目に入る物理媒体だからこそ「思い出が紐づく」
ハル飯田:こうして色々と好きな要素を語ってきましたが、我々も置き場所問題には直面していますし、販売店としても在庫リスクがあるように、パッケージ版ならではのネガティブな要素とも向き合っていかなければなりません。
特に劣化や環境の不足は顕著で、僕も昔のタイトルは一応すべて置いてありますが、子供の頃のゲームソフトはとても万全とは言えない状態ですし、プレイできる環境が整っていないものもあって、「保存」できているかと問われると微妙なんですよね。

タカロク:劣化は割り切るしかないと思う一方で、ソフトを持っている意義や価値はちょっと薄れてしまいますよね。私は『ポケットモンスター 赤・緑』の世代でソフトもまだ持っているのですが、久しぶりに起動してみたらデータが消えてしまっていました。当時の自分がどんなポケモンを育てて、どんな旅をしていたかは結局自分で覚えているしかなく……。
ハル飯田:外部メモリーに保存できないゲームはそうなってしまうので、携帯機のソフトは影響が顕著ですよね。
Skollfang:そうなると“思い出のフック”としての価値を重視することになっていきますね。ただ、ここからゲームという文化そのものをアーカイブしていくためには、やはりパッケージが中心になると思います。
中には「開発側としても当時のデータがない」ケースもあるそうですし、レトロなゲームは自分の思い出とは別の角度で重要になってきています。
ハル飯田:確かに、今は自宅にRCAケーブル、いわゆる「三色端子」を繋げるモニターが無いので、ハードとソフトがあっても「思い出をディグれない」状態なんですが、レトロゲームとしての価値が出てきていますね。「ゲームセンターCX」でもWiiやPS3をレトロゲームとしてプレイするか、議論される時代になりましたから。
あとは“積みゲー”が文字通り積み重なっていくのもパッケージ版の醍醐味ですが、同時にデメリットとも言えますよね。僕は「この箱に入る分しか積まない」という自分ルールを設けているんですが、皆さんはどうでしょうか。
Skollfang:自分は、それこそ棚に並べていつも目に入るようにしておいて、区切りの良いタイミングで目があったゲームをプレイするようにしていますね。やっぱり楽しめるタイミングで遊ばないと作った人にも失礼なので。
ハル飯田:なるほど。自分はどちらかと言えば見える形で積んで自身に発破をかけている意味合いもあるので、また違ったアプローチで面白いです。タカロクさんはいかがですか?
タカロク:私はプレイするまでに、「このゲームをやった自分とやっていない自分、どっちがいいんだろう」って考えちゃいますね。皆さんもゲームに人生を変えられてこの職業をしていると思いますが、それだけゲームは自分に変化をもたらすものなんですよね。
今遊ぶことで自分の人生において良い影響があるのか、それとも悪い影響を与えるのか。どっちなんだろうとか考えながら選ぶ感覚です。
ハル飯田:それもまたユニークですね。これも少しパッケージからは離れてしまいますが、積んでいたゲームに向き合ってプレイして、それがちゃんと面白かった時はちょっと得した気持ちと言いますか、プラスアルファの気持ちが生まれますよね。
タカロク:ありますあります。やっぱりゲームと出会う最適なタイミングってありますし、それを探しているのかもしれないですね。
Skollfang:そういう意味でも、やっぱり物理のパッケージが目に入って常に頭の片隅にいてくれることが、一番良い出会いに繋がる効果があると思います。
ハル飯田:自分はDL版だと「買ったことを忘れてしまう」現象もあります(笑)。我々にとっては、パッケージの存在感が素敵なゲームとの出会いの後押しになっていますね。
今あるパッケージと、その思い出を大事にしよう!
タカロク:特典でも海外の話題を出しましたが、そもそもパッケージそのものも日本と海外でデザインが違うことを知って、よりその魅力を感じるようになったかもしれません。
印象的なのが、木村拓哉さんが主人公を演じられている『JUDGE EYES:死神の遺言(ジャッジアイズ)』で、私が「キムタクが出るんだ~」とミーハーな気持ちでプレイしたら素晴らしい作品だったので、アメリカに行った際に現地版の『ジャッジアイズ』を買いにいったんです。
日本では木村拓哉さんって時代のアイコンと言える存在で、国内版のパッケージにもバンと主人公が大きく描かれているんですが、海外版だと主人公が中心ではありつつも、全然違うデザインになっていて。「そっか、海外だとマーケティングも違うんだ」と感じられて面白かったですし、これ以外にも日本版と海外版でアートが異なるケースはたくさんあると思います。

ハル飯田:『ジャッジアイズ』は僕も初回版を買ってプレイした好きな作品ですが、ピエール瀧さんのモデルが使われている「もう手に入らないバージョン」なので、ちょっと貴重になりました。
Skollfang:ゲームはまだモデルや声優の差し替えで対応されますが、映像作品はそういった不祥事に伴って配信が停止されてサブスクでも観られなくなってしまうこともあるので、より「持っていて良かった」が強くなりそうです。
ハル飯田:これはちょっと特殊なケースですね(笑)。ただ、日本と海外の違いにはあまり目を向けてこなかったので、もっと調べたくなりました。
タカロク:パッケージ版がなくなることへの反響も海外の方が大きい印象ですし、ビジュアルを変えてまでアピールする価値があるほど熱量があって、だからこそ特典も豪華になっているんでしょうね。
Skollfang:そもそも、日本ではパッケージ版を買える店がなくなりつつありますよね。家電量販店の中の売り場はそうそう無くならないと思いますが、本屋と一緒になっているような小さな店はどんどん減っています。
タカロク:昔はゲーム屋さんもいっぱいあったんですがね……。パッケージを手に取りながら「どんなゲームだろう」と想像していくのが楽しかったです。
ハル飯田:楽しいですよね。もちろんDL版をストアで見るのも利便性はあるのですが、必ず評価が目に入るのが特性でもあります。評価が後押しになることもあるので絶対に嫌というわけではないのですが、どうしても先入観が生まれるのを避けられません。
Skollfang:「ゲームとの出会い」としては、やはりメーカーが用意した一枚の扉であるパッケージが最強だと思いますね。
ハル飯田:ゲームショップにとっても大きな転機になりそうですが、最後に我々パッケージ版好きライターが今後どう向き合っていくのか、未来について話し合いましょう。
僕は「パッケージアート画像だけ配布してくれたら、こちらで印刷してトールケースに入れて飾るのにな」と思っているのですが、難しいようなら自分でオリジナルパッケージをデザインして飾ることになるかもしれません(笑)。
Skollfang:それ、良いですね。私は既にパッケージとDLで使い分けをしているので大きな変化はないと思いますが……セールの頻度も高いDL版のシェアが加速していくと、中古市場は廃れていってしまうでしょうね。
ハル飯田:貸し借りも容易ではなくなりますね。実は学生時代に人から借りたまま僕のコレクションに並んでしまっているソフトもあるので、ちゃんと返さないと(笑)。
Skollfang:借りパクはダメですが、それもまたパッケージの文化のひとつでしたね(笑)。ただ、コアなファンが求める限りはパッケージはこれからもコレクターズアイテムとして存在していくでしょう。
ハル飯田:「初回限定版にはパッケージを同梱!」みたいなケースが出てきますかね。
Skollfang:あるでしょうね。既に任天堂ハードでも空箱がセットになるバージョンも登場していますから。

タカロク:インディーゲーム開発者にとってはパッケージ版を出すのがひとつの目標だと思うので、パッケージを出せるハードは少し強み・魅力になっていくかもしれませんね。
私個人としても(SIEの)発表当時は悲しくて残念だなという感情が渦巻いていたんですが、まだ再来年以降にそうなるという話なだけです。10年後には「やっぱパッケージが欲しいから戻そう」ということも起こるかもしれない、と今は前向きに考えています。
小さい頃に『FF』を遊んでいた人が今の『FF』を作る時代になっているように、作り手の世代交代も進んでいますので、いつかパッケージ大好きな人たちが復活させる流れにもっていくこともあるかもしれません。あまり悲観しすぎず、また面白いことが起きることを期待しながら、集められるパッケージは集めて生きていこうと思います。
ハル飯田:まずは「今あるパッケージ」を大事にしていこう、という結論ですね。
タカロク:ですね! その気持ちは強まりました。
ハル飯田:こうして思い出や魅力を語り合えたことで、自分もかなり前向きな気持ちになりました。何より、この座談会に向けて持っているパッケージを確認・整理する作業でさえもすごく楽しかったので、読者の方もぜひ自宅のパッケージ棚卸しで楽しんでほしいですね。
Skollfang:パッケージに紐づいている思い出、そして人との関わりも含めて大事にしていきましょう。















