを掛け合わせるかだと思います。
自分がこれまで体験してきたものから、ぽっと出てきたものが素晴らしいと思っています。
ようは、その人しか持っていない味を出せるかどうかですね。
弘石雅和:僕の会社ではAIを使うことを奨励しています。ただ、あまりにそのまま指示しすぎて、部下から「AIを使いすぎじゃないか」と指摘されてしまいます(笑)。
現代では、AIっぽさのある作品も出てきています。だからこそ、その人自身の独自性が活きる時代になるんじゃないでしょうか。
小林潤:AI時代になって、これからは『GTA』のようなゲームが増えていく気がしていますし、2000年代にあったような尖ったものは、出づらくなっていると思います。
水口哲也:僕は、先のことは見通せません。「それっぽいもの」はたくさんあります。でも、「それっぽいもの」から先が弱いんですよね。
足りない部分をどう自分のシグネチャーとして残せるかが大事だと思います。AIにできないことをやり続けるしかありません。
まだ、感覚や体験というものはAIには分からないと思っています。結局、心にドシンとくるものしかないんじゃないでしょうか。
それもAIが作るようになったら、やることがなくなるかもしれませんけどね(笑)。

25年にわたる『Rez』の歩みは、ゲームと音楽、そして身体感覚を結びつける挑戦の歴史でもありました。
その根底にあるのは、時代が変わっても色あせない「気持ちよさ」や「体験」への探求です。
AI時代を迎えた今も、水口氏らの旅は、まだ見ぬ感覚を求めて続いていきます。











