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【俺の電子遊戯】第5回 ゲームミュージックへの目覚めと驚きの3画面筐体

1987年、中学生だった私の夏休みは当時大流行していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の最終章となるファイナルコンサートの事で頭がいっぱいだった。この頃の夏休みといえばハドソンのファミコン大会「全国キャラバン」に夢中だったのだが

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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

夏休みは終わらない

1987年、中学生だった私の夏休みは当時大流行していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の最終章となるファイナルコンサートの事で頭がいっぱいだった。この頃の夏休みといえばハドソンのファミコン大会「全国キャラバン」に夢中だったのだが、第3回となる「全国キャラバン」のタイトルは『ヘクター'87』という『スターフォース』『スターソルジャー』とは趣の異なるタイトルだった。前2作とは違い、爽快感あふれるシューティングというより、高得点を得るためには非常に緻密な戦略が必要となるタイトルとなっており、連射機能の付いたゲームパッド「ジョイカードMkII」も大会でも使用が認められるなど、手連射こそ至上! と思っていた私の価値観が崩れる1作だった。そんな事もあり、この年は解散が決まり9月の代々木第一体育館でのファイナルコンサートに向かって突き進む「おニャン子クラブ」に夢中になり、ゲーム仲間とは違う友達と、フェリーで瀬戸内海を渡り、広島まで「おニャン子クラブ」のファイナルコンサートツアーを観戦に行き、アイドルの追っかけ活動に情熱を燃やしていたのであった。

ゲームセンターはダンステリア

アイドルがいなくても、私にはゲームがある。とまでは当時思わなかったものの、80年代後半のビデオゲームは物凄い勢いで進化し、私のハートはビデオゲームにロックされていた。子供の遊びとしてブームとなったファミコン、不良のたまり場であったゲームセンターも『ハングオン』を皮切りに続々と投入されたセガの大型筐体や『スカイキッド』『トイポップ』『ホッピングマッピー』などナムコ(当時)のポップなタイトルで、性別問わず幅広い年齢層にアピールするアミューズメント施設へと変貌を遂げようとしていた。

そんなおり、ゲーム情報雑誌「Beep」でゲームサウンド特集が誌面で展開される。実際のゲームミュージックがソノシート媒体で付属したりと、当時の私の興味をひくには十分な情報量だった。時を同じくとして、ゲームサウンド専門のレーベル「G.M.O.レコード」も設立され、今までナムコのゲームミュージックだけだったレコード、カセットテープによる音源化が、コナミ、カプコン、テクモ、セガ、タイトーと相次いでリリースされ、ゲームセンターで聞いたサウンドをじっくりと自宅で楽しむことができたのであった。

およしになってねベルサー


放課後、いつもの様にいきつけのゲームセンターを訪れると、今まで真っ赤なボディが存在感を放っていた、任天堂のVS筐体2台が撤去されていた。「VS筐体ボタンも押しづらかったら普通のテーブルに変えてもらったほうがいいよな」とゲーム仲間のリョータと店側の判断に同意し、その日は『黄金の城』『闘いの挽歌』などをいつもどおりプレイし、翌日あのポッカリと開いた空間にどんな新作が入荷されるのを楽しみにした。次の日、店内壁際の角地に設置されたのは、3画面大型筐体の『ダライアス』だった。

私もリョータもその圧倒的な存在感に驚愕した。雑誌「ゲーメスト」や「Beep」のAMショーレポートで報じられていたタイトーの3画面シューティングが目の前に登場したのである。壁際に設置されたおかげで『ダライアス』をプレイするには、1P側から筐体に座ることしかできず、それはコックピットに搭乗するパイロットの様な気分を味わえた。座面から響く重低音、繋ぎ目のない3画面の中に広がる、惑星ダライアスの景色。私やリョータはもちろん、ゲームセンターに通っていたキッズたちは『ダライアス』に夢中となった。

知り合いがプレイするときには、2P側に座らせてもらい攻略を教えてもらったり、たまたまひとりでプレイしている時に、今まで話しもしたことのなかった他校のゲーマーから「画面全体でなく、自機のまわりを見るんだよ!」などアドバイスをされたり、なんとかワンコインで最下層ルートでカメ、クジラを倒すことができるまでの腕前が上達した。

ルート選択や、ウェーブに挑戦しようとすると難易度が上がったりとゲームの奥深さを感じながらも、私が夢中になったのは『ダライアス』のBGMだ。筐体にはヘッドフォン端子も付いており、ヘッドフォンを持ち込んでその世界観にひたりながらプレイすることも多かった。そうなると次に思いつくのが、録音だ。私は当時所有していたSONYのモノラルラジカセに、単1電池を装着しラインケーブル片手にゲームセンターに向かう。変わったことをするので他の人にあまり見られたくないと思い、なるべく人が少ない時間帯を狙って『ダライアス』のプレイを始めた。

ショットやボム音を入れたくないので余計な弾は撃たないプレイで、ACFJOUとクリアしていき最終面のVゾーンに突入する。緊張のあまり道中ベルサー軍の猛攻にさらされ、1機失ってしまい、ラスボスのストロングシェルまでは到着するものの、ゲームはクリアできずエンディングのBGMを収録できなかった。しかし、オリジナルのゲームミュージック音源を手に入れた喜びの方が大きく、プレイ後は自転車に乗り込みそそくさと帰宅、誰に聞かせる訳でもない個人的な楽しみとして、自宅で何度もそのサウンドを聞き『ダライアス』の世界に魅了されていたのであった。
《DOG COMIC》
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