「フェイクニュースに踊らされず、勝手な想像に留めない」ジャーナリストが見た生のウクライナ情勢―藤原亮司氏インタビュー 4ページ目 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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「フェイクニュースに踊らされず、勝手な想像に留めない」ジャーナリストが見た生のウクライナ情勢―藤原亮司氏インタビュー

いちゲーマーにとっても対岸の火事とは言えない今回の侵攻について、3時間のロングインタビュー。

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「フェイクニュースに踊らされず、勝手な想像に留めない」ジャーナリストが見た生のウクライナ情勢―藤原亮司氏インタビュー
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ロシア軍の無差別攻撃と民間人虐殺

藤原:実際にロシア軍の攻撃を受けた場所としては、キーウ中心街から20~25kmほど離れた、ブチャとイルピンの状況を見ました。ブチャでは日本でもニュースになったように、多くの住民が殺害されました。取材に行った時点で四百数十人の虐殺が確認されていましたが、その後集団墓地が見つかったりして、確認された犠牲者の数はもっと増えているはずです。

撃たれた後にガソリンをかけられて燃やされた、家族と思われる六人のご遺体は見ましたし、撮影しました。

――やはり、ただの巻き添えなどではないように見えましたか?

藤原:警察当局によると、焼かれる前に全員が撃たれているとのことでした。銃撃戦に巻き込まれたのではなく、一人ひとり撃たれ、処刑されたのだと。

――場所や部隊によってさまざまではあるかもしれないですが、とにかく殺す必要のないはずの民間人を殺しているのは確実ということですね。

藤原:まあ、そうですね。ブチャに限らず、もっとキーウに近い市街地にもときどき砲弾やミサイルが撃ち込まれるんですが、そこは集合住宅だったり普通の住宅だったりで、周りに工場や軍事施設などない。そういうところを無差別に攻撃しているので、恐怖心を与えるためとか、被害を与えるためという以外に、目的はまったくないはずです。

――無差別攻撃をしてみせるのが目的だと。

藤原:そういうことになります。ブチャなどロシア軍に支配された町では遠方からの攻撃ではなく、歩兵がやっていることですから。また遠方からの砲撃やミサイル攻撃は、市街地の住宅地に落としているわけです。

――報道を聞く限り、民族主義者だと疑いをかけた後に殺しているとか、いやいや自転車に乗っていた老人をそのまま射殺した例があるとか、だいぶ無秩序な疑いがありますよね。

藤原:ドンバスなど東部や南部とキーウ周辺では状況は違うのかもしれませんが、少なくともブチャでは逐一尋問して、その人の素性を明らかにしてから殺すなどということは、やっていないと見るほかないです。

どのタイミング、どのような意図で虐殺を始めたかはもちろん分かりませんし、今後検証されていくかと思います。しかしロシア軍は当初、数日のうちにキーウに進軍していけると考えていたようなので、その目論見が狂った時点で住民の扱いについて「判断」があったのかと思います。

――ただ裏を返すと、ならばそんなところでわざわざ国際法上の非戦闘員を殺傷して騒ぎを起こさなくてもいいはずだとも、言えるには言えますよね? 略奪目的だとか、民族間の怨恨が動機になっていたりするなら、おのずと生じてしまうこともあると思いますが。ロシア軍にとってウクライナの市民を殺傷することにどんな価値があるんでしょう?

藤原:例えばですが、自分たちがもっとキーウの中心部に近づいていったときに、後方に敵性人物が残っていたら通報されるかもしれないですよね。

――すごく非常識だけれど、シンプルな「掃討」作戦であることもあり得ると。例えば恐怖を植え付けることで、ウクライナ市民に抵抗をやめさせる狙いがあったかもしれないということでしょうか。

藤原:抵抗をやめさせる狙いがあったかどうかは分かりませんが、恐怖を与えるという意味合いはあったと思います。

それと、ブチャのほうからキーウに進軍した部隊は、家々を回って「軽油やガソリンを差し出せ」と言っていたんですよ。つまり十分な補給もなかったんですね。最初の数日で侵攻作戦を完了するつもりでいたので、途中からは現地調達するしかなくなったんだと思います。

補給もおぼつかない部隊は士気が下がりますし、統率も取れなくなっていくんだろうなと思いますね。

――作戦継続上必要な略奪まで生じていたと。

藤原:すべての部隊がやっていたかどうかは分かりませんが、少なくとも一部の部隊は略奪や虐殺を行なっていた、ということだと思います。

――そうした事態を含む、この戦争全体が終息するとしたら、出口はどういう形があり得るか、落としどころはどうなると思いますか? ゼレンスキー大統領は10年でもやると発言したそうですが。

藤原:分からないですけど、いちばん分かりやすいのはプーチンの失脚ですよね。プーチンが失脚しないことには退きようがないのではないかと。プーチン自身はターゲットをドンバス地方に変えて、マリウポリ、クリミア半島を結ぶ回廊を作ることを目に見える戦果として、それで初めて退けるんだと思いますけど、ウクライナからしたらみすみす自分の領土を分捕られて負けを認めたことになるので、そこで戦争を終わらせるわけにはいかない。そうなると、どちら側にとっても落としどころがないわけですよ。

長引く惧れがあるとすれば、いったん今の状況で停戦して曖昧なままに問題を先送りするしかないんですけど、そんなことでウクライナが納得できるかというと、そうは思えない。ロシアもプーチンのメンツが潰れないように退くには、プーチン自身がその立場を追われるしかないように思えます。

――本来ならばミンスク合意(※)が守られるか守られないかくらいで、開戦前くらいがたぶんぎりぎりの均衡だったのではないかと思われますが。

※ここでは正確には第二次ミンスク合意。2015年2月、ロシアとウクライナに仲介国のドイツ・フランスを加えて成立した、ウクライナ東部地域での紛争についての合意事項。包括的な停戦やウクライナからの外国部隊の撤退、ウクライナ政府による国境管理の回復などを含むいっぽう、親ロシア派支配地域の幅広い自治権、いわゆる「特別な地位」を追って法で定めることも含まれており、その曖昧さと、ウクライナにとって履行困難な内容が懸念されていた。


藤原:うーん、そうですね。ミンスク合意破ったの、ロシアですけどね。

――ウクライナにおけるミンスク合意の履行、親ロシア派支配地域の扱いについて、ロシアはロシアで納得いかなかった部分はあるんでしょうけど、まあそれで軍事侵攻を始められちゃたまらないよというところですよね。ウクライナにとって簡単に呑める話じゃないことは最初から分かっていたはずですし。

藤原:実際戦争が起きてしまって、ウクライナは西側諸国の支援なしではもはや国を維持することができないことが分かった以上、ミンスク合意に戻りようがないですね。ミンスク合意に代わる、新たな線引きが生まれて初めて、協議の席に着く条件が整うという。

――ウクライナ側の感情としても、今はまだ停戦したいというよりも、追い返したいという気持ちが強い感じでしょうか?

藤原:そうですね。まずはロシアに侵攻を諦めさせ、自分たちが勝つということがあると思います。これだけ多くの人命が奪われ、生活が破壊されたわけですから。私が現地に行って考えを改めさせられたのは、ロシアの政府やプーチンに対する思いには激しいものがあっても、個々のロシア人に対してはさほど憎しみや、負の感情を持っていないんだろうと思っていたんですが、もはや普通のロシア人に対しても、以前のような感情には戻れないという人がたくさんいたことです。いろいろな人に聞きましたが、毎度似たような感じでしたね。

――そう聞くにつけ、どこかで止めないとという話ではあるのですが。

藤原:ロシア人の多くが、プーチンの言説を信じ込んでしまっているというか、ほかの情報が遮断されているので、ロシアの人はロシア国内で流れる情報を信じるしかない状態なんですけど、その状況が改善されない限りは、一般人の良いロシア人もクソもない、という感じでしょうね。ウクライナ人にとっては。

――旧ソ連時代のVOA(※)みたいに、息の長い形で西側からロシア国民に情報を流していくしかないんですかねえ? 「今の時代に?」という気もしますが。

※Voice of America。1942年に始まり、1947年に旧ソ連向けの放送も始まった、アメリカの国営ラジオ放送。娯楽も含めて西側の情報を広汎に伝えることで、旧ソ連における情報の閉鎖性を打破するための、西側による働きかけとしての側面を持っていた。


藤原:そうですね。まあ今の社会では情報は自分から取りに行くじゃないですか? 自分で選んで取りに行くからこそ、その範囲や内容が限られてしまうという部分もありますけどね。

――Game*Sparkでロシアのゲームデベロッパにメールインタビューして、今回の戦争に対する意見を聞いてみたところ、明確に反対の意見表明もあれば、無回答もありました。無回答の中には、賛成も含まれるのだと思いますが。

藤原:そこで反対意見を返してくれたのは、すごく勇気のある人だと思います。メールとか、全部見られていると思いますし。

ウクライナの地下鉄の駅に避難しているお母さんと子供に「お父さんはどうしたの」と聞いてみたんですが、「お父さんはロシアのフェイクニュースを信じ込んでしまって」という答えで、その家族は離れ離れで暮らすことなってしまったんですね。これは切ないなあと。もちろんウクライナ系ウクライナ人の家族ですよ。お父さんのほうはきっと、元々は権力側にいた人なんでしょうね。旧ソ連時代か親ロシア派が有力だった時代に。

――お父さん的には「ウクライナが悪いんだからしょうがない」ってことになるんでしょうか。フェイクニュースも刺さるときは刺さっちゃうんですね。

藤原:まあ、自分なりの大義とか観念とかに寄り添ったものを目の前に提示されると、それに飛びつきますよね。

他人事として時局を語ることの不謹慎さ、当事者性の問題

――では最後になりますが、今回のインタビュー企画を意識したとき、現地で見てきた中でこれは大切だと思ったことについて、ぜひ教えてください。

藤原:そうですね……。ブチャの街に入って行くときに、我々は警察主催のプレスツアーで行くしかなかったわけですけど、先ほど話したようにそのとき六人のご遺体を見たわけです。我々が行く前の夜に発見されて、その場に残されていました。もちろん、見せるために残しているわけですね。

宣伝のためという意味合いももちろんあるんでしょうけど、やはりこうした虐殺があったんだということを、いろんな国のいろんなメディアに記録してもらいたかったんだと思うんですね。

そうした記録を地道に残していかないと、この戦争犯罪がフェイクだデマだということでうやむやにされてしまいされかねないという危機感が、ウクライナの軍や警察にあったんだと思うんですよ。

――宣伝に対するカウンターの宣伝、という構図だけじゃなくて、そこは厳然たる事実として打ち出す必要があるのだ、と?

藤原:西側メディアは虐殺をことさらに取り上げて、ウクライナに贔屓目の報道をやっているという意見もあるんですが、これは残さなければならない記録だと思って、我々ジャーナリストは動いているんですよ。

ロシアにも言い分があるし、ウクライナにも言い分があるしというような「どっちもどっち論」は成り立たない。戦争というのは、どっちにも問題があって経緯があってということを問い出したら、誰もこの戦争を止められなくなってしまうんですね。だけど、これはロシアという強力な国家が、ウクライナに住んでいる無辜の市民を殺害している「殺人事件」です。殺人事件を裁くのに、歴史的背景とか殺人者にも言い分があるとかは、とりあえず語らなくていいはずなんです。

まずは目の前で起きている殺戮をやめさせる。そのためには効果的な宣伝をしながら、報道も使い、自分たちの軍を使って戦って、侵攻を諦めさせないといけない。

でも、報道でもそうですし、インターネット上で交わされる意見も、国際情勢だとか外交問題だとかやれ軍事の話だとか、理屈で、大きな話としてウクライナの人の生き死にを語っているのは、すごく危ういことだと思っています。これは決して大きな話ではなくて、ましてや当事者でもない人間が国際問題の一つ、外交問題の一環としてウクライナ情勢を語ることは、日々その中で暮らしている人々に対しての視点があまりにも軽すぎると思うんですよね。

藤原:ウクライナって誰でも行けるので(※)。ジャーナリストじゃなくても、援助団体の人じゃなくても。みんな行けばいい。このロシアの侵攻に関するウクライナ情勢に一言言いたい人はみんな行けばいい。自分の目で見て空気を感じてから何かを発信しては、という気分になります。

※2022年2月11日以降、日本の外務省はウクライナ全域の「危険情報」をレベル4とし「どのような目的であれ、ウクライナへの渡航は止めてください。また、既に滞在されている方は直ちに退避してください」とアナウンスしている。ウクライナへの渡航について、ここでは個々人の判断を前提にしている点に注意。


――ゲームであれ文学やその他の表現物がきっかけであれウクライナに関心を寄せる人は、とにかく自分の目で見たほうがいいと。

藤原:いくらカタログ上の知識があっても、それは現場に行けば覆されるので。実際にそこに行くことが難しいとしても、自分が分かっているにすぎない範囲の知識で人の生き死にを分かったように語るのは無責任すぎるかと思います。

ロシア軍に占拠された街から、命からがら逃げてきた親子、二人暮らしのお母さんと息子さんがいたんですけど、その人たちはロシア軍の目をかいくぐって逃げなければいけなかったので、着の身着のまま、身の回りの最小限のものしか持ってくることができなかったんですよね。

その人たちにインタビューして、36歳の息子さんに「何か大切な思い出の品を持ち出すことはできたんですか?」と聞いたら「いや、そんな余裕はなくて何も……」という答えでした。そうしたら隣にいた57歳のお母さんが息子さんの肩に触れて、「この子を」って言ったんですね。

命からがら、この息子と一緒に逃げることができたことが、自分にとってせめてもの救いだというようなことを言うわけですよ。すべてを失ったにもかかわらず。まあ、そういう声というのは、国際情勢の話にはたぶんまったく載ってこないですけど、これが戦争の日常の一コマなんだなと思いましたね。

――戦局とか国際情勢とかで何か分かった気になっちゃあかんと。

藤原:紛争地に何度も行っていますけど、行くたびに初めての体験なので。経験値なんて何の役にも立たないし、知識もそうですね。

――今回もやはりそうでしたか?

藤原:そうですね。自分は戦争のことをずっと取材してきて、戦争のことを知っていると思っているがゆえに、もし行かなかったらウクライナのことについて、思い込みで間違った理解をしていたと思います。同調圧力の話もそうだし、なぜ遺体を当局が見せる必要があるのかについても、その場でご遺体を自分で撮って、なんでこれを撮る意味があるんだと考えなかったら、たぶん思いが巡らなかったと思います。

取材したウクライナ人からは「ロシアに抵抗することで1000人が死ぬのか1万人が死ぬのか5万人が死ぬのか分からないけど、俺たちが抵抗している限り、ロシア人がウクライナ人を100万人殺すことはできない。だから抵抗をやめるのは、力に屈したことになるので、それだけは絶対にしたくない。抵抗の形がどんなものであったとしても」というようなことを聞きました。

――まずは当事者性について理解することから始めよう、ということですかね。

藤原:そうですね。いろいろ仕事の問題とかあるでしょうけど、もし興味を持ったら、機会を捉えて行けばいいと思います。ジャーナリストやNGOのものではない視点、例えば製造業の人とか飲食店の人とかいろんな業種の視点でこの出来事を見たら、もっと理解が深まるし、いろんな情報がきちんと伝わっていくんじゃないかなと思います。

――今回は貴重なお話をありがとうございました。


何が取材できて何が取材できなかったも含めて、現地に行ったジャーナリストならではの話題が次々に出てきた今回のインタビュー。情報の量が不足しているのではなく、むしろインターネットにフェイクニュースを含め雑多な情報や見解が溢れ返る中で、物事をどのように捉え、どう考えるべきかという点にこそ、きちんと現地を見てきた人からの傾聴すべき示唆があるように思いました。

可能な限り生の現実を見るべきだという意見はまったくもって正当ですが、なかなかに厳しい意見でもあります。とはいえ、ゲームとその業界をきっかけとしてウクライナのことが気にかかっているかもしれない我々ゲーマーにとっても、考えさせられる情報や論点を多々含む話であったはず。

今戦禍に苦しんでいるのも同じ人間であることを決して忘れることなく、現実に起きている物事をきちんと理解するにはどうしたらよいか。このインタビューをきっかけに考えてみてはいかがでしょうか。

5月20日にはインタビューに応じていただいた藤原亮司氏の現地取材報告会が開催される予定です。

ウクライナ リポート ~藤原 亮司 氏による現地取材報告会~

《Guevarista》
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