キャッチコピーでみるゲーム史、第4回は「僕は、また、泣けるだろうか。僕は、まだ、泣けるだろうか。」です。PS2で発売された『ファイナルファンタジーX』『ファイナルファンタジーX-2』のリマスター版『FINAL FANTASY X/X-2 HD Remaster』のキャッチコピーです。
前回ふれたキャッチコピーの分類に従って見たとき、FFシリーズは「世界観(物語)を示す」ものが主流でした。本作は現在地から過去を振り返るという形で、「ゲーム性を示す」珍しいコピーとなっています。ちなみにオリジナルの『FF10』のコピーは「世界一ピュアなキス。」でした。
以前「JRPGの行方」という連載で『FF10』に触れたとき、これを日本のRPGの完成形のひとつとしました。全てのプレイヤーがほぼ同じ”観る物語”を体験し感動を共有することができた、最後の世代を象徴する作品が『FF10』だった、と考えました。
そこではまだ「泣ける」ことがRPGの究極の価値のひとつでした。
もうひとつ、本連載二回目の「エンディングまで、泣くんじゃない。」で、80年代末に、日本のRPGにおいて「物語ー感動ー名作」が一本の線でつながった、『MOTHER』を契機として、RPGで泣けることが認知されていったという書き方をしました。
翻って2013年。リマスター版の「泣けることへの憧憬」を示すコピーは、現在地からみてゼロ年代初頭の『FF10』においても「泣ける」ことが、名作と呼ばれるRPGの条件だった、ということを示唆してくれます。
「泣くんじゃない」で始まった、日本のRPGにおける「物語ー感動ー名作」という連関は『FF10』で終わった。「泣けるだろうか」がそれを表しているといえないでしょうか。
そしてこのコピーは、リマスターが、つねに懐古主義的に扱われてしまう現状も示しています(もっとも、これはゲームに限ったことではありませんが)。「また/まだ」というのは、かつて泣いたプレイヤーに対する言葉であり、新たに「世界一ピュアなキス」に出あうプレイヤーに対しての言葉ではありません。そして、「泣けるだろうか」という自問には、時を重ねたプレイヤー自身の変化とともに、RPGというジャンルの変化へのとまどいが隠されているような気がするのです。
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