
『クレール・オブスキュール:エクスペディション33』、もう名前は覚えましたか?『33 Immortals』『Expeditions: Rome』とかと名前が被るので、そろそろうろ覚えからは卒業しましょう。本作はフランスの「ベル・エポック」期がモチーフになっていますが、ポッキリ折れたエッフェル塔、真っ二つに砕かれた凱旋門はなかなか衝撃的な光景です。とくにエッフェル塔はベル・エポックを象徴する存在なので、フランスの華やかなる時代を全否定する暴挙といっても過言ではありません。この時期にパリに集まったアーティストは枚挙にいとまが無く、パリに刻まれた数多の芸術は時代を超えて人々を魅了し続けます。そうした「文化の華」は何故ここパリに大輪を咲かせるに至ったのでしょうか?
産業革命と“パリ改造”
パリが文化の一大拠点となるには、多くの人々の生活を受け入れる都市そのものが重要でした。19世紀の産業革命でパリの人口は過密状態になり、その上衛生状態も最悪の一言、1832年のコレラ禍で多くの死者(80万に近い人口のうち約1.8万人)を出しています。そこで1853年に知事に就任したジョルジュ・オスマンは、上下水道の整備を含めたパリ中心部の再開発、いわゆる「パリ改造」に取りかかりました。風通しや交通面に利点がある大道路を整備し、景観の統一のため建造物の部材まで指定。当時としては最先端の計画都市ができあがりました。
1871年に第二帝政から第三共和政に移行し、普仏戦争に敗戦して終結すると、そこから第一次世界大戦までの約40年にわたって大きな戦争が起こりません。フランスは革命以降、対外戦争も政治闘争も何かと忙しい時期が続いており、貴族階級はともかく民衆が落ち着いて暮らせる時代ではありませんでした。戦争も動乱も病の流行もない、誰もが普通に暮らしていける条件がようやく整ったことがベル・エポックを作った下地なのです。
パリ改造計画と時を同じくする1852年、大衆の生活意識を変える革新的な出来事がありました。それが世界初の大型デパート、ボン・マルシェ百貨店(Le Bon Marché)の開業です。ボンマルシェ(bon marché)は「お買い得」(安い)の店名の通り、「小金持ち」クラスの人々でも流行の品を手に取れる大衆向け商店で、今で言うところのアウトレットモールに近いかもしれません。商品のショーケース陳列やバーゲンセールなど、現代に通じる商法を始めたのがボン・マルシェで、限られた人だけのファッショナブルな生活に触れられる裾野が中流にまで拡大。少し背を伸ばせば誰でも良いものを手に入れられる、そんな質の高い生活への憧れが大衆全体に広まったのです。
日本文化も大きく関係する「アール・ヌーヴォー」
そして、フランスの芸術を一変させたのがパリで開催された万国博覧会(万博)です。パリ万博はイングランドに倣って1855年からおおよそ10年に一度開かれてきましたが、特に重要なのは日本が初出展した1867年と、ギュスターヴ・エッフェル設計のエッフェル塔が建てられた1889年です。万国博覧会の利点は世界中の美術工芸品が一つの場所に集結することで、アートに貪欲なパリ市民は多くの刺激を受けました。そして最も大きな影響を与えたのが浮世絵などの日本美術で、「ジャポニスム」から柔らかい曲線や平面的な描き方が評価され、花鳥モチーフの「アール・ヌーヴォー」に繋がります。
アール・ヌーヴォーを牽引したのはガラスや調度品などを手掛ける職人たちでした。パリに多く職人が集まっていたのは、ヴェルサイユ宮殿の調度品などで高級な品質を求められていたためです。革命で王家が廃された後もその伝統は継承され、産業革命の中にあっても職人の手による製品の需要が減ることはなく、大量生産への抵抗としてもその存在に注目が集まりました。前例のない東洋的なデザインであっても高い品質で美しく仕上げる技術があったからこそ、アール・ヌーヴォーは時代のスタイルとして一世を風靡したのです。

芸術の進歩を後押しした要素はもう一つ、画材の発展です。特に絵画に大転換をもたらしたのが、絵の具を簡単に持ち運べるチューブ絵の具です。従来、液体や粉状の絵の具は破れやすい豚の膀胱に入れていたため、基本的に製作環境はアトリエの中だけに限られていました。屋内は暗いので画の色にも影響があり、はっきりとした輪郭での濃い色で描くのが主流でした。チューブ絵の具の登場によって、画家は自ら外に写生へ出かけて行き、屋外の自然光のなかで色を描くことが可能になったのです。そうした中で生まれたのが印象派独特の柔らかいタッチです。

木漏れ日や朝焼け、夕焼けを現地でそのままスケッチした絵画は、それまでの古典派とは全く異なり、様々な色の光が溢れる作風です。ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は印象派を代表する作品ですね。また、石版を利用したリトグラフによって原画そのままのカラーで印刷が可能になり、ミュシャなどのポスター広告はアートとして高く評価されました。

第一次世界大戦でベル・エポックが終わると、戦後の1920年代は「レ・ザネ・フォル」(狂乱の時代)に突入します。ゲームの主なデザインはこの時代の「アール・デコ」を基調としており、実はベル・エポックから少し未来のファッションなのです。1920年代をベル・エポックの終盤とするケースもありますが、基本的にはアール・デコはベル・エポックとは時代が違うことに注意が必要です。

ベル・エポックは、政情不安に脅かされること無く、誰もが文化と芸術の果実を手に取れる時代でした。『Clair Obscur: Expedition 33』の世界は、そんな生を謳歌していたフランスに「メメント・モリ」を突きつけ、全ての人々の命を等しく消し去っていきます。パリの地下には巨大なカタコンベがある――生と死の強烈なコントラストもまたパリの魅力でもあるのです。
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