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【俺の電子遊戯】第11回 マリオの国からこんにちは、スーパーファミコンついに発売

1990年春、すっかりバンドブームの熱狂に巻き込まれていた私は、それまで、自宅、学校、ゲーセン、ファミコンショップ。だった行動範囲に、楽器屋兼バンドの練習スタジオが入り、ゲームをする時間は激減していた。

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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

ファミコン円熟期と次世代機たち

1990年、すっかりバンドブームの熱狂に巻き込まれていた私は、それまで、自宅、学校、ゲーセン、ファミコンショップだった行動範囲に、楽器屋兼バンドの練習スタジオが入り、ゲームをする時間は激減していた。この時代のゲームシーンと言えば、円熟期となっていたファミコンでは2月に『ドラゴンクエストIV』、春には『女神転生II』や『ファイナルファンタジーIII』と、名作RPGのナンバリングタイトルが続々とリリースされる。一方、ポストファミコンを狙い投入されたPCエンジンやメガドライブには、アーケードゲームの興奮がそのまま家庭用に! と言って過言ではないファミコンからの進化を見せるも私の周囲では、ゲームセンターに入り浸るようなゲーム好きしか見向きをしない状態だった。

私のゲームライフといえば、メガドライブのRPG『ファンタシースターIII』が期待を裏切る出来であったことをきっかけに、メガドライブへの興味が薄れゲーム好きの友人が所有していたPCエンジンと本体ソフトまるごと交換する。今まであまりプレイしていなかったPCエンジンで『妖怪道中記』『源平討魔伝』『スプラッターハウス』『R-TYPE』『サイドアーム』『ダライアスプラス』『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』などの、80年代ゲームセンターで出会い、新作に追いやられて姿を消していった名作たちを楽しんでいた。


ビデオゲームと私の関係

ビデオゲームと私の間にすきま風が吹く中、バンド活動は順調だった。当時中高生に人気だった「JUN SKY WALKER(S)」のコピーバンドを結成し、本家のライブビデオを研究し演出等もコピーして完成度の高いライブパフォーマンスを行うことで、中高生で形成されていた地元バンドシーンで頭角を現し、ちょっとした人気者となった。

高校3年生になって訪れた今風にいうところの“リア充”期。知人も増え、外泊することも多くなり自宅にいる時間も減ってくる。自室のテレビに繋がれたPCエンジンも次第に起動しなくなってきたある日、リビングに顔を出すとそこにはスーパーファミコンがあった。度重なる延期からついに90年11月21日に発売されたスーパーファミコン。発売直後のクリスマス商戦でも品薄が続いていたことにあわせ、プレイしてみたいが、本体2万5千円ソフト8千円と3万円を超えるお金も用意できず、雑誌ファミコン通信でその動向をチェックしていたに過ぎなかった本体が、何故か目の前にある。発売から3ヶ月経った1991年の1月頃に訪れたスーパーファミコンとのファーストコンタクト、ソフトは『スーパーマリオワールド』が刺さっていた。


こんにちは、こんにちはスーパーファミコン


自宅にあったスーパーファミコンは弟がお年玉で購入したものと後に判明する。兄は進学で家を出て、実家には高3の私を筆頭に中3、中1の3兄弟が生活していた。弟たちもこの時代の男の子らしく、ビデオゲームに夢中だった。そのおかげで、自宅でスーパーファミコンをプレイ出来るようになり、たまに帰宅するとリビングで『スーパーマリオワールド』や『グラディウスIII』『ファイナルファイト』をプレイする。ファミコン時代から継承された超高品質のマリオシリーズ、人気アーケードゲームの高レベルでの移植、散々待たされたが私はスーパーファミコンの凄さに圧倒された。


俺、新聞王になる! 徒手空拳での上京

1991年3月。私は高校を卒業、進路は音楽の専門学校を選択した。バンド活動では最終的にワンマンライブを開催できるほど地元で人気を博すことになった。こうなったら音楽で飯を食いたい! と夢を抱くことになり上京し東京を拠点に活動をしたいと考える。音楽業界で飯を食うためツブシが利くように、専門学校で裏方の知識を付けるのも悪くないとも思ったのだ。

あとは親の説得だと、意を決して両親に東京にある音楽の専門学校へ行きたいと伝えると、あっさり許可をもらった。拍子抜けするも、許可の後に出てきた言葉は「その代わり、学費生活費は自分でなんとかしろよ」という言葉だった。ミュージシャンを目指すという、真っ当でない道を選択した時点で、そもそも親からの支援はあまり期待していなかったので、学費生活費は新聞奨学生の制度を活用しようとすでに準備はしていた。

春から東京で生活をすることになる。修学旅行で見た秋葉原、ゲーセンの聖地巣鴨キャロット。ミュージシャンの道を志すも今まで続けてきたビデオゲームへの思いは私の中には生き残っていた。ベースとギターなどの楽器とともに、部屋のテレビに繋ぎっぱなしだったPCエンジンと雑誌Beepから切り取ったソノシートを梱包し、高校を卒業した私は上京するのであった。
《DOG COMIC》

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