キリスト教の信仰に狂った母親から逃げる多重人格の少年が、涙を武器に糞尿血液にまみれながら地下室の怪物(それは時に自分が生み出した分身でもある)と戦い続ける――
『The Binding of Isaac: Rebirth(アイザックの伝説)』はこうやって書き出すと、なんだか趣味が悪く近づきがたい印象をもつ作品に思えるかもしれません。

しかし、リリース当初から根強いインディーゲームファンに高く評価されてきた本作は、リリース12年目にしてSteamの同時接続者数が12万人を超え、過去最高記録を樹立するほどの再ブームを迎えています。
実際にプレイしてみると、ゲームの画面はポップで丸っこいドット絵に彩られていて、むしろキュートな印象を受けます。
そしてさらに一歩踏み込むと、不親切でハードコアながらも何度でも繰り返し遊べるゲーム性、ポップで愛嬌のあるキャラクターやビジュアル、そして知れば知るほど繋がっていく物語の断片。
これらが重なり合うことで、『The Binding of Isaac: Rebirth』が再び大きな盛り上がりを見せている理由が、段々と理解できるようになるはずです。
直近の再ブームの引き金は明快です。Steamのサマーセールで本編が90%オフの148円まで値下がりし、非常に手に取りやすくなったことが大きいでしょう。

しかし、この値引きだけでこの作品の爆発的な再ブームは説明しきれません。
そもそも10年以上前に発売されたゲームが、いまだに大型DLCという形でアップデートされ続けているという開発陣のマメさ自体が、このゲームの息の長さを支えているのですから。
さて、本稿ではこの息の長さの正体を、Edmund McMillenという作家の執念と、『The Binding of Isaac: Rebirth』というゲームそのものの構造の両面から徹底的に解剖していきます。
生贄に捧げてこようとする母親から逃げろ!
『The Binding of Isaac: Rebirth』というゲームはローグライトアクションゲームであり、その中でもキーボードのWASDとカーソルキー、もしくはコントローラーの左右のスティックを使って操作する「見下ろし型のツインスティックシューティング」というジャンルに分類されるゲームです。
ローグライトというジャンルの金字塔であるとはっきりと断言してもいい作品であり、Twitchの人気エモートとして知られる涙を流す少年・アイザックが主人公のゲームとしても知られています(なお2024年にエモートの権利が失効し、現在は使用不可。Edmund McMillenの別の代表作『Super Meat Boy』のエモートは現在も使用可能。)
さて、まずは本作のあらすじについて簡単に触れていきましょう。
主人公のアイザックは、とある丘の上の小さな家で母親と二人暮らしをしていました。母親は熱心なクリスチャンで、居間には十字架と聖書が飾られ、テレビではクリスチャンの番組がずーっと流れています。
なんてことのない平穏で幸せな日常のように見えますが、ある日、母親は「天からの声」を聞くようになります。
「そなたの息子は堕落した!!彼を救いたくばその手を差し伸べよ!!」――その声を聞いた母親は「息子は私が必ず救ってみせます!」と誓い、アイザックのおもちゃや洋服を"邪悪なもの"とみなして取り上げてしまいます。
さらに、母親はアイザックを部屋に閉じ込めてしまい、最後には「アイザックの魂はいまだ奈落の底にある……」という声を聞いた母親が、ついに台所から包丁を持ち出し、アイザックの部屋へと向かいます。
ドアの隙間から母親の様子を見ていたアイザックは、恐怖に震えながら逃げ場を探し、部屋の絨毯の下に隠された地下室への扉を発見。そのまま地下室へ飛び込み、生き残るための戦いが始まる――といった物語が描かれます。

『The Binding of Isaac』というタイトルは、旧約聖書・創世記22章の「イサクの燔祭(はんさい)」――父アブラハムが、神への忠誠を試されて息子イサクを生贄に捧げようとする物語――をそのまま下敷きにしていることで知られています。
この元ネタは、作中に登場する数多くのキリスト教的モチーフとあわせて、『The Binding of Isaac: Rebirth』の物語を読み解く手がかりになります。
そして、その根底には、本作を生んだクリエイター・Edmund McMillen自身の経験が色濃く反映されています。
様々な点から作品の魅力を語ることのできるこの作品ですが、まずは、Edmund McMillenという人物について簡単に紹介していきましょう。
様々な信仰の板挟みにあうインディーゲームクリエイター・Edmund McMillen
Edmund McMillenは1980年生まれ、カリフォルニア州サンタクルーズ近郊ウォトソンビル出身のインディーゲームクリエイターです。
代表作は『The Binding of Isaac: Rebirth』の他にも、『Gish』『Super Meat Boy』『The End Is Nigh』『The Legend of Bum-bo』、そして最新作である『Mewgenics』が存在しています。

インディーゲームの黎明期から現在にかけてずっと現役で活躍しているクリエイターのひとりです。
Game Informerのインタビュー記事によれば、母方の家系(祖母を含む)は敬虔なカトリックだった一方、父方の家系は本人いわく“A.A. Christians”(依存症から立ち直った、生まれ変わったクリスチャン)だったといいます。
アイザックの母親と、物語の後半で明らかになる父親のキャラクター設定とも重なる部分がありますね。
Edmund McMillenはそんな家族の中に自分の居場所を感じられず、馴染めない浮いた存在だったと語っています(外部リンク)。
さらに、GoodTimesの取材では、祖母について精神性の面で敬虔なカトリックだったが、決して威圧的ではなかったと振り返っています。「祖母のことはずっと"神秘主義者"だと思っていた」と語り、ろうそくを灯し、呪文を唱えるような真似事をし、黙示録のような物語を聞かせてくれたと明かしています。
Edmund McMillenはこうした話をとても興味深く感じ、実際に自分の創作の着想源にしてきたとも述べています。
一方、休日になると父方の親戚が登場し、彼らは"火と硫黄"タイプのキリスト教徒だったと表現されています。Edmund McMillenが見るもの・遊ぶものは何もかも"悪"だとみなされ、実際に『Ren and Stimpy(レンとスティンピー)』(端的に説明するとめちゃくちゃ下品なニコロデオンのギャグカートゥーン)を消されたり、「Dungeons and Dragonsは子供同士を殺し合わせるゲームだ」と言われたりした経験を語っています。
そして重要なのは、こうして幼い頃から「これは邪悪なものだ」と言われ続けたことが、かえって自分をより強く惹きつける結果になったと、Edmund McMillen自身が振り返っている点です(外部リンク)。
同じキリスト教を信仰しているようにも思えますが、もちろん教派や家庭によって、信仰の実践のあり方や教義の力点はまったく異なります。
この二つの家系のあいだで育った疎外感と経験こそが、『The Binding of Isaac: Rebirth』の親子関係とキリスト教の信仰というテーマの土台、そして描かれる世界の精神性の源流になっており、非常に重要な要素となってくるのです。
アイテムという名の迷路と神話
この作品が持つ、何度も繰り返し遊びたくなる中毒性を語るとき、多くのプレイヤーが口を揃えるのはアイテムの物量と組み合わせの豊かさです。
拾うアイテム次第でキャラクターのステータスはもちろん、攻撃方法までダイナミックに変化し、同じ組み合わせに二度と出会えないほどのランダム性があります。もちろん、たった一つのアイテムがそのランを台無しにしてしまう可能性もあります。
とはいえ、強いアイテムさえ引ければ簡単にクリアできるというほど単純な作りでもありません。強力なアイテムを手に入れるには特定の条件を満たす必要があることが多く、そのためにはリスクを冒したり、被弾を最小限に抑えながら立ち回ったりする、プレイヤー側の技量が求められます。
つまりこの作品は、単にスロットを回すような運任せの攻略ではなく、実力・経験・知識・柔軟さこそが攻略のカギを握っているのです。
Edmund McMillen自身、この設計思想の原点として30年以上の歴史があり今なお拡張性を持つTCGの始祖的存在である『Magic: The Gathering』を挙げています。
彼はこのカードゲームを13歳の頃から最もプレイしてきたゲームであり、そのデザインは完璧で無限に拡張できると評価しており、『The Binding of Isaac: Rebirth』はこの「いくらでも拡張できる」という特性を引き継いだと語っています(外部リンク)。
そして、この拡張性を支える骨格が、『ゼルダの伝説』の「レベリング構造」の応用であることは後述しますが、本稿でまず重要なものとして語りたいのは、「アイテムが単なる強化パーツではなく、それぞれに固有の意味と物語が宿っている」という点です。
アイテムの性質で物語を語る
アイテムにどのような意味と物語が宿っているのか。それを読み解く鍵の一つが、"天使アイテム"と"悪魔アイテム"という対になった入手システムです。
ボスを倒した後に出現する「悪魔部屋」では、心臓の器や体力そのものを代償に、強力なアイテムと交換することができます。文字通り悪魔との取引であり、一度でもこの取引に応じると、そのプレイ中は対極にある「天使部屋」が二度と出現しなくなります。
天使部屋は無償でアイテムを与えてくれる一方、その出現条件は「悪魔と取引しない」という、いわば清廉さの証明です(もちろん特定の条件を達成することによって例外は発生します)。
プレイヤーは毎フロア、「体力を犠牲にして即座に力を得るか、清廉であり続けて後の恩恵に賭けるか」という、信仰と堕落の二択を暗に迫られ続けることになります。

このシステムに載せられたアイテム名も、当然ほとんどがキリスト教のモチーフで統一されています。
査読付き学術論文「I Have Faith in Thee, Lord: Criticism of Religion and Child Abuse in the Video Game the Binding of Isaac(主よ、私はあなたを信じる:ビデオゲーム『The Binding of Isaac』における宗教批判と児童虐待)」も、この点を体系的に整理しています(外部リンク)。
天使部屋側には<Guardian Angel(守護天使)>や<Seraphim(セラフィム)>、<Holy Grail(聖杯)>、<Eucharist(聖体)>、<Blood of the Martyr(殉教者の血)>といった強化アイテムが並びます。
対して悪魔部屋側には<Abaddon(アバドン)>や<Judas' Shadow(ユダの影)>、<Ouija Board(ウィジャボード)>、<Lord of the Pit(穴の主)>といった強化アイテムが揃っています。
つまりこのゲームでは、単に「善のアイテム」「悪のアイテム」とラベルが貼られているだけでなく、実際のプレイ体験そのものが「代償を払って力を得る悪魔的な選択」と「犠牲を払わず清廉を貫く天使的な選択」という、信仰にまつわる二律背反を、遊びながら追体験させる仕組みになっているのです。
さらに巧妙なのは、日用品までもが虐待の記号として再解釈されている点です。<Wooden Spoon(木のスプーン)>と<The Belt(ベルト)>というアイテムがアイザック(操作キャラクター)の移動速度を上げる効果を持つのは、それらで叩かれた経験を暗示しているでしょう。
一方で、この重厚な宗教的象徴体系とまったく同じアイテムプールの中に、無邪気な子供部屋のモチーフが同居していることも忘れてはなりません。Edmund McMillenは自身の作風を「可愛くて醜い、けれど絶え間ない痛みを抱えたものを作っている」と表現しており、この二面性は『The Binding of Isaac: Rebirth』の世界観そのものです(外部リンク)。
まず作中で象徴的に描かれるのは、アイザックの飼い猫ガッピーです。この猫はすでに死んでいるという設定になっており、<Dead Cat(ねこのしかばね)>や<Guppy's Head(ガッピーの頭)>、<Guppy's Tail(ガッピーの尻尾)>、<Guppy's Paw(ガッピーの足)>といった、猫の死骸の部位そのものがアイテムとして実装されています。
可愛いペットの記憶と、その生々しい死骸というグロテスクな現実が一つのキャラクターの中で表裏一体になっている、非常に『The Binding of Isaac: Rebirth』らしい仕掛けです。

ほかにも<A Pony(ポニー)>や<Playdough Cookie(プレイドー クッキー)>のようなおもちゃ然としたアイテム、<Kid's Drawing(こどものお絵描き)>のような子供の創作物を示すアイテムなど、子供部屋の日用品がそのままアイテムプールに組み込まれています。
糞尿血液や嘔吐といった体液表現も、突き詰めれば子供の身体につきまとう生理現象の誇張表現として捉えることができ、この「子供っぽさ」の延長線上にあるとも言えます。
例えば<Lemon Mishap(レモンの災い)>というアイテムは、使用すると周囲におしっこをまき散らし、敵にスリップダメージを与えます。実はアメリカ英語には"Squeeze a lemon(レモンを絞る)"という「お漏らしする」を意味するスラングが実在しており、このアイテム名はそれを下敷きにした言葉遊びだと考えられます。
大人ではなく子供のお漏らしとして表現されているのは、子供が"レモネードを作る/売る"というイメージからの派生ともされています。
宗教的・虐待的な重さと、子供部屋の無邪気さ。この二つが同じアイテムプールの中で常に隣り合っているからこそ、『The Binding of Isaac: Rebirth』は虐待を描く救いのない話でありながら、遊んでいて軽やかな感覚を同時に生み出しているとも言えます。同時に、それが残酷さや心苦しさをより強調しているとも言えるでしょう。

音楽にも滲むキリスト教
音楽もまた、単なる背景装飾ではなく、"教会にいるかのような逃れられなさ"を聴覚面から補強する役割を担っています。
初代『The Binding of Isaac』の作曲を手がけたDanny Baranowsky(後に『Crypt of the NecroDancer』のメインコンポーザーを務める)は、Edmund McMillenと初期プロトタイプの段階から密に連携し、渡されたアートワークをもとに楽曲を作り、逆に楽曲に合わせて新たなアートが描き足されるという相互作用的な制作を行っていたそうです。
一部は古典的な合唱音楽を下敷きにしつつゲームのテーマに合わせて改変されており、ボス曲の一部は『ファイナルファンタジー』シリーズの植松伸夫のボス曲からも影響を受けているといいます。
ゲーム音楽専門のレビューサイトVGMOは、母親に神が語りかける場面でパイプオルガンが重なる演出や、大聖堂ルートで流れる「Lament of the Angel」が聖歌隊コーラスを大きくフィーチャーした一曲であることを紹介しています(外部リンク)。
物語がもっとも宗教的な圧を強める瞬間に、音楽もまた実際の教会音楽そのものへと踏み込んでいく。母親の狂信は台詞や画面だけでなく、音そのものによっても、プレイヤーの耳から逃れられないものとして設計されていると解釈できるわけです。
また、トラックリストの「Divine Combat」「Sacrificial」「Repentant」「Atonement」「Absolution」「Crusade」といった曲名も、単なる雰囲気作りの単語選びではありません。
これらは罪・贖罪・赦しという、キリスト教における懺悔の語彙をそのままなぞっており、プレイヤーが死んでは繰り返し地下へ挑む"ラン"の構造そのものを、あたかも終わらない懺悔の儀式であるかのように音楽面から補強しているとも読めます(この「死んでは繰り返す」というテーマは後で改めて扱います)。
ただし、Baranowsky自身はこの重さを狙って演出したわけではないと、GamesRadarのインタビューで語っています。
人間の生々しい話として捉えれば赤ん坊が母親を殺す物語で暗い題材だが、実際は「糞に向かって泣いていて、コインが出てくる」ような滑稽なゲームでもあると彼は表現しており 、『Super Meat Boy』と同様に、あえて深刻になりすぎないよう、メロドラマ的かつ茶目っ気を込めて書いたと振り返っています。
とはいえ、結局は誰もが"本気で壮大な曲"のつもりだと受け取ってしまい、自分の狙いは伝わらなかったかもしれない、とも本人は付け加えています。
つまり音楽の重厚さは、真剣さと悪ふざけの両方を意図的に含んだ、極めて自覚的な選択の結果なのです。この「重さと軽さの同居」は、本作全体を貫く愛嬌とグロテスクの二面性が、音楽という形でも繰り返されている例だと言えるでしょう。
ちなみにこのサントラには、後に『Minecraft』の国民的サントラを手がけることになるC418ことDaniel Rosenfeldが、2011年当時まだ無名に近い存在としてリミックス曲「Atempause」を提供しています。
なお、リメイク版である『Rebirth』以降は、Matthias BossiとJon Evansによる音楽ユニットRidiculonが音楽を担当しています。
この2人はEdmund McMillenの他のほぼ全作品『The End Is Nigh』『The Legend of Bum-Bo』『Super Meat Boy Forever』、そして最新作『Mewgenics』までの音楽も一貫して手がけている、いわば専属ユニットのようなものです。
再び余談ですが、さらにMatthias Bossi自身がアイザックの父親役および物語のナレーターの声を担当し、その妻であるCarla Kihlstedtがアイザックの母親役を演じています。
2人の子供もそれぞれアイザックの声に関わっており、娘のTallulah Bossiが『Rebirth』のゲーム内の声を、息子のViggo BossiがDLC『Repentance』で追加されたエンディングでのアイザックのセリフを、それぞれ担当しているといいます。
トップダウンシューティングの金字塔
『The Binding of Isaac: Rebirth』の操作感覚のルーツは、80~90年代アーケードのツインスティックシューティングに遡ります。Edmund McMillen自身、その操作性を1990年のアーケード作品『Smash TV』に例えています。
この操作系に『ゼルダの伝説』のダンジョン構造とローグライクを掛け合わせたのが、2011年の『The Binding of Isaac』でした。1週間のゲームジャムから始まり、わずか3ヶ月の開発期間を経てリリースされています。
この組み合わせが、後続のジャンルそのものを方向づけることになります。以降、同じ見下ろし型ツインスティックシューティングというジャンルの中で、金字塔として並び称される2作が続くのです。
一作が『Nuclear Throne』(Vlambeer、2015年)は、2013年のチャリティゲームジャム「Mojam」で作られた試作『Wasteland Kings』を原型に、2年半かけて完成されたポストアポカリプス系見下ろしシューティングです。
もう一作が『Enter the Gungeon』(Dodge Roll、2016年)は、開発リードのDave Crooksが『The Binding of Isaac』を最大級の影響源の一つとして名指しした作品です。Destructoidはこの作品を「ゼルダのダンジョンと『Nuclear Throne』の難易度を掛け合わせたようだ」と評しました(外部リンク)。
『The Binding of Isaac』が火をつけ、『Nuclear Throne』が純度を高め、『Gungeon』が集大成した。この3作は、互いを引き合いに出しながらジャンルを形成してきたと整理することができるでしょう。
ゼルダ由来のゲームデザイン設計思想
Edmund McMillenが2012年にGame Developer Magazine誌へ寄稿したポストモーテムは、『ゼルダの伝説』に由来するゲームデザインの設計思想についてかなり具体的に語っています(外部リンク)。
まず、本作は『ゼルダの伝説』のダンジョン&リソース構造、要するに鍵・爆弾・コイン・ハートが各部屋に配置され、プレイヤーがそれらを集めて進むというシンプルな構造を出発点に作られたとしています。
本作ではこれらの要素をランダムに配置し、進行の必須条件ではなくしましたが、体験に構造を与えるためにあえて残したと説明しています。
さらに、ゼルダの「各ダンジョンをクリアするたびにアイテムとハートの器を1つ得られる」という成長構造も踏襲し、『The Binding of Isaac: Rebirth』では各フロアに最低1つのアイテムを配置し、ボスを倒すとステータス上昇アイテムを1つ得られるようにしたと語ります。
「アイテムに意味がある」「飽きさせない」という魅力を支える、設計的な裏付けの一つになっています。Edmund McMillenはまた、『ゼルダの伝説』で宮本茂が実践した「プレイヤーに試行錯誤させる」という設計哲学も、意図的に踏襲したと述べています。
この影響関係は、単なる設計思想の話にとどまらず、ゲーム内のあちこちに直接的なオマージュとして仕込まれています。
<The Boomerang(ブーメラン)>は初代ゼルダで使われていたアイコンをそのまま流用したアイテムであり、<The Ladder(はしご)>もゼルダのアイテムの機能的な焼き直しです。
極めつけは、隠しチャレンジ「I RULE!」でしょう。プレイヤーは鍵のかけら、盾、剣代わりになる包丁、はしご、ブーメランという、まるごとリンクの装備一式を初期所持した状態でゲームを始めることになります。
チャレンジ名自体も「Hyrule(ハイラル)」に掛けた言葉遊びです。このモードに限っては、操作感覚そのものがほとんどゼルダそのものになると言っていいでしょう。

過去作を貫くテーマ「死とリトライ」
これまでキリスト教モチーフや家族というテーマを軸に見てきましたが、Edmund McMillenの作家性を語る上でもう一つ欠かせないのが、「何度も死んでやり直す」というローグライク特有のゲームプレイ構造そのものを、物語のテーマとして扱っているように見える点です。
高難度ゲームやローグライクでは、プレイヤーが何度も死んでリトライを繰り返すこと自体はごく一般的な現象です。しかし『The Binding of Isaac: Rebirth』の場合、この「死んでは生き返る」という構造が、アイザック自身の内面をめぐる物語と分かちがたく結びついています。
ゲームメディアwasdland.comは、『The Binding of Isaac: Rebirth』の各ランを「痛めつけられたIsaacの潜在意識を巡る旅」と表現し、死によってゲームがリセットされることを「何度も繰り返される、小さな"再生の儀式"」だと位置づけています。
プレイヤーが死ぬたびにボタンを押して再挑戦する行為そのものが、トラウマの再処理を象徴するかのような仕掛けになっているという見立てです(外部リンク)。
Edmund McMillenの他のゲームでも、「即座に死んでは即座にやり直す」という設計は繰り返し登場します。
『Super Meat Boy』はロード画面なしで瞬時にリスポーンする仕様を意図的に採用しており、この「失敗してもすぐ次に行ける」感覚がゲームの核として設計されています。
『The End Is Nigh』も、こうした頻繁な死とリトライを前提にした高難度プラットフォーマーであり、Destructoidのインタビューでは、この作品もまたEdmund McMillen自身の人生の一時期に基づく自伝的な作品だと紹介されています(外部リンク)。
そして『Mewgenics』では、この「リトライ」という行為そのものがメタ的にネタにされています。そもそも、大量の猫を交配によって生み出しまくり、戦場へと送り出して戦わせ、老いたらどこかにあげたり捨てたりをサイクルとして繰り返すこのゲーム。
同作に登場する分身キャラクター"Steven"(初期Flash作品『Time Fcuk』由来のキャラクター)は、プレイヤーがセーブデータを巻き戻して再挑戦する、いわゆる「セーブスカム」行為をゲーム内で名指しして揶揄してくる上に、ゲームプレイに縛りを追加します。

「死んでやり直す」というジャンルの前提そのものを、キャラクターがプレイヤーに向かって皮肉る――ここにも、Edmund McMillenが単なる難易度調整の道具として死を扱っていないことがうかがえます。
さらに『Mewgenics』は、Edmund McMillenの全作品をひとつの世界観に接続する野心的な試みでもあります。TV Tropesの整理によれば、『Mewgenics』の舞台であるBoon Countyはアイザックが暮らしていた土地であると示唆されており、プレイヤーが操作するキャラクターは、とあるアイザックの関連キャラクターであるとされています。
さらに『The End Is Nigh』は、この世界線の遠い未来を描いた作品として位置づけられているといいます。McMillenは単に同じモチーフを繰り返しているだけでなく、キャリア全体を一つの神話体系として編み上げようとしているようにも見えます。
結び
表層のポップさと内部の重さのギャップ、そして「死んでやり直す」という行為そのものを物語に昇華する執拗さこそが、このゲームを十数年経っても色褪せさせない理由なのでしょう。
宗教、家族、そして死とリトライ――これまで見てきたどのテーマも、Edmund McMillenという一人のクリエイターの人生と地続きになっています。
「インディーゲームらしさ」という言葉の意味は、今や日に日に曖昧になっていますが、本作にはそうしたインディーゲームらしい個人の作家性が、隅々まで色濃く息づいています。
『Mewgenics』によって自らの全作品を一つの神話体系へと編み上げつつある『The Binding of Isaac: Rebirth』は、まだまだこれから面白く展開するはずです。
「うんち好きの狂人が作った、悪趣味なゲーム」。筆者は最初、このゲームのことをそうとだけ思っていました。しかし気づけば十数年分の神話体系に絡め取られ、こうして記事を書くまで抜け出せなくなっていたのです。













