『NEEDY GIRL OVERDOSE』を手がけたにゃるら氏の新作『妹、他者、パラノイア』は、他者の内面を読み取り、ときには相手を自殺へと追い込むこともできるビジュアルノベルです。
過激な題材を扱いながら、本作が描こうとしているのは、単純な刺激や残酷さだけではありません。人は他者をどこまで理解できるのか。唯一心を許せる存在とは何か。そして、創作は人の孤独や絶望にどう向き合えるのか。
今回、にゃるら氏に本作の成り立ちや、主人公と妹の関係、ビジュアルノベルという形式を選んだ理由、自殺や自傷といった題材を描くうえでの考えについて話を伺いました。
――まず、自己紹介をお願いします。
にゃるら:にゃるらという名前で活動しています。インディー業界では『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームを作り、最近まで自分の会社でアニメの脚本や監修などをしていました。
今回は『妹、他者、パラノイア』という作品を自分で会社を立ち上げて作っています。アニメで言うならシナリオと監修のような形で作品全体をまとめています。
――『妹、他者、パラノイア』がどのようなゲームなのか、ご紹介ください。
にゃるら:完全に自分の手癖というか、絶対に趣味100%で作ろうと決めていたゲームです。大型のゲームを1回作った後にまた大型のゲームをすぐ出すよりは自分のすべてを出し切ろう。というところから始めた企画です。ラノベ作家の主人公がグダグダと言いつつ、他人の心が読める上に他人の事を自殺に追い込めるような過激なゲームで、自分の趣味のエログロ要素が強い作品です。

――タイトルに含まれる「妹」「他者」「パラノイア」は、主人公にとってそれぞれどのような存在なのでしょうか。
にゃるら:「他者」というのは特に説明が難しい要素で。ただ、このタイトルの意味だけでいうのなら言葉通りに受け取ってもらってかまいません。
主人公には妹という存在がいて、妹だけには心を許していて、その他の人間は「他者」です。
パラノイアという言葉には、主人公が見ているものが本当に正しいのか、それとも病による認識のずれや妄想なのか、という意味を込めています。タイトルどおりのことが作中で起こり、それがどのように進んでいくのかを見てもらえたらと思います。
――『NEEDY GIRL OVERDOSE』が大きくヒットしたことで、前作ファンから「次のニディガ」のような作品を期待される面もあると思います。そうした期待を、どの程度意識していますか。
にゃるら:本当に電波的なものを必要としていて、それによってしか救われない人たちが、ついてきてくれたらいいと思っています。
ZUNさんと東方Projectの関係が分かりやすいかもしれません。東方は非常に大きなコンテンツになり、さまざまな展開がありますが、原作を買う人数は常に一定だと話していたことがあって。
自分の作品も大きくなりすぎて、さまざまな層のファンがいます。その中でも、本当に電波的なものにしか救われない人たちは、僕がこれから何を作ってもついてきてくれると思うんです。まずは、その人たちへ向けて作り続けたい。
ライトなファンが求めていることに合わせて作品を作るつもりはありません。

――主人公を、他人の感情に敏感な神経質な作家として描いた理由を教えてください。
にゃるら:ゲームやアニメを作って、エッセイを書いてきたなかで、25歳くらいの頃に、周囲の人たちが「僕はもう創作をやめない」という前提で話していることに気づきました。
漫画の編集者からも、「今すぐ一緒に仕事をする予定はないけれど、どうせ30代のどこかで仕事をすることになるだろうから、数か月に一度は会おう」と言われたことがあります。それが嬉しかったんです。
創作が自分にとって生涯のテーマになっているのなら、趣味100%で作る作品の主人公を創作者にするのは、ある意味当然かなと思っています。
――『NEEDY GIRL OVERDOSE』の発表後、周囲の視線や本音に敏感になった経験は、本作へ影響していますか。
にゃるら:本作は『NEEDY GIRL OVERDOSE』のリリース後に企画したので、当時のさまざまな気持ちはかなり入っています。本音に敏感になったというよりは、ヒット後みんなが本心を言わなくなったことに敏感になりました。
作品がヒットすると、それまで微妙な距離感だった人が、自分を叩く側に回るのか、絶賛する側に回るのか、周囲とのバランスを見始めることがありました。
たとえば「メジャーに媚びた」「薬物はよくないというだけの作品だ」といった、実際にプレイすれば出てこないはずの批判を見た時には、「本心を言っていないのではないか」と感じました。友人だった相手が一つ抜けたことへの嫉妬など、別の感情があるのではないかと考えてしまう。主人公が新人賞を受賞した後の環境にも、当時の実体験がある程度反映されています。特に、2年ほど前までの自分に近いと思います。
――主人公の思考には、他人への軽蔑、嫉妬、被害妄想などが入り交じっています。どこまでがにゃるらさん自身の感覚に近く、どこからがフィクションとして作った人物なのでしょうか。
にゃるら:自分に近いと思われるだろうとは考えていました。作者として多少自己投影している部分はありますが、今の自分の感覚にはあまり近くありません。
主人公は18~20歳くらいなので、10年ほど前の自分の気持ちを意識しています。昔のことなので完全に正確ではありませんし、現在の考えとも違いますが、当時の自分のリアルはかなり入っています。そこにリアリティを感じてもらえたらと思います。
今の自分は、20代くらいのアニメアイコンの人たちから軽蔑や被害妄想をぶつけられることがあります。なぜこれほど感情をぶつけてくるのかと考えると、その人たちの中に当時の自分と共通する感覚を見つけることもある。それらを併せている気がします。
言う側だった頃の自分、言われる側になった今の自分、「自分もこう言っていただろう」と理解できる感覚が、すべてないまぜになっています。想像だけで書いている部分が少ないからこそ、リアリティがあるのだと思います。当事者であることが大事なのかもしれないですね。
――主人公には他人の内面が言葉として見えます。その言葉には、どの程度主人公自身の解釈が含まれているのでしょうか。
にゃるら:ゲームの根幹に関わるので、詳しく話すとネタバレになりますね。ただ、人の思考が読めたとしてもその人の感覚そのもの、いわゆるクオリアまではわからないと思っています。
「蒼穹のファフナー」というアニメにも、他人の思考を読める一方で、他人のクオリアまでは分からないキャラクターがいます。心が読めるのに、「空を青いと思ったことがある?」と尋ねるんです。
感情を察すること自体は現実でも察しのいい人ならできます。でも、相手が本当はどこまで深く考えているのかを理解することは難しい。その点は、本作のテーマの一つになっています。
――他人の悩みが見えることは、主人公の力であると同時に呪いにも見えます。「他者を理解すること」と「理解したつもりになること」の境界を、どのように考えていますか。
にゃるら:自分にはASDの特性があり、それと向き合いすぎたところがあります。以前は相手の立場を十分に考慮できず、相手がどれほど偉い人でも「間違っています」と言えてしまう一方で、相手が弱っていることに気づけないこともありました。
その後、ASDに理解のある先生のもとへ通い、相手を理解しようと強く考えるようになりました。もともと毎日文章を書いていたこともあり、相手を理解しようとすればするほど、気を使いすぎたり、過剰に適応しようとしたり、細かな機微を観察したりするようになってしまいました。
心が読めるとまでは言いませんが、自分の特性について学んだ結果、ある程度は相手を理解できるようになってしまった。それは自分にとって呪いでもあります。
人よりも、相手が悲しんでいることや、実は嫌がっていることへ過敏になったつもりです。自分が傷つかないために、常に相手の感情へ敏感になっている。それは呪いですが、その敏感さを文章にすることで、独特の読者がついてくれる。もろ刃の剣だと思います。
ただ、「理解すること」と「理解したつもりになること」の境界は非常に難しい。最終的に、人間を完全に理解することはできません。自分自身のことすら完全には理解できないように、人間には無数のグラデーションがあると思っています。
傲慢な人でも、常に傲慢なわけではなく、ある場面では意外な優しさを見せることがある。本人も意識していない部分まで含めると、簡単に区別することはできません。
だから、ADHDやうつといった言葉によるラベリングだけに囚われてほしくないと思っています。「自分はADHDだから集中力がない」と自称や自嘲を繰り返すことで、本当に自分をそういう人間だと思い込んでしまうこともある。自分自身を「理解したつもり」になりすぎてはいけないと思います。
――他人の内面が見えすぎる主人公にとって、妹だけが無邪気に安心できる存在として描かれています。なぜ、その救いを恋人や友人ではなく、妹にしたのでしょうか。
にゃるら:これはほとんど実体験に基づいています。自分は中高生の頃が一番暗かったんですが、中高の頃には引きこもっていたのでもちろん恋人もいないし、友人にも細かい悩みまではどうしても話せない。例えば自分の場合、母親の再婚となると友人ではどうにもならないので。
当時、美少女ゲーム全盛期ですし、ラノベも妹ものがすごく流行っていました。母親と二人きりの中で母親ではない家族を想像して、その子と一緒に遊んでいるという妄想をしてました。引きこもりだったので特に。それが基本的には妹という存在だったんです。
それは時とともに、特に上京したときに封印されたんですけど、やっぱりあのときの感覚を忘れたくないという思いが強いんだと思います。無条件で自分と一緒にいてくれる、血がつながっているからこそ、それが保証されているという存在への憧れは一人っ子なのもあって、ずっとありますね。

――テスト版をプレイさせていただいた中では、主人公は他人の内面を読める一方、妹の内面は覗いていないように感じました。これは意図的な例外なのでしょうか。
にゃるら:はい、意図的です。
他人の心が見えること自体が、ある程度不幸なことだと描いているので、唯一心を許す存在である妹の心を覗かないように主人公が一線を引いています。読めないのではなく、意図的に読んでいません。
――本作は構想を作ってから伝統的なノベル形式を選んだのでしょうか。それとも、最初からノベルゲームを作ることが目的だったのでしょうか。
にゃるら:最初からノベルゲームを作ることが目的でした。
実は、いっしょにNEEDYをつくったスタッフを中心に、ゲーム性のある別の大型作品もあります。大型作品と大型作品の間に、自分の純度が100%に近い作品を作り、一度自分をリセットすることが大事だと思っています。
――昨今のインディーゲームには、短時間で強い刺激を与えるような作品も多いと思います。本作では、じっくり読ませるビジュアルノベルの形式を選んだ理由を教えてください。
にゃるら:自分の中で2軸、作ってみたかったゲームがあって。前作でゲーム性のある美少女ゲームを作ったので、次はテキスト主体の美少女ゲームを作ろうと思いました。インディーゲームの流行とかテンプレをなぞる気は全くなかったんです。
ただそんなにプレイ時間が長いものにはならなくて。日常パートがどのくらい必要かを考えて削れるところは削っています。文章なので読み方にもよりますが、全体が5~8時間でクリアできるようになっていると思います。そういう意味ではインディーゲームらしいプレイ心地かもしれないですね。
――過去のnoteでは、「目と耳と指へ、文章だけでは到達できない感触を作る」と話されていました。本作における、ゲームだからこそ成立する要素はどこにありますか。
にゃるら:まず、ノベルゲーム自体が「目と耳と指」のものだと思っています。これは本作だけの話ではないんですが。
僕がビジュアルノベルや、いわゆる美少女ゲームに触れて感動したのは、文章にグラフィックと音楽を組み合わせ、その場面を最大限に盛り上げる、映画とも異なる文法の感動があったからです。僕たちが美少女ゲームに求めていたものを、自分たちでも作ることができた。そのこと自体に打ちひしがれていましたね。
もちろん、本作だけが新しく到達したものではなく、過去の作品が積み重ねてきた表現を踏襲しています。そのうえでUnityを使うことで、従来のビジュアルノベルよりも高い自由度で画面を動かせました。演出や美術にはかなりこだわっているので、そこは楽しみにしてほしいです。
今までのギャルゲーに慣れている人ほど、単に立ち絵が表示されるだけではないことに気づいてもらえると思います。
――本作は普段の画面がビジュアルノベルとしてシンプルだからこそ、冒頭にあった相手を追い込む場面の演出に大きな落差があると感じました。この静と動の演出について教えてください。
にゃるら:今回のゲームの作り方が、アニメのような絵コンテ方式なんです。Excelに文章を置いて、「こういう画面にしよう」というイメージを作って、そこに絵を貼っていきました。そうすると、静と動を作りやすいじゃないですか。アニメ制作を経験してよかったと思います。
映画、特に実写映画のような作り方として絵コンテ方式を取り入れたら、それは結構珍しいノベルゲームになるんじゃないかと。静と動や演出がいいと思われているところは、絵コンテの力だと思います。
――文章を読むだけでは成立しなかった演出には、具体的にどのようなものがありますか。
にゃるら:精神的な恐怖は、なかなか文字だけでは伝えきれないところがあります。五感を全部使って、今回は嗅覚などは使えないですけど、できる限り「もうクリックしたくない」と思わせたい。
自分はジャパニーズホラーが結構好きで、たとえば「リング」の監督たちの作品など、日常の地味な嫌さが連続していくところがすごく好きなんですよ。
そういうものを表現するのは“生活感”が必要で、文章だけだと難しい。それができる媒体がビジュアルノベルか映画だと思っています。それができていれば、僕らとしては成功だと思います。
時には「もうクリックしたくない」と思うくらい怖い場面もあるかもしれない。それはゲームならではのものですよね。映画と違うのは、受動的ではないところだと思います。
――実際に古典的なビジュアルノベルを作ってみて、遊ぶ側だった頃のビジュアルノベル観は変わりましたか。
にゃるら:以前よりさらにすごいものだと思うようになりました。
ビジュアルノベルの雰囲気は、背景、BGM、立ち絵の組み合わせで作られてると思います。『かまいたちの夜』や『雫』などを遊び直すと、それらの使い方がどれほど巧みだったのかが分かりました。
ホラーは結局のところ雰囲気がすべてで、雰囲気を出すのにはテキストだけでは難しい。音とか影絵を使ったりなど、細かな工夫を積み重ねて恐怖を煽っている。Unityのような環境がない時代の限られた手段であれほどの表現を作っていたことに、以前以上に敬意を抱きました。

――本作に直接影響を与えた作品はありますか。
にゃるら:本作を作るにあたっては特定の作品があるわけではないです。ただ、『雫』や『痕』のようなゲームが好きだったので、画面全体を使って文章を読ませるビジュアルノベルの感覚は、自分の中に染みついていると思います。
今回はキャラクターの好感度を上げて攻略するタイプのギャルゲではありません。文章を読みながら恐怖を感じるという、自分の原体験に近い作品になっています。
――過去のノベルゲームから受け継ぎたい要素と、現代に合わせて変えたかった要素を教えてください。
にゃるら:『さよならを教えて』のような作品は、キャラクターの精神を真剣に描いた結果として「電波ゲー」になったのだと思います。誰もが抱えている闇を正しく描こうとすれば、自然と電波的な作品になるというだけで。
『天使のいない12月』にも、リストカットや希死念慮など、心に傷を負ったヒロインが多く登場します。そういうのを描いた作品は、それぞれのテーマに真摯です。
本作にも何者にもなれない作家など、しょうもなさを抱えた人間が多く登場します。キャラクターらしさを優先するのではなく、現実に存在しそうな人間の内面へ真摯に向き合う姿勢を受け継ぎたかったんです。
一方で、過去の作品が当時の悩みを描いていたように、本作では現代のSNSや監視社会性を取り入れています。そこが過去の作品とは異なる部分です。
現代は、スマートフォンを通じて全員が数字を追い、全員が全員を監視しているような世界です。これは作品の主題そのものではありませんが、その無意味さや、そこから抜け出すことの意味は描いています。作品というよりは自分自身にとってのテーマかもしれないですけどね。
――本作では「妹」「他者」「自殺」といった主題に対し、それぞれ自分なりの回答を出したと話されていました。現時点で話せる範囲で、その回答について教えてください。
にゃるら:抽象的なので難しいのですが、他人を自殺させることができるという設定を通じて、自殺や自傷をなぜ描くのか、自分のなかで回答を出したかったんです。
『NEEDY GIRL OVERDOSE』でも、薬や自傷行為を扱いました。単に「薬物をやめろ」と言うだけでも、いたずらに楽しもうとする話でもなく、当事者として自分にしか出せない回答を、ゲームとアニメで提示できたと思っています。
今回も、自殺や自傷、そして創作というテーマに対して、自分なりの回答を出したつもりです。具体的には遊んでもらうしかありません。ただ、自分で自分を殺すということが、身体的な死も含めて、絶望だけを意味するものではないと願っています。
――自殺という重い題材を扱うにあたり、特に慎重になった部分を教えてください。
にゃるら:自分自身が長く希死念慮に引っ張られてきたからこそ、軽く扱わないようにしました。
「完全自殺マニュアル」という本があります。過激なタイトルですが、いつでも自殺できる方法があると示すことで、「逃げ場がある」と思わせて気持ちを楽にする意図もあったのだと思います。
自分たちも自殺へ真摯に向き合い、死にたくなる気持ちにもさまざまな形があることをリアルに描けたなら、それが誰かの救いになるかもしれない。そうありたいと思っています。
――『NEEDY GIRL OVERDOSE』では、オーバードーズや自傷を扱うことへの懸念や批判もありました。それらをどう受け止めましたか。
にゃるら:アニメの時にも、「オーバードーズはよくない」「リストカットはよくない」「病んだ女の子を見せ物にするのはよくない」という意見がありました。
ただ、それを言う人たちは当事者ではないのではないか、と感じることもありました。まず、なぜその人が手首を切るのか、なぜオーバードーズするのか、当事者に話を聞かなければいけないと思います。
現実に生きていけないほどつらく、現実を忘れるためにオーバードーズした人へ、ただ「やめろ」と言っても、別の自傷行為へ移るだけかもしれません。それでは本質的には意味がない。
行為だけを止めるのではなく、その背景にある苦しさを見なければいけないという回答を、アニメでは出したつもりです。そう考えられるようになったことは、自分の成長かもしれません。

――他人の悩みをグロテスクに描くうえで、自分自身の見たくない部分と向き合うことはありますか。
にゃるら:かなりあります。毎日エッセイを書いていますし、『NEEDY GIRL OVERDOSE』ではあめちゃんという形で、自分の見たくない部分を書きました。
自分の見たくない部分を書くことは、自分への罰として続けなければならないことだと思っています。現在はカウンセリングも受けていて、そこでもカウンセラーを通じて、毎日自分の見たくないものと向き合っています。それ自体が一つの自傷行為なのかもしれません。
次の作品も、グロテスクすぎると批判されるかもしれません。それでも、そこまで含めて自分だと見せることが、壮大な自傷行為であり、作家性なんだと思います。そんな人間がいてもいいし、それによって救われる人もいるはずです。救いのない暗いものしか見たくない人もいると思っています。
制作チームのメンバーからも、「暗い話で主人公がネチネチとしていないと感情移入できない。読者としてこのゲームが好きだ」と言ってもらえました。そこが成功しているなら、まずはよかったと思います。
――映像や小説ではなく、改めてビジュアルノベルという形式を選ぶ意味を、どのように考えていますか。
にゃるら:自分の創作の原点が美少女ゲームなので、自分で作らなければ分からないことを取り戻しに行く必要があると思いました。
今回の作品は、インディーゲームの中でも制作費がかなり小さい方だと思います。もちろん、自分が大量に稼働しているから成り立っている面もあります。それでも、自分の純度ができるだけ高い作品を出してみたかったんです。
アニメは、よくも悪くも多くのアニメーターやスタッフそれぞれの個性に引っ張られます。本作も、お久しぶりさんのイラストやAiobahnさんの音楽、プログラムや演出を担当するメンバーの力で作られていますが、それらを監督し、一つにまとめているのは自分です。監督として、自分の色を強く出せた作品になっています。
このビジュアルノベルが世間にどう受け入れられるのか、自分のファンが多い中国やアジア、その他の海外でどう受け取られるのかは、実際に出してみなければ分かりません。反応を受けて初めて、この形式を選んだ意義が分かるのだと思います。
――新しく会社を立ち上げ、自分たちで作品を管理する体制にしたことで、どのような自由を得られましたか。
にゃるら:かなり自由になりました。創作は、関わる人が多くなるほど動きにくくなり、不要なしがらみも生まれます。制作体制を最小構成にできたことは、とても大きいです。
クリエイターがどこかのタイミングで独立する理由も、今はよく分かります。現代では、クリエイター自身がプロデュースや宣伝を行い、お金を回すこともできます。一人の人間が、監督兼プロデューサーとして立ち回れる時代です。
クリエイター個人の力が、以前よりもさらに強くなっていると感じます。自由で楽しいですし、金勘定だけを行う人が減っていくことは、業界にとってもいいことだと思っています。

――今回はシナリオだけでなく、ディレクターも担当しています。文章、絵、音楽、実装を一つの作品にまとめるうえで、難しかった判断はありますか。
にゃるら:難しい判断の連続でした。自分は映画が好きですが、映画は総合芸術です。総合芸術では、すべての要素のバランスを考えなければいけないじゃないですか。
自分の文章だけをひたすらよく見せればいいわけではないと思っていて。ここでは音楽を際立たせよう、といった感じに全体のバランスを考える必要があるというか。
ただ、それが本当に楽しかったんです。難しく、大変ではありましたが、苦痛ではなかったです。むしろ、これからもどんどんやりたいと思いましたね。
――海外パブリッシャーとしてSerenity Forgeと組んだ理由を教えてください。
にゃるら:Serenity Forgeは『Doki Doki Literature Club!(ドキドキ文芸部!)』や『Slay the Princess』などをパブリッシングしています。先方が自分のことを非常に気に入ってくれて、「あなたと組み、海外でさまざまな活動をしたい」と言ってくれました。そこまで言ってもらえるなら、一緒にやりたいと思いました。
海外のファンへ届けるうえで助けてもらえることも多いです。また、企画側の人間が増えすぎてクリエイターが動きにくくなった問題も理解しており、こちらの自由とクリエイター性を尊重すると約束してくれました。
今後、企業と組む必要がある場合も、確実にクリエイターを尊重すると約束してくれる相手と仕事をしたいと思っています。それができるようになったのは、自分が独立し、さまざまな経験を積んだからだと思います。
英語圏でもビジュアルノベルは愛されていますが、中国やアジアに比べると、まだ届きにくい部分があります。日本語と英語では、翻訳の過程で互いの言語の良さが失われやすく、翻訳者の力量が強く問われます。
それでも、増えてきた英語圏のファンへ「こういうゲームもある」と届けたい。これをきっかけに、ビジュアルノベルを遊んでみようと思う人が増えたら嬉しいです。
――テストビルドを読むなかで、妹は主人公にとっての救いにも見えました。最終的に、本作は救いのある物語になるのでしょうか。
にゃるら:それが救いかどうかは、プレイしてから考えてほしいですね。そこは詳しく言わない方がいいと思っているので。
――プレイヤーがゲームを閉じた時、どのような感情が残れば成功だと考えていますか。
にゃるら:「創作とは何か」「芸術とは何か」ということを、ゲーム本編で問われているテーマだけでなく、演出も含めて感じてもらえたら嬉しいです。
今回は総合芸術として作品を作り、美術にも非常にこだわっています。その美術がもたらす力が余韻として残るなら、大成功だと思います。
――最後に、プレイヤーへメッセージをお願いします。
にゃるら:自分をエッセイなども含めて、人間として追ってくれている方には、期待を外さない作品になっていると思います。
本作には、自分にとっての息抜きという面もあります。だからこそ、片肘を張った大作ではなく、「いい読み切りを読んだ」と感じてもらえるような作品を目指しています。
「この人が少し気になるから、読み切り漫画や短編を一本読んでみよう」くらいの気持ちで手に取ってもらえたら嬉しいです。
――ありがとうございました!
お久しぶり氏にテキストインタビュー!
ここまで、企画・シナリオ・ディレクションを担当したにゃるら氏に、『妹、他者、パラノイア』で描いた他者への恐怖や妹との関係、作品に込めた思想について聞いてきました。
そうした物語をビジュアルとして形にしたのが、アートワークを担当するイラストレーター・お久しぶり氏です。『NEEDY GIRL OVERDOSE』でもキャラクターデザインを手掛けた同氏は、本作で幻想的な妹だけでなく、これまでの活動では比較的珍しい男性キャラクターも数多く描いています。
ここからはお久しぶり氏へのテキストインタビューを通じて、本作のキャラクターが生まれるまでの過程や、にゃるら氏の世界を絵へ落とし込む際に意識したことを訊きました。
――まずは自己紹介をお願いします。現在の主な活動内容や、これまでに手掛けた代表的なお仕事についても教えてください。
お久しぶり:お久しぶりと申します、キャラクターデザインやグッズイラストなどにを主に活動しています。
――本作『妹、他者、パラノイア』では、どの範囲のビジュアル制作を担当されているのでしょうか。キャラクターデザイン、立ち絵、イベントCG、キービジュアルなど、具体的な担当範囲を教えてください。
お久しぶり:キャラクターデザイン・立ち絵・キービジュアル・イベントCG、ほぼ全部ですね!
――本作への参加が決まった経緯と、にゃるらさんからどのようなオーダーがあったのか、教えてください。
お久しぶり:またゲームを作ろうという~とお誘いを受けて参加しました。
――最初にシナリオや企画を読んだとき、本作をどのような作品だと捉えましたか。また、それを絵で表現するうえで意識した感情や感想、キーワードがあれば教えてください。
お久しぶり:ちょっとグロいけど耽美なのかな。
――妹の外見について、特にこだわった部分を教えてください。髪型、表情、服装、体格、色彩などに、彼女の才能や孤独、兄との関係を反映した要素はありますか。
お久しぶり:他のキャラと並べてみたときに特別な感じがするように描きました、幼い子ですが目がちょっとセクシー。兄とは目の色くらいしか似た要素がありませんね…

――これまでのお久しぶりさんのお仕事では、女性キャラクターの印象が強い一方、本作では主人公をはじめとした複数の男性キャラクターも手がけられています。男性キャラクターをまとまった形でデザインすることに新鮮さや難しさはありましたか?
お久しぶり:男性キャラクターデザインは1年に1回あるかないかなので変にテンションが上がっていました。特に描き分けが難しかったです。
――女性キャラクターと男性キャラクターでは、魅力を感じさせるために重視する部分やデザインの進め方などに違いはありますか?
お久しぶり:やっぱり目なのかなと思います。
――他者について、主人公を苛立たせる人物たちとの交流になるとにゃるらさんが書かれていましたが、デザイン面で特に気にした部分はありますか。
お久しぶり:半分以上不機嫌そう!
――本作は、立ち絵と背景、テキストを中心とした古典的なビジュアルノベルの画面が印象的です。近年のゲーム的な華やかさを加えるのではなく、このシンプルな形式に合わせて絵を描く際、どのような点を意識しましたか。
お久しぶり:今作は普段より少し色も線画も濃いかもしれません、描きこみも少なめですね。
――本作のビジュアルで、特に「ゲームとして動いている状態で見てほしい」と思う部分はどこでしょうか。静止画だけでは伝わらない、テキストや音楽、操作との組み合わせについても教えてください。
お久しぶり:ネタバレになりそうですが追い詰めるときの選択肢の演出。あとは画面の枠がキャラクター事にデザインが違うのがおしゃれで好きです。
――にゃるらさんからはキャラクターデザインの際、どの程度具体的な指定があり、どの部分をお久しぶりさんの判断で膨らませていますか。
お久しぶり:文章とイメージする画像を大量にまとめた指定書が届きます。それを元に自由に描いて見せて修正してすり合わせます。
――にゃるらさんから提示されたイメージに対して、「絵としてはこちらのほうが伝わる」と、お久しぶりさん側から変更や提案を行った部分はありますか。
お久しぶり:沙華の髪飾りがそうですね、最初はヒガンバナをリクエストされましたが複雑な形なので髪飾りだけ浮いてしまうので別のデザインになりました。

――初期案から大きく変化したキャラクターや、採用されなかったデザイン案はありますか。公開可能な範囲で、その変化と理由を教えてください。
お久しぶり:パパとママ。子供たちと似てなさすぎたため変更されました。
――『ニディガ』の世界的なヒット後に、再び新作の主要キャラクターを手掛けることへの期待やプレッシャーはありましたか。また、「次の超てんちゃん」を期待する視線は、デザインに影響しましたか。
お久しぶり:全く別のジャンルのゲームなので特にありませんでした。
――本作のキャラクターの中で、デザインや作画の過程で最も印象が変化した人物は誰でしょうか。
お久しぶり:冷川くん。
――発売後、プレイヤーから妹やほかの登場人物へ、どのような感情を向けてもらえたらうれしいですか。
お久しぶり:みんな同じく愛されてほしいです。
――最後に、プレイヤーへ一言お願いします。
お久しぶり:楽しんでください~~。
――ありがとうございました!
『妹、他者、パラノイア』はPC(Steam)向けに8月15日発売予定です。











