ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の実写版「バイオハザード」シリーズは、1作目「バイオハザード」(2002)こそゲーム版の閉鎖空間における恐怖を意識していましたが、回を重ねるごとにアクション映画としての性格を強めていきました。主人公アリスの能力もインフレを続け、最終的にはゾンビやクリーチャーそのものより、アリスがいかに敵を倒していくのかを見る“チートキャラ映画”へと変貌していったといえます。
このシリーズを企画・脚本面から一貫して牽引したポール・W・S・アンダーソンとミラは、シリーズを通じて交際関係となり、2009年には結婚しています。もちろん、それだけを理由にシリーズの方向性を説明することはできませんが、作品を重ねるごとにアリスが超人的な存在となり、物語そのものが彼女を中心に回るようになっていったことを考えると、結果的には「バイオハザード」の映画化である以上に、ミラというお気に入りのスターをいかに魅力的かつ強く見せるかという側面が強まっていったようにも感じられます。
それに対して、原作ゲームへの回帰を掲げたのが「バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」(2021、以下「WTR」)でした。同作はゲーム版『バイオハザード』(1996)と『バイオハザード2』(1998)を中心に、シリーズ初期の要素を1本の映画へ再構成したリブート作品です。ゾンビが振り向く有名な場面を再現するなど、ストーリーだけでなく画作りにもゲームを意識した部分が多く、そのアプローチ自体は決して悪くありませんでした。
一方で、キャラクター設定には大胆な変更が加えられています。近年では、原作からキャラクターの人種を変更すると、すぐに「ポリコレ」と批判される傾向があります。しかし、作品によってキャラクターの人種や年齢、背景を変えてみること自体は、決して新しい試みではありません。
たとえば映画「X-MEN」シリーズでも、当初はプロフェッサーXやマグニートーのキャスティングについて、年齢が高すぎるとして原作イメージとの違いを指摘する声がありました。それでも現在では、パトリック・スチュワートやイアン・マッケランのイメージはキャラクターと強く結びついていますし、2026年12月に公開される「アベンジャーズ/ドゥームズデイ」でも、ふたりの登場に歓喜する声は少なくありません。つまり、新しい解釈というものは、最初こそ違和感を持たれやすいものなのです。
したがって、「WTR」でジル・バレンタインを黒人俳優のハナ・ジョン=カーメンが演じたことや、Netflix版「バイオハザード」(2022)でランス・レディックがアルバート・ウェスカーを演じたこと自体が問題なのではありません。重要なのは、その変更が作品の中でどのように機能しているかです。
Netflix版もまた、ウェスカーの設定を大胆に変更しながら、ゲーム版の要素を完全に捨てたわけではありませんでした。ウェスカーの遺伝子から生まれた姉妹を主人公としつつ、リッカーをはじめとするゲーム由来のクリーチャーを登場させ、『バイオハザード5』(2009)などを連想させる設定も組み込んでいました。
既存キャラクターではなく、“名もなき一般市民”を主人公に
こうした既存キャラクターの改変には、どうしても賛否がつきまといます。その批判を回避しながら世界観そのものを再構築する方法として、オリジナルキャラクターを主人公に据えるという選択肢があります。

今回、ザック・クレッガーが選んだのは、まさにその方法でした。「WTR」のようにレオンやクリスといったシリーズを代表するキャラクターを主人公にするのではありません。彼らの存在をにおわせることすら徹底して避けています。彼らが活躍する物語の“裏側”で、ヒーローでもなければ特殊部隊のような戦闘スキルも持たない、名もなき一般市民がバイオハザードに巻き込まれたらどうなるのか……。そこに焦点を当てています。
ポール・W・S・アンダーソンや「WTR」のヨハネス・ロバーツも、『バイオハザード』のファンではあるのですが、ザックが選択したのは、ザックが選んだのは、徹底して“恐怖”へ振り切ることでした。
ヨハネスも続編では『CODE:Veronica』や『バイオハザード4』を具体的な候補として挙げる一方、『7』や『ヴィレッジ』に見られる、より暗く恐ろしい世界にも関心を示していました。シリーズが続いていれば、よりホラーへ踏み込んだ作品が生まれていた可能性もあります。
あえてゲームでいえば『バイオハザード アウトブレイク』(2003)と『バイオハザード アウトブレイク FILE 2』(2004)に近い構図でしょう。ただし、『アウトブレイク』をそのまま映画化した作品ではありません。むしろ『バイオハザード4』(2005)以降のシリーズが作り上げてきた世界観を利用しながら、これまで映画では十分に描かれてこなかった“事件の裏側”を覗くような作品になっています。
そもそも冒頭からパンデミック初期が描かれる一方、スマートフォンが当たり前のように登場するため、舞台はゲーム版『バイオハザード』(1996)~『バイオハザード3 LAST ESCAPE』(1999)と同じ1990年代ではありません。『2』と並行する物語という位置づけではあるものの、ゲーム本編の世界をそのまま再現したものではなく、異なるタイムラインとして考えたほうがいいでしょう。
そして重要なのが、徹底して一般市民の目線から恐怖を描いていることです。これまでの実写映画、ドラマ、CGアニメを含めても、戦闘のプロではない一般人を物語の中心に据えて「バイオハザード」を描くアプローチは意外と多くありません。一方、ゲームでは『バイオハザード7 レジデント イービル』(2017)以降、少なくとも物語の導入部において、超人的なエージェントではない人物が未知の恐怖へ放り込まれる感覚が強調されるようになりました。
『バイオハザード6』は、シリーズがアクション・シューティング路線を突き詰めたひとつの到達点であると同時に、その路線の限界を感じさせる作品でもありました。そこで『7』は、それまでの方向性を大胆に断ち切り、一人称視点を導入します。閉鎖された空間を探索し、正体の分からない何かに追われるというシリーズ初期のサバイバルホラーへ回帰しながら、それまでとは異なる恐怖を作り出しました。

海外版タイトルの『RESIDENT EVIL 7 biohazard』と、日本版の『BIOHAZARD 7 resident evil』が、二つのシリーズ名を交差させるようなタイトルになっているのも象徴的です。それまで積み上げてきたシリーズを一度見つめ直しながら、もう一度「恐怖」そのものを再定義しようとした作品でした。
そして『7』の恐怖を成立させていた大きな要素が、ベイカー家です。ベイカー家には「悪魔のいけにえ」(1974)のソーヤー一家など、アメリカン・ホラーにおける“狂った家族”の系譜を感じさせるものがあります。人里離れた土地へ迷い込んだ主人公が、その場所だけに存在する異常なルールや価値観に巻き込まれていきます。
こうした「都会の常識が通用しない土地」を恐怖へ変換する作品は珍しくありません。「悪魔のいけにえ」シリーズや「クライモリ」シリーズ、日本でも「犬鳴村」(2020)以降のいわゆる「村」シリーズなど、田舎や閉鎖的な共同体が持つ異質さをホラーとして利用した作品は数多く作られてきました。
ただし『7』が興味深かったのは、単純に「田舎の人間は怖い」という構図にしなかったところにあります。ベイカー家はもともと狂っていたわけではありません。プレイヤーが最初に遭遇する彼らの異常な言動も、物語を進めることで別の意味を持ちはじめます。ジャック・ベイカーをはじめとする家族たちは、ある意味では加害者であると同時に被害者でもあるのです。
そして、この「一見すると普通の人間なのに、何かがおかしい」という恐怖こそ、ザック・クレッガーと非常に相性がいいのです。
「バーバリアン」「ウェポンズ」から続くクレッガー流の恐怖
クレッガーは長編監督デビュー作「バーバリアン」(2022)の時点から、老人や一見無害そうな人物が醸し出す独特の異質さを恐怖へ変換してきました。老いや認知機能の衰えといった、人間なら誰にでも起こり得る変化は、ホラーにおいて「相手が何を考えているのか分からない」「こちらの常識が通用しない」という不安へ転換しやすい題材でもあります。
もちろん、老いや認知症そのものを恐怖として描くのではなく、重要なのはコミュニケーションが成立しているようで成立していないという“ズレ”です。普通に会話していた人物が突然まったく違う行動を取る。その理由が分からない。その予測不能性が恐怖を生み出します。
この感覚は「ウェポンズ」(2025)でも活かされていました。さらに同作では、何かに操られた人間が歯止めの利かない状態で、ただ一直線にこちらへ突進してくるという恐怖が強烈に描かれていました。考えてみれば、この「何を考えているのか分からない存在が、無心にこちらへ向かってくる」という恐怖は、『バイオハザード』シリーズにおける感染者の予測不可能な行動原理を映像化するうえでも適しています。
ゲームを「再現」するのではなく、プレイヤーの感覚を映画にする
クレッガーはゲーム自体のファンである一方で、表現力や映像センスそのものが「バイオハザード」と非常に相性のいい監督だったといえるでしょう。今作もまた、そうした「圧倒的な脅威を前にした無力な人間」という、『7』以降のゲーム版が重視してきた感覚に寄り添っています。
その姿勢は、映像そのものにも表れています。冒頭から、まるでゲームをプレイしているかのような“プレイヤー視点”を意識した演出が続きます。ただし、「ハードコア」(2015)やインド・バイオレンス映画「マルコ」(2024)のクライマックスのように、カメラを完全な一人称視点に固定するわけではありません。あくまで映画としての客観的なカメラを維持しながら、ときおりゲームを操作しているような感覚を忍び込ませています。映画とゲームの中間を絶妙に行き来しているのです。

とくに面白いのが、武器の入手方法です。最初にハンドガンを入手し、序盤で立ち寄った家の中ではショットガンを発見。そして物語が進むと、さらに強力なマシンガン系の武器を手にします。危険度の上昇に合わせて武器が段階的にアップグレードされていく構成そのものが、ゲームの進行をかなり意識しています。
なかでもショットガンの配置には『バイオハザード4』の影響が色濃く感じられます。さらにタイプライターやグリーンハーブなど、シリーズではおなじみのアイテムも登場しますが、それらを「ファンなら分かる小ネタ」として不自然に画面へ押し込むのではなく、世界の一部として自然に配置しているところがうまいのです。
細かい鍵なら銃で破壊できるのに、大きな鍵になると壊せないという、ゲームならではの“お約束”を利用したギャグもあります。それでいて露骨なファンサービスにはならず、きちんと物語の流れに溶け込んでいます。

また、主人公が銃器に関してほとんど素人であることも重要です。武器を手に入れれば即座に無双できるわけではなく、その扱い方すら分からないところから始まります。つまり「銃を入手する=安全になる」という図式が成立しません。武器を持っているにもかかわらず、いつ殺されてもおかしくないという緊張感が最後まで残るのです。
ここでも、クレッガーがこれまで描いてきた「異質な存在がこちらへ向かってくる恐怖」が効果を発揮しています。
『4』のクリーチャーと『7』の恐怖を融合した新たな「バイオハザード」
ザック・クレッガーが『バイオハザード4』のファンであること、さらに『7』以降の作品も意識していることは、随所から伝わってきます。
とくに分かりやすいのが、感染者やクリーチャーの造形です。ゲーム版『1』~『3』のようなスタンダードなゾンビを中心とするのではなく、『4』以降のプラーガ系や、『5』以降のウロボロス系を思わせる生物的な変異が強調されています。さらに中盤には、『7』に登場したファット・モールデッドを彷彿とさせるクリーチャーも登場するなど、特定の一作を再現するのではなく、『4』以降に培われてきたシリーズのクリーチャー表現を横断的に取り込んでいます。
プラーガ系のクリーチャー自体は、ミラ・ジョヴォヴィッチ版の実写シリーズにも登場しています。しかし、巨大クリーチャーや超人的なキャラクターが次々と現れる世界では、それも数あるモンスターの亜種という印象に埋没してしまいました。
対して今作では、人間側を徹底して弱くすることで、クリーチャー1体1体の異様さと脅威を際立たせています。つまり、今作が受け継いでいるのは特定の『バイオハザード』1本ではありません。
『4』以降の生物的でグロテスクなクリーチャーデザイン。『7』がシリーズへ取り戻した、人間が未知の存在に追われる根源的な恐怖。そして『アウトブレイク』のような、事件の中心ではなく、その傍らにいた一般市民から見たバイオハザードです。

そこに「バーバリアン」「ウェポンズ」でクレッガー自身が磨いてきた、「人間なのに何かがおかしい」という違和感や、理屈の通用しない存在が突然こちらへ向かってくる恐怖が加わっています。
だからこそ今作は、ゲームの設定やキャラクターを忠実に再現するという意味での「原作再現型」の映画化とは少し違います。むしろ『バイオハザード』というゲームを遊んだときに感じる、「この先に何がいるのか分からない」「武器を持っていても安心できない」「逃げるべきなのか戦うべきなのか分からない」というプレイヤーの感覚そのものを映画へ置き換えようとしているのです。
『4』以降のクリーチャー表現を取り入れながら、恐怖の作り方そのものは『7』以降のサバイバルホラーへの回帰に近い。この二つを、クレッガー自身の作家性によって一本につなげていることこそ、今作最大の魅力ではないでしょうか。
これで完結しても十分に成立していますし、あと1作程度なら、この世界の続きを見てみたいとも思わせてくれました。
Game*Spark レビュー 「バイオハザード」 Movie 2026年10月9日公開
キャラ映画から脱却、目指したのは何者でもない者の視点から描く、シンプルな“恐怖”
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GOOD
- 一般市民の視点だからこそ、武器を持ったところで全く安心できない緊張感はこれまでの映像作品になかった
- ゲームキャラに言及していなくても確かに『バイオハザード』の世界観だと感じさせてくれる
- 全力で走ってくる老婆はシンプルに怖い
BAD
- ゲームをあまりプレイしたことがなく、ミラ版「バイオハザード」のアクション性・スター性を期待すると“これじゃない”感がある
- かつてないほどに肉片が飛び散るゴア描写が多め(ある意味良い点でもある)
- 途中に登場するエージェントみたいな人が弱すぎる








