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『バルダーズ・ゲート3』墓場のゾンビから華麗なる貴族へ大転身!吸血鬼が辿ったホラースターへの道【ゲームで世界を観る#70】

ゴシックホラーの帝王ができるまで。

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『バルダーズ・ゲート3』墓場のゾンビから華麗なる貴族へ大転身!吸血鬼が辿ったホラースターへの道【ゲームで世界を観る#70】
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『バルダーズ・ゲート3』のオリジンキャラクターであるアスタリオンは、隠密行動に優れたちょっと変わった男ですが、その実は100年を生きる吸血鬼。マインドフレイヤーの幼生を得たことで、日中でも問題なく活動できるようになっていて、一部の制約は幼生によって消えてはいるものの、鏡に映らないため自分のイケメン振りが確かめられないのがご不満の様子です。

自分を奴隷にしたカサドールへ復讐するため、リスクを負ってでも危険な力を積極的に活用するよう薦めてきます。危なっかしさが言動からにじみ出てきますが、彼もなかなか大変な人生を送ってきたようで、復讐に手を貸してやるのも一興です。

吸血鬼は西洋のモンスターを代表する存在ですが、他にも色々と妖精・妖怪がいる中で、なぜ吸血鬼がトップの地位にいるのでしょうか。なぜ貴族風の生活をしているイメージなのか、考えたことはありますか?

血を吸う怪物という広義の「吸血鬼」は世界各地に古くからの伝承が残りますが、蘇る死者、杭を打ち込むという要素を持った一般的な吸血鬼の起源は東欧にあります。キリスト教伝来以前から残る民間伝承で、死者が墓を抜け出して動くというものです。伝承がある地域では死者の棺を数年後に開け、不審な点が見つかればニンニクを詰め、手足を切断し、杭を打ち込んで動かないようにする風習がありました。

実際に人間が死んで墓に入ったものを掘り返すと、時折朽ちずに残ったり爪や髪が伸びているもの、口の周りに血が付いているものが見つかります。これらの現象は現代の科学で説明でき、内臓が腐敗してガスが逆流すると口から残っていた血が噴き出します。中世の人は遺体は埋めた状態で動かずに朽ちていくと考えるので、そうした現象は死者が生き返って行動した結果だと思うのです。

目に見える形で存在する「吸血鬼」現象は当時の人々にとって大きな恐怖だったに違いありません。ブルガリアでは700年前の人骨が歯を抜く、鉄の棒を刺すなどの「処理」された状態で発見されています。しかし中世の頃までは東欧の外にまで知られるような注目はされていませんでした。

欧州全体に知られるきっかけとなったのが、18世紀のオーストリアによるセルビア占領です。1718年にトルコとの戦争に勝利してセルビアとワラキアを割譲させたオーストリアは、統治に当たって現地の情勢を調査します。その中で取り上げられたのが墓の掘り返しの習慣でした。ペストや天然痘が流行している中で、人々は吸血鬼に原因を求めて墓荒らしを行っていて、オーストリアはこれを悪しき習慣として問題視します。

この時に実際の事件として報告されたのが、1725年のペーター・プロゴヨヴィッチ、翌年である1726年のアルノルト・パウルです。どちらも死後に蘇って村人を襲ったとされ、墓を掘り起こして杭を打ち、火葬した経緯がオーストリアの公的記録に残っています。上記の通り「吸血鬼化」の特徴は棺を開ければ決して珍しくないのですが、吸血鬼が増えているとして多くの棺を火葬した村もありました。マリア・テレジアは国家として科学的な調査を命じ、死体の再確認を禁止する法令まで発布します。

騒動は新聞に取り上げられ、これをきっかけに「ヴァンパイア」という概念が欧州に広まりました。ただし東欧民話のヴァンパイアのイメージはむしろゾンビに近いもので、夜中に墓を抜け出して親類を襲うという話はあっても、首を絞めて殺すなど吸血行為はそれほど強調されてはいませんでした。日光に当たれない、コウモリに変身する、ましてや貴族の生活など、現在のステレオタイプ的イメージは全くありません。泥臭い因習から華麗なるモンスターになるためには、さらに別の要素が必要です。

吸血鬼の伝説におけるもうひとつの根源となったのが、17世紀トランシルヴァニア公国の貴族エリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)です。エリザベートは自身の住む城で使用人の娘に虐待、拷問を行い、600人以上を殺したと言われています。1610年に脱出した女性によって事件が発覚し、捜索後に場内から夥しい数の遺体が見つかりました。黒魔術やカニバリズムに手を出したなど、誇張された分もあるでしょうが、その中のひとつに「若さを保つために血を浴びた」というものがあります。「若い娘の生き血を好む」「貴族」のイメージの元はここに求めることができるでしょう。東欧で起きた別々の恐ろしい物語が混ざり合い、地方の民話から飛躍した怪物へと変貌するのです。

新聞ではこの吸血鬼像を領民から搾取する特権階級の風刺に使い、吸血鬼と貴族のイメージが強固に結びついていきます。これらの吸血鬼像から怪奇小説が生まれ、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」で他の怪物を差し置いて筆頭モンスターの地位を確立します。

ストーカーは東欧から不死の吸血鬼ドラキュラがロンドンに侵入する恐怖を描き、その対抗策としてヴァンパイアの弱点を具体的にしました。日光に晒されると滅ぶ、鏡に映らない、十字架が苦手など、古くから妖精・妖怪に使われる魔除けを、吸血鬼への対抗策として強く印象づけました。

大ヒットしたストーカーの小説はベラ・ルゴシの主演で舞台化、さらに1931年に同じ主役で映画化されました。このときのルゴシのコスチュームがマントを羽織った定番の吸血鬼衣装なのです。また、1931年から1932年にかけて製作されたゾンビ、フランケンシュタイン、ミイラ男、少し後の狼男、つまりハロウィンの仮装でお馴染みのモンスターは同時期に作られたホラー映画のキャラクターでした。

元々は耽美さもない土着の死霊は、実在の猟奇事件や世相、創作のエッセンスを吸収して映画スターへと変貌しました。今ではゲームでハンデを負った特殊なキャラクターとして敵にも味方にもなるマルチな活躍を見せています。時代ごとに新しい血を吸い続けられる点に、吸血鬼がホラーの帝王たる秘訣があるのかもしれません。


《Skollfang》

好奇心と探究心 Skollfang

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