『DEATH STRANDING』Game*Spark読者レビュー…海外『デススト』ファンからの熱いレビューも(Part3) 2ページ目 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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『DEATH STRANDING』Game*Spark読者レビュー…海外『デススト』ファンからの熱いレビューも(Part3)

プレゼント企画にて募集した読者レビューの中から、12作品を公開します。

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『DEATH STRANDING』Game*Spark読者レビュー…海外『デススト』ファンからの熱いレビューも(Part3)
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ダヤンカン


まずオープンワールドとは本来プレイヤーに自由度を提供するために生まれたジャンルであると思うが、個人的にゲームで本当に自由を感じたということは正直あまりない。どんなに美麗かつ繊細なグラフィックの中で重厚かつ能動的なストーリーが描かれても、決められた地点からクエストを受け報酬を貰うというルーティンを繰り返すことで必ず作業感というものが出てしまう。
しかし私が『DEATH STRANDING』を通じて感じたことはゲームをプレイしたのではなく、サム・ポーターという主人公になり世界を旅したという感覚である。

近年の華やかな世界で戦闘を繰り広げるゲームの枠組みから抜け出し、荒廃したセンチメンタルな世界でお使いを中心に物語を進めていくという一見地味なゲーム性の中でなぜここまで世界に引き込まれたのか?それは主人公の行動の全てに自然な動機付けがされていたからだと思う。

ゲームとは基本的にメインストーリーという明確な目的と訪れた地などで依頼されるサイドクエストで構成されているが、重大な目的があるにも関わらず合間に村人の些細な頼み事を聞くというのはよく考えたら現実味がなく違和感を感じる。もしかしたらその違和感が我々にゲームをプレイしているという感覚を与えてしまっているのではないだろうか。

そんな中このゲームのいわゆるサイドクエストは非常に自然で違和感がない。
例えば落ちている落し物は別に拾わなくてもいいし、配達はカイラルネットワークを繋げるという目的の手段であり、素材の収集は国道という道の整備が名目など至極理に適っている。ただ落し物も無意味に転がっているわけではなく、拾えば1つ1つ丁寧に背中に積み上げ、届ければ持ち主が感謝をする。この瞬間フィールドに無造作に転がっている落し物はオブジェクトからお届け物になるのだ。
我々が幾度なく配達を繰り返したのはこのような自然な動機付けが心に投影され、画面を通じてプレイしてるのではなく、1人の主人公として大地を踏みしめていると錯覚したからではないだろうか。

高難易度なボスや壮大な演出ももちろんプレイヤーの心を揺さぶる導線となる。しかし一番大切なのはなんのために戦い、なぜ闊歩しているのか?を自然と理解し共感できる動機付けである。
その動機付けが主人公とプレイヤーの心の剥離を切り離し、世界に没入する因子となるのだ。
ただその地点と地点を結ぶだけなら険しい山脈や濁流を超えることなんてできない。この混沌とした世界で我々を待っている“人”がいたからこそ前に踏み出す原動力となったのだ。
私は『DEATH STRANDING』という名の旅路を終えて、人と人との繋がりさえあればどんな困難も乗り越えていけると改めて感じることができた。

シモモン


『DEATH STRANDING』は、予約して発売日を待ってはみたものの、どんなゲームか分からな過ぎて、本当に期待してよいのか、正直、半信半疑のタイトルだった。むしろ、最初のうちは始めてみてもよく分からなかった。ところが、いつの間にか、ここ何年かで間違いなく最もハマったゲームになっていた。
改めて、ストーリーの面白さは折り紙付きだが、個人的にこのゲームでできた「体験」に焦点を当て、基本的にはネタバレなしでレビューする。折角の機会なので、存分に思いの丈をぶつけてみたい。

まずは簡単に説明すると、このゲームのテーマは「配送」だ。プレイヤーは、「デス・ストランディング」という未知の現象によって分断の進んだアメリカ大陸の荒野を、荷物を担いで行き来する。途中、過酷な環境や、BTやミュールと呼ばれる敵の妨害、悪天候による荷物の劣化など、さまざまなトラブルに見舞われながらも目的地へ荷物を届け、分断された人々を繋いでいくことになる。

・デスストにおける「マップ」

配送がテーマであれば、言いようによっては、地形こそがラスボスとさえ言えるかもしれない大事な要素だ。そのためか、『DEATH STRANDING』のマップにはプレイヤー心理がとことん追求されている。やり込むほどに、きっちり調整され、丁寧に作り込まれているのが伝わってくる。
そして更に凄いところは、その調整の先に、プレイヤーが何を考え、何を感じるのかということにまで踏み込んで、狙い通りの感覚をプレイヤーに植え付けることに成功していることだ。

思い返せば『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』の時も、敵拠点の侵入ルートが非常によくできていた。どのような侵入ルートを想定するかによって、経路上にどのような難所があり、どう攻略するか、プレイヤーからも制作者の考える明らかな狙いや意図が見えた。そして、そのための偵察や装備の下準備も含めてゲーム性だと実感できる内容だった。

『DEATH STRANDING』では、さらにそのスケールを全域に広げ、広大なマップを舞台にそれを実現している。
プレイヤーはストーリーに沿って、拠点から拠点へ、ある程度は決まった順路で進んでいくことになるが、その際も、歩きやすい平地に沿って進もうとか、バイクで最短コースを突破しようとか、プレイヤーの得手不得手に応じた、さまざまなコース取りを自由に計画できる。もちろん、今回も事前の準備は大切だ。地図を眺めながら、攻略に必要なものを想像する。崖や川はないか、敵と遭遇した時の対策も持てる範囲で持っておきたい……。
そして、いざ決めたコースで現地を訪れれば、あたかもプレイヤーの状態や、考えていることを先読みされているかのような地形や難所が配置されていたり、逆に脅威を避けられる遠回りのコースが配置されていたのを知ることになる。

ここで言うコースは、単に「地形的に通行ができる」ということではない。さまざまな角度から、あらかじめプレイヤーが通るであろうと思われるコース取りが幅広く想定され、その中にちりばめられた難所にどう対応するのが望ましいかまでかなり計算されているということだ。具体的には、この谷はこの角度で橋を架けるしかないとか、トラックで来たら、車幅ギリギリの岩場の間にうまく誘い込まれていくなど、山や川、敵の配置、それこそ岩や茂みの位置に至るまで、プレイヤーが取りそうな行動や、対処法が非常によく練られている。また、ジップライン(2本の柱の間を滑空する建造物)をこだわって建てようとすれば、おのずとベストポジションが絞られてきたりもする。その時々にプレイヤーが思ったことが、いかに制作者の狙い通りであるかは、他のプレイヤーの行動からも窺える。

このゲームでは、他のプレイヤーの建造物が自分のマップ上に一部共有されるのだが、橋やジップライン、発電機の位置など、新たにゼロからやり直しても、毎回かなり似たような配置で流れ着く。敵を回避する迂回路や、ショートカットができそうな急斜面には、既に誰かの足跡が続いていたりもする。そこからも、みんな同じ所で同じようなことを考えていたことが分かる。

そして、ストーリーの順路に縛られない「指名なし依頼(サイドミッション)」の攻略を本格的に始めると、更に『DEATH STRANDING』のマップの深淵な世界に驚かされることになる。
荷物の量や、制限時間の関係で、これまで以上に厳格なコース取りを迫られる場面も出てくる。中には、抜け道の存在など地形を熟知していることや、悪路での車両の取り回しの経験が最高評価の取得に不可欠なミッションまで現れる。それを走破したり、「これだ!」と思える抜け道を発見した時の嬉しさは格別だ。その嬉しさの本質は、「ただ難しいだけのルート」ではない、「制作者が意図的に用意していた難関ルート」の最適解に到達できたと感じられることへの喜びだ。
しかも、序盤からこのような攻略法が相当絞られた依頼が出てくるわけではなく、頃合いを見て追加されてくる。このゲームは、プレイヤー心理のみならず、プレイヤーのやり込み度、その時の腕前まで、かなり正確に想定した上で、プレイヤーへの挑戦状のような依頼を提供してくれる。

冒頭で、死体処理班のイゴールと共に、遺体焼却所へ向かうシーンがある。その出発直前に、「一番近いのは北だ」「そのルートには奴ら(BT)がいる」という会話がある。限られた時間の中で、危険なルートの突破を決意する重要なシーンだ。
これはあくまでムービーの演出だが、その後は実際にプレイヤーが、幾度となく同じような選択肢と向き合い、自らの意志でルートを決めていくことになる。このシーンからも、プレイヤーにどんな気持ちでゲームを進めて欲しいのか、その狙いの一端が垣間見える気がする。
そして、どのようなルートを選択しても、このゲームは「プレイヤーの感覚」をプレイヤー任せにして放ったらかしたりはしない。序盤なら救いの手を差し伸べてくれたり、やり込み段階であれば、どんな角度からでも楽しめるように難所を至る所に仕込んで待ち構える。更に、試練を乗り越えた時には主人公の気持ちにシンクロできるような情緒的な景色まで用意して、プレイヤーを温かく迎えてくれる。それは、スペクタクルさとか、物量の多さとか、そういう観点でのマップの作りとは根本的に性質が異なるものだ。個人的には、オープンワールドでありながら、これほど細部にまで血の通ったマップの作り込みがされている点に於いて、もはや狂気すら覚えるほどの完成度だと感じた。

・プレイヤーの心に寄り添う、厳しくも優しさの感じられるデザイン

プレイヤー心理(意識)のデザインも、『DEATH STRANDING』の体験を特別なものにしている。
ある程度まで遊んだ人はよく「歩くのが楽しかった」という感想を聞かせてくれる。おそらく、プレイしないと分からない感覚だ。一般的に言えば、移動は煩わしいものになりがちなので、いかに移動のストレスを減らせるかは重要だろう。しかしデスストは、良い意味で真逆のアプローチで来る。序盤から非常に不安定な荷物を積むことになり、ろくに装備もない中、「歩くこと」に集中させられる。こうしてプレイヤーを、「丁寧にゲームと向き合う感覚」に慣れさせる。その感覚を身につけたプレイヤーは、細部の作り込みにもおのずと目が向き、そこに歩く楽しさが生まれる。BTとじっくり対峙するシステムも光る。

もちろん、道中は楽しいだけではなく、とんでもない荷物や、敵との戦闘、厳しい環境など、さまざまな困難が待ち受ける。特に、初めて踏み込むエリアは、知らない地形に加えて他のプレイヤーの建造物も現れないため、結構苦戦を強いられる。しかし、帰りはみんなの建造物に助けてもらうことができ、心強い気持ちになれる。更に、国道の敷設やジップラインが登場してくると、またこれまでにない感覚を味わえる。高架を車両で駆け抜けたり、ジップラインで今まで散々苦労して歩いた道を高所から一望した瞬間は本当に感動する。
そして、ストーリーを最後まで進めれば、いろいろな苦戦や失敗、達成感などの思い出と共に、自分の歩いた道を振り返ることになる。おそらくこのゲームをプレイした人は、多かれ少なかれ同じ気持ちを体験したはずだ。これこそ、プレイヤーが「歩くことに集中する」から始まり、丁寧にゲームと向き合ってきた結果なのだろう。プレイ動画では面白さが伝わらないと言われる所以もここだろうか。
そして、その感覚すらも、きちんと想定された上で持った、いや、持たされた感覚であると気付いた時、『DEATH STRANDING』のプレイヤー心理のデザインがいかに秀逸であるかを思い知ると同時に、小島秀夫監督を始め、スタッフの方々の圧倒的な作り込みに心から敬意を感じてしまうのだ。

昨今、何でも結果を急ぐ風潮があり、それはゲームの外の世界でも言えることだ。あらゆる場面で、努力であったり、課金であったりの見返りは一刻も早く、目に見える形で求められる。物事はかつてないほどスピーディーに進み、その時、その時の心の機微が顧みられる機会も減りつつあるように思える。
そんな中、『DEATH STRANDING』は、歩く過程や感覚にどこまでも丁寧にフォーカスし、その経験を大切にした作品だ。その繊細な作りは、時にプレイヤーを選ぶこともあるかもしれない。しかし、他のプレイヤーと同じ気持ちを共有し、制作者の心意気に触れ、手探りで自分の信じる道を進む楽しさこそ、何物にも代え難い『DEATH STRANDING』の魅力であり、同時にプレイヤー自身が、一瞬一瞬を大切にしながらこのゲームに取り組んできた証でもある。それはもしかしたら、作り手と受け手が「丁寧にゲームと向き合う」という共通した意識で繋がった瞬間なのかもしれない。

『DEATH STRANDING』での経験は、現代社会で忘れがちな「地道に物事に向き合うこと」「焦らず過程を楽しむこと」の大切さを、改めて思い出させてくれる。
本当に貴重なゲームと言えるだろう。

かの音


『DEATH STRANDING』のレビューを書こうとして、まず思い至ったのは、キャラクターやストーリーについて触れないことだった。
何故ならそれらは多分他の誰かが語りつくしているから。そしてサムの数だけ道筋があるこのゲームは同じストーリーでも全く違うストーリーに受け取れるだろうから。
だから敢えて今回はそこには深く触れずにシステムについてレビュー(と言うか半ばこじつけじみた考察)をしようと思う。

「かつて繋がっていた世界」
こう大仰に語ると、真っ先に何を思い浮かべるだろう。
世界情勢的にコロナの前の社会を考える人が多いだろうか。実際分断されている今に生きる人々にとっては当然のだと思う。
だが同時に、直接会うことが出来ないならオンラインで会う。直接映画館に行くことが出来ないなら家でオンライン映画を借りてみる。といった風にさまざまな出来事をオンラインに置換代替することで日常をなんとか保っていこうとしているのもまた現状で、むしろ会えないからこそできた集まりさえあるのだろう。

『DEATH STRANDING』はそんなこの現代の極限状況をも軽々と超えた、所謂破綻状況とでも言うところから物語がスタートする。代替手段のオンラインすらままならず、人々が小さなコロニーの中で完結する、否、半ば完結せざるを得ない社会。孤独と真綿で首を絞められるが如くの閉塞感、物資の消費と不足への飢え。いつ起こるとも知れない対消滅やテロへの恐怖。その時間の長さの分だけ疑心暗鬼が進み結果としてますます排他的になる。
主人公サム・ポーター・ブリッジズを待ち受けるのはそんな世界だ。語るまでもなく今の我々の世界と重ねる事ができる。

しかし小島監督は『DEATH STRANDING』を作る際、コロナ禍の現状を予測し重ね合わせていたかと言うと間違いなくNOである。(監督は未来予知者ではないから当たり前と言えば当たり前だが)
では何と重ね合う様に『DEATH STRANDING』を描いたか、もちろんそれはコロナの前の「かつて繋がっていた世界」に他ならないだろう。

少し話は変わるが「1984年」と言うジョージ・オーウェルの小説がある。この作品は執筆当時来るかもしれない未来、来てはいけない未来への警告として書かれた。当然、世界は小説の「1984年」の様にはならず、核戦争も徹底的な監視社会も今のところは起きていない。だが、今なお「1984年」が高く評価され、再翻訳されるほど注目されるのはひとえに“今のところは起きていない”と言う事実に集約されると感じる。
もちろん今例え核戦争がおきても小説のような世界ができるとは考えにくい。しかし逆に言えば核戦争などおきなくてもその一端は現実世界に起こり得る、もしくは少しずつ起こりつつあると言えるからである。だからこそ現実の1984年が過ぎてなお「1984年」の世界が近づいてくるという警告に効力が生じる。

自分は『DEATH STRANDING』にもそれに近いものを感じた。
この先BTや時雨にさらされる未来はまずやって来ないだろう。ビーチが存在するかは生きている限り答えを知ることはないだろう。だがその事が起こり得なくとも現実は『DEATH STRANDING』に近づき、「何か」が“今のところは起きていない”だけで起こり得る、もしくは既に少し起きつつある事があるのではないだろうか?
ならば警鐘をならす「何か」とは。それは本作のテーマでもある、分断と繋がり。それも他人が他人を労りる、労われる本当の意味の繋がりに他ならない。

コロナの前の「かつて繋がっていた世界」。それは本当に繋がっていたのだろうか?本当の意味で繋がっていたと思う人がいればそれは余程の楽天家か夢想主義者ではないだろうかと思う。
独善的な理由で起きた大量殺人、孤独死、虐待、etc.、繋がりの希薄さが一つの端を発して起きる社会問題は軽く挙げるだけでも枚挙に暇がない。片や繋がるツールの一つであるネット社会はと言うと不特定多数の誹謗中傷に苛め、特定の人のみで繋がったクラスタと名の付くグループの乱立。
まさしく監督が予言のごとく語ってみせた『METAL GEAR SOLID 2: SONS OF LIBERTY』そのままの世界、同一のイデオロギーで出来た集団とその間のみで形成される「真実」の乱立。それは衝突、淘汰されることも無く、時として一部の個人を攻撃排除することで安定を取る。

これが一部の未成熟な人の間で起こるならまだしも、そうでは無い事は世界の政治を見れば簡単に解るだろう。討論やディスカッションに目を向ければ、「互いの立場に立ち考え、時に譲歩や融通をして相手と自分双方の意見を変化させていく」と言う本来の目的は無く、いつからか政治家たちは自分のグループの考えを押し通そうとしてばかりだ。一見すると意見衝突の様に見えるこれは、その実ただの独り言の言い合いと同義でそこに意見の変化やまかり間違っても相手の立場に立つと言った事は起こりえない。
別に政治批判をしたい訳ではなく、一部の政治家のみの話をしている訳でもない、国民もディティールこそ違えど同じである。

結局、人は活動の場を広げても特定のグループで集まるか個であるかにしかならず。そこには同族意識しか生まれない。擦り合わない個々とグループ達は互いを無視しあい、分断は深まって行く。愛情の反対は憎悪ではなく無視とだれが言ったかその通りである。
だからこそ現代人はイデオロギー的グループを超越した赤の他人からの、無償のアガペーに飢えているのだろう。そのアガペーの眼に見える数値化とでも言える物の一つがイイネである。

『DEATH STRANDING』にもイイネがある、通ることで自動的に一度押されるそれは、プレイヤーの意思で追加で贈ることが出来る。繋がりの象徴で無償の愛としてのイイネは増えると不思議とうれしくなるものでもある。
しかし現実のSNS上ではイイネを稼ぐ事に躍起になる人がいるのは事実で、イイネの意味とはかけ離れた迷惑行為を厭わない人も存在する。監督も当然知っているだろう。それは作中で出てくるミュールがその直喩として描かれている事からも窺える。
では何故負の側面をも持ったイイネにしたのだろうか、イイネを実装したのだろうか。

少し話は変わるが初めに自動的に送られるイイネを海外スタッフは当初反対したという話があるが、日本人にしてみれば馴染みやすいのではないかと思う。それの原因は日本特有の文化があるのだろう。外国から来た人がしばしば日本人の腰の低さや、頻繁な感謝、謝罪に驚くという事を耳にする。ゲーム内で初めに送られるイイネは日本人にしてみれば当然の感謝の文化としての機能だろう。
しかし一見すると素晴らしき文化の様に聞こえるが、本当にそうだろうか?定型文の如く使われる「ご利用ありがとうございます」に本当に相手を思う意図が込められているだろうか。
またしても『MGS2』からの引用になるが、スネーク(監督)から雷電(もちろんプレイヤー)にかけられた言葉がある。

「いいか、言葉を信じるな。言葉の持つ意味を信じるんだ」

それを考えた時、定型文的な感謝には本来の意味は付随しないのは確実だろう。
ならばその言葉の持つ本当の意味は何か、それは荒事を極力回避しようとする日本人の事なかれ主義がもたらす関わり合いの拒絶である。
本来人々を繋ぐための言葉は、皮肉にも人々の繋がりの拒絶に向かって行くのではないだろうか?
気軽な感謝とお礼が飛び交う中で困っている人を黙殺する社会があるのではないか?

もちろん万人がそうとは思わないが、それらを考えずに使う人はとても多い。そこまで考えた時『DEATH STRANDING』のイイネは日本人のみ違う受け取り方になる様に監督は作ったのではないかと思えてきてならない。
感謝の言葉が溢れて飽和した日本においてもう一度少し立ち止まってその意味と行為を噛みしめる。ほんの些細なありふれた感謝の言葉に相手への祈りを込める。全ては自らの為でなく他人の為。それが巡り巡りて自らに届く。
それを実感出来た時にこそイイネは“送る”のではなく、“贈る”になり、初めて人としての繋がりの根源を感じるのではないか。そして今度はと自ら進んで他人を労う事ができるだろう。

かつて奥底から繋がれると期待し、作り上げたツールで人々は分断を選んだ。ならばこその一度先祖帰りして根源を見つめなおそうと言うメッセージ。そして失い、迷い、見つめなおせた時初めて人はそのツールで真に繋がれるのだろう。サムと共に旅をし、サムとなって成長し、サム達と共にアメリカを繋いだプレイヤーに小島監督は望んでいるのかもしれない。その先にある本当の意味で「繋がった世界へ」と。

最後に、『メタルギアソリッド4』のノベライズを手掛け、小島秀夫監督の盟友でもあった伊藤計劃氏はかつて『ポリスノーツ』への寄稿でこう記している。

「ポリスノーツを通じて、ぼくらは思う。技術と人間のかかわりを。技術が人間にどんな世界をひらくのかを。これは、ほかのゲームではちょっと味わえない贅沢な体験だ。(中略)
単なるドラマでもなく、単なる設定でもなく
ぼくらの世界を見つめかえし、さらにその先を見据えるもの。
他のゲームやビジュアルノベルの物語では味わえない、贅沢な体験が、ここにはあると思う。
ここには、個人へと閉塞しない、「世界をみつめるまなざし」があるのだから。」

小島監督作品は常に新しいゲーム体験であり、同時に現実世界の事とリンクして考える贅沢な体験を提供してくれる。
今回、こんなこじつけ紛いかもしれないが自分なりに考え、世界を見詰め直せる機会をくれた事は感謝してもしきれない。
これも偏に小島監督、コジマプロダクションのスタッフの方々、『DEATH STRANDING』にかかわったすべての人、そしてレビュー投稿を企画してくださったGame*Sparkの皆さま、そして読んで下さった方々のおかげです。
自分からのささやかながら精一杯の心を込めた「ありがとう」と“イイネ”を。

《Game*Spark》
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