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【コラム】『FF7』リメイク版は全く異なる姿で“アドベント”するのか

FF7のリメイクは、存在をほのめかされながらも、いつまでも発表されないことで永遠性を獲得し、その価値を高めてきました。それはまるで宗教的な意味での“救済”のように。

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さらにこの揺らぎこそが、自身の存在に苦悩しつつ「興味ないね」とつぶやくクールなクラウドと、あまりにもカッコ良すぎる名前の「超究武神覇斬」という技で何度となく剣を振り回すクラウドの共存を可能にしてくれたのです! 個人的に、ボイスのついたリアルなクラウドが、Gガンダムよろしく「ちょうきゅう、ぶしん、はざん!」と叫ぶのかどうか、がリメイク版のひとつの注目ポイントです(まず叫ばないだろうけど)。

おそらく全てのシーンで共通の頭身モデルを使うであろうリメイク版。『AC』のようなリアルなクラウドが、はたしてコメディパートに耐えうるのか? 「クラウドちゃん」をどう乗り越えるのか? 気になるところです。

■さらなる「観る物語」へ

筆者のJRPGを考察した連載において、『FF7』が発売された1997年を「観る物語」の始まりと書きましたが、それでも今と比べると、まだまだ従来のRPGにおける「読む物語」の要素が多数を占めていました。ここで言う「読む物語」とは、画面上で展開されるキャラクターの動きを”ト書き”のように理解し、画面下部に現れるウィンドウの文字を読むことで、物語を味わう、という方法です。

「読む物語」特有の想像力の介入は、細かな表情まで伝える精細なキャラモデルでは失われてしまうはず。同じイベントシーンでも、全く異なる印象を持つことになるかもしれません。

グラフィックの向上にキャラクターボイスも加わって、リメイクは「観る物語」の比重が大きくなることが考えられます。このイベントシーンはいったいどんな映像になっているのだろう――私たちは原作以上に、美しい映像を観ることを動機としてプレイすることになるかもしれません。

■僕はもうクラウドになれない?

さて、原作の『FF7』のキャッチコピーのひとつに「君はもうクラウドになったかい?」があります。FFにおいて主人公とプレイヤーの重なりは、シリーズを重ねるごとに少しずつ失われていったことを連載のこの回で書きました。

『FF7』はその過渡期であり、現在と比べるとまだプレイヤーが同化する余地を残していました。ここでもローポリゴンかつ複数のキャラモデルが機能しています。キャラとしての自律が不十分だからこそ、まだプレイヤーがそこに入れる余地があったのだと思います(名前の変更が可能だったということも重要でした)。僕がクラウドになれる、というのは逆に言えば、クラウド(の役割)を僕が演じられるということです。

『AC』などのコンピレーションをはじめとして、様々な作品でキャラとしての自律を確固たるものにしてきた現在のクラウドには、こうした揺らぎはないといえます。私たちはもはや、クラウドのことを、『FF7』の主人公という役割を持ったキャラクターではなく、「クラウド」というキャラとしてしか見ることができないのです。

リメイクの程度によっては「僕はもうクラウドになれない?」かもしれず、キャッチコピーを基準とすると、原作とリメイク版は、実は全く違う作品になる可能性があるという言い方もできるはずです。

振れ幅が生む想像力の介入からフォトリアルによる写実主義へ。読む物語から観る物語へ。キャラクターからキャラへ。これらの完全なる移行――おそらく様々な箇所に手を加えられるであろう『FF7』のリメイク版は、たとえグラフィックが変わるだけでも、中身も全く異なる姿で“アドベント”することになる、といえるのです。
《Kako》
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