広井王子氏が考えるeスポーツとゲームの未来、そして映画との深い繋がりとは―eスポーツ映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」公開直前インタビュー! | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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広井王子氏が考えるeスポーツとゲームの未来、そして映画との深い繋がりとは―eスポーツ映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」公開直前インタビュー!

本作の企画・プロデュースを担当した広井王子氏にインタビュー。映画の話だけでなく、広井氏の人生から「魔神英雄伝ワタル」『天外魔境』制作の裏話まで飛び出しました。

連載・特集 インタビュー
広井王子氏が考えるeスポーツとゲームの未来、そして映画との深い繋がりとは―eスポーツ映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」公開直前インタビュー!
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3月8日に劇場公開される世界初のeスポーツを題材とした映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」。

eスポーツを題材に、競技タイトルとして『ロケットリーグ』が採用された本作は、徳島の阿南高専が「全国高校eスポーツ選手権」にて活躍した実話を基にした青春映画。監督に古厩󠄀智之氏、チーフプロデューサーに古賀俊輔氏、脚本に櫻井剛氏を迎え制作されました。

今回、本作の企画とプロデュースを担当した広井王子氏への単独インタビューを実施。本作についてだけでなく、広井氏自身の人生やこれまでの映画への関わりなど、幅広い話をうかがうことができました。

広井王子氏は、ゲーム製作者として『天外魔境』シリーズ、『サクラ大戦』シリーズを手掛けたことで知られています。ゲーム以外にも、メディアミックス作品「魔神英雄伝ワタル」シリーズをはじめ、直近では総合演出として「少女歌劇団ミモザーヌ」を牽引しているなど、説明の必要がないほどにマルチな才能を発揮しています。

広井王子氏と「映画」の密接な関わり…「魔神英雄伝ワタル」『天外魔境』制作の裏側も聞けた!

――「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」はどのような経緯で企画されたのでしょうか。

広井王子氏(以後「広井」):製作総指揮の入交昭一郎さんから呼ばれて、「映画をやってくれないか」と言われました。それで「どんな経緯か知らないですけど、お断りします」と(笑)。そう簡単に出来るものじゃないと断ったら「必要なものはそろっているから、あとは映画を作ればいいんだ」と言われてしまって、また「お断りします」と返しました。

ゲームの話なら別ですが、映画は各プロダクションもありますし、そこに僕は顔も効かないし、キャスティングがまずできません。映画監督を引っ張ってきて現場を作ってあげられる力がありません。だから無理ですと。

ですが、そこに尾崎さん(サードウェーブ代表 尾崎健介氏)が出てきて「学生時代に仲間とコンビニの前に座りながら将来映画作ろうと言っていた夢を叶えたい」と言われてしまい、そこにキュンとなりましたね。僕自身、ずっと映画を作ろうと思って自分で8mmから16mmまで扱って、大学でも取り組んでいましたが、結局映画を作る夢が叶わなかったんですね。

でも今、「作りたい」って人間がいて……。

僕は大人になって、世の中の仕組みとかそういうものをいっぱい覚えてしまったから「できない」って言ってるわけですよ。でも、もし学生時代だったら「おう、やろうぜ!」ってすぐに言ってたはずです。「踏み出し方が年を取ったな」と気付いて、「じゃあ乗ってみようかな」と決意しました。

そして、自分にできることは“現場を作ること”だったので、大阪にいる吉本の会長のところに行って「こういう話が来てる」 と持ちかけたら「王子、それやれや! 全部俺が後ろから作ってやるから!」って(笑)!

そうしたらすぐに古賀俊輔プロデューサーが来てくれて「どういう話なの?」って聞かれて。「こういう話です」「すぐに作りましょう!」という流れになりました。それですぐさま脚本家の櫻井剛さんが仲間入りしてくれて、僕が作ったプロットを基に台本が2稿3稿とできあがっていきました。吉本の映画部の皆がやってきて「宣伝どうする?」「キャスティングどうする?」と。それであっという間に奥平大兼さん、鈴鹿央士さんといったキャスティングもできちゃった。

そういう経緯なので、「尾崎さんの映画にかける想い」みたいなのをいつも抱えていましたね。自分もそういう時代があったからこそ、青春映画が作りたかった。ワクワクするような青春ドラマで、若い子たちが夢に向かって突き進んでいく。周りが「そういうことダメだよ!」と言う中を突き進んでいく姿が描けるんじゃないかなと。それってeスポーツという題材がぴったりだと思ったんですよ。

eスポーツなんて、当時の世間はみんなダメだと言っていました。特に「全国高校eスポーツ選手権」第1回目(2018年)の時はほとんどの学校がダメだと言ったわけです。それを認めさせていくわけですよ。それが現在に繋がってるし、第1回目から本作のモデルになった徳島の阿南高専もいました。彼らにZOOMでインタビューさせてもらったりとかしつつプロットを作っていたわけです。

でも、世の中がコロナ禍になったり、いろんなドタバタがあって「完成できるかな? この作品……」と感じたりもしました。でも真ん中にいる僕が「できるかな?」っていうと全員へこたれるから「大丈夫!なんとかなる!」と常にみんなに言っていました(笑)。

――プロットを書き始めたのはいつ頃なんでしょうか。

広井:お話をいただいてすぐですから、2018年ですね。

――物語の設定や登場人物とかいうのはすべて広井さんが考えたのでしょうか。

広井:全部考えましたよ! 初めはもうちょっと長かったし、2つの物語が交差する仕組みでした。大会を運営する会社のドタバタも入っていたわけですね。これ、コロナがなかったら実現できたと思うんですよ。でも「キャストのスケジュールがあわない!」となっちゃって、それで脚本を弄るしかなくなりました。

なので一番最初のプロットからはずいぶん変わってますね。でもまぁ映画ってそういう物ですから。想定とは違って、実際のところどうなるかっていうのは時間との勝負だったりします。……本当に、色々とそう上手くはいかないんですよ。

――準備している段階でコロナ禍に入ったということは、“コロナ用の予算”で余計にお金がかかってしまったなどあるのでしょうか?

広井:いえ、当初の予算を絞り切りました。現場に必要なお金はほぼ満額で現場に渡したい。だからプロデューサーたちに「ただ働きしろ!」って冗談で言ったぐらいです(笑)。打ち合わせも喫茶店でやって、それも割り勘だったり俺が出したりして映画の予算を食わないようにしました。

絶対この予算を会食とかで使っちゃいけない。もともとそんなに予算がふんだんにあるわけじゃなかったので、このお金を現場にまるまる行かせなきゃいけない。

脚本家には何回も直してもらいましたから、それはしっかり支払いました。「コロナ禍でどういう風に撮ったらいいか」みたいな研究をしてくれたスタッフなどもいたので、彼らへの支払いはちゃんとしましたけれど、それでも90%以上は残せたんじゃないですかね。それは全部現場に入りました。

――コロナ禍真っ最中に撮影されたのですか?

広井:いえいえ、終わるのを待ちましたね! 2022年12月スタートで、撮影期間は3か月くらいです。そこからすぐに編集をかけて、去年の夏過ぎに皆で観つつ、修正点を入れていきました。

――広井さんは過去に山田洋次監督の映画にも協力されていましたが、今回の映画には先ほどお話されていた「学生の時にやろうとした映画」のどういう点が落とし込まれているのか、あるいは山田洋次監督との経験が活かされているといったところがあればお聞きしたいです。

広井:僕は映画とかアニメ、ゲームに関係なくロッテにいた時代から「キャラクターメーカー」です。『魔神英雄伝ワタル』の時もアニメ会社よりタカラ側で話していたくらいです。たとえば、発売予定のロボットの原型金型を見ながら作っていくわけなんですよ。「これで作品を作るんだ」と言われて、商品ありきで作ってきたわけです。 だからサンライズで「アニメは25分の(販促)CMだ!」って言って「ふざけんな!」と怒られました(笑)。

当時は玩具屋がスポンサーにならなければアニメを作れなかった。今は当時と違って「純粋な作品」として出せるけど、僕らのころは「どうやって商品を売るか」を考えていなければならなかった。僕はそれを体現した一番最初の頃のクリエイターでしょうね。「商品化」と言いながら作品を作った。

でも、この「商品化」っていうのが作品としてもすごく大切な要素なんです。「キャラクターが思い出として残ってくれるか」に関わります。むしろストーリーは忘れちゃっていいんですよ。

名匠と言われている映画監督たちの作品はもちろん好きですけど、ストーリーばかりだと「何度も観られない」。寅さん(映画「男はつらいよ」の主人公)の方が「キャラクター」だから何度も観れるわけですね。 渥美清って呼ばれないで「寅さん」って言われるぐらいなんだもの。こんなことないですよ! 山田洋次監督は本当に凄い人だと思っていて、「キャラクターメーカー」だと思っています。本人に言うと嫌な顔するけど(笑)。

僕はそれを見習ってきましたし、なにかを作るときにはいつもキャラクターを皆さんの胸にお持ち帰りいただきたいと思っています。ストーリーって「こんなだったよね」くらいで、案外忘れちゃう。でもキャラクターが言った一言は胸に残るじゃないですか。そうなってほしいなと思っています。

その点では僕のゲーム、アニメ、映画の作り方は一緒で、何も変わっていないです。「この3人がずっと観た人の心の中に残っててくれれば」僕はそんなふうに映画を捉えているんですね。

――映画を拝見させていただいたのですが、キャラクターの生活などが強く印象に残っていまして……今のお言葉で色々と腑に落ちた気がします。

広井:それはもう古厩󠄀さんが上手いからです! 古厩󠄀さんは青春映画が特に上手い監督なので、キャラクターを立たせてくれて。さらにはそこにeスポーツが後ろから寄り添っている。そのバランスも崩れてないですよね!

――ご自身で撮影現場などに行かれたりはしましたか。

広井:何回か顔を出しました。ただ、現場を作ったら僕の出番は終わりなので、今回は傍観者で勉強させてもらっていました。ゲーム制作では現場にちゃんと入りますけどね。

今回、「こうやって現場を建てていくんだ!」とすごく勉強になって、多分もう数回やったら自分で現場が建てられるかなと思っています。初めに古賀さんに勉強させてほしいと言ったら「何でも教えてあげるよ」と答えてくれました。

――ちなみに、広井さんが最も影響を受けた映画作品はありますか。

広井:フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」、それと「ラ・ジュテ」かな。でも自分の中でトリュフォーの方が影響が強いでしょうね。「大人は判ってくれない」をたまに観返します。でもそれは映画の手法じゃなくって、「気分」を味わいたいんです。「大人は判ってくれない」は、あの少年の気分というのをすごく上手に映画の中に落とし込んでいる。

今でも観ていると、自分がこれからどうなっていくのかわからなかった中学生時代を思い出します。僕は何回も停学になっていますから。自分の思ってるものと、家庭や社会が一致していないんですよね。それを強く感じていたから、反発したり逃げ出したりしていました。その時の気持ちを、観るたびに思い出します。

少年時代の広井王子氏

広井氏がキャラクターメーカーになったきっかけとは

広井:僕が大学一年の時に映画運動があって、そこに映画を観に行ったのが始まりです。そこでなぜか「お前手伝わない?」と誘われて、その中に入っちゃったんですね。彼らの一人は今では映画評論家になっている大久保(賢一)さんという方で、フランス映画社の映画を上映したり、貸し出したりする業務を行っていたんです。そこで僕は貸出係で、電話を受けてどこかの大学に送る作業をしていました。

月に一回は会員制の自主映画会があって、そこに皆が観にくる。そのためにフィルムを搬送してチラシを配らなきゃならない。そのチラシって当時ガリ版印刷なので、ガリ版切ってイラストを自分で入れて「ゴダール特集」とかデザインして印刷して持っていくという作業をしてたんです。

そこに森本レオさんが観にきて「来週あいつ貸して」って俺を指さした。それが麻雀大会の手伝いで、その手伝いでお菓子だしたりしてほしいと。

でもここに来てたのが山田パンダさん、つかこうへいさん、風間杜夫さん、 途中から鰐淵晴子さんも来てもう訳が分からない。皆雑誌とかで観てた人たちだから「なんじゃこりゃ!?」って思いました。

ちなみにこの前、新宿村スタジオの稽古場で風間杜夫さんとお会いすることができたのですが「あぁ! あの時いた子か!」って言われて(笑)!「もう子じゃありません! もうすぐ70です(笑)!」となりましたね!

あの時は19歳くらいで、それからレオさんの付き人になって5年間みっちり鍛えられましたね。その後は自分で会社を作って、刺繍のデザインをやったりだとか、ロッテのおまけを作り始めたりして「ネクロスの要塞」に辿り着きました。でも、「ネクロスの要塞」が漫画化した時に僕の名前が一切無かったんですよ。

それで、講談社に「なんで?」って聞いたら「ロッテから買ったから」と。ロッテは「自分たちが売ったから」と。「俺は!?」って聞いたら、「元々ロッテのものだ」と言われて、渋々わかりましたと……。それをカバヤのハウスエージェンシーの社長に言ったら、「じゃあ別の原作やってみる?」と言われて「やるやる!」と即答しました(笑)。「じゃあ、サンライズの社長紹介するから今すぐ電話かけて」と言われて連絡してみたら「タカラの案件あるんだけどやってみない?」と。それが「魔神英雄伝ワタル」になりました。

でも、「魔神英雄伝ワタル」が完成する間際にスポンサーが足りないという事態に陥って、仕方がないが中止、企画自体を没にしようとなった時に、アサツーの専務に呼ばれました。そこで行ってみたらハドソンの大里常務がいらっしゃっていて、「ネクロスの要塞」を作ったのは君だって? 探したよ。ハドソン来てゲーム作ろうか、と!

いやいやゲーム作ったことないんですが!となったけど、「魔神英雄伝ワタル」のスポンサー枠にうちが入ってもいいんだけどと言われて、アサツーの偉い人たちが皆揃って「広井、行きます!」と言い出して、行かされちゃうんですね。人身御供のように……!

だから「魔神英雄伝ワタル」を成立させるためにハドソンに売られて(笑)。その先で『天外魔境』を作ったということになります(笑)。僕はいつも、巻き込まれた先で一生懸命やってきただけなんでクリエイターらしくないんですよね。

普通だったら断るんですけど、「魔神英雄伝ワタル」を成立させるためだから断れないですよね。そういう大人の政治みたいなものに初っ端から関わっちゃってるんですよ。そういう中で物を作ってきたので、“作っている物が変質する”ということを知りました。そんな中で僕は「しょうがないんだ」と思って動いているタイプです。

それよりも自分にとっては「作品が世に出る」ってことが重要で、「魔神英雄伝ワタル」がどう変わろうと、どんな事情があろうと日の目を見ることが大事だと考えています。それはゲームも同じで、ハドソンも「CD-ROMでゲームを作る」なんてやったことないから、試行錯誤して……結局、『天外魔境』は3年間も戦いましたよ! 「どうやってゲームをCD-ROMに入れるか」という所から始まってたんですから。

完成したら世界中からインタビューが来ました。日本より海外からのインタビューの方が多かったですね。日本は「アニメじゃん」「ゲームに声入れてどうなんの」という反応だったけど、向こうはCD-ROMという新しいメディアに対しての考え方があった。あとはクリエイティブの根源的な考え方、なぜ日本神話を使ったんだという質問ですね。

それに関しては、日本を扱えば西洋からは文句を言われない。自分たちの文化にどう手を突っ込んでも文句は言われないけれど、西洋の文化に手を突っ込んだら君たちは必ず何か言うよね。僕らは円卓の騎士物語を持っていないけれど古事記を持っているからね! と答えました。英語を喋れないけれど、これが国際的なインタビューのやり方だろうと思ったんです。自国の文化の事しか喋ってないですから何も言われない。

35歳の広井王子氏

そして28歳の時にロボット映画の仕事でディズニーに行く機会に恵まれたのですが、ルーカスの右腕であるリチャード・エドランドと出会い、彼の奥様が日本語を話せるのもあって凄く仲良くなりました。紹介で「スリラー」を手掛ける直前の特殊メイクアーティスト、リック・ベイカーとも出会って「お前何やってる人間なんだ?」と聞かれた。そこで、ちょうど持っていた「ネクロスの要塞」を持っていたので渡したら「なんだこれ!?」と! その場にいた皆で弄り倒して「すげぇな日本! お前アメリカこいよ!」という勢いなわけ。そんな中で2週間いたら考えが変わっちゃうわけですよ。徹底したクリエイター至上主義なんです。そこには何の躊躇いも上から目線もなく、皆でワイワイモノづくりできるわけです。

そこで「これじゃん!」って思った。だからレッドカンパニーを設立したし、好きな奴を集めてワイワイしながら作りたいと考えました。そこにはコンプライアンスも何もない。皆がワイワイしてるんだから。そういう風に思ってたけど、組織が大きくなって行くうちにそういう雰囲気じゃなくなっちゃった。

(組織は)20人が限界だね。40人とか50人の組織になった途端に派閥もできたし、もう「ダメだこれ、俺辞めるわ」って言って、自分の会社を辞めちゃったわけです。それから放浪の旅に出て台湾で暮らしたりして。台湾ではジミー・ライ(メディア王とも呼ばれた香港の実業家)とも知り合った。彼の現在の状況を聞いたときは驚きました。

今までやってきて凄く面白かった。かなり映画的でしょ?

――広井さんの人生自体が映画にできそうですね!

◆なぜ「PLAY!」の競技タイトルに『ロケットリーグ』が採用されたのか―裏話から“監督の凄さ”まで

――本作では競技タイトルに『ロケットリーグ』が採用されていますが、徳島の阿南高専がそうだったから採用したということでしょうか?

広井:それもありますが『ロケットリーグ』を採用した理由は、「ビジュアル的にわかりやすい」「映画にしたときに説明が要らない」ということです。ゲームを知らない人への紹介が「ラジコンでやるサッカー」だけで事足りるじゃないですか。他の要素としては重力関係がちょっとある程度でしょ。

凄くわかりやすいし、3対3というのも良い。色んなギミックもないから画像映像を見せた時に凄くシンプル。映画の尺の中で収めるのに難しいルールを説明できないから最適でした。

そしてもうひとつは許諾が取れるかどうか。 無料配布をし始めたタイミングだったから、「行ける!」と思ってね。世界的に7,000万人くらいユーザーがいるのも強かった。将来海外展開するときにそのファンたちが推してくれるだろうなという考えもありました。だから『ロケットリーグ』なんです。

日本で誰もが知っている格闘ゲームとかになったら許諾を含めて、色々ハードルが高くなって大変ですからね。

――なるほど! 『ロケットリーグ』に決まってプロットを変更部分などはあるのでしょうか。

広井:いやいや、初めから『ロケットリーグ』に決めちゃってたから無かったです! まず競技タイトルがないとプロットに何を書いていいのかわからない。だから尾崎さんに「まずは『ロケットリーグ』の許諾をとってください。これがなければ勝負になりません」と言いました。それで「許諾が取れる」となって「じゃあこれでプロットを書きましょう」という流れです。だから初めに着手したのは“『ロケットリーグ』の許諾を取ること”と言えるでしょう。

――主演の奥平大兼さんや鈴鹿央士さんとお会いしたときの印象をお教えください。

広井:二人とも真面目で“役者さん”だよね。突き詰めていくのが奥平くんで、鈴鹿くんの方は閃きみたいな瞬発力で作っていく。

――おふたりの印象は結構違うのですね。

広井:全然違う! 現場にいるときの風景も違う! 作り込んでいくタイプの奥平くんの方が明るく現場にいて、閃きの鈴鹿くんの方が無言で入り込んでいる。奥平くんが細かいところまで作った演技をして、それをぽんっと閃きで返すのが鈴鹿くんという印象を受けました。とても面白かったです。

――劇中では対面だけでなくボイスチャットでのやり取りもありましたが、難しいお芝居にもかかわらず非常に自然でしたね。

広井:そう、この3人(奥平さん、鈴鹿さんに加えチームメイトの小倉史也さん)は上手い! 良い役者がそろったと感じますね。一番大変なのは台本や台詞にあわせて『ロケットリーグ』の車を動かす演技をすることだったと思います。

――ということは、録画ではなく実際にプレイして合わせているということですか!?

広井:いや、実際はグリーンの画面に向かい!「翔太飛べ!」と言ったり演技してました。そのあと映像をはめ込む。台本と演技に合わせてプロのゲーマーさんが『ロケットリーグ』内の車に演技させるわけです! それが大変だったと聞いてます。プロゲーマーがやっても台本通りにいかないんですよ。『ロケットリーグ』のプログラムを弄っていいなら簡単だけど、それはできないから(笑)!

あれは本当にプロゲーマーが演技しているわけです。そもそもプロは上手いから初心者っぽい下手な演技が難しい(笑)。もう本当に大変だったと思いますよ。

――プロゲーマーたちが作った映画とも言えるわけですね!

広井:全部CGで作ればそんなに手間はかからないですけど……。今回はCGなしで実機を操作しなきゃいけない。すごく人間の力が必要になる!

ハリウッドならこんなことしません。当然CGです! でもこの映画ではプレイ画面は実際にプロゲーマーが操作して撮っています。本当に、これこそがモノづくりの現場ですよ! 皆がいろいろ考えて手を尽くして動いていく! それで最後はもう古典的なブルーバックのはめ込みっていう(笑)。

――てっきり素材を撮っておいてすり合わせをしているのかと!

広井:そう思うでしょ!? そんな上手くはいかないんだなぁ……!

――それではスタッフの皆さんも結構『ロケットリーグ』をやり込まれたのではないでしょうか。

広井:すごいやり込みましたね! 「ゲームに入り込むeスポーツ映画」は今までにあったけど、“実際にゲームをプレイをする映画”という点で世界初として海外に売れるんじゃないかと思っています。

――今回、古厩󠄀智之監督を選んだ経緯をお伺いしていいですか?

広井:古賀さん(チーフ・プロデューサーの古賀俊輔氏)が古厩さんを連れてきてくれて、ぜひとお願いしました。古厩󠄀さんはもともと青春映画を多く撮っていましたから、もう間違いない。

あとは「eスポーツをどう考えているのか」とディスカッションしてすりあわせて。そうしたら古厩󠄀さんがeスポーツそのものにハマってくれました。僕はゲーム画面を出したくなくて、出したら大変だから出来る限り出したくないな……なんて思っていたら古厩󠄀さんがぜひ前に押し出したいと言ってきて、きっと勝算があるのだろうとお任せしました。

それでどんな風になるのかなと思っていたら、「七人の侍システム」が出てきましたね! そのシステムとは、展開の中にまず予習があるんですよ。作中で「敵がこう攻めてくるからこう対処する」と地べたに書いて農民たちに教える、それと同時に観客も理解する。その前提から撮っていくと、事前の説明で観客も「農民がどう動きたいか」がわかるんですよ。でもその通りにならず、作戦が破られてしまう。だからハラハラするわけですね。

「PLAY!」でも、わかっていない翔太に教えていくわけですが、そのときに観客にも教えているんです。それが「黒澤方式」ですね。僕は「七人の侍システム」と言っています。この作品でそれを持ってくるのは非常に上手い!

「観客が映画にのめり込む」っていうのは、要するに監督の策略にハマってる状態なわけです。監督は嵌め手を作るんです。古厩󠄀さんを観ていて「いい仕事してるな! 職人だなぁ!」と思っていました。また、映画を作らせてもらえるならぜひ古厩󠄀さんと組みたいですね。

――ちなみにご自身で監督をやろうとは考えていないのでしょうか。

広井:無いです!

……ゲーム業界で、30年くらいかかって現場をやっと動かすことができるようになったのに、そんな簡単に映画業界ではできませんね。もう30年を費やそうという力はないです。「ゲーム作る」ってみんな簡単に言うけど、現場仕切るの大変ですから! こちらの意思をみんなのところに行かせるのには苦労します。ゲームの制作現場では、僕が来た時に「あ、広井王子が来た!」と緊張し、空気が引き締まるのを感じます。そういうときに「これは君に任せる」と割り振っていけるのです。

それが映画ではできないんですよ! まず「誰? なに言ってんのこのおじさん」という認識を変えるところから始めなきゃいけない。ゲームではそんなことがない。お互いが何を手がけてきたかある程度わかっています。だけど映画では何もわからない。 だから監督をやる気はないです。

でも監督に渡すことはできる。「こういうプロットを作ってこういう脚本になりました、あとはお願いします」と、僕とあう監督へ。だから古賀さんが「(古厩監督は)広井さんとあう監督だよ」と選んでくれたし、「古賀さんは広井さんとあうプロデューサーだよ」と紹介されたわけで、皆さんに感謝しています。

物を作るっていうのはスタッフありきですから! 一人ではできない。俺って人の運に恵まれているんだね! 本当に幸せでありがたいです。

◆eスポーツの未来と“本当の幸せ”、そして広井さんが手掛ける「少女歌劇団」の本気度

――広井さんは今後eスポーツがどういう業界の広がりを見せると思いますか?

広井:eスポーツって世間で「あれがスポーツ!?」みたいな論争には終止符を打たれると思います。もうそろそろ皆認め始めている。

eスポーツはスポーツの中で一番スポーツらしいと思うんですよ。性別やハンディキャップを乗り越えて公平に皆で競い合うことを望んでいるけれども、現実のスポーツではできていない部分もあるじゃない。体力や体格の差があるから仕方ない部分もあるけど、男女に分けて競い合うしパラリンピックを分けているし、混ざることはないでしょ? 一番スポーツの公平性を体現しているのはeスポーツなんだってそろそろ気付きなさいよ、と思っていますね。

それから、プロリーグが話題にあがることが多いけど、一番大事なのはアマチュアリーグです。ゴルフもそうだけど、アマチュアで皆がワイワイ言いながら楽しむというのがいい。

その中のあこがれとしてプロリーグがあるだけで、もちろんここではグッズを売りたいしクラブを売りたいとスポンサーがつくので、勝たなきゃダメとなる。でもアマチュアゴルフの楽しみは勝ち負けじゃないじゃん!

それはeスポーツもそうですよ。年齢も性別も超えてみんなが楽しめる。70歳からチームを組んで参戦するとかも全然アリだと思います。皆で楽しめるのがeスポーツだよね。ゴルフだってそうですよ。みんなプロの真似なんてできないですから(笑)。でもプロがいるから「こうか!?」っていう楽しみ方もできます。

だからeスポーツはゴルフに近くなればいいなと思っています。ゴルフも言動や服装からプレイヤーシップを求められるじゃないですか。服装はいいにしても、言動は気を付けないと。

どこのスポーツシーンよりもeスポーツは紳士的で、勝っても負けてもいいコメント出したり。実は今もそうなってる。ゲームやってる子たちってピュアだからこそ人の痛みがわかるし、「勝ったからイェイ!」じゃなくて勝ったからこそ「良い戦いだった」として負けても最後まで「俺たちを負かしたんだから最後まで勝てよ」となってる! もうインタビュー観ててそうなってるじゃん! そこが素晴らしいのよ。

大事なのはアマチュアリズムで、プロリーグばっか見ないで欲しい。アマチュアリーグのすそ野が広がっていくことが僕の望みです。賞金何億とかにばっかり注目しないで!

――確かにプロリーグのビジネス面ばかり注目されているので、コミュニティやカルチャーの側面を観てほしいですね。

広井:僕が高校生のころから色んなことをやってきて、いつもそうなのよ。モノづくりの真ん中にいて熱量がある所っていつも純粋なの。

それで「こんな奴らがいるから商売にしよう」と出てきた大人は、すぐにいなくなる。商売が終われば「数字が上がらない」と去っていく。文化的でもなんでもない。数字しか見ていません。

そんなビジネスじゃなくて、もうちょっと違う形でできるような気がする。情熱が先行して、ビジネスマンが来た時に「俺たちでやれるから」とならず、情熱をもつ側に“ビジネス”がくるようにしたい。ちゃんと若い情熱ある人の中にビジネスが生まれて、その情熱がずっと変わらない世の中にならないかな……と思っています。

――難しいですよね……先立つものが重要になるし生活もかかってくる。

広井:生活がかかっちゃうってことは、それを人質に取られている感じがするよね。資本だったりからお金をもらわないと生活できない。……自給自足かな。

――(笑)。

広井:時間が全て自由になれば幸せで、その時間をお金と交換して生活しているんだよね。それをいかにして少なくするか。週に何日売るかだね。俺は1日がいいんだよね(笑)。でもできないじゃない!

自分が時間をどれだけ持っているか、それが無くなると不幸。つまりほとんどの人が不幸。でも面白いことに人は時間を持とうとしているんですよね。それが例えば電気洗濯機!「時間ができて嬉しい!」って言ってたおふくろが美顔器買って一日中ビィーンってしているんだよ。

本当は時間をとるために便利になったはずなのに、モノを買うためにまた時間を売らせる。それが資本主義の構造で、物を買うことが幸せだと時間を売らせるんです。

でも昭和30年くらいは、みんなご飯を自分の家で食ってそんな金使わなくてすんでいたし、あんまり働く必要がなかったんです。だからそこそこ働けばいいんじゃないの? それで子どもと遊んだり近所の爺からかっていたらいいんです。

そうやって遊んでいれば皆幸せ。街で喫茶店でフラフラしてるジジイにコンプライアンスも何もないじゃん。 誰にも文句を言われない。「コンプライアンス? 金毘羅様のこと?」みたいな。そんな風に自由に冗談言ってればみんな幸せなのに。

そんな「縛られない自由さ」に日本社会が変わらないかなって思います。eスポーツはそういう要素を含んでいるんですよ。

新しいことが起こりそうな気配がしています。この先に待っているのは「AIがゲームをしていいのか」とかいうこと。チェスではもう起きている。そこで、たとえば開発会社同士で「どっちのAIが優れているんだ!」と試合したりする。そういう展開を考えていくと面白いじゃないですか!

eスポーツはまだこれからですけど、“これからのとき”が面白いですよ。いろんなことができあがれば成熟しちゃう。いろんなことを試してみたら面白いと思いますね。

――最近の広井さんはスマホ向けゲームの仕事に注力されていますが……

広井:いやいや、特別に注力はしていない! 来た仕事をしてるだけです! これで舞台やれって言われたら舞台をするし、ゲームをしろと言われたらゲームをする。オールラウンダーでやれる人がいないだけ。 玩具のおまけの製造現場に行ったことある人いないから。プラスチックがどう入れられてるか知らないでしょ? 刺繍がどうやって描けるかわからないでしょ?そういうのを現場で積み重ねてきた職人なんです、俺は。クリエイターじゃなく職人。

欄間作れって言われれば作ります。欄間職人の所に行って「こういう風に作りたい」とすれば作れます。なんでも作ります。山田洋次監督にタイトル(映画「こんにちは、母さん」の題字)を描けって言われて描いたんだから!だからなんでも、やれと言われればやる。やれる奴を探す、必ず。

それが俺の仕事。だから次に何をやるかはわからない。

――(笑)。

広井:だから吉本の「少女歌劇団ミモザーヌ」だって作れと言われて作りました。それも簡単にやったわけじゃないですよ。ロシア演劇を調べて「スタニスラフスキー・システム」を学んでいます。ヨーロッパの育成方式も読みました。

それでイギリスの演劇学校出てダンサーやってた知り合いの日本人に顧問になってもらって。他には各業界から優秀な人を探して、日舞は花柳榮輔を紹介してもらったり、フラメンコに関しては世界的なダンサーである佐藤浩希さんに見てもらったりと。

そして全段をコントロールしながら11歳から20歳の期間で育てて、20歳になったら「吉本の俳優部に入ってほしい」と言います。

だから広井メソッドという育成メソッドを今作っている。どんな才能があっても、それを見極めるから突き抜ける。それはスケボーの女の子たちが小学校からやって10代で世界を取りに行くみたいな。

エンタメもアスリートだから徹底的に身体を虐める。それはもう、妃鞠ちゃんというヴァイオリニストもそうだし、彼女も10歳でバークリー音楽大学に特待生で入っているから世界的な相手とやりあっている。それが好きということ。イメージで好きと言っているのではなく、血反吐を吐いても好きと言えるのが本当の「好き」。それを見極めているの。

「皆辞めてくれ、こっちに来ないでくれ。こっちに来ると地獄なんだから。クリエイターとかプレイヤーになるな、お金を出して楽しんだ方がいいから」そう言っていても依る所なくこっちに来ちゃう子がいるの! それが“根っからの好き”なの! そういう子を大事にしてる。今はそういう子たちと物を作ってて、毎週大阪に行って公演見に行ってこの本読んで、とかしています。

年に2回ショーをやっても、それも初めの頃のeスポーツと同じで「なんだアレ?」と言われている。でも徐々に本物が観たいという人が増えてきた。だからアカペラで歌える人間を作っている。そうしないと電気が切れた時に歌えないじゃない。それがショーなのよ。

ショーを止めないのは本当に歌唱力がある子だから。本物の歌唱力を付けてやるとしているけど、そのためのレッスンは本当につらい。うちの子たちはずっと走らされている。ボイスのレッスンなんて2年目から。1年間ずっと腹筋やってY字バランスやって走ってきてって言われたら普通辞めるよね。そもそも月謝が無くて新幹線代とかを払っているから、いつでも辞められるの。

普通のスタジオ行くとお金取ってるから簡単に辞めさせない。「才能ありますね!」と思ってもないこと言わなきゃいけないの。でもうちはそうじゃない。吉本に入って輝いてもらわなきゃ困る。そこからお金を稼いでもらわないといけないから。そのための育成だからお金も取っていないしきっちり育て上げる。それが僕の吉本に対する役目だから。僕のこの仕事は素晴らしい女優を育て上げて吉本に渡すということです。

そうしてやっと、どうにかなってきた。これから一気に行くでしょう。

――「少女歌劇団」の今後も楽しみにしています!

広井:ぜひ、観に来て!

――最後に、Game*Spark読者にコメントをお願いします。

広井:『ロケットリーグ』って日本ではプレイヤー数がそこまで多くないゲームですが、その『ロケットリーグ』を真ん中に置いて映画を作るという凄くチャレンジングなことをやってみました。ゲームを好きな方は多分『ロケットリーグ』を知っていることでしょう。ですので、それを中心に観てください。

『ロケットリーグ』の魅力の中で青春ドラマをしていますので、是非ゲームを好きな方は映画を観にきてください!

――ありがとうございました。


“職人”広井王子氏が企画、プロデュースをつとめた世界初のeスポーツ映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」は3月8日よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国劇場公開。

本インタビューで興味を持った読者は、ぜひ劇場まで足を運んでみてはいかがでしょうか。

《インタビュー:蟹江西武 記事執筆:高村 響》
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