『Detroit: Become Human』をプレイしたら「仮面ライダーゼロワン」がもっと面白くなった【年始特集】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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『Detroit: Become Human』をプレイしたら「仮面ライダーゼロワン」がもっと面白くなった【年始特集】

「仮面ライダーゼロワン」と『Detroit: Become Human』の違いや共通点を分析。両作をより楽しみ、そしてAIが普及した未来を夢想すべく、アンドロイドを巡るこれら2作品に注目します。

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『Detroit: Become Human』をプレイしたら「仮面ライダーゼロワン」がもっと面白くなった【年末年始特集】
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突然ですが、読者の皆さんは「仮面ライダー」シリーズをご覧になっていますか? 筆者は生粋のゲーマーであると同時に生粋の「仮面ライダー」ファンでもあり、大人になった今でも毎週欠かさず「仮面ライダー」シリーズを視聴しています。ちゃんと朝9時からテレビの前に座ってかじりつくようにして見ています。

記事執筆時点で放送されているのは、令和初となるシリーズ作品「仮面ライダーゼロワン」。本作は「AI(人工知能)」をテーマにした特撮ドラマで、人工知能搭載人型ロボット「ヒューマギア」が一般に普及した社会における仮面ライダーの活躍を描いた作品です。

主人公の飛電或人=仮面ライダーゼロワン(画像2枚め)。
ヒューマギアを製作する大企業「飛電インテリジェンス」の社長でもある

いわゆる「AIモノ」の例にもれず、本作では自我や感情に目覚めた(作中ではシンギュラリティと呼称されます)「ヒューマギア」たちの悲哀や苦悩とそれを取り囲む人間たちの葛藤がヒーロードラマとして描かれます。もちろん、子ども向けである「仮面ライダー」シリーズのひとつであるため、一部の表現がマイルドになっていたり、展開がややスピーディーだったりという点はありますが、物語としての面白さは抜群の一言です。

単純にヒーローである仮面ライダーたちのアクションや特撮を観るだけでも面白いのはもちろん、国立情報学研究所が企画協力・監修として参加していることもあり、アンドロイドに相当する「ヒューマギア」に注目したSFとしてもなかなかに秀逸な作品になっています。また、「仮面ライダー」が代々抱える「同族殺しのジレンマ」を造物主たる人間、被造物たるAIに置き換えた着眼点も本作の魅力と言えるでしょう。

そんな同作ですが、先日、最新話までのバックナンバーを振り返る機会があり、改めて現行回までを全て視聴しました。そのとき、筆者にある気づきがあったのです。「あれ? なんか前見た時より面白いぞ……?」と。そしてその理由を考えてみたところ、ある結論にたどり着きました。

「そういえば、最近PC版『Detroit:Become Human』をプレイしたな…!」

確かに両作は「アンドロイドと人間を巡る物語」という共通のテーマを描いた作品であるため、『Detroit』プレイ中に「ゼロワン」を想起することは何度もありました。同時に、「ゼロワン」を見ていると『Detroit』への理解が、『Detroit』をプレイしていると「ゼロワン」への理解がもっと深まるかもしれない、とも感じたのです。

というわけで前置きが長くなりましたが、本記事ではそんな「仮面ライダーゼロワン」と『Detroit:Become Human』の共通点に注目。「AI」を巡る2つの物語が持つ相似点と違いを分析していきます。

先述のコンセプト上、本記事には「ゼロワン」と『Detroit』のネタバレが含まれているので、閲覧に注意してください。同時に、本文で言及している「ゼロワン」は記事執筆時点で放送されている16話までの内容であることをご了承ください。記事後半には、映画「仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション」の軽微なネタバレも含みます。

また、本文内で過去に公開したPR記事へのリンクを挿入していますが、記事の内容を補強するために引用していています。本稿は編集部とライターが独自に企画した編集記事であり、特定の企画/製品のプロモーションに関連するコンテンツではありません。

「ゼロワン」のヒューマギア・『Detroit』のアンドロイド


『Detroit』のLEDと同様のシンボルとして、ヒューマギアにはヘッドギアが取り付けられている

「青いシンボル」「大企業に製造された労働用ロボット」「自我・感情への目覚め」「青い血」など、多数の共通点を持つ両作におけるアンドロイド。しかし、『Detroit』のアンドロイドと「ゼロワン」のヒューマギアには大きな違いがあります。

「ゼロワン」のヒューマギアには、自我に目覚めた後も人間に友好的だったり、彼らの役に立とうとする個体が複数存在する。この点が最も大きな「アンドロイド観の違い」と言える

その最たるものこそ、両作における「アンドロイド観」の違い。『Detroit』におけるアンドロイドは、虐待や暴力、あるいは革命者であるマーカスの手引きをきっかけとして変異体に覚醒する個体が多いことから、そのほとんどが人間への叛意や人間からの独立を目指す意思を露わにします。

これに対し、ゼロワンの「ヒューマギア」は与えられた職務に関する刺激や情熱……つまり、「自身の存在意義を追求する」ことからシンギュラリティに到達することが多く、人間と平穏な形で共存できる可能性が示唆されています。


「滅亡迅雷.net」はヒューマギアによるテロ組織(画像2枚め)。
『Detroit』でいうマーカスらに近い立ち位置だが、彼らはアンドロイドを解放するのではなく、彼らを利用して人類を滅亡させようとしている

ただし、「ゼロワン」においてはヒューマギアによるテロリスト集団である「滅亡迅雷.net」などがシンギュラリティに到達した個体を怪人に相当する「マギア」へと不可逆に変質させ、強制的に人類滅亡の尖兵としています。そのため、潜在的な危険性は恐らく両者とも変わりありません(むしろ、明確に人間を害する攻撃能力を持つ分、「マギア」のほうが危険な存在かもしれません)。

これは筆者の感想ですが、わりと簡単に人間を危害を加えられることが気になった『Detroit』のアンドロイドに対し、「マギア」にこういった理由付けがなされているのは設定上の工夫が感じられました。

人工知能特務機関「A.I.M.S.」のメンバーである不破諫=仮面ライダーバルカン(画像2枚め左)と刃唯阿=仮面ライダーバルキリー(同・右)。『Detroit』でいうコナーとハンクの立ち位置に近い

また、飛電或人以外の登場人物(人間)は概ねヒューマギアのことを「道具」もしくは「排除すべき危険」として見ているため、作中世界における人間の扱い、という面で言えば『Detroit』のそれとさほど変わりはないでしょう。

ただし、『Detroit』における変異体への覚醒がウィルスや伝染病のように描かれているのに対し、「ゼロワン」におけるシンギュラリティはあくまで人間やヒューマギアから得た刺激によって至るもの、という描かれ方。「ゼロワン」のほうがアンドロイドを「人間臭く成長するもの」として見ているような印象を若干感じました。

とはいえ、「ゼロワン」にも人間の乱暴な扱いに対して自我や感情を持つともとれる描写が存在するため、『Detroit』然とした覚醒の可能性も示唆されている

ちなみに、「ゼロワン」の主人公である飛電或人は自身の境遇からヒューマギアのことを「家族」と呼称・認識しています。Game*Sparkが「ゼロワン」放送開始以前に行ったスクウェア・エニックスのテクノロジー推進部 リードAlリサーチャーである三宅陽一郎氏への『Detroit』に関するインタビューにおいて、同氏は「創作におけるAIの反乱」について下記のようにコメントしていました。ゼロワンにおける主人公・飛電或人の考え方や「ヒューマギア」の在り方は、『Detroit』のそれに対して日本的な文化に端を発したものかもしれません。

三宅氏:西欧の作家たちが「AIが反乱を起こす」物語を書きたがるのは、西欧社会では、神→人間→AIという序列がはっきりしていて、AIは必ず「召使い」になるからなんです。AIが感情を持ち、この序列がひっくり返った時にどうなるのかという恐怖を持っているから、エンターテインメントが成立するんですね。

逆に日本人は、AIBOとかを見ているとわかるように、AIを友達や家族という対等な存在として見ていることが多いと思います。「生命がないモノに生命を見出す」というのは、日本人が持つ高度な文化の一つですね。もしかしたら、海外の方と日本人では、『Detroit』のプレイ感覚が違ってくるかもしれません。



また、もうひとつ興味深い要素として、『Detroit』ではアリスとカーラを通して、「ゼロワン」では滅亡迅雷.netの滅と迅を通して、どちらも「アンドロイド/ヒューマギア同士の疑似的な親子関係」を描いている点が挙げられます。

しかし、CERO:Dのゲームである『Detroit』では両者の愛情(プレイヤーの選択にもよりますが)を描くのに対し、子ども向け番組である「ゼロワン」においては愛情の欠如した親子関係が描かれており、ここに両作の対照性を見つけられます。さらに言えば、「ゼロワン」では飛電或人と父・其雄を通して、『Detroit』ではカーラと真実が発覚する前のアリスを通してアンドロイドと人間の比較的健全な親子関係を描いているのも対比として印象的でしょう。

上記のように『Detroit』のアンドロイドと比べればやや希望のある性質を持つヒューマギアですが、子ども向けの番組であるがゆえに「親子」の描き方に違いが出るのかもしれません。ただし「ゼロワン」においては、過去の「平成ライダー」シリーズでも「創造者にして酷薄な(父)親」というテーマが頻出しているため、これらの踏襲である可能性も考えられます。

アンドロイド・ヒューマギアが変えた両作の世界



「もしアンドロイドが労働力として普及した世界で、彼らが人間に蜂起したら?」というテーマを描いた両作ですが、その世界観の掘り下げ方にはそれぞれかなりの差があります。

ノースやトレイシーのようなヒューマギアは「ゼロワン」には登場しない。一方で、香菜澤セイネのようなアンドロイドもまた『Detroit』には登場しない

例えば、『Detroit』で描かれていた「性風俗産業に従事するアンドロイド」や「アンドロイド生産企業と政府による癒着の可能性」は、ゼロワンでは(少なくとも直接的には)描かれていません。一方でゼロワンに描かれている「(作中の)実在人物を模倣したヒューマギア」は『Detroit』に存在せず、これらの要素からは両作が想像する未来の違いや、作品としての特性、対象とする視聴者・プレイヤーの違いがうかがえます。

その中でも、筆者が両作間のコントラストを最も強く感じたのは「アンドロイド/ヒューマギアへの人種差別を想起させる描写の有無」です。『Detroit』ではアパルトヘイトやホロコーストを思わせる表現が直接的に描かれていますが、「ゼロワン」におけるヒューマギアはあくまで「ヒトはヒューマギアという道具とどう向き合うべきか」という見方で語られており、「種族としてのヒューマギア」「差別されるヒューマギア」という題材はまだ見られません。ただし、酷使されるヒューマギアというのは散見されます。このあたりの描写からは、『Detroit』に頻出した「奴隷」という印象に比べ、日本のブラック企業をはじめとした劣悪な労働環境という背景が想起されます。

飛電或人(画像2枚め・中央)はヒューマギアに育てられた経験がある。
さらに祖父がヒューマギアの開発者であるため、ヒューマギアは家族であり、人類の夢であると認識/呼称している。

同様に、『Detroit』ではアンドロイドの人権に関する言及や描写が多々見られますが、「ゼロワン」は主人公・飛電或人の「ヒューマギアは人類の夢である」という思想もあり、「ヒトとヒューマギア双方にとっての健全な付き合い方の模索」を描くに終始しています。

というのも、「ゼロワン」には「お仕事もの仮面ライダー」という側面があることが明かされており、「人権やアンドロイドの受容」よりは、「現実世界に存在する特定の仕事はAIで代用可能なのか、可能だとしてそれを利用する人間はどうAIと向かい合うべきか」という視点の方が強くなっていることがうかがえます。この点においては、やはり「ゲーム」と「特撮ドラマ」という媒体がそれぞれ持っているターゲットの年齢層の違いが如実に現れているのではないでしょうか。

一方で「アンドロイド/ヒューマギアと人間の親愛」「アンドロイド/ヒューマギアの闇ブローカー」「神話的なキーワード」などの描写は共通しており、このあたりは創作における普遍的なお決まりとして、比較的類似したテーマが見てとれます。「アイ,ロボット」や「ターミネーター」シリーズなど、人間に似通ったロボットが出てくる作品でも定番の切り口です。

『Detroit』ではカムスキーやrA9を通してメタ認識を含む宗教的な背景が語られる。一方、ゼロワンにはデザインや名称として神話的な意匠が埋め込まれている

ただし「神話的なキーワード」については、『Detroit』ではキリスト教的な「神とその被造物」という宗教的な思想が見え隠れするのに対し、「ゼロワン」では令和初の仮面ライダーという意気込みや、暗躍するZAIAエンタープライズの思惑、そして「ショッカーと改造人間・仮面ライダー1号の関係」のなぞらえといった意味合いがやや強いように感じられます。このあたりは海外(Quantic Dreamはパリのデベロッパー)発である『Detroit』と国内発である「ゼロワン」のお国柄的な違いと言えるかもしれません。

とはいえ、キーキャラクターである「仮面ライダーバルカン」「仮面ライダーバルキリー」の名前に神話関連の言葉が入っていたり、ノアの箱舟を思わせるキーワードやアイテムが登場することもあり、「ゼロワン」にも「神と被造物」というテーマが、デザインやモチーフとして落とし込まれている可能性は想像に難くありません。余談ですが、筆者は「仮面ライダーゼロワン」という名称が01=唯一神の隠喩であるというSNS上の考察を勝手に支持しています。

また、記事執筆時点での次回作である「ゼロワン」17話では、「人間がヒューマギアと同等のスぺックを発揮可能になるアイテム」の登場が示唆されています。まだ実際に登場していないため詳しい言及は控えますが、もし「人間がAIを必要としなくなった社会におけるアンドロイド」が描かれるのであれば、これも『Detroit』との大きな差異のひとつになるかもしれません。

とはいえ両作エンターテイメント。超難解SFというわけではないけれど……



……と、ここまで書きましたが、『Detroit』も「ゼロワン」もエンターテイメント性を十分に含んだ作品です。『Detroit』のほうが年長者向けのゲームという特性だけにややハードコアな展開も見られますが、どちらも難解なSFだけを目指した作品ではありません。『Detroit』であればアドベンチャーゲームとしての面白さを、「ゼロワン」であれば特撮ドラマとしての面白さを目的とした作品でもあります。


その上で両方を味わった筆者の個人的な見解を述べるのであれば、『Detroit』をプレイ中にシナリオだけでなく街のディテールや雑誌から確認できる社会情報に惹かれた方は、ぜひ「ゼロワン」を視聴してみるべきだと思います。1話2~30分程度なのでテンポは速いですが、『Detroit』で描かれた社会問題がもう少し日本人にも身近な形で描かれており、より現実世界におけるアンドロイドの可能性や危険を夢想しやすくなるでしょう。後述の映画を含め、アクションにもなかなか力が入っているため、見どころも満載。何より、仮面ライダーがとても格好いいです。


逆に、「ゼロワン」を視聴していてもう少し「ヒューマギア」の悲哀や個々の動向に注目したいと思った方は、ぜひ『Detroit』をプレイしてみるべきだと思います。基本的にアンドロイド視点で話が進み、あくまで彼らを主役とした物語が展開されるため、それぞれの葛藤や悩みにより注目できます。同作は体験版を配信していますし、よりシナリオに集中すべく簡単にプレイできる難易度も用意されているため、ゲームが苦手な方も安心です。



共通の題材を描きながらも細かいところで異なるアプローチがうかがえる「ゼロワン」と『Detroit』。片方だけでも面白いのはもちろんですが、両方を楽しむことで更に深い体験が味わえる作品ですので、どちらかしかプレイ/視聴していない……という方は、『Detroit』PC版の発売、あるいは「ゼロワン」の映画が公開されたこの機会にチェックしてみては如何でしょうか。

ちなみに、公開中の映画「仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション」では、「ゼロワン」におけるヒューマギアの労働問題や彼らの「心」に関する事情などが、TV本編より少し掘り下げて描写されています。「もしヒューマギアが人類に蜂起したら?」というより『Detroit』に近い世界観を描いた作品でもあるので、「ゼロワン」に興味のある『Detroit』プレイヤーはこちらもあわせて視聴しておくといいでしょう。

そんな「仮面ライダーゼロワン」ですが、毎週日曜日朝9時からテレビ朝日系列にて放送中。最新話を含むバックナンバーは東映特撮ファンクラブなどから視聴できます。『Detroit: Become Human』はPS4/PC(Epic Gamesストア)向けに配信中です。体験版はPlayStation Store/Epic Gamesストアにてダウンロードできます。
《吉河卓人》
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