※本記事にはドラマ「フォールアウト」シーズン1およびシーズン2第1話の内容が含まれます※

Amazon Prime Videoにて配信されているドラマ「Fallout(フォールアウト)」。本作に横たわる銃器描写を目の当たりにしたとき、まず私たちの目を奪うのは、その凄まじいまでの「物としての存在感」です。
画面に映る銃は単なる小道具(プロップ)にとどまらず、形状、質感、扱われ方、そして撮られ方。そのすべてが『Fallout』の世界観を補強するひとつの「美学」として機能しており、同時に確かな質量を持つ物体として存在しています。ゲームシリーズが築き上げてきた世界を「動いて、撃たれる」映像として提示することは、単なる再現ではありませんでした。視聴者が銃を選べないドラマという形式においても、そこに「その銃である必然性」を感じさせる点こそ、本作の銃器描写が成立している理由でしょう。
本稿では、同作において銃がどのように撮られ、持たれ、撃たれているのかという映像上の美学を主題に、シーズン1の銃器描写を振り返りつつ、シーズン2第1話から見える方向性についても触れていきたいと思います。
キャラクターを映す銃たち
ドラマ「フォールアウト」における銃器描写の優れた点は、それを握る人物のキャラクター性を雄弁に語っていることです。本作でフォーカスされる三人の主人公は、それぞれ出自も価値観も立場も異なります。その差異が、彼らが携える銃器の形態を取って反映されています。
ルーシーとトランクガン
父を追ってVault33を出たルーシー・マクレーンが最初に携えているのは、武器庫にあった、即死性の弾丸ではなく、麻酔薬を備えたダーツを発射する低致死性の装備のトランクガン(麻酔銃)です。この選択は、彼女のウェイストランドに対する不慣れさや、人を傷つけることへのためらいを視覚的に示しています。

医療器具を思わせるトランクガンのデザインは、彼女の善性と、この過酷な世界との距離感を際立たせるものです。「人を傷つけないための道具」であるという前提により、この銃は彼女らしい「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ、逆もしかりである」という黄金律を体現しています。

しかし物語が進むにつれ、ルーシーはトランクガンを捨て、実包を用いる一般的な銃器を手に取るようになります。それは成長や強さの獲得というよりも、ウェイストランドに順応し、自らの意思で人に銃口を向けるという選択を引き受けた結果です。


シーズン2第1話では、彼女がためらいなく銃を構え、グールを援護する姿が描かれました。トランクガンから実銃へ。この移行は、ウェイストランドの洗礼を受けた変化として、静かに、しかし確実に描かれています。
彼女が最初に手にしていたトランクガンは、Vaultという閉鎖された楽園における「文明的な合理性」の産物でした。
「誰も傷つけずに問題を解決する」という黄金律は、平和なコミュニティでは正解でした。しかし、それが地上の怪物たちに通用しないことが分かったとき、彼女は過酷なウェイストランドの「歪んだ合理性」。すなわち、殺さなければ殺されるという現実を受け入れ、実銃のトリガーに指をかけることになったのです。
マキシマスとピストル
一方、ブラザーフッド・オブ・スティール(BOS)に身を置くマキシマスが最初に使うのは、シリーズお馴染みの10mmピストル(コルト 6520)です。規格化された工業製品としての質感と無骨なシルエットは、個人の嗜好ではなく「組織の装備」であることを強く感じさせます。


ゲームシリーズにおいて10mmピストルは、序盤から手に入る汎用的な武器として知られています。特別に強力でもなく、特別に弱くもない。その「標準性」こそがBOSという、安定した武力を根幹とする組織の性質を表現しています。

この10mmピストルには、B.O.S.という強大な組織が求めた「工業製品・軍需品としての合理性」が宿っています。しかし、興味深いのは、この銃がマキシマスを強く見せていない点です。序盤のマキシマスの臆病な振る舞いや、ややぎこちない構え方がこの解釈に繋がります。
組織が用意した「正解の武器」という合理性と、それを使いこなせない個人の未熟さ。そのギャップが、借り物の力を必死に使いこなそうとする青年の等身大の姿を映し出しているのです。
彼にとって10mmピストルは、まだ「自分の武器」ではありません。BOSという組織が与えた、義務としての装備でしかありません。その距離感が、銃の扱い方に現れています。映像も、彼が銃を構えるシーンを英雄的には写してません。むしろ、装備の重さに耐えている姿として捉え、描いています。
その後、T-60パワーアーマーを着込み、そのサイドアームとして最適化されているのであろうT-60ピストルを手にしたとき、ようやく身体と装備の関係が噛み合います。

パワーアーマーという「力の拡張」を得て初めて、マキシマスは銃を自在に扱えるようになる。この変化もまた、銃器描写を通じたキャラクター表現の一例です。彼の成長は、銃の扱い方の変化として、視覚的に提示されているのです。
ウェイストランドを生きる者たちの武装
主要キャラクターの銃器描写が印象的な一方で、ドラマ「フォールアウト」の世界観の厚みを支えているのは、モブキャラクターたちが持つ多種多様な銃器です。これらの武器は、ウェイストランドという場所がどのような階層と技術水準で成り立っているかを、無言で語っています。
以前のコラムで『Fallout 4』における「誰かの銃との物語」、『Fallout: New Vegas』における「文明の引き金」を論じました。それらは個人の記憶や社会の選択を銃が体現する構造でしたが、ドラマ版ではさらに一歩進んで、背景にいる名もない人々の銃までもが世界観を語る装置として機能しています。
レイダーたちが持つのは、多くが統一感のない粗雑な印象の武器です。種類を同じくせず、ありあわせの部材で構成・改修された銃は、彼らが「奪う側」であることを示しています。統一性のない装備、手入れされていない銃身、バラバラな弾薬の口径。これらは組織化されていない暴力集団の象徴です。




ウェイストランドの一般住民たちが持つ銃は、さらに興味深い多様性を見せます。スタームルガー Mini-14のような旧世代の銃器、あるいは戦前の民生品と思しき散弾銃。これらは「生き延びるために、手に入るものを使う」という、ウェイストランドの中間層を表現しています。


特筆すべきは、これらモブキャラクターの銃が「背景」として処理されていない点です。カメラはしばしば、名もない住民やレイダーが雑に構えるライフルを画面に収めます。主要キャラクターほど注目されることはありませんが、確かに「存在している」という質感を持って描かれています。
この丁寧さが、『Fallout』の世界を「銃が日常に溶け込んだ社会」として成立させています。特別な人物だけが銃を持つのではなく、誰もが何らかの武器を携えている。その当たり前さが、この世界の危険性と、同時に人々の逞しさを物語っているのです。
グールと銃―― 『Fallout』らしさの結晶
そして何よりも注目すべき存在は、本作で最も「銃器の美学」を体現している賞金稼ぎ、グールことクーパー・ハワードと彼の使う銃器でしょう。
グールというキャラクターは、過去作『Fallout: New Vegas』で特に顕著な、「『Fallout』の中の西部劇的要素」を色濃く反映しています。ただしそれは懐古的なオマージュではありません。放射能に焼かれ、文明崩壊後の世界を数百年生き延びてきた結果として、その立ち振る舞いや装備が自然とガンマンの姿に重なった――そう思わせる必然性が、映像には宿っています。

彼が愛用する中折れ式の大口径四連リボルバー、通称 グール・リボルバー あるいは ドン・ペドロ(『Fallout 76』にて追加された際の名称)は、本作で最も意図的にディテールを意識するような撮られ方をされた銃です。ユニークな存在であることを誇示するようなそのデザイン、シリンダーの回転、真横から捉えられた鈍い金属の質感。カメラは、この銃がどれほど特別で、どれほど使い込まれてきたかを正確に伝える角度を選んでいます。




またこの銃に関しては、その言及をディテールのみで完結させることはできません。フィクション作品において、「特定個人あるいは特定用途専用の大口径拳銃」はしばしば「その作品の象徴となることを意図された銃」として描かれます。
アメリカンコミックを原作とし、映画化もされたヒーロー作品「ヘルボーイ」では、主人公ヘルボーイ専用のリボルバーであるグッド・サマリタンが伝承上の怪物に威力を発揮します。日本の漫画作品においても「HELLSING」にて、主人公アーカードのためのジャッカルが鮮烈な存在感を放ちます。そしてゲーム作品においては、カプコン製作の『デビルメイクライ』の4と5でのプレイヤーキャラクター、ネロが使うリボルバーのブルーローズなどの例が存在します。



これら埒外の拳銃に共通するのは、「一般的に語られる実用性だけではたどり着けない論理で構築されている」という怪奇性です。そしてグール・リボルバーもまたその怪奇性を纏っており、それは意匠だけではなく、特殊な弾薬の性質によっても裏打ちされています。
「軟体目標対応の徹甲超小型核弾頭、あるいは高性能小型擲弾――そう表現するほかない常識外れの高威力弾を、特徴的な発砲音とともに撃ち出す」
ここに、本作における「歪んだ合理性」の極致があります。組織の論理(マキシマス)や、かつての文明の倫理(ルーシー)を捨て去ったグールが、ただ一撃で脅威を排除するためだけに辿り着いた答え。装弾数や扱いやすさを捨て、破壊力に特化したその異形のリボルバーこそ、私たちが本作に求める「『Fallout』らしさ」そのものと言えるでしょう。
この合理性を極端に歪めつつユーモアをたたえた兵器像こそが、「ドラマ「フォールアウト」の象徴」という役割を果たしながら、同時に非常に『Fallout』的な銃のあり方をも体現していると言えるのです。

またグールはサブウェポンとして、グール・リボルバーと共通口径の弾薬を使う(発砲音が同じである事と、装填する弾の区別をしていない事から推測)レバーアクションライフルを使用します。
ウィンチェスター M1873を原型とするこのレバーアクションライフルは、グールが背中のスキャバードに挿して携行しており、ストックが切り落とされた形状をしています。西部劇の文脈が深く踏襲されたメアーズレッグ(Mare's Leg:牝馬の足)という呼ばれ方をする銃種です。
これは実銃の運用と照らし合わせると明確に非常識な選択です。


実銃の世界では一般的にライフルやショットガンと言った、より扱いやすい発射装置が手元にあるのであれば、それをメインウェポンとして使うことが当然の選択であり常識です。にもかかわらずグールは、あくまでグール・リボルバーのサブウェポンとしてこのメアーズレッグを使用します。
この選択については言うなれば「ゲームの戦闘スタイルとしてのピストルビルドの現れ」、あるいは「GunslingerやCowboyといったPerkを習得している」と言い換えた解釈ができます。
全体をみれば、上述した「本作における西部劇要素」と「怪奇性」、そして「ゲーム的要素」、これらすべてを内包するグールと彼の銃は「美学により『Fallout』らしさの結晶として作中に成立している」と言って差し支えないでしょう。
シーズン2における描写の継続
シーズン2第1話においても、この丁寧で「らしさ」に溢れた銃器描写の姿勢は維持されています。一話時点では目立つ新装備の投入は控えられていますが、既存の銃器の扱われ方の質は高く、シーズン1から地続きの世界観を安心して受け入れることができます。
特に印象的なのは、グールがバックアップガンとして隠し持つナックルダスターリボルバーの描写です。モハビウェイストランドのノバックにて捕らえられたグールが、他者に銃口を向けるためらいを捨てたルーシーの援護を得ながら状況を打破するこのシークエンスにおいて、グールはまたしても西部劇的な銃捌きを見せます。
ここでグールがブーツから銃を引き抜き、流れるように対処する一連の動作。その携行位置と取り出し方だけで、彼の用心深さと積み重ねてきた経験が伝わります。銃を特別な武器としてではなく、命を繋ぐための日用品として扱う美学が、ここでも健在です。




シーズン2の銃器描写の今後については、まだ明確な方向性を断言できる段階ではありません。しかし第1話から読み取れるのは、制作陣が「『Fallout』らしい銃」の基準を引き続き理解しているということです。
グールのバックアップガンのような細部へのこだわりは、今後登場するであろう新装備にも同じ水準の配慮が払われることを予感させます。ブラザーフッド・オブ・スティールの勢力拡大に伴い、より組織的で画一的な武装が増えるのか。それとも、さらに辺境へと舞台が広がり、より原始的で即興的な武器が登場するのか。
あるいは、エンクレイヴのような新勢力が持ち込む、グール・リボルバーとはまた異なる「怪奇性」を纏った銃器が現れる可能性もあります。ガウスライフル、プラズマキャスター、そしてファットマン。ゲームシリーズを彩ってきた象徴的な武器たちが、実写でどのような存在感を放つのか。
期待できるのは、それらが「『Fallout』らしさ」を持って描かれるだろうということです。シーズン1とシーズン2第1話が示した誠実な銃器描写の姿勢は、今後も維持されるでしょう。
歪んだ合理性としての銃
ドラマ「フォールアウト」における銃器描写の本質は、「歪んだ合理性」という言葉に集約されます。
グール・リボルバーは、実銃の世界から見れば非合理的です。四発という少ない装弾数、長大なシリンダー、そもそも拳銃としては大きすぎるサイズ、核弾頭という過剰な火力。しかし『Fallout』の世界では、これこそが合理的なのです。放射能汚染された荒野で、ミュータント化した生物や重装甲の敵と戦うために。200年間生き延びるために。この銃は正しい選択として存在しています。
世紀末的に使い古され、ありあわせのパーツで改修された旧世界の銃器も、工学的には粗雑な姿ですが、荒廃世界の合理性に適っています。工場も流通網もない世界で、手に入る材料で作れる銃。それは美しくないが、機能する。継ぎ接ぎだらけだが、撃てる。この「醜いが正しい」という在り方が、『Fallout』の銃器美学の核心です。
つまり、『Fallout』の世界における銃は、私たちの世界の合理性とは異なる論理で成立しているのです。核戦争後の世界には、核戦争後の合理性がある。その歪んだ合理性を、ドラマ「フォールアウト」は銃という物体を通して視覚化することに成功しています。
そしてこの「歪み」こそが、『Fallout』という作品世界の魅力です。ヒーローの銃、怪物を倒す特別な武器という単純な図式ではなく、「この世界では、これが当たり前」という説得力。グール・リボルバーの怪奇性も、他の銃器の粗雑さも、すべては荒廃世界の日常として画面に存在しています。
ドラマ「フォールアウト」における銃器描写は、銃を誇張せず、かといって雑にも扱わないという絶妙なバランスの上に成り立っています。銃はキャラクターを映し、世界観の解像度を上げ、それでいて物語のノイズになっていません。
実在する銃の型番やスペックを知らなくとも、その一挺が放つ説得力を感じ取ることができる。『Fallout』の世界で銃がどうあるべきかを理解し、それを誠実に映像化する。この姿勢が続く限り、私たちはこの物語が描く銃器描写を信頼し、その火花を追い続けることができるでしょう。
ウェイストランドの銃声は、ドラマシリーズでも当然のように鳴り響いています。そしてその音は、歪んだ世界の、歪んだ合理性を、確かに伝えているのです。

ドラマシリーズ「フォールアウト」は、Amazon Prime Videoにて配信中です。













