【ネタバレあり】
本記事は『SILENT HILL f』の物語の内容に言及しています。
2週目クリア以降にお読みください。

『SILENT HILL f』の舞台となる戎ヶ丘では狐を祀った稲荷信仰が盛んで、街のあちこちで狐の像や祠、捕らえた鼠などの供え物を見つけられます。また、狐の祟りや狐憑きと噂される謎の病がでるなど、シリーズの外伝的作品でありつつも正統Jホラーのエッセンスがたっぷりと染み込んでいます。

日本における稲荷神の信仰は大陸から渡来した秦氏が始まりであり、農耕を起点に食物や商売、火除けなどを習合しながら、全国に約3万社ある最も数の多い神社として広まっています。江戸では「伊勢屋、稲荷、犬の糞」などと言われるほど、多すぎるものの一つに入れられていました。現代でも商業ビルの屋上に稲荷神の社を設けることが多く、申し込みをすれば御朱印をもらえる百貨店もあります。

狐はその神々の眷属(神使)として仕え、命婦大神などの一部を除いて、本来であれば狐自体が信仰の対象ではありません。ですが御稲荷さんといえば狐そのものを意味するなど、主神よりも狐のイメージの方が強いように、伏見稲荷の大本の信仰と、広まる過程で別の要素が取り込まれていった「稲荷」の信仰にはずれが生じているのです。伏見稲荷大社では以下のように説明しています。
いつでもどこでも、稲荷大神のご分神を祀ることができた反面、先のように野ぎつねの窟が基となって稲荷勧請を行なったり、当社以外の者が勧請を行うなど、正当な稲荷信仰とは違う祀られ方をしたものが多くみうけられます。
こうした流れを踏まえ、古くから当社祠官は、「稲荷大神」はけっして「狐霊」ではなく、稲荷勧請に際してもこの点に留意して、断じて「怪異」におよぶものでない旨の請願書を提出させてから「神璽授与」を行うなど、稲荷信仰の拡充については、細心の注意と重厚な権威をもってあたっていました。
しかし時としてその甲斐もなく、「いなり」と「きつね」との関連は「稲荷大神」とその「神使」の関係であるにもかかわらず、「油揚げ」を使った寿司が「いなりずし」と呼ばれるほど、一種の親近感をもって同じ神霊であるかのように感じられていたことは否定できないようです。(伏見稲荷大社公式ページより)

日本の農村には鼠やイノシシなどの害獣を狩る獣を大切にする習慣があり、巣穴などに供え物をする「寒施行」「野施行」が行なわれていました。現在では一部の寺社に残るほか、秩父などの狼信仰の儀礼には、狼が子供を産むとお供え物をする「産見舞」があります。産見舞のお供え物には小豆飯があり、稲荷の狐の好物も同じく小豆飯であることから、元々日本の狼と狐は信仰上近しい立場だったと推察されます。

稲荷創始に近い時期に書かれた平安時代の説話集「日本霊異記」には狐憑きの記載があり、神降ろしや託宣に際しては狐憑きが依り代となるケースも少なくありません。山犬や狸など憑きものとされる獣の中でも、数やバリエーションはやはり狐が多いです。栃木にある殺生石伝説の玉藻稲荷、茨城に伝わる4匹の狐のように、土地に伝わる怪異など霊的な力を持った狐の多くが、稲荷神の眷属と関係なく「稲荷」と混合していった結果、稲荷神社と狐の祟りの伝承が一体化していったのではないでしょうか。

その一方で稲荷神の眷属は当初狐ではなく、近畿圏の賀茂系神社で神使とされていた蛇でした。稲荷神と習合された宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は蛇で表わされることが多く、伏見稲荷の神符には白狐黒狐の上に米俵に乗った一対の蛇が描かれています。栃木県の高根沢町には、岩清水稲荷神社の乗り馬が土地の蛇神という話も伝わっています。狐が主な眷属となったのは後からで、一般的には習合された荼枳尼天(だきにてん)が乗っているジャッカルの代替だと言われています。
この交代を五行的に解釈した説によると、度々大きな被害を出す水害を鎮めるためで、稲荷山にある伏見神宝神社には土地神の水神を祀る龍頭社があり、稲荷山は本来水の気が満ちている場所です。そこに五行の「土剋水」に基づいて、黄色で土の気を持つ狐を宛がうことで洪水を抑えようとした、というものです。『SILENT HILL f』の中でも水神と土剋水をモチーフにした仕掛けがありました。

明治以降には西洋から輸入された降霊術やテーブルターニングと結びつき、現代に至るまでオカルトや都市伝説の文脈に深く入り込んだ狐。猫や狸など動物の怪は様々いますが、習合する神仏のように次々と性質を吸収していく特殊な立ち位置といえるでしょう。その柔軟性こそが狐が時代を乗り越えて信仰され続ける理由なのかもしれません。












