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『DEATH STRANDING』に出てくる名著「なわ」をざっくり雑考―絶望と希望、道具と人間の狭間にかかる「繋がり」

『DEATH STRANDING』と安部公房「なわ」の関連について雑考します。

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『DEATH STRANDING』に出てくる名著「なわ」をざっくり雑考―絶望と希望、道具と人間の狭間にかかる「繋がり」
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2022年1月23日、昨年10月に放送され話題を集めたNHK系列「ゲームゲノム」拡大版として「ゲームゲノム SPECIAL EDITION」が放送されました。番組の内容としては、小島秀夫監督と星野源さんの対談を通じて「ゲームのゲノムを紐解いていく」というもので、小島監督の代表作となった『DEATH STRANDING』を題材に、単にエンターテインメントとしての側面だけでなく、“カルチャー”としてのゲームがNHKによって扱われるという希有な番組として記憶している読者も多いことでしょう。

また、3月9日には『DEATH STRANDING』、『メタルギア』などのディレクションが評価され、小島監督が芸術選奨 文部科学大臣賞(メディア芸術)を受賞したことも記憶に新しい今日この頃。「もー…あんたまたファミコンばっかりして~。コンセント片付けちゃうからね!」と親から冷たい視線を浴びていた遠い過去も思い起こしつつ、(スゴいのは小島監督とはいえ)どこか「それみたことか」という気持ちを抱いてしまいますよね。

さて、発売後も高い評価を得る『DEATH STRANDING』ですが、作中冒頭でとある小説の引用があったことを覚えているでしょうか?

「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の一つだった。」から始まる一文は戦後を代表する文豪のひとり、安部公房が描いた「なわ」の引用でした。「ゲームゲノム」でも触れられ、かつ作中でも大きな要素として扱われる「縄」と「棒」にまつわる本小説、筆者が昔とった杵柄である大学院での安部公房研究という過去を使って『DEATH STRANDING』と「なわ」の関係性についてざっくり真面目に雑考していきます。

PC版『DEATH STRANDING DIRECTOR'S CUT』(Steam/Epic Gamesストア)の発売を3月30日に控えた現在、新たにプレイする人、もう一度アメリカ大陸を繫ごうとする人、それぞれの解釈を深める一助になれば幸いです。

※本記事では『DEATH STRANDING』および安部公房作品群のネタバレを含みます。一切の配慮なく突っ込んでいくので、くれぐれもご注意ください。

安部公房ってどんな人?

(新潮社HP 安部公房 『無関係な死・時の崖』より引用)

前述の通り、本作では安部公房の「なわ」の一節が取り上げられています。まずは、小島監督もファンだという「安部公房」とはどんな小説家だったのか解説していきます。

安部公房は戦後すぐにデビュー、同時期の作家・芸術家には三島由紀夫や岡本太郎、勅使河原宏などがおり、日本を代表するアヴァンギャルド作家として名を残しました。ノーベル文学賞有力候補と目されるなど、後世に強い影響を残した作家といえます。三島由紀夫などが「日本」を描いた作家なら、安部公房は「都市社会」を描いた作家ですね。

作風はシュルレアリスム(シュールリアリズム)と捉えられることが多いのですが、シュルレアリスムは無意識を描写するジャンル。もっとも安部公房はその理論的な思考・展開や、随所にちりばめられた前衛的な作品の“仕掛け”など、考えて作品を作っていた傾向が見られるので正確には「出来事や思想を、奇妙にエッジの効いた描写で表現する」作家だといえるでしょう。

小島監督作品での代表的な安部公房作品オマージュといえば、『メタルギアソリッド』でのスネークのダンボールを使ったステルスアクションです

安部公房は「箱男」で“世間から見えてても認識されない”箱男たち、ダンボールを被った男たちを描き、そのオマージュでスネークがダンボールを被ることになりました。これは筆者の妄想でもなんでもなく、小島監督自身もその影響を明言しています。

小島監督も語る「覗く側と覗かれる側の視点、隠れる側と見つける側」について解説すると「箱男」の中で語られる大きなテーマ「覗き」に関わっています。「箱男」は主人公は普通の人間でしたが、ふとしたきっかけで箱男を“覗き返した”ところから箱男の一員になります。つまり観察者と当事者が逆転する小説であり、そこも含めた発言でしょう。

こうしたベースに加え、筆者は“見えていても見ないふりをされる”存在の「箱男」と、スネークのあり得ないところでダンボールを被っていても“認識されない”という、ゲームシステムと作品のテーマを交えたオマージュなのだと感心しています。

ちなみに、筆者は小島作品に触れた後で安部公房に没頭。初め「箱男」に抱いたイメージは「スネークを描いた文学作品がある!?」でした。


さて、安部公房は極度に都市が発展していく様を敏感に捉え、自分の在り方や社会との関連性を描きました。戦後、日本が新しく作り直されていくことを見て「国」ではなく「都市」を重視していくことになります。高度に発展した都市社会において、自分のアイデンティティを考える作品を多く主題にしました。

『DEATH STRANDING』(以下、デススト)でサムが直面する「自分は何者か」という問いはこの“アイデンティティ”に関わるところでしょう。『デススト』も全体を通して同様の問いが散りばめられ、「デッドマン」などもそうした存在として思い当たります。

「BB」あるいは「ルー」、「サム・ポーター・ブリッジス」あるいは「ただのサム」、あるいは「BB」彼らは「役割」という道具なのか、人間なのか……。この「社会の道具であるか」「人間であるか」という問いは間違いなく安部公房が小説で相対したモノでした。社会において「自分の役割」というものはアイデンティティに関わります。それがない人間は、あるいはそれしかない人間は「ただのミュール」や「ただのBB」、「ただの絶滅体」になってしまいます。安部公房はその孤独を描き、小島監督はそこからの回帰を描きました。

筆者が思う小島作品での「アイデンティティの変遷」を描く代表といえば、やはり「リボルバー・オセロット」でしょうか。テンション高く無邪気に(傲慢に)跳弾ではしゃいでいた『メタルギアソリッド3』のオセロットですが、彼の人生もまた紆余曲折あり……。アイデンティティについて色々と考えさせられるキャラクターでした。(……が、本稿でこれ以上触れるといつまでたっても本題に辿り着きそうにないので割愛)。

個人的には、安部公房が時代的にも書きえなかった「ネットの発達」を上手く作中に取り込むという小島監督のスタイルが、『デススト』ではさらに研ぎ澄まされていると強く感じます。これも私論ではありますが、安部公房が描いた「都市社会のアイデンティティ」というテーマを継承し、「ネット社会のアイデンティティ」へと進化させる作家こそ小島秀夫監督に他ならないのでは、と思います。

『DEATH STRANDING』と安部公房「なわ」の関係性を紐解く
《高村 響》

ゲームライター(難易度カジュアル) 高村 響

最近、ゲームをしながら「なんか近頃ゲームしてないな」と思うようになってきた。文学研究で博士課程まで進んだものの諸事情(ゲームのしすぎなど)でドロップアウト。中島らもとか安部公房を調べていた。近頃は「かしこそうな記事書かせてください!」と知性ない発言をよくしている。しかしアホであることは賢いことの次に良い状態かもしれない……。

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