
先日、『アーマード・コア』シリーズへの独自の視点からの言及をきっかけに、多くの日本人から「ロボゲー・ロボアニメ詳しすぎな外国人」として知られるようになったオリー・バーダー氏。実は、氏はゲームやアニメを中心として日本サブカルを海外に長年伝えてきた記者であり、様々なタイトルにかかわってきたゲームクリエイターでした。
弊誌の取材に対して、そんな氏がこぼした最近の悩みと言えば「ロボゲーを作らせてくれるスタジオが見つからない!」ということなのだそう。そこで、本稿では、氏の文章を通じて、氏のもつ「ロボゲー・ロボアニメ」への視点や美学の一端をお伝えしていきたいと思います。
日本と海外の人々が感じる「搭乗型人型ロボ」への憧憬の原点の“違い”
日本では、メカ/搭乗型人型ロボというジャンルは非常に大きく、モビルスーツ、アーマードトルーパー、オーラバトラーなど、多岐にわたり複雑な広がりを持っています。しかし、ゲームに関して言えば、特にアメリカを中心とした海外のプレイヤーに強く響く、非常に特異な「文化的交差点」が存在します。
その前に、まず日本のメカデザインにおいて侍が部分的に与えてきた影響について、少し文脈を補足する必要があります。これが重要なのは、70年代のスーパーロボットブームの後、日本ではより(社会的な)リアリティを重視したメカ表現が取られるようになったためです。70年代の、物語の英雄に与えられた特別な力としての側面が強かったロボットの設定の過剰さへの反動のように、80年代には産業的・実用的なアプローチを持つ「リアルロボット」が本格的に確立されていきました。
このような変化の一因には、とあるロボットアニメの企画において、脚本家・監督である高橋良輔氏とメカデザイナーの大河原邦男氏との間で行われた議論がありました。両氏は「顔のないメカを作ること」「頭部にコックピットを配置すること」「軍用ヘリコプターのような外観を持たせること」などを検討し、それらが探求する価値のある方向性ではないかと考えたのです。
その議論から生まれたのがアニメ「太陽の牙ダグラム」であり、同作は公式に海外展開されたことはないものの、実は、日本国外の人々が考える「搭乗型人型ロボ」のパブリックなイメージにおいて最も影響力の大きいメカアニメであると言っても過言ではありません。
『バトルテック』と「バトルメック」がもたらしたもの
説明すると、1980年代当時、欧米ではひとつの非電源系のボードゲーム、『バトルテック』シリーズが始動していました。これは、非常に無骨で工業的なメカ「バトルメック」を特徴としたロールプレイングゲームであり、その初期デザインの一部は「太陽の牙ダグラム」「超時空要塞マクロス」「クラッシャージョウ」の3作品から取り入れられたものでした。
しかし、これらのデザインを使用するための権利は完全には取得されておらず、その結果として訴訟が発生しました。そうした経緯から、これらのメカデザインはやがて、(日本人が世界一有名なネズミのマスコットに対し、その権利的な厳しさの都市伝説を背景として、ジョーク的にたびたび「見えないもの」として扱うのと同じような意味で)「Unseen(アンシーン)」と呼ばれるようになりましたが、それはすでにそれらのメカが 『バトルテック』の世界観やゲームメカニクスの基盤を形作った後のことでした。
というのも、高橋良輔氏と大河原邦男氏は、新たな「コンバットアーマー」型メカがどのように運用されるのか、その規則性を徹底的に考え抜いていたためです。ゲームはルールによって成り立つものですが、「ダグラム」における多くのメカニック設定の作り込みは、メカが「何ができて何ができないのか」を視覚的に示す役割を果たしており、これは『バトルテック』のようなゲームにとって極めて有用でした。
つまり、『バトルテック』 においては、複雑な設計思想の多くがすでに「ダグラム」のメカのなかに下地として存在しており、「バトルメック」がどのように機能すべきかを示すテンプレートとなっていたのです。そのため、年月を経るにつれ、『バトルテック』 に取り込まれた「マクロス」のデストロイドも、ゲーム上ではダグラム系のコンバットアーマーに近い性質へと変化していきました。なぜなら、それこそが機能的な基準点であったためです。
『バトルテック』 の後、『メックウォリアー』というビデオゲームシリーズが登場しました。とりわけ第2作『メックウォリアー2』は90年代に大きな人気を博し、多くの点で、特にアメリカを中心とした海外において、人々が「メカ」と聞いて思い浮かべるイメージの象徴的な存在となりました。
この頃、『ヘビーギア』という別のメカゲームシリーズも生まれました。こちらも 『バトルテック』 と同様に、当初はロールプレイングゲームとして始まり、さらにアニメシリーズも制作されました。しかし、『バトルテック』 と異なり、『ヘビーギア』はアニメ作品からデザインを直接流用することはありませんでした。その代わりに、脚本家・監督の高橋良輔氏とメカデザイナー大河原邦男氏によるリアルロボット作品「装甲騎兵ボトムズ」を明確にアイディア元として参照しており、同作に登場する足にローラー(ホイール)を備えた小型メカを、『ヘビーギア』のメカデザインの基盤としていました。
90年代における『メックウォリアー』と『ヘビーギア』の2大ヒットは、日本国外において国際的に共有される「メカとは何か」という非常に特定の理解を強固なものにしました。これはその後の多くの作品に影響を与え、『タイタンフォール』シリーズなどはその系譜に明確に連なる存在と言えるでしょう。
産業革命・カウボーイと銃器への親しみがもたらした「兵器としてのメカ」への親和性
ここで、先に述べた「侍(サムライ)」の話に戻ります。アメリカには、甲冑を着て剣を振るう騎士の文化が存在していたわけではありません。その代わりに、途切れることのない産業革命があり、産業機械の力が社会の中心にあった歴史があります。さらに、ロマン化されたカウボーイのイメージですら、大規模な牧畜という産業的現実を背景にしています。
そのため、「ダグラム」や、間接的には「ボトムズ」に由来するようなメカが登場すると、それらは産業機械を文化的背景として見慣れているアメリカ人の心に強く響いたのです。軍事面においても同様です。
こうした理由から、「百獣王ゴライオン」がアメリカで「Voltron」として放映され(「Voltron」自体は何度もリメイクされるほどの)人気を博したとしても、それに続く同系統の作品が生まれるほどの深い共鳴は得られませんでした。一方で、「ダグラム」や「ボトムズ」は、まさにそのような共鳴を生み出したのです。
現代のゲームにおける「メカ」への国内外の思想の違い
さて、ではなぜこれらすべてが重要なのか、そして現在のメカゲームとどのような関連があるのでしょうか。
さて、2017年に遡るのですが、私は前述した「アンシーン」メカが関わる 『メックウォリアー』に関する訴訟案件で、アメリカの法律事務所から専門コンサルタントとして雇われたことがあります。もちろん、案件の具体的な内容を明かすことはできません。しかし、この事実が示すことは二つあります。第一に、ここまでお話ししてきた文化的な流れは私個人の意見ではなく、歴史的事実として存在するということ。第二に、文化的に重要であるがゆえに、現在もなお影響はあり続けているということです。
一つの訴訟がそんなに大ごとなのか、と思われるかもしれません。しかし、先ほど『タイタンフォール』シリーズについて触れたように、この文化の先に続く事例がまだまだ存在します。本当に、山ほどあります。
今年の初め、メカ系PvPゲーム『War Robots』は、累計プレイヤー数が3億人を突破したと発表しました。そう、3億人です。
もし同作をご存じない方に端的に言えば 『メックウォリアー』、あるいはこの文脈では、コンバットアーマーを機能的に簡略化したようなメカを操るゲームだと言えるでしょう。
この『War Robots』の開発スタジオが今年の夏にこの成功を記念しようとした際、誰を起用したと思われますか?
そうです、大河原邦男氏です。そして彼が描き下ろしたメカデザインは、「ダグラム」にそのまま登場していてもおかしくないようなスタイルのものでした。

私は、国際的に成功するためには、すべてのメカゲームが「ダグラム」や「ボトムズ」のような見た目や、そこに立脚したゲーム性であるべきだ、と言いたいわけではありません。しかし、この「文化的交差点」の起源を理解することは非常に重要です。既存の歴史から学ぶことで戦略的な利点を得られるだけでなく、すでに「何がうまく機能しているのか」という具体性を把握できるからです。
『アーマード・コア』のユーザー数が3億人にならなかった理由
また、『Z.O.E ZONE OF THE ENDERS』や『アーマード・コア』シリーズの第4世代・第6世代が、同じような形で国際的に強く響かない理由もここにあると考えています。これらの作品が明らかにTVアニメ「蒼き流星SPTレイズナー」──高橋良輔氏と大河原邦男氏によるもう一つの優れたコラボレーション──や、そこで描かれた戦闘のスタイルから直接的、あるいは間接的に影響を受けているにもかかわらず、「レイズナー」がアメリカでブルーレイとして発売されたのは2023年であり、国際的には、それ以前の文化的な存在感がまったくなかったためです。
さらに決定的なのは、「レイズナー」に登場するメカが、すでに確立している「ダグラム」や「ボトムズ」の基盤から見て、あまりに高度で、リアリティの面でも飛躍しすぎているという点です。
現代の 『メックウォリアー』や 『バトルテック』 のゲームは一定の成功を収めていますが、『War Robots』がそれ以上の大成功を収めている理由の一つは、操作がよりシンプルかつ直感的である点にあります。メカゲームにおいて、操作系を複雑にしすぎてしまうことが成功を妨げる“お約束の落とし穴”である、という点については、今後の記事で改めて取り上げる予定です。
海外でロボゲーを売るならローカライズは本当にきちんとしよう
最後になりますが、これらすべてには大きな注意点があります。もし軍事系メカのシューティングゲームを制作し、それを国際的にヒットさせたいのであれば、まず間違いなく、英語ローカライズや海外向けプロモーションに多額の予算を投じる必要があります。
英語ローカライズに関しては、frognationを強くお勧めします。彼らは英語吹き替え・ローカライズの最高峰であり、日本のゲーム開発と長年にわたる成功実績を積み重ねてきた信頼できる存在です。
また、国際的なプロモーションについては、日本国内の少なくとも5倍以上の予算を見込むべきです。海外のゲーム市場は非常に大きく、かつ情報量が圧倒的に多いため、注目を集めるには相当な声量でアピールしなければなりません。つまり、どれほど優れたメカゲームを制作したとしても、十分な宣伝を行わなければ成功は望めないということです。ここだけは、決して手を抜いたり、安く済ませたりしてはならない部分なのです。
国際的な「メカ」認識の起点を学べば、それは力となる
繰り返しになりますが、以上の話は日本国外、とりわけゲーム分野において、メカがどのように受け止められてきたかを理解し、参考にしていただくためのものです。もちろん、創作においてはご自身の情熱を最優先すべきですが、「ダグラム」や「ボトムズ」が国際的に与えた影響から学ぶことは、国際的なゲーマーたちへとゲームを届ける上で大きなアドバンテージとなるはずです。
オリー氏とともに「ロボゲー」を作ることに興味のあるスタジオや団体は、この記事の末尾にある氏のプロフィールから個別に問い合わせていただけますと幸いです。








