昨今、インドのゲーム産業は急速な成長を続けています。コンシューマーからPC、モバイルまで、その成長のスピードには目を見張るものがありますし、eスポーツも盛んになってきました。さらに近年では、インド人クリエイターが開発し、インド人を主人公とした作品も続々と誕生しています。つまり現在では、「ゲームの中にインド人が登場する」こと自体は、もはやそれほど珍しいことではありません。
では、そうしたインド本国で制作された作品はいったん別として、インド国外で制作されたゲームに登場する「インド人キャラクター」と聞いて、誰を思い浮かべるでしょうか。
おそらく日本では、多くの人が『ストリートファイター』シリーズのダルシムと答えるでしょう。
『ストリートファイター』ファンであれば、1996年の『ストリートファイターEX』に登場したダラン・マイスターも思い出すかもしれません。そして2026年、『ストリートファイター6』には、新たなインド人ファイターとしてアルジュンが追加されることになりました。
屈強な肉体に立派な口ひげ。どこかヤシュやアッル・アルジュンのような南インド映画のアクションスターを思わせるヴィジュアルにも見えます。1991年にダルシムが登場してから35年。ゲームにおけるインド人像も、ずいぶん現代的になった……と言いたいところですが、話はそれほど単純ではありません。
なぜなら、アルジュンが操る格闘スタイルもまた「ヨガ」だからです。結局、日本にとっては、インドのイメージは、まだまだヨガなのです。
そこで、あることが気になってしまいました。そもそも格闘ゲームには、インド人のキャラクターが何人いるのでしょうか……。
ゲーム全体では意外と多いインド人キャラ
もちろん、ゲーム全体に視野を広げれば、インド人、あるいはインドにルーツを持つキャラクターがまったく存在しなかったわけではありません。
例えば『アンチャーテッド』シリーズには、インドにルーツを持つ父親を持つクロエ・フレイザーが登場します。2017年の『アンチャーテッド 古代神の秘宝』では主人公となり、インドを舞台として、自身の家族のルーツにも関係する冒険を繰り広げました。『オーバーウォッチ』シリーズにも、インド出身のサティヤ・ヴァスワニことシンメトラが登場しますし、同シリーズにはドミナもいます。ちなみにドミナは現代的なインド人女性のイメージを反映しており、世界的にも評判がいいです。
さらに『アサシン クリード』シリーズには、インド人アサシンのアルバーズ・ミールがいます。コミック作品で初登場したのち、2016年の『アサシン クリード クロニクル インディア』では主人公に抜擢されました。舞台は1841年のインドで、シク王国と東インド会社をめぐる歴史的状況も物語へ組み込まれています。
つまり2010年代にはすでに、インド人キャラクターは単なる脇役として配置されるだけでなく、インドの歴史そのものを背景としたゲームの主人公まで務めるようになっていました。
さらに「インド人」ではなく、ヒンドゥー神話にまで範囲を広げれば、その存在感は一気に大きくなります。
『真・女神転生』シリーズをはじめ、日本のゲームでもシヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ、カーリーなど、ヒンドゥー教やインド神話に由来する神々が繰り返しキャラクター化されてきました。『ファイナルファンタジー』シリーズなどにも、インド文化や神話に由来する名称・モチーフを見つけることができます。むしろ、全体的にかなり多いかもしれません。
格闘ゲームは極端に少ないのはなぜ??
奇妙なのは、世界各国の人間が直接拳を交えることを最大の特徴として発展してきた対戦格闘ゲームほど、インド人キャラクターが少ないということです。
『鉄拳』や『ザ・キング・オブ・ファイターズ』、『バーチャファイター』などは、いずれも30年以上の歴史を持っています。その間、日本、中国、韓国、アメリカ、ブラジル、メキシコ、フランス、イタリア、ロシアなど、世界各地から膨大な数のファイターを登場させてきました。ところがインド出身となると、主要プレイアブルキャラクターは驚くほど見当たりません。
1990年代まで遡ると、この奇妙さはさらに分かりやすくなります。『ストリートファイターII』の世界的な成功によって、「世界各国から個性的な格闘家が集まる」という構成は対戦格闘ゲームの定番となりました。
データイーストの『ファイターズヒストリー』にも、日本、中国、アメリカ、イギリス、タイ、フランス、イタリアなど、さまざまな国のファイターが登場しました。続編では韓国やケニアにまで出身地域が広がります。それでもインド人はいませんでした。
さらに象徴的なのが『ワールドヒーローズ』です。タイトル通り、世界各地の英雄や歴史的人物をモチーフとしたファイターたちが戦う作品で、服部半蔵、ジャンヌ・ダルク、ラスプーチン、ジンギスカンなどを大胆にアレンジした人物が登場します。何よりインドも対戦ステージとして登場するにもかかわらず、インド人ファイターはプレイアブルキャラクターとして採用されませんでした。
インドはステージとしては採用されるが、インド人は戦わない。そんな状況が長く続いていたのです。
「インド」モチーフはあるのに「インド人」が不在問題
5月に新作映画が公開されたばかりの『モータルコンバット』シリーズにも似た現象を見ることができます。同シリーズには、『Mortal Kombat 11』のレインのように、インド亜大陸に由来する短剣「カタール」を武器として使用しており、水や雷を操る半神という設定やヴィジュアルには、インドラをはじめとする南アジアの神話世界を連想させる部分が多いです。
それ以外にも南アジアやヒンドゥー神話を想起させるような名称や造形も見られますし、意識していることは明確です。かと言って、四本腕のゴローやシヴァは、架空世界に属するショカン族です。現実世界のインドにルーツを持つ人間ではありません。
ここは分けて考える必要があります。ゲームには昔から「インド的なもの」が大量に存在していました。
ヨガ、ヒンドゥー神話、神々、寺院、象、蛇、神秘思想……。しかし、それらをゲームのモチーフとして利用することと、一人の現代インド人を人物として描くことは同じではありません。
言い換えれば、長年にわたってゲームの中には「インド」は存在していました。それでも「インド人」は驚くほど少なかったのです。
数少ないインド人ファイター
もっとも、ダルシムとダラン以外にインド人ファイターがまったく存在しなかったわけではありません。
マイナーな作品まで範囲を広げれば、いくつかの例を見つけることができます。2002年の対戦格闘ゲーム『レイジ・オブ・ザ・ドラゴンズ』には、インド出身と設定された巨漢ファイター、アブボ・ラオが登場しています。
さらに2023年には、ブラジルのStatera Studioが開発した『Pocket Bravery』にマリカ・シャルマ、翌年の『Diesel Legacy The Brazen Age』には、架空の村を出身としているため断定できないものの、ナイラが登場します。どちらもインドを背景とする女性ファイターという意味でも興味深い存在です。両作のようにインディーゲームにまで目を向ければ、まだいるとは思いますが、世界的人気を誇る主要な対戦格闘ゲームにおいては、インド人が極端な少数派だったことがわかります。
イメージとして最強のダルシム
そのなかでダルシムの知名度だけが突出していたため、30年以上にわたり、「格闘ゲームのインド人=ダルシム」という状態が続いてきました。
1991年に誕生した「インド人」ダルシムは、それぞれの国を一瞬で理解できるよう、キャラクターに分かりやすい文化的記号が与えられていました。
中国ならチャイナドレス姿の春麗。ソ連なら巨漢レスラーのザンギエフ。アメリカなら軍人のガイル。日本なら空手着を着たリュウと相撲取りのエドモンド本田。そしてインドならヨガであり、ヴィジュアル面では、ガンジーも意識されています。
ダルシムは痩せた身体に髑髏の首飾りを着け、腕や脚を自在に伸ばし、炎を吐きます。もちろん、これは現実のヨガを忠実に再現したものではありません。
ダルシムは、当時国外で共有されていた「神秘の国インド」というイメージを、格闘ゲームのキャラクターとして極端なまでにデフォルメした存在だったのです。ところが、そのキャラクターデザインがあまりにも成功しました。ダルシムは世界的人気キャラクターとなり、逆に「ゲームに登場するインド人」のイメージそのものを作り上げてしまいました。
しかし、インド側から見たダルシムは少し違います。ここで忘れてはいけないのが、世界的に有名な「インド人キャラクター」であることと、インド人自身が「自分たちを代表するキャラクター」として受け入れることは別問題だということです。
ダルシムについては、その造形を国外から見たステレオタイプなインド像として批判するインドのプレイヤーや論者も存在してきました。一人のキャラクターに、外国人視点の「インドらしい」と考えるものがこれでもかというほど詰め込まれています。
10月16日に公開される「ストリートファイター/ザ・ムービー」のダルシム役にイケメン俳優として知られるヴィドゥユト・ジャームワールをキャスティングしたのは、ステレオタイプのなかのせめてもの抵抗だったのかもしれません。
もちろん、「インド人はダルシムを嫌っている」と一括りにすることはできません。長年『ストリートファイター』に登場してきた人気キャラクターとして親しまれている側面もあり、インド人プレイヤーの評価も一様ではないからです。
それでも、ダルシムがリアルなインド人像ではなく、国外から想像されたインドを象徴するキャラクターとして批評の対象になってきたことは重要です。
そして、その違和感をより大きくしたのが、ダルシム以外に世界的知名度を持つインド人ゲームキャラクターがほとんどいなかったことでした。
そもそも格闘ゲームというジャンル自体が、ステレオタイプと非常に相性のいいメディアです。数秒間画面を見ただけで、「このキャラクターはどこの国の、どんな格闘家なのか」を理解させる必要があります。
だから日本人は空手家や相撲取りになり、中国人は拳法家になり、ロシア人は巨漢レスラーになっていました。ある意味では、全員がステレオタイプです。
しかし、日本人キャラクターが100人いて、そのうち1人が相撲取りだったとしても、それが「日本人とは相撲取りである」という意味にはなりません。ところがインド人キャラクターが1人しかいなければ事情が変わります。その一人がヨガをして、手足を伸ばし、炎を吐けば、それがゲームにおける「インド人像」そのものになってしまうからです。つまり問題は、ステレオタイプなキャラクターが存在することだけではありません。ステレオタイプ以外の選択肢がほとんど存在しなかったことなのです。
そもそも「インド人」とは?
さらに難しいのは、「インド人」を1人のキャラクターで表現すること自体に無理があることです。インドは多民族・多言語・多宗教国家です。
ヒンディー語だけがインドの言語ではありません。タミル語、テルグ語、ベンガル語、マラヤーラム語、マラーティー語、パンジャーブ語、カンナダ語など、多数の言語が存在します。地域によって料理も服装も音楽も映画も……文化も発展の仕方も全く異なります。
北インドと南インドだけでも文化的な違いは大きく、ナガランドやマニプルなどを含む北東インドまで視野を広げれば、日本人が漠然と想像している「インド人の外見」というイメージすら通用しません。テムス・クローヴァーのように、日本人と言われても通用するような顔立ちのインド人がいます。
それにもかかわらず、海外のポップカルチャーは巨大で複雑なインドを、長年にわたって数種類の記号へ圧縮してきました。
ヨガ、カレー、ターバン、象、ヒンドゥー教、そして「歌って踊る映画」。日本も例外ではありません。むしろインドに対して強烈なステレオタイプを持っていたからこそ、1991年の日本のゲーム会社は、ある意味では迷うことなくダルシムを作ることができたのかもしれません。
「インド人とは何か」と考える前に、「インドといえばヨガ」という、一発で理解できる記号をキャラクターにする。悪意というより、当時のゲームデザインと異文化理解の距離感が、そのままキャラクターになったと考えた方が近いでしょう。
「ヨガではないインド」を提示したダラン・マイスター
だからこそ、ダラン・マイスターは重要な存在でした。同じインド人でも、ダルシムとは正反対です。痩せたヨガ行者ではなく、巨大な肉体を持つレスラーで、精神性より肉体性。遠距離攻撃より投げ技。当初は最強のレスラーになるために打倒ザンギエフを掲げていましたが、後に親友となり、『ストリートファイターV』では、登場はしていないものの、ムービーのなかのセリフで言及(おそらくダランのこと)されていました。
技名などには依然として分かりやすいインド的な記号が使用されていましたが、「インド人=ヨガ」というダルシムが作った図式から離れたキャラクターではありました。
しかし、ダランはあくまで『ストリートファイターEX』シリーズのキャラクターであり、ダルシムに並ぶ世界的な「インド代表」になることはありませんでした。
35年後、新たなインド人ファイター“アルジュン”誕生
そして2026年、『ストリートファイター6』にアルジュンが登場します。ここで興味深いのが、アルジュン誕生の背景です。
『ストリートファイター6』ディレクターの中山貴之氏はインタビューで、インドのユーザーが増えていることや、シリーズにインド出身のキャラクターがそれほど多くなかったことに触れています。これは非常に象徴的です。
1991年のダルシムは、日本のゲーム会社が「世界」を表現するために作ったインド人でした。それに対して2026年のアルジュンは、実際にインドで『ストリートファイター』を遊ぶユーザーが増えていることを開発側が認識したうえで作られたインド人です。
35年間で変わったのは、キャラクターデザインだけではありません。ゲーム産業とインドとの関係そのものが変わったのです。
ではアルジュンによって、『ストリートファイター』のインド人表象はステレオタイプから脱却したのでしょうか……。正直、そうは言えません。
アルジュンを初めて見たとき、筆者が真っ先に連想したのは南インド映画のアクションスターでした。明らかに「バーフバリ」シリーズや「RRR」などの影響が強いからです。
屈強な肉体を持ち、立派な口ひげを蓄え、圧倒的な力で敵をなぎ倒す「マス・ヒーロー」のイメージも、国外の人々がインド映画を想像するときの新しい記号のひとつになっていますし、アルジュンのヴィジュアルは、そうしたイメージと奇妙なほど重なります。
しかし、ここで重要なのは、アルジュン自身が南インド出身の人物として設定されているわけではないということです。現在明らかになっている設定では、アルジュンは「インド出身」とされています。つまり、「南インド出身者だから南インド映画的なデザインになった」と説明することはできません。
むしろ国外から見て分かりやすくなった「現代のインド」のイメージとして、南インド映画のマス・ヒーロー的な男性像が、インド人全体を示す新しい記号として使われているようにも見えるのです。
もちろん、カプコンが特定の南インド映画や俳優をモデルにしたと公表しているわけではありません。したがって、これはあくまでアルジュンのヴィジュアルから筆者が感じる文化的な類似です。しかし、その「そう見えてしまう」ということ自体が興味深いのです。
「神秘のインド」から「南インド映画的なインド」へ
ここに、ダルシムからアルジュンまでの35年間の変化が凝縮されているように思います。
ダルシムは「ヨガ、修行僧、神秘思想」という20世紀的なインドのステレオタイプから作られました。アルジュンは「屈強な身体、口ひげ、豪快なアクション」という、南インド映画が世界的に知られるようになった時代のインド像をまとっています。
つまり、ステレオタイプがなくなったわけではありません。ステレオタイプの種類が変わったのです。しかも、古いステレオタイプが完全に消えたわけでもありません。
なぜなら、アルジュンの格闘スタイルもまたヨガだからです。開発陣自身もアルジュンの制作について、自分たちの中に「インド=ヨガ」という刷り込みがあったことを語っています。つまり35年後に新しいインド人ファイターを考えた日本のゲームメーカーが、結局もう一度「ヨガ」に戻ってきたわけです。
しかし、現代のインド人にとって、ヨガを格闘スタイルとして扱う描写は一般的ではありません。一般的に知られているヨガというのは、インドというよりも欧米を経由して体操やフィットネスの要素と融合したものであり、インド映画においてもヨガを戦闘スタイルとして使用した作品はかなり少ないのが現状です。それよりもカラリパヤットやアディムライをはじめ、インド固有の武術をモデルとした戦闘スタイルの方が圧倒的に多いのです。つまり選択肢はかなり多いはずなのに、「ヨガ」に執着していること自体が、あまりアップデートされていないともいえます。
「現代的でおしゃれなインド人」はゲームの世界にもいない問題
もちろん、現代のインドには実にさまざまな人々が暮らしています。ベンガルールのIT企業で働く若者もいれば、ムンバイやデリーのクラブへ遊びに行く若者もいます。ヒップホップやR&Bを聴き、ストリートファッションやスニーカーを楽しむ人もいます。
インディペンデント音楽、ファッション、アート、ゲーム、アニメなど、世界のほかの大都市とリアルタイムで文化を共有している若者も珍しくありません。当然、それもまた14億人を超えるインドの一側面にすぎません。
しかし、日本のゲームにおけるインド人を見ると、こうした「特別にインドらしくないインド人」は、なかなか前景化されません。
1991年には「ヨガをする神秘的な修行僧」。2026年には「ヨガを使う、南インド映画のマス・ヒーローを思わせる屈強な大男」。見た目は確かに大きく変わりました。
しかし、外国人が見た瞬間に「インド人だ」と理解できる記号を大量に背負わせるという発想そのものは、それほど変わっていないようにも思えます。
だからアルジュンを、単純に「現代的なインド人像へのアップデート」と位置づけることには違和感があります。むしろ、日本から見たインド人のステレオタイプの幅が変化したと考えた方がしっくりきます。
次は現代的なインド人女性キャラなど、これまでと違うインド人像を見てみたいものです……。






