
2025年も“シュールなゲーム”が多くリリースされました。とはいっても、“シュールなゲーム”とは正確にはどのようなゲームを指す単語なのか悩んだことはありませんか?『LSD』のような幻覚的ゲームを指す場合や、あるいは『Baby Steps』のように“なんとなく変な物”という感覚で使っている方も多いことでしょう。
この形容詞は元をただせば「シュールリアリズム(シュルレアリスム)」という芸術運動で、これが転じて、いつのまにか「奇妙奇天烈」を指すような「シュール」が使用されるようになりました。そして語源となるのが「シュルレアリスム」だと知っている方でも、「そもそも“シュルレアリスム”自体が意味わからん」という方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、論文発表で教授に「素人質問で恐縮ですが」と突っ込まれる程度の知識を持っている筆者が、ゲームという領域における“シュール”および“シュルレアリスム”について再考してみました。もちろん、「“シュールなバカゲー”は単語の間違った使い道だから正そう!」というめんどくさい話ではありません。しかしここであらためて「シュルレアリスム」を考えてみませんか?
◆リミナルスペースにシュルレアリスムを感じるという話。
さて、「シュルレアリスム」とは「超現実主義」という意味です。無意識などに目を向け、現実に囚われず“想像力の解放”を目指す芸術活動ですね。「ダダイズム」(無意味を目指す芸術運動)から派生し、「無意識を探究する」目的で生まれました。「アンドレ・ブルトン」という作家・詩人がフロイトの心理学から着想を得て、「シュルレアリスム宣言」を執筆したのが始まりです。
今でも様々な絵画や文学などの様々な芸術活動でそれらの影響を見ることができますね。ちなみに「シュルレアリスム」はフランス語表記、「シュールリアリズム」は英語表記です。
というのがざっくりとした説明です。しかし大阪中之島美術館の説明を一部引用するのなら「シュルレアリスムとは表現の様式をいうものではなく、前述の「高次のリアリティと、夢の全能性」への信頼に基づいた、あらゆる創造行為をさすものでしょう。(一部引用)」とも描かれており、かなり「この作品はシュルレアリスムだ」と断じていくのは難しいことです。よって本記事は安部公房という作家を研究する過程で「シュルレアリスム」にも触れた筆者の私見であるともご理解ください。
さて、話は逸れましたが絵画で有名なシュルレアリスム作家はサルバドール・ダリ。傾向としてはパブロ・ピカソなども挙げられます。日本で有名な所では、岡本太郎なども値するでしょう。小説家としては有名な所で筆者が好きな作家、安部公房などが候補とされますが、「安部公房がシュルレアリスム作家かどうか」はかなり“明言を避けられがち”なところです。前述の「高次のリアリティと、夢の全能性への信頼に基づいた、あらゆる創造行為」という引用を当てはめれば、安部公房はシュルレアリスム作家でしょう。
安部公房は間違いなくシュルレアリスムの信者で、初期の著作「壁」の一篇、「バベルの塔の狸」にて、ブルトン先生という“とらぬ狸”が登場するほどに傾倒していたのがわかります。しかし「壁」のような短編ならともかく、小説は詩や絵画と違って「感性でキャンバスに無意識をたたきつける」そして「理性を廃する」ことができないのです。安部公房が全ての作品においてどの程度理性を廃しているか、これが難しい。

筆者は、これはゲームも同じだと思っています。ゲームも創作の過程で「遊んでもらう」ことを意識します。ゲームでは“寓話的表現”、つまり「無意識を描写するため、概念を物体化させるなどの手法」は多いですが、「クリエイターの無意識を表現した」という要素はかなり入れづらいはずです。ゲームではそれこそ『LSD』あたりが「かなりシュルレアリスム“寄り”」としか言えないはず。

しかし“無意識の探究”として、筆者が注目を抱いているゲームジャンルがあります。それは「リミナルスペース」「精神的恐怖」のタグが付くウォーキングシミュレーターです。『POOLS』や『Dreamcore』などですね。

これらはシュルレアリスム作品ではありませんが、かなりシュルレアリスムに近い性質を持っています。なぜかというと、リミナルスペースは「多くの人間がなぜか無意識下で恐怖を抱いてしまう世界」を描くジャンルだからです。何も起こらないウォーキングシミュレーターでありながら「無意識下の恐怖」を描いており、個人の無意識を描写するシュルレアリスムとは違い、大衆の無意識をホラーとして描写しているのも“近くて違う”面白い点!
おぞましいものが一切なく、直接的な恐怖表現をしていないにも関わらず不気味で怖い。「リミナルスペース」はそもそもネット上から生まれていますが、今はSNSで大衆の無意識がとらえやすい時代なので、無意識の探求においては新しい形なのかも、とも邪推しています。

「リミナルスペース」ではThe Backroomsやプールなど共通のイメージが採用されがちですが、『Dreamcore』などは今なお続くアップデートで、様々な「リミナルスペース」を表現していますしね。直近ではホテルが追加されています。『Dreamcore』は2025年1月のゲームですが、今年1年でふたつのコンテンツが実装されたので、ちょっと離れていた方は再開してみてはどうでしょうか。
余談ですが、実はSteamの人気タグページには「シュルレアリスム」という言葉はありません。これは前述の「定義の難しさ」にあるでしょう。そもそも世知辛い問題として、今はインディーゲームが大量にリリースされる時代です。もしシュルレアリスム作品を作っているクリエイターがいたとしても、相当の完成度でないと知られることも少ないという課題もあるでしょう。
そして日本に目を向けると「シュルレアリスムに影響を受けた」と公言しているゲームでは『CultureHouse』などが存在しています。リリースはまだで、筆者は残念ながら試遊できていないのですが……これにもかなり期待が膨らみます。
きっと「リミナルスペース」などがもたらす「精神的恐怖」好きのゲーマーは、きっとシュルレアリスムも好きなはず。今後もそういったゲームが増えることを祈りましょう!
◆でも、バカゲーも“シュール”って呼んでいいじゃん!?

続いては「シュールなゲーム」について再考していきます。これは「よくわかんないけど奇妙で面白い」と言いたいときに使われる単語ですね! 誤用ではありますが、これももう立派な日本語と言えるでしょう。

筆者がシュールなゲームで真っ先に思い浮かべるのは『Goat Simulator』シリーズ! ヤギが愚かな人を物理演算的に好き勝手に舐めたり頭突きしたり、バカゲーここに極まるという作品ですね。筆者は『Goat Simulator MMO Simulator』の「MMOじゃなくてMMOシミュレーター」という馬鹿げた発想が好き。『Goat Simulator 3』も良かったですね。
ですが、本作は実にシュールですが寓話的でもないし無意識を描写してもいません。無意識描写の結果「ヤギを主人公にしよう!」となっていたのなら、ちょっと開発スタジオ「Coffee Stain」が心配です。

そして今年発売された『Baby Steps』もシュール。しかしこちらも無意識描写もなく寓話的ではなく、ただただ操作性が“シュール”なだけです。


日本発の作品においては『スゴイツヨイトウフ』や『ソーセージレジェンド・アリーナ』『ケツバトラー』もシュールですがシュルレアリスムじゃない枠に入るでしょう。漫画版「ケツバトラー」面白いですね!こういう作品群がシュールと言う名のバカゲーに区分されがちですが、正しく言うならば「シュルレアリスム」ではありません。「シュールな作品」です。
しかし個人的には『Goat Simulator』を“シュール”と言うな!なんてことは個人的には全く思っていません。事実、これらの「俗語としてのシュール」は日本において定着しています。
さらにいうならば、“シュールな作品”というものはブルトン先生の「シュルレアリスム宣言」以降にも存在していました。ダリやピカソに影響を与えた「シュルレアリスム以前に作られた、限りなくシュルレアリスムのように見える絵画」があるのです。それは1490年~1510年に描かれた、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」という作品。スペインのプラド美術館に所蔵されており、これは同じくスペイン出身のダリやピカソにも影響を与えたとされています。
これは天国(左側)、人間あるいは罪(中心)、地獄(右側)をそれぞれ描いた絵画ですが、非常に考察しがいがあります(正直に言うと筆者にはマジで訳が分かりません)。中心部分が人間の退廃的にも見える享楽とされていますが、「犬神家の一族」さながら湖に頭部を突っ込んでテンションあげている人や、巨大な貝に潜り込んでいる人もいます。どういう享楽なんだという話ですが、これはなんらかの「快楽」を象徴しているのでしょう。そして一番わかりづらいとされているのは、中心のオブジェです。

これを「自分の無意識下でこう見えるんだよ」とシュルレアリスム宣言以降に言うならわかりますが、それよりはるか前、無意識という概念すらない時代に描かれたわけです。当時の人はたいそう困惑したでしょう。ちなみにこれはボスの中でも異端な作品と言われています。まさにシュルレアリスムな作品でありつつ、(シュルレアリスム以前のため)そうではない「シュールな作品」の代表格です。
もちろん「快楽の園」は例題として偉大過ぎますが、きっと当時の人もこれを見て「シュールだなぁ」と感じたに違いありません。つまり“名状しがたい奇妙なものへの感情”はきっとシュルレアリスム以前にも存在していたわけで、これを感情表現として「シュール」と思う感覚は正す必要がなく、むしろ適切では? と感じるのです。
『Goat Simulator』をシュルレアリスム作品というなら「それは違うよ」と言わざるを得ないでしょうが、「このヤギ、シュールすぎる!」と感じる感覚は間違いではないですし、今更言葉狩りのように正していくのもおかしい話です。
「このゲームはシュルレアリスムだ」と断ずるのはかなり難しいですし、議論も巻き起こりますが、「この作品、シュールだね」と言うことはできるでしょう。(ちなみに自信がないときは「シュルレアリスム的要素が散見できる」とか言っちゃえばあまり怒られません!)
2026年もシュルレアリスムに影響を受けたゲームと、俗語としてのシュールな作品は大量に生まれるはず。無意識を探究したゲームや、無意識とか探究していないシンプルにお馬鹿なゲームが好きな方は、ぜひ「シュルレアリスム」が好きなのか「シュールなゲーム」が好きなのか、ぼんやり考えた上で遊んでみてはどうでしょうか!













