僕という“サムワン”が感じた『DEATH STRANDING』という“フラジャイル”な絆の物語/SaR
小島秀夫監督の独立後初作品で、その上かつてない超豪華キャストが出演するとあって、『DEATH STRANDING』は待ちに待った作品でした。しかし、昨年の発売日にプレイし始めた最初の数時間、僕は「なんてひどいんだ」と衝撃を受けました。
それは本作がお粗末ということでは、もちろん全くありません。「サムワン」としてすっかりストーリーに入り込んでいた僕は、騙し討ちのようにブリッジズに入れられ、育ての親のブリジットの死を悼む時間すら与えられず、あまつさえ息子自身に母を焼却させるという、あまりに理不尽な出来事の連続に唖然としていました。
しかし、そんな理不尽の連続から始まる本作は、僕にとってかけがえのない、大切に抱きしめていきたい"絆の物語”でした。
“絆”を育んでいくこととは
さて、小島監督自身、そしてその作品と言えば、その唯一無二のワーディングセンスや言葉遊びが、沢山の魅力の中の一つだと思います。本作では特に、キャラクターたちの名前に多くの意味が込められています。サムの名前と「サムワン」とをかけていることはもちろん、タイトルやアメリのファミリーネームでもある「ストランド」の“絆””座礁””途方に暮れる”という意味、そしてアメリの名前自体にも秘密があったりと、そこかしこに二重三重の言葉遊びによる仕掛けがあります。また、「フラジャイル」「デッドマン」「ハートマン」「ママー」のように、記号的な呼び名も多く登場します。そこで僕が考えたのが、人が誰かを呼ぶ時に、そこに何があるのかという、名前が持つ意味についてです。
サムとして荷物を運んだ時、相手には感謝されます。それはサムを待っていたのではなく、荷物を待っていたためですが、配達によって、依頼人・受取人同士の繋がりが出来ます。配達を繰り返すことにより、サム自身と依頼人・受取人との繋がりも含め、ただの点と点を繋いだ細い“線”から、より親密で強固な“なわ”になっていきます。
その時、サムはただの誰でもない記号としての配達人サムから、人々を繋ぐ架け橋であるサム・ポーター・“ブリッジズ”となります。サムという名前は、誰か=「サムワン」以上の、大切な人の呼び名になるのではないでしょうか。
フラジャイルのような、記号的な名前もそうです。ノベライズでは言及がありますが、サムはポート・ノットシティに着く頃ではまだ、意外に小柄なことが彼女の名前の由来だと思っています。しかし、彼女とヒッグスの因縁、そして本当の名前の由来を知った時、サムにとって「フラジャイル」という記号的な名前は、最初とは全く違うように聞こえたのではないしょうか。
絆が強まるにつれ、「サム」「フラジャイル」という、ただの個々人を示す記号・文字列でしかなかった名前が、全く違った響きを持ちます。それが、本作での名前の持つ大きな意味の一つだと思います。
そして、共に過ごした時間、交わした言葉、“フラジャイル・エクスプレス”“クリプトビオシス””配達”といった共通項など、二人の間の繋がりの糸の一つ一つがより集まって、強い“なわ”となっていきます。それが“絆”を育んでいくことだと、僕は感じました。
ゲームシステムとストーリーの根幹が繋がる"絆”
本作で絆は、最も重要な要素だと僕は思います。ゲームのシステムにも大きく関わります。それは親密度のような、ある意味では絆を可視化したと言える値もそうです。“親密度を高める”=“絆を強める”ことで、新たな装備や、より便利な装備の作成が可能になります。ルーとの絆も、強まることでBTへの耐性が強くなっていきます。個人がそれぞれ持つビーチにも、他者のビーチへは、絆のある者・所縁のある者しか入ることが出来ず、大切なもの=絆の強い物しか持ち込むことは出来ません。
また、絆は、ゲームのシステムと、ストーリーの根幹をも繋ぐものです。サムがいかに“伝説の配達人”といえど、座礁地帯だらけの山々を越え、大型BTを退け、ヒッグスを倒し、最後にアメリの待つビーチに辿り着くことは、一人だけでは決して出来ませんでした。
旅を共にするルー、フラジャイルやブリッジズの仲間たち、そしてノットシティや配送センター、プレッパーズたちとも、サムは繋がりを強固な絆に変えて、やっとの思いで旅を完遂させます。最後には、絆の力でアメリの心を変え、人類を絶滅から救うんです!
絆とは“フラジャイル”で、だからこそ愛おしい
しかし、同時に絆とは、ひどく不確かなものだと、僕は思います。絆は、使い方次第によって、良い方法にも悪い方法にも使える“なわ”であり、“縛り”であり、“手錠”であり、“繋がり”です。サムは冒頭で、10年ものあいだ音沙汰のなかったブリジットから連絡を受けます。自分の死期が迫り、実の娘であるアメリが危機に陥ったから救って欲しいと。そう、ブリジットの絆の使い方は、とても卑怯で独善的なもの。サムもそう思ったはずです。
現実でも同様、絆は、プラスな要素だけに働くものではないと、実は誰もが知っているのではないでしょうか。仲が良いからこそ友人に言い過ぎてしまったり、仲が良いからこそ「言わなくても伝わる」と恋人を蔑ろにしてしまったり、仲が良いからこそ家族に甘え過ぎてしまったり。
しかし、プラスの要素だけでなく、思い通りにならない不確かなものだからこそ、大切にしたくなります。プレッパーズのエルダーの、ノベライズでの言葉を借りれば、「つながりが壊れやすいから強化するんじゃない。壊れやすいからこそ、大切にしなければならない。あいつが、組織と娘にフラジャイルという名前を付けたのはそのためだった」ということです。
人々が考え方が違ったり、違う方向を向いていたりするのは、当たり前です。大事なのは、それでも繋がって、絆という不確かなものについて試行錯誤しながら大切に守っていくことで、だからこそ愛おしいんです!
何より、この『DEATH STRANDING』も繋がりで出来たものだと、小島監督は語っていました。『P.T.』で繋がりの強まったサム役のノーマン・リーダスや、デッドマン役のギレルモ・デル・トロ、子供が『メタルギアソリッド』シリーズのファンだったというクリフ役のマッツ・ミケルセン、クリエイターとして深く影響を受け合い、「幼なじみと再会したようだった」と小島監督との出会いを形容したハートマン役のニコラス・ウィンディング・レフン。そして、独立後に小島監督の過去作のファンだったということで、コジマプロダクションに協力した企業などの沢山の“サムワン”の方々。
そういった沢山の繋がりを大切にすることで、“絆”の物語を描くゲームを、小島監督が作ったこと。それ自体が素晴らしい物語であり、偉業だと僕は思いました。そして何より、中学時代に、『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』をプレイして以来、小島監督のファンになった僕が、十数年の時を経て、新たな物語をプレイする"サムワン”になれたということに感動しました!
『DEATH STRANDING』をプレイした僕たちサムワンは知っています。絆はフラジャイル(=壊れ物)で、だからこそ大切にしなければならないということを。しかしそれは、腫れ物のように扱うということではありません。時には壊れ物だからこそ、しっかり力を込めて持ち、両脚を踏ん張らねばならないということも知っています。
そんな一生大切に抱きしめたい、絆の物語に出会わせてくれたことには感謝しかありません。小島監督の元には、映画を含め沢山のオファーが来ているということなので、今はただ、これまでの作品を振り返りながら、新しい“配達”を心待ちに、未来を生きたいと思います。
生姜焼き定食
これまで遊んできたゲームとはどこか違う、『DEATH STRANDING』は斬新であるが本当の意味で人に優しくなれるゲームである
配達を主にするゲーム、でも奥深い
本作はオープンワールドのゲームで、俳優のノーマン・リーダス氏がモデルになった「サム・ポーター・ブリッジズ」を操作し、「荷物を指定先まで運んで納品をする」ことを行うゲームである。荷物を運ぶ以外にも、とある理由で世界が分断と孤立に襲われ国として機能出来なくなったアメリカを荷物を運びながら世界を再び繋ぎ直せる事が出来る「カイラル通信」と呼ばれる通信をアメリカ大陸の全土に繋げる旅をゲーム内で行う事になる。
「荷物を運ぶ」とてもシンプルな行いであるが、事はそう単純ではない。
フィールドには物の時間を進める特殊な雨「時雨」や荷物を見つけると強奪しようと襲いかかってくる集団「ミュール」、生きている生物と繋がる事で辺り一面をクレータに変える「ヴォイドアウト(対消滅)」を引き起こす「BT」と呼ばれる存在など、アメリカ全土が恐ろしい状況の中でいかに荷物の損傷や欠品が無く人々に届ける事が出来るかプレイヤーの腕が試されるのである。
荷物を運搬する際に、荷物の積載場所や量の調整、配達ルートの設定など色々な事をプレイヤーが任意で決めて行動する事が出来る。
それ以外にも徒歩やバイク、トラックといった運搬方法なども任意で選択する事も可能であるため、プレイヤーごとで配達時にこだわるところが十人十色なところも出てくる。
私がプレイしたときには「荷物の劣化を極力防ぎ、脅威をなるべく避けて運搬する」を目標にプレイしていたため運送時間がかかり気味であった。
様々な辛苦を乗り越え配達が達成出来た時には、惜しみない賞賛を配達先の人にされ思わず「配達が完了できて良かった、また配達をしよう」と温かい気持ちになる事ができ、荷物を運ぶゲーム『DEATH STRANDING』によりのめり込むのである。
映画のように深いストーリー
「プレイする人を引き込む物語」がデスストの魅力を更に引き立ててくれる。伝説の配達人「サム(Sam)」には特殊な能力がある、通常の人が対消滅になった場合はその場で消滅してしまうが、サムは自分が死んでもその場所に戻ることが出来る「帰還者」と呼ばれる能力が備わっている。
世界が何故分断されてしまったのか、サムはどうして特殊な能力が備わっているのか等ゲームを進めていくことで様々な謎が出現し、謎を明らかにする事でプレイヤーを『DEATH STRANDING』の世界にどっぷりとのめり込ませていく。
丁度良いオンラインでの繋がり
最近のゲームはオンラインで協力や対戦をすることが当たり前になっていることが多い。しかしレベル差やプレイヤーの力量でゲームの楽しみ方が違うこと痛感してしまう経験があるはずだ。『DEATH STRANDING』もオンラインに繋げば他のプレイヤーと協力をする事が可能であるが、従来のゲームとはひと味違った協力である。
カイラル通信を繋ぐことで他のサム(some)が造った建築物や乗り物をシェアする事が出来る。
『DEATH STRANDING』は過度なプレイヤーとの繋がりでなく、丁度良いくらいの人との繋がりが楽しめるゲームである。
『DEATH STRANDING』をプレイする度に「ゲームをプレイする楽しさ」を純粋に思い出させてくれる作品なのである。
ポン酢
小島秀夫監督作品『DEATH STRANDING』
自分には、とても響いた作品でした。
ゲーム性、シナリオ、グラフィック、演出、音楽、キャスト、全てにおいて高水準な作品だと感じます。
この作品の感想を書こうとした時、シナリオに触れるとネタバレになってしまうので難しい感想文だなと感じました。なので題材を決めるのが困難でした。
キャラクターやシナリオを引き立たせるシネマティック演出について書こうと思いましたが、それよりも印象に残っている「配達」について記したいと思います。
まず『DEATH STRANDING』というゲームを存じ上げない方に対して簡潔に述べさせて貰います。
舞台は近未来のアメリカ合衆国。ある現象を境に爆発が発生し各地が分断。主人公“サム”を操作して、その分断された地域を繋ぎ直しアメリカを再建する。これが『DEATH STRANDING』というゲームです。
そしてゲームの根幹の要素が「配達」です。この「配達」を通じて、各地を繋いで行きます。
しかし、分断されたのは地域だけではありません。人々の心も爆発によって分断され、再び「繋がる(Strand)」を事を恐れています。“サム”は各地を繋げるだけでなく、人々の心も繋がなければなりません。
それではアメリカ合衆国を繋げる旅に出発しましょう。まず驚いたのは何も無いのです。フィールド上には人影も無く“サム1人”しか存在していません。存在しているのは、豊かな自然と“サム”の「配達」を待ちわびる中継地点、都市。そして生きている装備「BB(Bridge Baby)」と名付けられた赤ちゃん。呼び掛けても誰も反応しない世界を、BBと共に孤独と戦いながら点と点を線にしていきます。
もう一つ驚いた事があります。それは「配達中」に快楽原則が満たされない事です。対人ゲームだと、敵を倒すという単純な動作によって快楽原則が満たされます。しかし、このゲームには単純な動作は存在せず、簡単に快楽原則が満たされません。簡潔に言い表すと最初は楽しくないのです。目的地へ荷物(繋がり)を運ぶ「作業」なのです。その「作業」の道中も一筋縄ではいきません。整備のされていない道を進むために、梯子やロープ等の建設物を使用して障害物を進んで行きます。
山を越え、崖を登り、川を渡り、大変な経験を経て中継地点へ到着します。中に入ると責任者のホログラムが出現しました。実際に人と会って、この手を人と繋ぐことは出来ないようです。荷物を拠点へ納品するとネットワークを繋ぐ事が出来るみたいなので早速繋いでみましょう。Qpidと呼ばれる装備を使って繋ぐみたいですが、ネットワークに繋いでもホログラムの画質が向上したくらいです。しかし責任者はこのように言います。「繋いでくれてありがとう。この先で仲間が待っている。」と。この時に自分の心が温かくなり、他の娯楽では感じた事の無い感情が湧きました。
中継地点から外へ出ます。すると何と言う事でしょう。豊かな自然の中に道が出来ているではありませんか。道だけではありません。歩んで来たフィールドに“SOMEONE”(誰か)の痕跡が存在しているのです。
荷物を運んでいる最中だと自分が操作する“サム1人”でしたが、目的地に着き、振り返ってみると知らない間に他のプレイヤーと同じ目的地を目指していたのです。地面を踏みしめ創られた道を見た時に「自分は1人ではなく、他者を支え支えられている」という繋がりを感じました。
ネットワークに繋がったフィールドでは他のプレイヤーの建設物を使用する事ができます。逆に自分の建設物が他のプレイヤーに使用される事もあります。自分だけに役立つ存在だった建設物が他者に役立ち、また他のプレイヤーの建設物に助けられる事もありました。
そして、この世界では他者が設置した物に対して「いいね」を送る事ができ、自分が設置した建設物に「いいね」を貰えた時は筆舌に尽くせないくらい嬉しかったです。BBも嬉しそうです。
この世界は間接的にした行為でも、人に役立ち繋がる事が出来る、特別な世界だと感じました。
先へ進むとシェルターで生活している住人へ荷物を「配達」し、繋がる事が出来ました。シェルターで生活する人間をプレッパーズと呼ぶそうです。その住人は「傷一つ無い荷物だ。ありがとう。」とお礼を言ってくれました。この時も温かい気持ちになりました。
自分は快楽原則が満たされない「作業」と書きましたが、それは間違いでした。このゲームは「配達」を通して、人との繋がりに責任を持ち、他者を愛し、自分を愛す大切さを伝えている様に感じました。そして、このゲームの快楽原則を満たす方法も、これまでに体験した事がありませんでした。
『DEATH STRANDING』は新たなジャンルの作品だと感じます。『DEATH STRANDING』の世界では尊大な人間は居ません。全てが責任のある善意の繋がりで成り立っています。その善意の繋がりの経験を経て現実世界を見てみると、以前とは違う景色を見られる様になりました。
もし現実世界の繋がりに疲れている方、『DEATH STRANDING』の世界を体験してみませんか?「配達」を通して善意の繋がりを体験することで、世の中を新たな景色で見る事が出来る様になるかもしれません。
最後まで読んでくれて、ありがとう!!!
以上で優秀・最優秀賞含めた、44作品全てをご紹介しました。企画の性質上、序列をつける形とはなりましたが、いずれも『DEATH STRANDING』への情熱があふれるレビューばかりだったかと思います。記事冒頭にも書いた通り、当初は優秀・最優秀レビューのみの掲載予定でしたが、集まった作品を編集部で読んだ際、これらをお蔵入りにするのはあまりにも惜しいということから、急遽全作品を追加公開という運びに。これも偏に『DEATH STRANDING』ファンの愛のなせる業と言えます。
30年近くに渡り在籍したコナミから離れ、コジマプロダクションを設立した小島秀夫監督。設立当初は事務所もなく、わずかなスタッフでのスタートだったといいます。そんな中から様々な人々との“繋がり”によって作り上げられた『DEATH STRANDING』が、数多くの熱い思いを寄せるファンを生み出したことは必然だったといえるでしょう。
まるで未来を予見していたかのように、ゲームで描かれた「分断」が実際に深刻化している現在。毎日のように心がすさむニュースが流れる今だからこそ、人と人の繋がりを感じられる“ストランド・ゲーム”たる『DEATH STRANDING』が、人々の心を打つのかもしれません。