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『This War of Mine』あなたの心が写真と通じ合う 報道資料に残る「市民の戦争」【ゲームで世界を観る#10】

For whom the bell tolls; it tolls for thee.

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『This War of Mine』あなたの心が写真と通じ合う 報道資料に残る「市民の戦争」【ゲームで世界を観る#10】
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『This War Is Mine』のモチーフとなったのは東欧の旧ユーゴスラビアで1990年代に起きた「サラエヴォ包囲」です。1992年から1996年の約4年間に渡り軍事によって都市封鎖が行われ、約30万人が取り残されました。爆撃や銃撃、飢餓と殺人で11,541人の一般市民が犠牲となり、そのうちの1601人は幼い子供です。

民主化に伴う独立運動で互いに排除しようとした結果、民族同士で憎み合っていたことが背景にあります。しかしここではあえて詳しく述べません。市民に向けられた迫撃砲や狙撃は無差別に降りかかっていたからです。本記事では『This War Is Mine』をプレイして考えたことを思い返しながら、現地で撮影された市民生活の写真を見ていきます。

Photo by Samir Yordamovic/Anadolu Agency/Getty Images

本作のラジオでは、毎回必ず「市場が爆撃を受け60人以上の死者が出た」というニュースが流れます。これは「マルカレ虐殺」と呼ばれる実際に起きた出来事で、68名の死者、144人の重傷者という大惨事となりました。この写真にあるのは「サラエヴォのバラ」という血痕を模したアートで、死者が出た場所の痕跡を赤い樹脂を使って伝えるものです。

Photo by Jon Jones/Sygma/Sygma via Getty Images

ゲーム中でも時々見かける「Welcome to Hell」の文言は、サラエヴォ市街地で実際にあった落書きです。「安心」というものがことごとく奪われたこの場所はまさに地獄だったことでしょう。

Photo by Antoine GYORI/Sygma via Getty Images

シェルターに身を寄せて眠る人々。襲撃に備え、見張り役になった男性がライフルを構えています。占領下では武装した兵士が民家に押し入り、強奪や殺人が横行していたと言います。困窮した市民による略奪もあるため、寝込みを襲われるのはとても危険でした。

Photo by David Bathgate/Corbis via Getty Images

完全に遮断された市街地からなんとか外部に接続するため、地下に約800メートルのトンネルが掘られました。「希望のトンネル」と呼ばれ、ここから支援物資や武器の搬入、負傷者の待避が行われました。しかし敵側に存在が知られると、入り口付近を狙って集中的に攻撃されました。

Photo by © Patrick Robert/Sygma/CORBIS/Sygma via Getty Images

開けた通りを全速力で駆け抜ける人々。その表情には狙撃される恐怖がありありと滲み出ています。地面に残る染みがここで何があったかを物語りますね。ゲーム中では昼間の行動は屋内に制限されていますが、一歩外に出ればスナイパーと迫撃砲の標的にされてしまいます。動くものは何でも、子供であろうと動物であろうと無関係でした。直線上に走るのも危険なので、わざと曲がりながら走るなどして身を守りました。時々玄関先まで物資を持ってきてくれる人たちも、この恐怖をくぐり抜けてきているのでしょう。

Photo by Kevin Weaver/Getty Images

サラエヴォは1984年に冬季オリンピックが開かれるほど、冬には氷点下になる寒さに見舞われます。ガス、電気、燃料もない状況では、木材などの燃やせるものをかき集めて暖をとらなければ凍死してしまいます。この写真では降り積もる雪と凍結した路面が見て取れます。そりに乗せているのは壊した建具や家具でしょうか?これだけあっても火にくべればあっという間、命がけで薪集めを繰り返していました。

Photo by Antoine GYORI/Sygma via Getty Images

完全に周囲から遮断されていたサラエヴォですが、安全地帯となる「人道回廊」を設け、赤十字やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によって物資の支援が行われました。写真は食糧配給に殺到する人々です。街中すらまともに歩けない状況では代表者が一人たどり着くのがやっとで、それぞれが待っている家族のために必死で配給をもらおうとしています。

この時にUNHCRのトップとして対応に当たったのが緒方貞子さんでした。自前へ有利にさせようとする各勢力に対し、政治的に与しないよう駆け引きを繰り広げたそうです。

Photo by Kevin Weaver/Getty Images

大きなパンを両手に2つ抱える少年。我慢できなかったのか、ほんのちょっとつまみ食いしたようですね。一人で子供を使いに出すのも危険な状況なのに、おそらく家族の分であろう配給のパンを受け取りに来たようです。ほかに動ける人がいないということなのでしょうか。病気か怪我か、あるいは…

サラエヴォ包囲の話自体は、おそらく現代史や報道で知ってはいるでしょう。ですが、これまで写真や映像を見ても、実感が湧かなかったり、遠い国の出来事として距離を感じたりしていたと思います。

『This War of Mine』をプレイした皆さんは、これらの写真を見て何を感じたでしょうか。わずかな食料で耐え忍んだ日々、寒さに凍えてやむなく本を火にくべたこと、夜の襲撃で子供が大怪我を負ったこと、スナイパーに撃たれて死んでしまったこと…ゲームの中で体験した苦しい気持ちを、写真の中の人々が背負っていることに気がついたはずです。

仮想であっても同じ立場に立ち、凍えて飢え死にしそうな家族を守るために何をするべきが必死に考える。受け身で知るだけでは感じることが難しいひもじさや葛藤を自分のものにしたからこそ、ニュースの向こう側にいる人々と気持ちをリンクできたのです。これが本作が持つ「シリアスゲーム」としての側面なのです。

冒頭で言葉が引用されているヘミングウェイ。その代表作は言わずと知れた「誰がために鐘は鳴る」です。このタイトルの意味は、遠くのどこかで誰かが死んだとしても、それは同じ人間であるあなたの仲間が死んだのであり、無関心であってはならないということです。シリアやアフガニスタンで今起きていることも、私たち同じ人間が銃を向け合い、命を落としているのを忘れてはいけません。

最後に、当時のサラエヴォに潜入取材を敢行した貴重な映像をご紹介します。常に鳴り響いている銃撃の「音」が生々しいです。重傷者が映る場面もあるので覚悟の上ご覧ください。

《Skollfang》

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