
このまま今のゲーム環境を受け入れていると、便利な一方で自分がおかしくなっていく。
Nintendo Switch Online。PlayStation Plus。Xbox Game Pass。まだありますね。Apple ArcadeやGoogle Play Pass。これでも足りないか。Prime Gaming、Humble Choice……。ゲームのサブスクリプションが各社で台頭してからどれくらい経ったでしょうか?
サブスクをある程度揃えると、定額でいろんなゲームを遊べるだけでなく、数十年前のタイトルも触りやすくなります。そうすると「あ、これならゲームの歴史をざっくり追い直せるんじゃないかなあ」なんて考えたりもするんですよ。
僕も一時期、そう思ってSwitch Onlineでメガドライブのゲームをやり直したり、PlayStation Plusで初代PSのゲームを振り返ったりしていました。そして気付きました。そんなの錯覚だったと。歴史がこれだけでわかるわけない。
ゲームの歴史は大企業の作るマリオとソニック、DOOMガイだけで彩られているでしょうか? そんなわけない。サブスクには絶対登場しないゲーム達でも歴史は作られたはず。漫画やアニメのメディアミックスで生まれたゲームも歴史の海流の一滴のはず。
このままじゃおかしくなる。僕は我慢できず家を飛び出し、中古のゲームショップへ向かって走り出しました。子供のころ、スーファミで友達と遊んだ記憶には『スーパーマリオカート』だけじゃなく、ガンダムや仮面ライダー版権を使った『バトルドッジボール 闘球大激突!』があるんですよ。俺ガンダムF91な! じゃあぼく仮面ライダーブラックRXね。こういうやり取りあるでしょ、30代後半から40代の人は。子供のときに。
大企業のように豊富なスタッフも予算も人も使えず、強力なIPを持たず、商品としてゲームを開発するためにアニメや漫画などの版権でゲームを作る企業があった。僕は息を切らしながらこう思いました。そこでゲームの可能性を切り開こうとしたゲームがあった。それもまた僕が体験した歴史のひとつだったはずなのです。
走りながら僕はまずPS2の時代、版権ゲームで記憶に刻み込まれた5本を思い返していました。いずれも権利の関係を考えるとサブスクどころか、今後DL専用ストアに登場する可能性もほぼないでしょう。昔のハードで直接遊ぶ以外ありません。中古屋はどこだ? 駿河屋は? スーパーポテトは?
『パチパラ13 スーパー海とパチプロ風雲録』職業不定の10代がパチプロとしてふらふらできる “自由”

2000年代初頭。PS2の時代……それももう懐かしい思い出……。というほど古い時代でもないように思っちゃうんですが、一番稼働していた頃って20年以上も前なんですよね。
この頃はリアルタイム3Dグラフィックの進歩が大きく、現実の街を描写し、自由な行動ができるタイトルが出始めていた時代でした。現実世界をシミュレートするかのようなタイトルの登場が、ゲームの価値観を書き換えていった感覚はまだ記憶に残っていますね。
やっぱり『グランド・セフト・オートIII』が日本のPS2に出てきたとき、ゲームの価値が書き換えられていくのを肌身で感じましたし、ドリームキャストですが『シェンムー 第一章 横須賀』(以下、シェンムー)がリリースされたとき、現代日本を精微に体験できる可能性に衝撃を受けたものでした。

そんな現実の街で日常を体験するゲームという可能性を、まさかのパチスロ「海物語」シリーズの版権ゲームが追求していたことは忘れられないですね。それがアイレムソフトウェアエンジニアリング(以下、アイレム)が開発した「パチパラ」シリーズのストーリーモード「パチスロ風雲録」だったのです。
このモードは導入された当初から、単にパチスロへ物語性が組み込まれただけではなく、部屋の模様替えから恋愛まで日常を体験していけることが特殊でした。その頂点と言えるのが2006年『パチパラ13 スーパー海とパチプロ風雲録』(以下、パチパラ13)の「パチプロ風雲録5 ー青春篇ー」(以下、パチプロ風雲録5)ではないでしょうか。

「パチパラ13」は「シェンムー」とある意味では同じなんですよ。まずゲームの自由度と主人公の状況。ざっくり書くと昭和を舞台に職業不定10代が街で自由にふらふらする日々のシミュレーター。「シェンムー」とは開発予算も人員も差がありますが、そこが共通してます。
とはいえ大きい違いはありますね。「シェンムー」の主人公・芭月涼は一応、父親を殺した相手を追いかけるという大きな目的の途中でガチャガチャやったりゲームセンターで散財したりするわけです。が、「パチプロ風雲録5」にそんな目的はありません。

なにせ主人公は高校卒業後、地方都市で進路がまったく決まらないなかで、なりゆきでパチプロになる。何の使命もないままドン詰まりに向かっていくとしか思えないストーリーなわけです。住まいは知り合いの家の物置。街は東京や大阪のように活気ある場所じゃない。商店街の脇にあるパチスロ店が華やかな娯楽。おい、ここから抜け出す手段はあるか? あるよ! パチスロで勝って儲けること! そんな嫌なリアリティある日常が広がっているのでした。

パチスロで勝てるようになるしかない! そのために運を味方につけなくては! でも、なにをすればいいんだ? 本作では、そんな運を良くするために健康や清潔感を保ち、いいものをほどほどに食べる生活を送ることが重要になるのでした。
パチスロで勝つために体に悪いことはしない。ところが、それを守ることで広大な町でやれることがいろいろあるのが見えてくる。毎日、銭湯に行き、街にあふれる多くの飲食店で腹八分目まで食べながら、当たりを引く運が高まるかどうかを気にしていく。そのなかで、街でいろんな店を見つけたり、住む家を彩る家具が気になってきたりする。そういう自由を楽しめるんですね。

問題は健康で清潔感があっても性格自体は運に絡まないようで、本作ではストーリー上で卑劣な発言をいくらやってもパチスロの勝敗に影響はしないことだったりします。そんな会話選択肢の妙な豊富さも気になるひとつでしょう。
さて冒頭で「サブスクやDL専用ストア販売での登場はないだろう」と書きましたが、もしかしたら可能性は決してゼロでもないんじゃないか、という動きも見られます。
近年は「海物語」シリーズの権利元であるSANYOがYouTube公式チャンネルにて本作を実況していたりします。また、九条一馬氏をはじめ本作のメインスタッフがアイレムから独立し、設立したグランゼーラでも、公式YouTubeチャンネルで実況し、開発秘話を語っています。こちらは「企業が行う実況なので、権利元であるSANYOとアイレムの許可を取っている」とのこと。
他にも声優の中村悠一も本作をゲーム実況するなど、寂れた街で行き詰まりになりながらも恋愛や生活を楽しむ自由度は親しまれているのでした。本作は当時のアイレム(に在籍していた、九条氏を代表とする現グランゼーラのスタッフ)が生み出した、間違いなくゲームプレイの自由を切り開く可能性だったのです。
『パチパラ12 ~大海と夏の思い出~』パチスロゲーがまさかのミステリーADVに転向

発売順が前後するんですが、2005年『パチパラ12 ~大海と夏の思い出~』(以下、パチパラ12)からパチスロ風雲録が劇的に変わるんですよね。なんとこちらはミステリADV「パチプロ風雲録4 銀玉殺人事件」(以下、パチプロ風雲録4)として展開されたのでした。

ところが今遊び直してみると、決して奇策というわけではなく、こちらもこちらでミステリADVの可能性に溢れた一作だったんじゃないかなと思いましたね。
物語のメインとなる殺人事件の調査を中心にゲームを進めると、街で小さな事件も発生していく。これを日々の生活の中で(パチンコ勝負の合間に)解決しながら、メインの事件解決を目指していく……という構成は、今もオープンワールドでADVを作ろうと考えるときに参考になるものがあるんじゃないでしょうか。
また推理システムも独自だったなあ、としみじみ思い出していました。上手くいっているかはともかくとして、事件の謎を解く容疑者のアリバイや証拠をテトリスのピースみたいに集め、推理シーンにて真相を繋げていくパズルみたいにする、というのもなかなか野心的だったと思います。ちょっとFrogwaresの「Sherlock Holmes」シリーズや『Sinking City』の推理にも似たところが感じられるといいますか。

それにしても、なぜパチスロのゲームで自由度を追求したゲームが出たのでしょうか? それは当時、アイレムが「絶体絶命都市」シリーズと『ポンコツ浪漫大活劇バンピートロット』(以下、バンピートロット)を開発していた影響が大きいと思われます。
特に「バンピートロット」はスチームパンクの世界で徹底した日常生活の自由度を追求した一作でしたし、「絶体絶命都市」シリーズはある時期から膨大な会話の選択肢から、物語の展開を変えていくゲームデザインを見せていました。こうしたゲームデザインの蓄積を生かしたのが「パチプロ風雲録」シリーズの4~6なのでしょう。
会話の自由度や行動によって主人公が善にも悪にもなれるゲームは、日本では「ロマンシング・サガ」シリーズ、海外の『The Elder Scrolls IV: Oblivion』や「マスエフェクト」シリーズなどが有名でしょう。ところが「パチプロ風雲録」シリーズの4~6はある意味でそれらに比肩するゲームデザインを現代日本ベースで実現していた、ということはあらためて評価できるのではないでしょうか。
『ドラマティックサッカーゲーム 日本代表選手になろう!』まさかのサッカーで“全キャラをエディットできるノベルゲーム”が実現
2002年。それは日本と韓国の共催でFIFAワールドカップが実現した年。歴史的な一年となったゆえか、ゲームシーンでは「ウイニングイレブン」シリーズをはじめ、サッカーゲームの開発に沸き立っていたのでした。
数多くのサッカーゲームが作られるということは、時に異様なタイトルが生み出されることも意味します。たとえばMidway Sportsの『Red Card』がそうでした。「波動をまとうシュートなど必殺技を導入」くらいならいいんですが、一番どうかしているのは基本的に相手選手に蹴りを入れてボールを奪う反則行為がやり放題というゲームデザインです。こんなゲームがナツメを通して日本市場に流通するほど、あの時代の熱量はすさまじかったんですよね。

そんな異様なタイトルのひとつとして、あらためて取り上げたいのが『ドラマティックサッカーゲーム 日本代表選手になろう!』です。なにが異色かというと、このタイトル、なんとノベルゲームなのです。サッカー日本代表オフィシャルライセンスの許諾を得たゲームの中でおそらく唯一無二でしょう。

まるで変則的に曲がるシュートみたいなゲームですが、ストーリー自体はベッタベタですね。主人公は10代にしてサッカー日本代表に選ばれ、ワールドカップに向けて世界各国と試合を繰り広げてゆく。同級生の女の子に活躍を見守られながら、同じ日本代表チームのライバルと鎬を削り合う。
そんな日本チームの前に、フランスの狂犬のような選手が立ちふさがる。ところがそれが、当の日本代表監督を務めるフランス人監督の息子だった……なんて展開も織り交ぜていたりします。当時、実際の日本代表監督がフランスのフィリップ・トルシエ監督だったことに合わせて、そういうストーリーで幅をもたせようとしてたんだなー、としみじみ感じますね。

ストーリーも登場人物もベタな中、ではノベルゲームでサッカーの試合をどう体験させるのか? ここもベタ。主に使われるのはストーリーやムービーメインのゲームでよく使われてきたアクション。そう、QTEです。
QTE。それはここ20年批判に晒された仕様。いや、QTEがあることはそこまで本作では悪くはなくて(良くもないんですけど)、選択肢と使い分けて試合の答えを探していく感覚はなかなかの面白さはあるんですよ。試合前の監督による作戦会議をヒントに、試合中にパスするかシュートするかを考えるのは独特な感じがありましたね。

それよりノベルゲームという観点からすると、まだどのノベルゲームもおそらく実装していない仕様があります。日本チームの全選手をエディットできる機能です。名前も、顔も、体型もすべて変えたキャラで本編のストーリーを追える謎の機能が追加されているのです。
ノベルゲームは『Ever17』でメタフィクションとしての物語を、『STEINS;GATE』でSFとしての物語を突き詰めていったと思われていましたが、さすがに「プレイヤーが神となって全キャラエディットが可能」みたいなアプローチはなかなか無いですからね。
なんでそんな機能が実装されたのか? やっぱり「ウイニングイレブン」シリーズなどでエディット機能が魅力のひとつでしたから、それを持ってきたのではないか。いや、でもこれはサッカーをわざわざノベルゲームにするわけだし、ストーリー体験がメインのはずなだから、登場人物の名前もビジュアルも固定のほうがいいんじゃないの……?

いえいえ、そんな疑問を持つのはいけません。あの時に切り開いた何らかの可能性を否定することになります。プレイヤーがノベルゲームの可能性を信じないでどうするんだ!
僕はすぐさま何人かをノベルゲームの伝説『街 ~運命の交差点~』の主人公たちにエディットしなおしました。おかげで本作のフォワードは雨宮桂馬と青ムシによるオタクのツートップです。2000年代、それはオタクカルチャーが地位を塗り替える時代。ゲーム、アイドル、アニメ。オタクをバカにするな。我々がいなかったら、今の日本はもっと不景気だぞ。あ、青ムシシュート外したわ。
『餓狼伝 Breakblow Fist or Twist』 “心が折れなければ負けではない!” 板垣恵介の漫画世界を体感する、殴られながら殴りあう格ゲー

2000年代の半ば。それは対戦格闘ゲームにとって決して喜ばしい時代ではなかったかもしれません。今振り返ると、この時期は格ゲーのメインフィールドであるアーケードゲームの発展が行き詰まっていったのが大きいのではないでしょうか。
アーケードゲームは70年代から90年代半ばにかけては、ゲームのハードウェア性能を見せる最先端でした。しかし時代が進み、90年代末から家庭用ゲーム機がアーケードの性能に近づきはじめ、2000年代には上回ります。さらに同じ時代にPCも高性能化し、ゲームの進歩の前線となるハードウェアになるのでした。
また、アーケードは短時間のプレイでインカムを回転させるビジネスモデルの新しい形を見つけ出せなかったことも加わり、おそらく格ゲーは家庭用ゲーム機やPCで展開されるRPGやアクションゲームのような新規性を提供することが難しくなりました。ジャンルに残されていたのは競技性の強さだけだったのです。
しかし、競技性とはストイックなものです。どうしても求道的にやり続けられるプレイヤーは限られ、初心者が触りにくくなる。格ゲーは家庭用ゲーム機専用タイトルも少なくなく生まれましたが、やはりゲームデザインはアーケードという環境と結びついています。しばらくの間、全体的にゲームデザインが膠着状態に陥ったように思います。
ではアーケードではなく、家庭用ゲーム機だからこそできる格ゲーのゲームデザインとはどんなものがあるのか? 任天堂の『大乱闘スマッシュブラザーズ』を挙げることはたやすいですが、ここでは2007年の『餓狼伝 Breakblow Fist or Twist』を挙げたいです。本作は夢枕獏さんと板垣恵介さんによる漫画を原作としながらも、格ゲーに確かな新規性を運んできた一作だったと思います。
その新規性の際たるものは「心が折れさえしなければ、身体が骨折しようが負けじゃない」というゲームデザインでしょう。板垣恵介さんの画風を再現する絵作りが凄い。ボディビルダーのようなシルエットのモデリング、深い影が筋肉を覆うシェーダーは漫画の圧力をゲームに翻訳しきったと言えるでしょう。
なによりゲームプレイこそが、一番板垣恵介さんの世界観そのものをプレイヤーが体感できるようになっている。それが「殴られながら殴り合う」という、普通の格ゲーではまずできない展開です。板垣さんの「グラップラー刃牙」シリーズなどの漫画でしばしば見られるシーンを実際にプレイできることは、原作のファンとして嬉しいと共に、当時はなかなか実験的なデザインを提示できなかった格ゲーの中では新鮮な驚きがありました。
発売した当時に遊んだ時も新規性に溢れた格ゲーとして感動がありましたが、その新しさは2025年の今も伝わるのではないでしょうか?
2000年代が折り返したころ、家庭用ゲーム機でも徐々にオンライン接続がデフォルトになり、対戦がメインのジャンルもオンラインが主戦場となっていく。さらに、プレイヤーの実力に合わせた対戦のマッチングを行うタイトルも数多く登場したことで、初心者でもじっくり実力を追求していけるようになりました。
また、2010年代からeスポーツが台頭するようになり、プロ選手がジャンルの競技性を追求できるシーンが確立。こうして、競技性の強さを特徴とする格ゲーは徐々に復調していったように思えます。
その意味で、『餓狼伝 Breakblow Fist or Twist』は歴史的に停滞期に生まれた、格ゲーのオルタナティブという意味でしみじみする一作なのでした。
『ラーゼフォン 蒼穹幻想曲』アニメで体感できなかった、時空が閉ざされた世界を知る

最後に2003年『ラーゼフォン 蒼穹幻想曲』も得難い体験だったことを取り上げたいですね。2002年に放映されたアニメを原作とした、タイムリーな版権ゲームでありながら、その世界観をいかんなく体験できるという理想的な一作。一方でそれだけではなく、ある種の自由度も実現したゲームでもあった、ということで再評価したい一作ではあります。

本作は謎に満ちたアニメ本編のストーリーを下敷きにしながら、プレイヤーが世界観に没入したり謎を考えたりできるようなゲームデザインを実装。それが「ロックオンアドベンチャー」というものでした。
これはプレイヤーが探索中にキャラや風景をロックオンすることにより、会話を進めていくことができるデザイン。これによって、様々なキャラとの関係を深め、物語の展開を原作通りに進めたり、または違う道筋に進められるようになっているのです。
本作の進行は基本的にアニメ準拠ではあるんですが、このロックオンアドベンチャーとしてプレイできるパートは比較的、自由に行動できることもあって、アニメの世界観に入り込んでいる感じがけっこう興味深かったですね。わりと戦闘もドラマも起きていない時間って淡々としている感じが、なにか味わい深かったというか。

戦闘シーンも同時期にリリースされた『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS』をシンプルにしたようなデザインで良く出来てるなと思いましたね。ただ一番は、「ラーゼフォン」で描かれる世界観をゲームとして実際に体感したらどうなるのかという空気感ではないか、と思っています。
どこか現実と違う時間軸や空間を生きる体験というのは、2000年の『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』や2001年の『花と太陽と雨と』などのプレイフィールにも似ているかもしれません。

アニメの版権ゲームは、特に昔は放映中や放映直後に販売しなくてはならないことも多く、やはり開発期間などが限られていることがほとんどだと思います。その意味で、本作は原作と違うストーリーのルートを実装するなどかなり作りこめたことが特異。リリース当時は限定版としてオリジナルアニメのDVDや設定資料集も含まれたものでもありましたし、プロジェクト全体としても例外的に力を入れていたのかもしれません。
自分の記憶にはそんな版権ゲームで、さらに進歩していく時代のゲームの可能性を追ったタイトルがあったのです。やっぱりゲームメディアだと人気タイトルの開発者インタビューが多いんですけど、こうした版権ゲームで気合を入れてきたクリエイターやプロデューサーのインタビューを取れないかなとも思うんですよ。
もちろんサブスクでも、版権ゲームはリアルタイムで『ドラゴンボールZ KAKAROT』や『Teenage Mutant Ninja Turtles: Shredder's Revenge』などが登場してはいます。また、過去のタイトルでも「スターウォーズ」シリーズの版権ゲームがEA Playから遊べるようにもなっています。しかし、今もサブスクへ登場したり、リマスターされたりする版権ゲームはそう多くはありません。
僕はぜえぜえ言いながら中古ショップの前に辿り着きました。サブスクでゲームの世界を簡単にわかった気になったら終わりだな、と思いながら自動ドアをくぐり、PS2のコーナーへ向かい、僕は『魔法先生ネギま! 1時間目 ~お子ちゃま先生は魔法使い!~』と『福原愛の卓球一直線』を手にしていました。
わかってもらえる自信はありませんが、中古屋でゲームの歴史の中央に載ることはないタイトルを買うことが、今自分が狂わないようにするメンタルケアのひとつなのです。中古ショップの棚で、DVDパッケージが密集して発するプラスチックとビニールの煤けた匂いを嗅ぎながら、ざわざわしていた心が落ち着いていくのを感じていました。
ゲームの可能性の開拓とは、大企業によるIPのみに集中していたわけではないのだ。自分は世界の多様さを信じていたいのかもしれません。ジャンク品コーナーで大量に並ぶ『ウイニングイレブン6』を横目にそう考えながら、レジへ向かいました。













