晩年の飯野賢治が結成したバンド「NORWAY」とは何だったのか? GLAYのギタリストHISASHIも参加したバンドメンバーが語る秘話 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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晩年の飯野賢治が結成したバンド「NORWAY」とは何だったのか? GLAYのギタリストHISASHIも参加したバンドメンバーが語る秘話

ゲーム開発以外にも、多彩な活動をしてきた飯野賢治氏。晩年に結成したバンドは、自身のクリエイティブのルーツでもあった。その背景をメンバーが語る。

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晩年の飯野賢治が結成したバンド「NORWAY」とは何だったのか? GLAYのギタリストHISASHIも参加したバンドメンバーが語る秘話
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たまたま、学校で遅くまで残ってたら、そこに何人かいて『バンドやらねえ?』って、適当に組んだようなバンド。みんな、たまたま、そこに居ただけ。だから、すごい繋がりと意義を感じる

飯野賢治は2011年に結成したバンド・NORWAYが一体何なのかと取材で聞かれたとき、一言でそう言った。なんだかさりげない始まりなのに、やけにドラマティックな言い方なのは、音楽好きの飯野らしくバンドにストーリー付けをしたい意図もあったのかもしれない。

「たまたま、そこに居ただけ」というにはNORWAYに凄まじいメンバーが揃っていた。GLAYのギタリスト・HISASHIや、FIELD OF VIEWの浅岡雄也がボーカルに加わっているのだ。一体どうやってそんなメンバーが揃ったのかというと、当時の飯野が熱心だったある環境が大きな要因だった――。


「NORWAYって、飯野さんそんなバンドやってたの? というか、GLAYのメンバーも加わってたってどういうこと?」たぶん少なくないゲームファンが思ったことかもしれない。おそらく、いま30代の後半から50代くらいの一般的なゲームファンにとって、飯野の印象は90年代のWARP時代がほとんどだろう。

ちょっと前の僕だってそうだ。Game*SparkとArchipelの共同企画から生まれた連載「飯野賢治とは何者だったのか?」(※初回の坂元裕二インタビューから時間が経ってしまいましたが、そろそろ再始動します。お待ちください)のために、関係者への取材を通して初めて知ったことが多い。

そんな飯野の知られざる2000年以降の活動について、音楽面から一挙に振り返る機会がある。フロムイエロートゥオレンジ(以下、fyto)は飯野賢治生誕55周年企画として、アルバム「KENJI ENO 55」のデジタル配信と、アナログレコードボックスを発表。飯野の誕生日である5月5日のリリースを予定している。

本アルバムは、飯野が全キャリアで作曲してきた楽曲のなかで、WARP時代のレアな音源や、fyto時代に発表されてなかった音源を再編集したものだ。その数は実にレコード7枚分にも及び、ファンが知られざる飯野を確認できる。このアルバムのなかに、NORWAYの音源もまとめられている。

そんな「KENJI ENO 55」のリリースに先駆け、先日NORWAYメンバーによる座談会が行われた。残念ながらHISASHIは不参加だったが、メンバーからはファンがあまり知らないだろう飯野の姿や、パブリックイメージと違わぬエピソードが語られた。(本文中は敬称略)


飯野のクリエイティブの核にいつもあったのは音楽

左から、PRの上野、ベースのセキタ、飯野、ボーカルの浅岡、そしてプログラミングのTaccs。今回は参加できなかったが、ここにGLAYのギタリストHISASHIと、ミックスエンジニアのみのやんが加わって、NORWAYとなる。

都内某所にて、NORWAYのメンバーであるボーカルの浅岡雄也、ベースのセキタヒロシ、そしてプログラミングのTaccs、PRの上野美香らが集まり、バンドの思い出を語り合った。彼らが語る飯野は、WARP時代にゲームを開発していた頃みたいな切迫感というよりも、なんというかリラックスして音楽に向き合っている姿がうかがえるものだった。

「飯野さんは猛烈な人で、思いついたらやっている人。そこが凄いですね」そうセキタは振り返った。「でも服持ってねーのかよ! って。ニューバランスの靴とか同じ服を7着くらい持ってて。」浅岡はそんな飯野のファッションについて引っかかっていたことを語った。「あれはスティーブ・ジョブズみたいにしたかったのかな?

メンバーたちは飯野を当然のようにバンドメンバーとして語っている。……が、筆者はそこまでNORWAYに詳しくはないのもあって、バンドマンとしての飯野に動揺してしまうのも確かだ。

そもそもなぜ飯野は、晩年にバンド活動を始めたのだろうか? 彼の著書や発言からルーツを紐解いていくと、その理由が見えてくる。

飯野が本格的にビデオゲーム開発を行う前、10代から熱中していたのは音楽だった。特にYMOに衝撃を受けたことは繰り返し語られており、同バンドのテクノロジーと音楽性の双方が先鋭的なスタイルは、飯野の進路に深い影響を与えている。

飯野はゲームクリエイターになったあとも、ゲームの作家性を語るときはバンド活動にたとえることも多く、クリエイティブの根底に深い影響を与えているのは確かだ。

「学校をサボってなにをやっていたのかというと、ひたすら家にこもって音楽に打ち込んでいたわけ」(※1)飯野は高校時代、学校に馴染めなくなっていったころのことを著書でこう語っている。学校へ行かず、ライブハウスへパンクバンドを見に行ったり、喫茶店で他行のサボっている学生とコアな音楽について語り合ったりしていた。

「あと、バンドを組んだりね。『DNA』というバンド。デジタル・ネオロジズム・オブ・アーツ。デジタルを使った、アートの新しい語彙という意味。僕が考えた。メンバーは三人で僕がリーダー」(※2)高校へ行かず、音楽中心の生活になった飯野は、やがて自分自身も音楽活動に取り組むようになる。楽器はキーボードを担当していた。

10代の飯野はバンドマンとして活動していた時期があった。界隈でキーボード担当が珍しかったこともあって、友達のバンドを手伝いにいくことが多かったという。

ただ、当時10代の飯野は、友達のバンドが流行りの曲ばかり演奏するのに対して「『なんでこんなのを……』と思っていたよ」、「なによりもまず『コピーをやめろよな』と思っていたしさ」(※3)と、腹の底ではオリジナルを志向し、尖った意識を抱えていた。

その意識はゲームに対しても続くことになる。なにせファミコンで初めて『ファイナルファンタジー』をプレイしたとき「あれは最後までやってみて『ダメだ、こりゃ』と思った。僕は認めませんでしたね。なんといっても、僕は『ウィザードリィ』をさんざん遊んだパソコン派ですから」「やっぱり大衆派だな、チャゲ&飛鳥だよ、これは」(※4 原文ママ)という感想を持っていたのだった。

当時の飯野氏が率いるNORWAYの様子。左から、HISASHI氏、セキタ氏、飯野氏、浅岡氏。(公式ブログより)

それからWARP時代の苛烈なゲーム開発時代を経て、2001年にfytoへ名前を変え、ゲーム産業から少し距離を取ってからずいぶん経った後には、飯野の考えもかなり変わったところがあるようだ。

なにせ結成したNORWAYで演奏する音楽についてこう説明している。「ぜんぶカヴァーなんですよ」

楽曲はYMOの「君に、胸キュン。」や井上陽水の「リバーサイドホテル」、それどころかHISASHIがメンバーにいながらGLAYの「グロリアス」までカバー。それどころか、かつて「大衆派だな」と切り捨てたCHAGE and ASKAの「SAY YES」までカバーしている。

いや、カバーバンドがコピーバンドと違うのはわかるが、オリジナルを頑なに志向していた若いころの飯野の発言を考えるとこの変わりようは「なにがあったのか」とはあらためて思わなくもない。

飯野はバンドについて知人と会話したとき、「オリジナルはやらないんですか?」と聞かれることもあり、「うーん。どうかなあ......」とあやふやにしていたようだが。

CDを作らず、すべての活動をSNSや動画配信で見せるバンドという発想

僕はNORWAYの活動は存命時から知っていたけれど、どんな理由でバンドができたのかについては知らなかった。今回の座談会で、あらためて結成した背景についても語られた。

NORWAYのメンバーにHISASHIのほか、活動によっては坂本美雨が参加するなどビッグネームが揃ったことも大きい。興味深いのはそんなメンバーたちが集まるきっかけになった、ある環境である。

「NORWAYは単純にTwitter(現X)から始まったんだよ」と浅岡は語った。始まりは、飯野がネット上でTaccsがノルウェー人のふりをしてYMOのカバー楽曲をアップしていたのを見つけたことだった。 

そう、バンドが結成した環境とは、2010年代から拡大することになるSNSと動画配信だった。「僕らNORWAYは、CDを売ったり、ダウンロード販売したりはしません。たぶん、ずっと」と、飯野はバンドのスタンスについて語っている

「そこで飯野さんと浅岡さんが、僕に『一緒に『君に、胸キュン。』作ろうぜって誘ってくれたんです」Taccsは普通のサラリーマンだったのだが、飯野に音源を発見されてからあれよあれよという間に凄いメンバーが加入するのを目にする。

そこから飯野の動きは早かった。長い付き合いのあるHISASHIまでもバンドに引き入れたのである。

「飯野さんがそこでベーシックなトラックを作って、YouTubeにアップしたんです。それを飯野さんがTwitterにも上げたとき……HISASHIさんに『ギター弾いて!』って頼んで、HISASHIさんも『今晩入れてみます!』って」

「えっ? マジで? ってなったよ」浅岡はまさかのHISASHI加入に驚いていた。当時のゆるい繋がりがメインだったTwitterだからこその奇跡的な流れがあった。今や名前も変わってしまった現Xの雰囲気から考えると、あまりにも牧歌的で奇跡的な流れのように見えるほどだ。ここにベースのセキタも加わっていき、バンドとして活動が本格化していく。

NORWAYならではの特殊なメンバーとしてPR担当として上野美香が加入したことだ。「いまでも裏方の感じが抜けないですね。飯野さんからは『一緒にやろうよって感じでした。『私、音楽できませんけど』って言ったんですけど」と上野は呼ばれた当時を語っている。「バンドに広報って新しすぎる(笑)」と浅岡は笑っていた。

こうして飯野は一介のサラリーマンが、日本トップのビジュアル系バンドのギタリストと組むという不思議な流れをTwitterで生み出していたのだった。

「飯野さんは僕に『ビッグウェーブに乗り遅れるな!』と言ってましたね。サラリーマンの僕を引っ張ってきて、『ミリオンアーティストとバンドをやれる機会なんてないんだから、乗り遅れるな』と言ってましたね」そうTaccsは語る。

飯野によるNORWAYの構想は、活動のすべてをSNSと動画サービス上で行っていくものだった。「ぜんぶ、TwitterとYouTube/ニコニコ動画で繋がったメンバー。リリースはぜんぶYouTube。やりとりは基本Twitter。なんと、2011年的な話ではないだろうか」とブログで語っている

fyto公式サイトの沿革によれば、飯野は2009年、いまのように広がる前のTwitterのブランド・マーケット業務を担当していたという。彼がSNSの可能性について熟知していたのも、この活動に影響したのかもしれない。

「時代が活動を公開するものって切り変わっていったよね」浅岡はSNSをベースとしたバンド活動についてそう語る。「SNSも新しかったですし、ネットも楽しかったですからね」セキタは当時をそう振り返る。

「東日本大震災から変わったと思います」Taccsは結成当時の2011年の状況を語る。「震災があって、飯野さんも働き方を変えなきゃいけないって時に、『NORWAYの活動に助けられた』と言ってました」

こうしたスタイルもあり、NORWAYは音源の制作もメンバーと直接会わずに行うという、当時としては異例なやり方をしていた。楽曲はスタジオにメンバーが集まって収録するのではなく、各メンバーが録音したトラックのデータを集め、飯野が組み合わせて完成させるのだ。

NORWAYはクローズドなメンバーの連絡用掲示板を使い、どういう風に音楽を作っていくかを逐一話し合っていた。「最近は掲示板の内容も公開し始めてる」と浅岡が語るように、NORWAYの公式Facebookページでは印象深かったやり取りを上げている。

「『どんなトラックができたんだろう?』と、バンドメンバーまで楽しみに待って、YouTubeを一緒に開く!なんて、そんなバンド、世界中に存在しないと思う」飯野はSNSを活用したバンドのやり方を面白がっていた。「なんてユニークでエキサイティングなんだろう!」

飯野がSNSの「環境を使った新しいバンド活動を志向したあたりに、常に世の中に影響を与える新しいサービス技術トレンドを追いかけていた飯野らしさを感じるのだった。

実際、いまはクリエイティブの分野でSNSやオンラインチャットツールを活用して、メンバーが顔を合わさなくてもモノ作りができる時代であることを考えると、NORWAYのやり方はSlackやDiscordを利用してチームメンバーと連絡しながらモノ作りをするのに似ているかもしれない。

NORWAYメンバーが見た飯野賢治

そんな風にメンバーが顔を合わさず、SNS環境で活動するNORWAYだが、メンバーが直接集まったときの飯野の思い出も多い。

集まったときに飲んでたね(笑)」浅岡をはじめ、そうメンバーが懐かしく語るのは、高尾山に遠足に行って、簡単なライブをやったときのことだ。飯野をはじめメンバーたちは高尾山へ向かうバスでビールを飲み明かし、山の近くのそば屋でさらに酒を飲んでいた。

「飯野さんはそんなに酒は強くないんだけど(笑)」そんなふうにTaccsは当時の飯野を振り返る。セキタは「飯野さんが『サインを置いていった方がいいよ』って、そのおそば屋さんに無理やりメンバーでサインを書いて、飾ってもらっていました(笑)」

飯野をはじめ、メンバーは酔っぱらったまま高尾山へ。山の入り口の道ばたで「グロリアス」を演奏するなんて一日を送っていたのだった。当時の様子を上野が撮影しており、YouTubeのNORWAY公式チャンネルにアップしている。そこにはリラックスしたメンバーと飯野が映っていた。

こうしたバンド活動のなかで、メンバーは飯野をどう見ていたのだろうか。

「飯野くんとやりとりしていて、『この人、俺と同じだ』って思ったことがある」浅岡はバンドを通して飯野の考えを知っていった。「けっこう精神論が近い。なんでもやっちゃったもん勝ちだよねって話とか。その行動力を見直さなきゃなって思った」

「猛烈な人。思いついたらもう、やっている人ですね。あれがすごい」セキタは飯野の行動力について感心していた。「そして、音楽に自分なりの観点を持っていました。ただのゲームクリエイターではなく、耳がいいですね」

「感性の塊で、予測できないんですが、そこが面白くて刺激的でした」そう上野は飯野とのかかわりを語った。

ゲームファンもWARP時代からなんとなく知っている、飯野の行動力は健在だったらしい。一方で、こんな姿も語られた。

「僕が思ったのは、わーって行くけど寂しがりな人なのかなと」Taccsは飯野についてそう語った。「それ、わかるなあ」と他のメンバーも漏らした。

「NORWAY以外のことで飯野さんのところに遊びに行ったら、缶コーヒーだけで10時間も話してるんですよ。終電を過ぎても、朝まで外で話してました。恵比寿に散歩コースがあって、魚屋さんの猫の写真を撮りながらしゃべっていましたね」Taccsはそう語る。

上野はそんな飯野を見て「だから、Twitterでいろんな人とコミュニケーションを取るのが合っていたんだと思います」と振り返っていた。

「飯野さんが亡くなって13年経っても、いまだにいろんな人が飯野さんの曲を聞いてくれてTwitterでも語ってくれている。飯野さんがいなくなっても、語れることはいっぱいあります」Taccsは座談会の最後をこうまとめた。

「これから5月5日に出る、飯野さんのアルバムを後押しできればいいね」浅岡はそう語る。

飯野賢治の謎のバンドNORWAY。それは彼のルーツとなる音楽に立ち戻るとともに、SNSのような新技術による新しい社会環境が生まれる波を追いかける情熱があった。広い交友関係や、企画を思いついたときにすぐに動くフットワークなど、飯野らしい姿があったバンドだったのかもしれない。アルバム「KENJI ENO 55」では、そんなバンドが生み出した音が何だったのかを聴くことができる。

飯野賢治生誕55周年企画特設ページ

飯野氏の発言引用文献
※1「ゲーム」p99 講談社 1997
※2 同著 p100
※3 同著 p101
※4 同著 p103


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ライター:葛西 祝,編集:宮崎 紘輔

ライター/ジャンル複合ライティング 葛西 祝

ビデオゲームを中核に、映画やアニメーション、現代美術や格闘技などなどを横断したテキストをさまざまなメディアで企画・執筆。Game*SparkやInsideでは、シリアスなインタビューからIQを捨てたようなバカ企画まで横断した記事を制作している。

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編集/タンクトップおじさん 宮崎 紘輔

Game*Spark、インサイドを運営するイードのゲームメディア及びアニメメディアの事業責任者でもあるただのニンゲン。 日本の新卒一括採用システムに反旗を翻すべく、一日18時間くらいゲームをしてアニメを見るというささやかな抵抗を6年続けていたが、親には勘当されそうになるし、バイト先の社長は逮捕されるしでインサイド編集部に無気力バイトとして転がり込む。 偶然も重なって2017年にゲームメディアの統括となり、ポジションが空位になっていたGame*Sparkの編集長的ポジションに就くも、ちょっとしたハプニングもあって2022年7月をもって編集長の席を譲る。 夢はイードのゲームメディア群を日本のゲーム業界で一目置かれる存在にすること、ゲームやアニメを自分達で出すこと(ウィザードリィでちょっと実現)、日本武道館でライブすること、グラストンベリーのヘッドライナーになること……など。

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