「ゲーム会社の社長になりたかった少年が、なぜかパソコンを創る会社のトップになった」。そう笑って語るのは、2025年2月にサードウェーブの取締役 社長執行役員最高執行責任者に就任した永井正樹氏です。かつて秋葉原の「DOS/Vパラダイス(現ドスパラ)」に一人のショップスタッフとして足を踏み入れ、店長、購買、経営企画と現場の最前線をすべて駆け抜けてきた、まさに“叩き上げ”の体現者といえます。
そんな現場主義の経営者である永井氏は、インドにおける70名規模のAIエンジニア採用という戦略を打ち出しました。「凡事徹底」という組織の基本を掲げる一方で、AI活用に向けて世界を見据えた投資を進めています。少年時代の原体験から、現場で培った経験、柔軟な展望まで、その歩みと経営の考え方について伺いました。

MSXで目覚めた「作る楽しさ」
――まず、永井さんご自身のことから伺います。ゲームやパソコンとの出会いはいつ頃でしたか。
永井:小学生の頃からですね。鳥取県の自然の中で育ったので、釣りや少年野球もやっていましたが、ゲームも好きでした。ファミコンは家になかったので友達の家でプレイしていたんですが、一方で、別の友達の家にはパソコンがあって、アドベンチャーゲームを一緒に謎解きしながら遊んだりしていました。そのパソコンはシャープのMZ-1500でしたね。
――ご自身で最初にパソコンを手に入れたのは?
永井:MSXです。12~3歳の頃、親に買ってもらいました。ゲーム機は買ってくれなかったのに、なぜかパソコンは買ってくれた(笑)。それからはBASICでずっとプログラミングしていました。はじめは雑誌を見て打ち込んで、改造して、そのうちゼロから自分で作るようになって。ドット絵も自分で打ち込んでいました。作って動くのが面白かったんです。
あの頃は漠然と「ゲーム会社の社長になりたいな」と思っていました。ゲーム会社の社長じゃなくて、ゲームのハードの社長になっているとは思いませんでしたけどね(笑)。
――高校時代にはパソコン同好会をご自身で立ち上げたそうですね。
永井:ええ。学校にパソコン関係の部がなかったので、先生にお願いして自分で立ち上げました。文化祭のときには自作ゲームを展示して、来場者にプレイしてもらったりもしましたね。テーブルトークRPGも友達とよくやっていました。
SE退職から秋葉原のショップ店員へ
――高校卒業後はシステムエンジニアとして東京に出られたそうですが、3年で辞められています。どういった経緯だったのでしょうか。
永井:高校に来ていた求人の中で、先生に薦められた東京のIT企業にSEとして入社しました。すごくいい会社で、上司も人に恵まれて、教育もしっかりしていた。ただ、5年後、10年後を考えたときに、自分がどこまでこの会社で大きな仕事を任せてもらえるチャンスがあるかなと考えると、確率は高くないなと。やるからには認められて、もっと大きなことをやりたいという気持ちがあったので、外に出ようと決めました。

――そこから秋葉原のショップ店員に転身されたわけですね。
永井:3月末までは在籍すると決めて、有給消化の間に次を探しました。当時の求人誌で「秋葉原のパソコンショップ店員募集」を見つけて、給料も悪くないし受けてみようかと。DOS/Vパラダイスの面接に行ったら、店長にその場で「いつから来れますか」と聞かれて即決でした。
――特にショップ店員を目指していたわけではなかった。
永井:決めてなかったです。好きなIT方面でやりたいとは思っていましたが、出たとこ勝負で1社目に受けた会社でそのまま決まった。運命ですかね。
――それまでずっとソフトウェア側にいらっしゃったわけですが、ハードウェアの知識面では苦労されませんでしたか。
永井:全然分からなくて苦労しましたね。当時はまだNEC全盛の時代でDOS/V(1990年代初頭に日本で普及したパーソナルコンピュータの規格)パソコンなんてほとんど普及していなかった。「BIOSって何だ」という状態からのスタートです(笑)。2カ月ほど苦労しましたが、先輩だけでなくお客さんにも教えてもらいながら基本知識がついてくると、あとは大丈夫でした。
――入社してからの昇進スピードが驚異的ですね。1年で店長、2年で課長、3年で部長と。
永井:引き上げてもらいました。ただ、慣れた頃に「今度こっちやれ」と別部署に異動させられるんです。購買で部下を見ていたのに、急に一人部署で予算管理をやれと言われて「左遷かな」と思ったこともあります(笑)。でも創業者は詳しく説明してくれないから、ドキドキしながらやるしかない。今振り返れば、社内のさまざまな仕事を経験させてもらえたことが、複眼的にものを見る力につながっていると思います。
「凡事徹底」と組織づくり
――社長就任後に「当たり前のことをやろう」と社内に伝えられたそうですね。「凡事徹底」というメッセージに込めた思いを聞かせてください。
永井:凡事って忘れちゃうんですよ。凡事ですから。でも、やろうと思えばできることですよね。それを徹底してやったら、凡事でもすごいことになる。挨拶をする、「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと言う。一つ一つは当たり前のことだけど、その一つ一つをおろそかにすると組織の関係は壊れていく。チームで仕事をしている以上、そこがベースだよ、と。

――コロナ後に対面勤務へ戻されたとお聞きしましたが、同じ考え方からですか。
永井:はい。コロナ禍では社員の安全を最優先にしましたが、落ち着いてきたらフェイス・トゥ・フェイスに戻すべきだと判断しました。文字だけだと、こちらの意図が正確に伝わらないことがある。相手がどう受け取ったかも分からない。表情を見ていれば「ああ、伝わっているな」と分かりますが、テキストだと納得しているのかしていないのか、まるで見えないですから。
――「行き止まりまでやり切れ」という考え方もお持ちだと伺いました。
永井:80%しかやっていないのに「ダメでした」と言われても、残りの20%に大逆転があるかもしれないじゃないですか。100%やらないと、本当に道がなかったのかあったのかは分からない。だから「突き当たりまでやった結果なのか」「他にこういう方法は試したか」は繰り返し確認します。努力の量や負荷の話ではなく、可能性のルートをすべて検討したかという話なんです。
ブランド認知の課題と戦略
――コアゲーマーにとってGALLERIAの知名度は圧倒的ですが、「サードウェーブ」という社名の認知度には課題があると以前から挙げられていました。ここは本気で変えにいくテーマなのでしょうか。
永井:大いに感じています。特に法人のお客様に当社の製品をご利用いただくためには、社名の認知が欠かせません。うちは個人向けの小売を中心に成長してきた会社なので、法人の担当者に「サードウェーブ? 聞いたことないな。どこの会社?」と思われたら選択肢にすら入らない。だから昨年からテレビCM、駅広告、タクシー広告を展開して、国内工場で生産している日本企業であることを伝える取り組みを始めました。
――手応えはいかがですか。
永井:販売代理店さんから「認知が広がっている」という声をいただけるようになりました。今年の新入社員の入社式でも、ある子が「サードウェーブという会社を受けると親に話したら『あ、今CMやってる会社ね』と言われた」と教えてくれた。伝わっているな、と実感しましたね。
――御社には、二つのPCブランドがありますね。社名を冠したPC サードウェーブと、ハイパフォーマンスPCを謳うGALLERIA。このふたつはどのような位置付けですか?
永井:そもそも目的が違うんです。サードウェーブのBTOパソコンは、お客様がやりたいことを幅広く叶えるもの。GALLERIAは、ゲームやクリエイションなど特化した目的に対して、最適な環境と動作検証を保証するブランド。お客様の用途によって選び方が変わるので、それぞれの立ち位置を明確にしているという考え方です。
eスポーツ支援とゲームメーカーとの共創
――eスポーツ施設「LFS」の運営や高校生選手権の支援など、市場づくりへの投資を長年続けてこられました。手応えはいかがですか。
永井:我々はただパソコンを販売するだけでなく、市場そのものを広げていかなければ世の中に広がらないという思いを持っています。「LFS池袋esports Arena」は、高性能PCで気軽にeスポーツを楽しめる環境の提供や、多くの方が集う大会・イベントの開催を目的として開設しました。その後、同様の機能を持つ施設が各地に増え、当初掲げた役割を果たしたことから運営を終了しましたが、高校生選手権への支援や地方での小学生向けイベントは今も続けています。必ずしも成功するとは限らないけれど、可能な限りやっていこう、というのがスタンスです。
今年の新入社員に、うちが支援している高校選手権で優勝したチームのメンバーが入社してきたんです。ものすごく嬉しかった。以前面接を担当していた頃も、「ドスパラで一から教えてもらった」とか「選手権で機会をもらったから、社会人になって恩返しがしたい」と言ってくれる子がいて……涙が出ますよね。
――ゲームメーカーとの関係について、この先どのようなことを考えていますか。
永井:たくさんのメーカーさんに当社のパソコンをご利用いただいていますし、いい関係を築けている企業さんは多い。動作検証や最適な環境の保証は引き続きやるとして、一緒にイベントをやるなど掛け算になる取り組みにはどんどんチャレンジしたいです。同じお客様のために仕事をしている仲間ですから。

インドから70人採用、AI時代への布石
――今後3年間で50億円規模のAI事業投資を打ち出し、インドのANNA大学を中心に70名のエンジニアを直接雇用されました。この大きな舵切りの狙いを教えてください。
永井:我々はAIフェスティバルや各地でのハッカソン開催、アートグランプリの支援などを通じて、AI分野の市場づくりに取り組んできました。その中でLLMの進化を目の当たりにして、「この波は本気で世の中に広がる」と確信したんです。そうなったとき、我々自身が遅れてはいけない。
ゲームにしても何にしても、当社の社員が「その世界が好きで、広げたい」と思っているからこそお客様にご支持いただけてきました。AIでも同じことをしなければなりません。ただ日本ではAIエンジニアの新卒の数が限られていて、大手や有名スタートアップとの獲得競争が激しい。もう日本だけ見ている場合じゃない、と。ITといえばインド。縁あって現地との接点ができ、実際に行ってみたら優秀な人材がたくさんいた。結果として70人を採用しました。
――社内の反応はいかがでしたか。
永井:みんなびっくりしたんじゃないですかね。「何が始まったんだ」と(笑)。
――インドのエンジニアたちはなぜ日本を選んだのでしょうか。
永井:アメリカのテック業界はレイオフなども増えていて、以前ほど安定した選択肢ではなくなっている。一方で日本は安全で清潔で、ゲームやアニメが好きな人も多い。日本語がある程度話せる子に「なぜ日本語ができるの」と聞いたら「『ドラゴンボール』を見て覚えました」と(笑)。
――現在、彼らはどのような業務を担当しているのですか。
永井:まずしっかりとした教育研修からスタートして、ようやく試作的に何かを作り始めた段階です。目指しているのは「社内のAX(AIトランスフォーメーション)です」。展示会に並んでいるようなAIソリューションは、外注すればできます。でも当社はすべて自前でやる方針です。「この業務領域ならAIで省力化できる」「深掘りできる」という領域を見つけて、仕組みを作り上げ、精度を上げていく。外部向けプロダクトを出す段階ではなく、まずは足元の業務変革からです。
――永井さんは学生時代からプログラミングに携わってきました。そうしたものづくりとも言える行為がAIに取って代わられることに寂しさを感じるようなことはありますか。
永井:AIが情報をまとめてくれたり、引き出しを開いてくれたりする分、もっと広い範囲で想像力を働かせなければならない時代になっている。寂しいどころか、むしろ楽しいですよ。ダイナミックに考えられるようになった。AI活用で浮いた時間は部下とのコミュニケーションに充てています。むしろAIがあってよかったです。
――「コミュニケーションが大事」とおっしゃる一方で、AIが進めば誰ともしゃべらなくても何でもできるようになりかねません。チームで働くことと、AI活用のバランスはどうお考えですか。
永井:データ分析はAIが圧倒的に優れています。いい点も悪い点も見つけてくれる。でも右に行くか左に行くかの決断とその責任は、AIではなく我々が負う。新しい出店候補地の最終判断だって、データ上は良さそうでも、実際に現地に行って人の流れや雰囲気――熱とか、空気とか、声とか、香りとか――を肌で感じないと「大丈夫だ」とは言えません。行くのと行かないのではまったく違うんです。

パソコンを通じて届けたい「楽しさ」
――社名の由来でもある「第三の波」でアルビン・トフラーが提唱した「プロシューマー」(生産消費者)が、配信者や同人クリエイターという形で現実になりつつあります。生成AIが当たり前になっていく中で、この先「プロシューマー」の形はどう変わっていくとお考えですか。どういう人たちが出てくるのでしょうか。
永井:「今までできなかったけど、やれるようになったからやってみよう」という人がこれからもっと増えるはずです。アウトプットする力がなくても、見て、聴いて、「いい」と感じられるセンスを持ってさえいれば、クリエイターになれるチャンスのある時代になっている。だから、もっともっと盛んになるんじゃないかなと思います。
サードウェーブとしては、その方々の可能性を少しでも広げられるということに貢献できたらいいかなと思います。
――世界情勢や為替の影響もあり、PCやパーツの価格が高騰しています。ユーザーにとっては手が出しにくい状況もあるかと思いますが、この点はどうお考えですか。
永井:市場の変化は受けざるを得ないので、部材の価格変動も為替の変動も、どうしても影響を受けてしまう。ただ、こればかりは分からないので、その時々でベストを尽くして、いいものを安く調達して、サポートもしっかりした上で適切に販売していくしかないのかなと思います。商品を買いづらくなるのは望んでいることではないですが、我々がモノの法則を止められるわけでもないので。やれることをやるしかないですね。
――最後に伺います。パソコンを通じてユーザーに手渡したい「楽しさ」とは、どんなものでしょうか。そしてそれは、AIが進化しても変わらないとお考えですか。
永井:パソコンは、個々人の可能性を広げてくれる道具だと思っています。自分だけでは成し得なかったことを実現できる存在。子どもの頃にプログラムを書いて、「自分で生み出せるってこんなに楽しいのか」と感じた原体験が自分の中にあります。ゲームでも、クリエイションでも、AIでも、それ以外の領域でも、その可能性を広げるお手伝いをこれからも続けていきたいですね。
――ありがとうございました!

少年時代にMSXで「作る楽しさ」を知り、秋葉原の店頭でPCハードウェアの世界に飛び込み、社長の座に上り詰めた永井氏。そのキャリアの根底にあるのは、「パソコンが人の可能性を広げてくれる」という揺るぎない信念です。インドからの大量採用による社内AI化という大胆な一手も、市場を自ら育ててきたeスポーツ支援も、すべてその信念の延長線上にあります。"凡事徹底"を掲げる叩き上げ経営者が、GALLERIAブランドとサードウェーブという会社をどこへ導くのか。その歩みから目が離せません。











