
2006年2月14日、北米でPS2/Xbox/PC向けにストリートアクションADV『Marc Eckō's Getting Up: Contents Under Pressure』が発売されました。開発はThe Collectiveが手掛け、パブリッシャーはあのAtariが担当しています。

本作の主人公は、近未来都市「New Radius」で暮らす「Trane」という駆け出しのグラフィティライター。
プレイヤーは彼を操作し、街中の壁や看板、高架、駅構内といった場所にグラフィティを描きながら、自らの名声を高めていきます。ときには警察やライバルの目をかいくぐり、建物をよじ登り、敵と殴り合いながら、より危険で、より目立つ場所を目指していくことになります。

本作が描いたのは、単なる「グラフィティを題材にしたアクションゲーム」ではなく、「なぜ人は街の壁に自分の名前を残そうとするのか」という、グラフィティライターに対する価値観そのものです。

それに加えて、パルクール的な移動や格闘、ステルスといったアクションに加え、実在のグラフィティアーティスト、ヒップホップ、ストリートファッション、そして都市を支配する権力への抵抗という、ある種の「政治的主張」までをもパッケージした壮大な作品でもあります。

本稿では、そんな異色作がなぜ今なお唯一無二なのか、そのゲームシステム、文化的背景、物語、そして当時巻き起こした論争まで含めて、改めて振り返っていきます。
◆「街そのもの」をキャンバスにしたグラフィティACT

本作の舞台となるのは、近未来の巨大都市「New Radius(ニュー・ラディウス)」です。
New Radiusはニューヨークを強く思わせる地下鉄や密集した都市景観を持ちながら、Marc Ecko(マーク・エコー=Ecko Unlimited創設者)によれば、ニューヨークの文化・建築的感覚と、香港・九龍の「垂直性」を融合させて構想した都市であり、開発段階では日本を含む複数地域の要素も言及されているため、現実の都市をそのまま再現した場所というわけではありません。

実はこの「垂直性」が重要で、本作における街は、ただ歩くための背景だけではなく、プレイヤーが縦横無尽に「パルクール」しながら駆け回れる場所でもあるのです。

パイプを登ったり、フェンスを越え屋根から屋根へ飛び移ったり、高架や看板へよじ登るなど、さまざまアクションを駆使しあえて「誰も描かない危険な場所」にこそ、グラフィティをする価値があり、人々からの評判を得ることができるわけです。

このように、街の一角へ自分のタグを残し、より危険で目立つ場所へ作品を描き、グラフィティライターとして「Rep(評価)」を獲得し高めていくことが、ゲーム序盤の目的となります。
ここで重要なのは、グラフィティが単なる雰囲気作りに使われていないことです。一般的なゲームでグラフィティが登場する場合、多くは背景美術や収集要素、あるいはボタンを押せば完成する簡単なミニゲームに留まります。

しかし本作では、「どこへ描くか」「そこまでどう辿り着くか」「どうやって人目を避けるか」という、一連のグラフィティ行為そのものがステージ攻略になっていることが特徴的です。

『Getting Up』のゲームシステムを特徴づけているのは、グラフィティだけではありません。むしろ面白いのは、格闘、ステルス、クライミングという異なる要素が、すべて「目的の場所にグラフィティを残す」というひとつの目的につながっていることです。

なかでも格闘アクションは、想像以上に本格的で、グラフィティを妨害するライバルのギャングや、グラフィティを執拗に取り締まる特殊警察(CCK)との乱闘が発生します。

基本となるパンチやキックだけでなく、それらをつないだコンボや回避などが用意され、敵をつかんだ状態から攻撃することもできます。
さらに、周囲に落ちているパイプやブロックなどを即席の武器として利用できるのも特徴で、大暴れできるのが楽しい。開発を担当したThe Collectiveは、『Indiana Jones and the Emperor's Tomb』など格闘アクションを手掛けた経験があり、そのノウハウが本作にも活かされています。

一方、敵に発見される前なら、ステルスで突破することも可能です。物陰を利用して接近し、背後から敵を一撃で無力化すれば、余計な戦闘を避けたまま目的地へ向かえます。

ゲーム後半になるにつれて敵も強力になるため、「見つかる前に片付ける」「そもそも接触しない」という判断にも意味が生まれてきますが、やはりストリート・カルチャーとケレン味たっぷりの喧嘩アクションは切ってもきれない関係ですね。

もちろん、本作の最大の華はグラフィティそのものです。単に指定された壁の前でボタンを押せば完成するのではなく、スプレー缶を動かして壁面を塗り、作品を完成させていく過程そのものがゲームになっています。大きな作品ほど完成まで時間がかかるため、警官や敵に見つかる危険と隣り合わせなのも面白いところです。

さらに、表現方法もスプレーだけではありません。マーカーによるタグ、ステンシル、ローラー、ポスター、wheat pasteなど、実際のグラフィティ/ストリートアート文化に根差した多彩な手法が登場します。
こうした描く技法、場所、危険性、名声をひとつの遊びとして結びつけた本格さこそ、『Getting Up』のグラフィティが単なる演出に終わらない最大の魅力です。
◆「本物」のストリート・カルチャーを体験できる

『Getting Up』をさらに特殊な作品へ押し上げているのが、現実のストリート・カルチャーとの強烈な接続です。
たとえば、Marc Eckoは単に自分のブランド名を貸しただけではなく、ゲームのエグゼクティブディレクターとして制作へ深く関与しています。彼自身、若い頃にグラフィティへ関わっていた人物でもあり、グラフィティ文化を外側から安易に解釈するのではなく、実際に文化へ入り込み、学ぶ姿勢を求めていたことがうかがえます。

さらにゲームには、現実のグラフィティ界を代表するアーティストたちが多数参加しており、その数はなんと65名以上。
一例を挙げると、
Cope2(コープ2)
ニューヨーク・ブロンクス出身の「キング・オブ・バブル(Throw-up)」。地下鉄の車両を何千もボム(ゲリラ塗装)したことで知られる超大物で、ゲーム内でも主人公にアドバイスをくれる主要レジェンドとして登場します。Shepard Fairey(シェパード・フェアリー / OBEY)
「OBEY GIANT」のステッカーや、のちにバラク・オバマ大統領の「HOPE」ポスターを手掛けたことで世界的に有名になるストリートアーティスト。本作でも独自のグラフィティ・ポスターカルチャーを象徴する人物として参加しています。Futura 2000(フューチュラ2000)
1970年代から活動する、グラフィティに「抽象表現」を取り入れた先駆者。ストリートアートの神様的な存在であり、ゲームの説得力を大きく底上げしています。
などなど、一部のレジェンドは主人公トレイの「メンター(師匠)」や象徴的なキャラクターとして実名でゲーム内に直接登場し、ストリートの技や掟を授けてくれます。クレジットの中には、あの「バンクシー」の名前も……!

また、ゲーム内には「Black Book」と呼ばれる要素も存在します。
Black Bookとは、グラフィティライターがスケッチやアイデアを保存したり、他のライターから作品を描いてもらったりするために使うノートのこと。

本作ではこの文化を収集要素へ転換し、実在アーティストのプロフィールや作品などを蓄積していきます。オーストラリアの審査資料には、ゲーム内に「56人のgraffiti legends」が存在し、その作品を発見して撮影できることも記録されています。
つまりゲームそのものが、ある種の「グラフィティ文化入門」になっているのが、他の作品にはない唯一無二の魅力だと思います。

さらに、ゲーム彩るクールな音楽の数々も見逃せません。楽曲を手がけたのは英在住のプロデューサー・RJD2で、Mobb Deep、Rakim、Talib Kweli、Pharoahe Monchなどのヒップホップから、Kasabian、Block Partyに至るまでエレクトロニカ、オルタナティヴ・ロックを絶妙にブレンドした本格的で豪華なサウンドトラックになっています。

これらは単に「カッコいいものを集めた」のではなくて、それぞれが同じストリートカルチャーを語るための言語として機能しているのが素晴らしいのです。
◆グラフィティは「芸術」か「犯罪」か?実際に起きた訴訟問題

『GTA』がそうであるように、暴力性のある過激な内容や犯罪性が疑われるグレーゾーンなストリート文化を扱ったゲームやエンタメ作品は、たびたび社会問題化し物議を醸してしまうのはお約束というか、もはや運命みたいなものです。
本作を巡っても、マーク・エコーと当時のニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグとの間で起きた訴訟は、表現の自由(アメリカ合衆国憲法修正第1条)とグラフィティの是非を巡る歴史的な法的バトルとして知られています。

訴訟にまで発展した経緯をざっくりと説明すると、2005年、ゲーム発売イベントでマーク・エコー氏は本物の地下鉄車両(レプリカ)に伝説の絵師たちがその場でグラフィティを描く企画を発表しました。
しかし、落書き撲滅を進めるブルームバーグ市長(ニューヨーク市政府)が「犯罪を助長する」として、直前にイベント許可を強制取り消しました。これに対しエコー氏は「表現の自由の侵害」だと市長を提訴。裁判所はエコー氏の主張を全面的に認め、開催前日に完全勝訴を勝ち取りました。

「独裁的な市長がアートを弾圧し、主人公が立ち向かう」というゲームの物語を現実の市長がそのまま演じる形となり、皮肉にも最高の宣伝となってしまい、ゲームの持つ反体制的なメッセージ性がよりリアルに一般社会へ伝わる事態になりました。

この訴訟問題において核心となるのは、「グラフィティ行為は、芸術(アート)なのか、それとも只の犯罪行為なのか?」という半世紀以上にわたる絶え間ない論争です。

「犯罪行為」とする視点では、他人の所有物や公共物への無許可の塗装は明確な器物破損であり、多額の清掃コストを発生させます。また、「割れ窓理論」に基づき、落書きの放置が地域の治安悪化や住民の恐怖心を招くという行政・警察側の強い懸念があります。

一方で「芸術」とする視点では、社会的な弱者が自己存在や反体制のメッセージを世に発信する重要な表現手段と捉えられます。その高いデザイン性や色彩感覚は評価されており、かつて路上で描いていたバスキアやバンクシーらの作品は、現在アート市場で数十億円で取引されていたりします。

この対立する2つの視点の本質的な境界線は、「場所の許可の有無」にあるのだと考えられます。
無許可の「ゲリラ落書き」は法律上犯罪ですが、行政や地主が許可した「リーガルウォール(合法壁)」に描かれる大作は、街の美化や観光資源として歓迎されます。
さらに近年では、都市が「壁画(ミューラル)」を依頼して街おこしに活用する動きも主流となる一方、商業化による反体制精神の形骸化を指摘する声もあり、今なお議論は続いているのが現状です。

◆「落書き」が世界を変える─『Getting Up』が唯一無二のゲームである理由

本作が唯一無二である理由は、「グラフィティ(落書き)」というストリートカルチャーのリアルな精神と衝動を、一切の妥協なくゲームシステムに昇華させた作品だからです。

単なる流行の消費ではなく、ストリートカルチャーの歴史と魂をゲームという媒体で「生々しく」記録した点において、本作の代わりとなるゲームは今も存在していません。

ちなみに、現在Steamにて本作『Marc Eckō's Getting Up: Contents Under Pressure』が配信中です。残念ながら日本語には未対応ですが、リアルなストリートカルチャーを浴びたいなら、ぜひ一度手に取ってみてください。











