
先日、『アーマード・コア』シリーズへの独自の視点からの言及をきっかけに、多くの日本人から「ロボゲー・ロボアニメ詳しすぎな外国人」として知られるようになったオリー・バーダー氏。実は、氏はゲームやアニメを中心として日本サブカルを海外に長年伝えてきた記者であり、様々なタイトルにかかわってきたゲームクリエイターでした。
弊誌の取材に対して、そんな氏がこぼした最近の悩みと言えば「ロボゲーを作らせてくれるスタジオが見つからない!」ということなのだそう。そこで、本稿では、氏の文章を通じて、氏のもつ「ロボゲー・ロボアニメ」への視点や美学の一端をお伝えしていきたいと思います。
海外と日本で違う「ロボット」の言葉の示す範囲
SNSで私が議論を行う際によく話題に上るのが、「メカ」と「ロボット」という用語が海外では明確に異なる意味で使われているという点です。そこで本稿では、この違いについて、海外側の事情を中心にできる限り詳しく整理してみたいと思います。
日本でメカ、あるいは(巨大)ロボットを表すために用いられている用語の多くは英語からの借用語であり、「メカ」という言葉自体もその代表的な例です。しかしながら、海外における用語の使い分けは、一般的により細分化され、より具体的である傾向があります。
こうした具体性を求める姿勢自体は善意に基づくものではありますが、本来そのような意図で用いられていなかった用語にまで厳密な区別を持ち込んだ結果、海外では大きな混乱を招くことが少なくありません。
また、海外には「オートマタ」をめぐる長い歴史的背景も存在しますが、本稿ではあくまで「メカ」および「ロボット」に関わる話題に特有の側面に焦点を当てることといたします。
はじめに申し上げておきますと、私は英国で育ち、メカを説明するために用いられるさまざまな用語が、細分化され、結果として混乱を招くかたちで使用されているのを目にしてきました。その経験を踏まえ、現在ではほとんどの場合において日本語の意味に沿って用語を用いるのが最も適切であると考えるに至っております。
その理由につきましては、最後にご説明いたします。
この記事では、アニメ、マンガ、ゲームなど、日本文化と特に交差する要素に焦点を当てて取り上げます。
ゴーレムとロボット
信じがたいかもしれませんが、海外においてはメカに関連する用語には独自の歴史的背景が存在します。その最初の顕著な例が、古代の「ゴーレム」です。
ゴーレムは多くの場合、粘土で作られた巨大な存在として描かれ、その額に言葉を書いたり、口に物を入れたりすることで操ることができるとされていました。ヨーロッパ各地には、困難に直面した人々を守るためにゴーレムが用いられたというさまざまな伝承や民話が残されています。
しかしながら、ゴーレムには一つ重要な「落とし穴」があります。それは、誰にでも操ることが可能であり、さらには暴走してしまうこともあるという点です。ある意味では、ヒーローであるかどうかに関わらず、リモコンを持つ者の命令に従う「鉄人28号」の設定にやや似ていると言えるでしょう。
こうした背景を踏まえたうえで、次に「ロボット」という用語について考えてみたいと思います。
この言葉には非常に明確な起源があります。1920年に発表されたチェコの戯曲「ロッサム万能ロボット会社(Rossum’s Universal Robots)」に由来するものです。この物語においてロボットとは、人工的に創造された人間に似た外見を持つ奴隷労働者であり、やがて人間の主人に反乱を起こし、彼らを殺害する存在として描かれています。
メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」にも見られるように、文学は何世紀にもわたり「人工生命」を創造することの危険性について私たちに警鐘を鳴らしてきました。しかしながら、現在シリコンバレーを率いる人々の中には、こうした警告を意に介していないように見受けられる向きもあります。
なお、「ロボット」という言葉が偶然に用いられたわけではありません。スロバキア語の「robota」は「労働」を意味します。
しかしながら、その人間に似た外見ゆえに、「ロボット」という語は、私たちによく似た姿を持ちながらも、自らの意志を備えた存在を指す言葉として理解されるようになりました。
(編注:このあたり、「鉄腕アトム」や「ドラえもん」だけでなく「鉄人28号」も作中で「ロボット」として定義された日本とは、語の持つ意味が大きく異なるということです)
アンドロイドと「ドロイド」

「アンドロイド」という用語は、1728年に人間の形をした自動人形(オートマトン)を指す言葉として初めて用いられました。その後の数世紀にわたり、この語はSF作品の中で広く使用されてきました。たとえば「スタートレック:ネクスト・ジェネレーション」に登場するデータのようなキャラクターは、単にロボットと呼ばれるのではなく、明確に「アンドロイド」と称されています。
その後、この言葉は1977年公開の「スター・ウォーズ」において「ドロイド(droid)」へと短縮され、あらゆる種類のロボットを含む呼称として用いられるようになりました。特に重要なのは、必ずしも人間型でない存在までも含める形で使われた点です。
アンドロイドとドロイドのいずれにおいても重要なのは、やはり「自らの意志を持つ存在」であるという点にあります。
近年では、「Android」という言葉はロボット由来の意味よりも、モバイル向けオペレーティングシステムとしての名称のほうが広く知られるようになりました。そのため、「スタートレック」をご覧になっていない方と話をする際には、この用語が再び混乱を招くこともあります。
(編注:そういう意味ではアンドロイドのキャラクターに「うるさい。おまえなんかロボットだ」とするのはむしろ現代的には海外の方にもわかりやすいという結果に)
メカとメック

現在では「メカ(mecha)」という用語がより一般的に使用されていますが、海外においては、この言葉には「ロボット」と区別するための追加的な意味合いが含まれています。
すなわち、「メカ」とは人が搭乗して操縦するものを指し、一方で「ロボット」は自らの意志を持ち、必ずしも外部から操作される存在ではないものを意味する、という区別がなされています。
また、「ロボット」という語は「メカ」よりも古くから存在しているため、日本のメカアニメやメカゲームについて言及する際には、この区別が便利であると考えられる場合もあります。
さらに、「メック(mech)」という別の用語も存在しますが、これを広範な「メカ」の代わりとして用いるのは適切とは言いがたい表現であり、かつ、意識してそのような言い回しをする際には日本のメカの実情を意図的に無視するために用いられている側面があります。
「メック」という語の起源は『バトルテック』および『メックウォリアー』にあります。これらの作品では、メカは「バトルメック(battlemech)」と呼ばれており、「メック」はその略称として特定のデザイン群を指すために用いられる、という主張がなされています。
ここにはもう一つ興味深いエピソードがあります。もともと「バトルメック」は「バトルドロイド」という名称でしたが、「スター・ウォーズ」との権利上の問題により、「バトルドロイド」は使用されなくなり、「バトルメック」が採用されるようになりました。
しかしながら、同作が当時抱えていた問題は名称だけではなく、『バトルテック』および『メックウォリアー』は、当時「マクロス」「クラッシャージョウ」「太陽の牙ダグラム」といった作品のデザインを流用していました。この件については以前のコラムでも取り上げましたが、その後長年続くことになったいくつかの米国内での訴訟騒ぎを経て、これらの流用デザインは「アンシーン(Unseen)」として知られています。なお、2026年現在では「アンシーン」は原典のスタイルをある程度彷彿させる程度のオマージュを残しつつ、再デザインが行われています。
「メック」という用語が広範な「メカ」の代替として用いられる際の問題点は、その結果が日本におけるメカを起源として無視することになるところです。私はこの姿勢に明確に反対しており、その理由については後ほどさらに詳しく述べたいと思います。
加えて、「メック」ではなく「メカ」を用いる利点の一つとして、英語において「mecha」は単数形と複数形を同一形で扱うことのできる語(いわゆる plurale tantum 的な用法を持つ語)である点が挙げられます。一体の「メカ」であっても、百体の「メカ」であっても、同じ語形で用いることができるため、より汎用性の高い表現であると言えるでしょう。
『スーパーロボット大戦』と「リアルロボット」「スーパーロボット」という用語の使われ方
以前の『スーパーロボット大戦』に関するコラムでも簡単に触れましたが、同シリーズで生み出された用語は、海外では本来とは異なる意味合いで用いられています。
『スーパーロボット大戦』におけるこれらの区分は、あくまでゲーム内のルール上、各々のタイプのメカを区別するために設けられたものでした。しかし、その後、日本人がこの用語をメカの種類の定義に度々用いる以上に、海外の一部のメカ作品ファンの間では、これらの用語が絶対的な定義であるかのように受け取られているのです。
海外における文脈では、「リアルロボット」とは、一般的に量産され、比較的脆弱で、弾薬や燃料を必要とする存在を指します。また、何ができて何ができないのかが明確なルールに基づいて定められている、という特徴もあります。
一方で「スーパーロボット」は、通常は一点物で、ほとんど無敵に近い機体とされ、明確な制限が見られない存在として語られます。その力は、攻撃のたびにパイロットがどれだけ大声で叫ぶか、あるいは太陽が輝いているかどうか、もしくはその他の偶発的な要因によって左右される、といった具合に描写されることもあります。要するに、「スーパーロボット」は「リアルロボット」と比較してルールを逸脱する存在である、と理解されているのです。
問題なのは、これらの用語が本来そのように厳密に分類されることを意図していなかったメカ作品にまで適用され、その結果、それぞれのメカがどの区分に当てはまるのかをめぐる、終わりのない不毛な議論が生じてしまっている点にあります。
ダイアクロンを無視した「トランスフォーマー」論争

海外におけるもうひとつの実に不毛なオンライン議論として、「トランスフォーマー」は「メカ」なのか、それとも「ロボット」なのか、という問題があります。
これも前述のとおり、海外において「ロボット」という語は「自らの意志を持つ存在」を意味するために生じる議論です。
トランスフォーマーは、それぞれが個性を持ち、自らの意思と動力によって行動する存在として描かれているため、一部のファンは、それゆえに「ロボット」でなければならないと強く主張します。
しかしながら、ここで見落とされがちなのは、トランスフォーマーの原型となった「ダイアクロン」の玩具にはパイロットフィギュアが付属していたという事実です。この点を踏まえれば、海外的な定義(すなわち「操縦される機械」)に従う限り、それらは「メカ」に分類されることになります。
当然ながら、問題の一端には、「勇者シリーズ」のような作品がいまだ海外で広く視聴可能になっていないこともあります。このシリーズの多くの作品は、操縦型の機械と自律した意思を持つロボットとを融合させたメカアニメであり、もし広く知られることになれば、議論好きな一部の海外トランスフォーマーファンにとっては大きな混乱を招くことになるかもしれません。
なぜ、これが重要なのか
英語には「choosing a “hill to die on”」という表現があります。これは、個人的・職業的・社会的な不利益といった大きな代償を伴う可能性があったとしても、それでもなお守り抜く覚悟を持つほど重要な原則を選ぶ、という意味の慣用句です。
私の場合、その「丘」にあたるのが「メカ」という言葉を守っていくことです。その理由についてご説明いたします。
私が日本に移り住み、生活し、仕事をするようになってからこの十年余りの間に、100名を超える日本のクリエイターの方々にインタビューを行ってきました。その多くは、メカアニメやメカゲームに携わっておられる方々です。
また、日本語本来の意図とは異なる用語の誤用を正すために、英語ローカライズを全面的に見直す作業を行ったゲームにも関わってきました。
私がこれらの取り組みを行ってきたのは、海外において用語を変更し、誤用しようとする動きが、日本における本来の意味や在り方そのものの存在を否定してしまうと感じているからです。
私にとって、それは到底容認できるものではありません。だからこそ、海外で「メカ」ではなく、「メック」という用語が安易に使われる際に生じる歴史修正主義的な側面、すなわち日本におけるメカの存在を根底から弱め、否定しようとする動きに対して、私は異議を唱え続けているのです。
なぜなら、「メカ」という言葉は包括的な概念であり、「カウボーイビバップ」のソードフィッシュIIや「宇宙戦艦ヤマト」を、「蒼き流星SPTレイズナー」や「超獣機神ダンクーガ」と並列して包み込むことができる用語だからです。それは包摂的な言葉であると同時に、メカという文化が生まれた起源を正しく認識するものでもあります。
私にとって、それは守るに値するものであり、これから先も長年にわたり、そのために声を上げ続けていくつもりです。
オリー氏とともに「ロボゲー」を作ることに興味のあるスタジオや団体は、この記事の末尾にある氏のプロフィールから個別に問い合わせていただけますと幸いです。









