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「ブラック・ミラー: バンダースナッチ」はゲームと映画の壁をまたひとつ取り払った不思議な傑作【コントローラーを置く時間】

Netflixのインタラクティブ作品「ブラック・ミラー: バンダースナッチ」は映画なのか、ゲームなのか。

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「ブラック・ミラー: バンダースナッチ」はゲームと映画の壁をまたひとつ取り払った不思議な傑作【コントローラーを置く時間】
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※本記事には直接的なネタバレを含んでおりませんが、2ページ目には間接的なネタバレ表現が含まれています。



ハードコアゲーマーのためのゲームメディアGame*Sparkでは、日々、様々なゲーム情報をご紹介しています。しかし、少し目線をずらしてみると、世の中にはゲーム以外にもご紹介したい作品が多数存在します。そこで本連載では、Game*Sparkスタッフが、ゲーマーにぜひオススメしたい映画/ドラマ/アニメ作品を1本紹介していきます。

今回ご紹介するのは、とあるゲーム開発者の軌跡を描いたNetflixのインタラクティブ作品「ブラック・ミラー: バンダースナッチ(Black Mirror: Bandersnatch)」。人気ドラマ「ブラック・ミラー」シリーズのうちのひとつとして、1本の映画として制作されています。

ゲームと映画の壁がまたひとつ消えた


この作品はさきほども触れたように「インタラクティブ映画」です。ざっくりと説明すると、視聴者(場合によってはプレイヤーと呼んだほうがいいかもしれません)が特定の場面で選択肢を選ぶことで、物語が分岐していくというものです。ゲーマーにとってはとても親しみがあると言えばありますね。

ゲーマー的には斬新ではないような印象も受ける本作ですが、この作品はゲームと映画界にとって「大事件」とも呼べるような凄まじい作品だったのです。まずは、本作のあらすじを簡単に紹介しましょう。

1984年。ビデオゲームの開発チャンスを得た若いプログラマー。ファンタジー小説に基づくゲーム開発に取り組む中、現実とパラレルリアリティが混同し始める。
……というお話です。わからないですね。もう少し説明すると、主人公ステファンは、読者によって展開が変わる小説(ゲームブック)「バンダースナッチ」のゲーム化を果たすべく、タッカーソフトというゲーム会社に売り込みをかけるという導入です。選択は序盤から何度も出現し、食べるものから聴く音楽まで選択肢は様々ですが、必ず2つ用意されています。そのために何通りもの展開があり、エンディングも複数用意されているので、アドベンチャーゲームをプレイしているかのように感じられます。

念のためここで説明しておきますと、「ブラック・ミラー」は、基本的にバッドエンドが多いドラマシリーズです。ルートによっては、グロテスクな要素もあり、苦手な方もいらっしゃると思うので、視聴の際は気をつけてください。余談ですが、「ブラック・ミラー」を視聴する際は、気になったエピソードから観るのがオススメです(シーズン1の1話を最初に視聴するのはオススメできません)。

ところで、「ゲーム」と「映画」は一緒くたに語られることが多いエンターテインメントです。技術が進んだここ数年は、両業界の「境界のあいまいさ」について議論されることが多々あり、小島秀夫監督が手掛けた『メタルギアソリッド』以降、様々な意見が生まれてきました。『アンチャーテッド』シリーズは「プレイする映画」とも呼ばれていましたね。

ただ、「ゲーム」と「映画」が完全に融合することは、ARやVR、映画館に技術的ブレイクスルーが発生する限りは無いでしょうし、しばらくは起こりそうもないと思います。融合したところで、「どこまでがゲーム」で「どこまでが映画」なのか、という線引きもおそらく不可能です。「映画」も「ゲーム」も、その他のエンターテインメントもあくまで「別個のもの」。しかし、それでもなお本作は「ゲームと映画の壁をまたひとつ取り払った」と言える作品です。

厳格なルート管理とゲーム的エッセンス、そしてアドベンチャーゲームの一般的なボリュームではありえない「長さ」(ゲームより短い、という意味です)であるのに、ゲームを丸々遊びきったときのような濃縮された体験。例えば、映画的と言われる『Detroit: Become Human』でさえある程度は歩き回れますが、「バンダースナッチ」では映画の中を歩き回れたりしないので、比重としてはやはり映画に近いです。それでも、ゲームとも映画とも言えるような不思議な感覚に襲われます。

「バンダースナッチ」がゲームであり映画である理由


ここ数年の映画でゲームのエッセンスを感じた作品と言えば、筆者としては「オール・ユー・ニード・イズ・キル」が挙げられます。この作品の海外でのコピーは「Live, Die, Repeat」(生きる、死ぬ、繰り返す)で、セーブ/ロードが存在する古今東西のゲームに共通する要素です。

この作品では、死んでも記憶を保持したまま特定の時間に巻き戻る男ウィリアム・ケイジが、死んで学習(ゲームオーバー)し、初めからやり直す(ロードする)ことで、目標を達成していくさまが描かれます。ただし、この作品はゲーム的エッセンスがあるものの、やはり視聴者の意思が介在する余地はなく(ウィリアム・ケイジこそがプレイヤーなので)、あくまで「映画」です。

これ以外にも、いわゆる「ループもの」の映像作品はゲーム的なエッセンスがある、と言えます(ある見方をすればアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」第2期「エンドレスエイト」などもゲーム的と言っていいのかもしれない)。しかし、何度か触れているように「ブラック・ミラー: バンダースナッチ」は「オール・ユー・ニード・イズ・キル」や「エンドレスエイト」とは異なり、視聴者の意思が介在可能なインタラクティブ映画です。

その点で、この作品はより深くへ踏み込んでおり、「インタラクティブ」(相互作用、双方向)というワードに恥じない作品に仕上がっています。

本作のゲーム的エッセンスを実際に挙げると、「複数のエンディングが存在する」という点は間違いなく該当するでしょう。詳しくは触れませんが、荒唐無稽なルート、エンディングもゲーム的で、これは第三者(この場合は視聴者)が選べるからこそ可能なものです。『サイレントヒル』シリーズのUFOエンドや犬エンドのような遊びがあるのも(ここまでユーモア全振りなエンディングではありませんが)、実にゲーム的です。

また、ここは特に強調したいのですが、「バッドエンドで終えられる」というところもゲーム的な魅力です。エンディングが複数あるゲームをプレイした際、全部のエンディングを見ないという方はたくさんいると思いますが、一方でひとつのエンディングを見たらその先二度とプレイしないという方、そもそもゲームオーバーしたまま続きをやらなくなった方もいるはず。

何が言いたいのかというと、「バンダースナッチ」でもそれが可能だということです。バッドエンド(あるいはゲームオーバー)を1回だけ見てそれっきり終わりでもいいし、全部のルートをしらみつぶしに探してもいい。ドラマ版の「ブラック・ミラー」はもちろん、映像作品では到底不可能な楽しみ方が可能です。

次ページ:まだまだあるバンダースナッチの魅力と既存ファンへのイースターエッグ
《秋夏》
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