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【JRPGの行方】第9回 JRPGを超えしもの

これまでRPGについていろいろ書いてきましたが。最後にJRPGはどうあるべきか、などとおこがましいことは言えません。ただ、ひとつのキーワードを用いて、個人的な期待を挙げてみたいと思います。

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【JRPGの行方】第9回 JRPGを超えしもの
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■日本のRPGの行方

この連載の冒頭で、タイトルにもなっている「JRPGの行方」については分からない、としてきました。これまで書いてきたように、ここでいう“JRPG”は日本のRPG全体のことではなく、“異質さ”という偏りを持って語られる日本のRPGのことです。

日本のRPG全体について言えばいくつかの可能性があると思います。ひとつは、海外のRPGを意識したグローバルスタンダードな作品を目指す。もうひとつは、既存のRPGとは異なるゲーム性を持った作品を「RPG」として展開する。これらは“JRPGのくびき”から自由になるためのアプローチでもあります。そして最後は、JRPG的な特性を活かす、です。「JRPGの行方」とは、この方法でつくられる日本のRPGの未来のことです。

JRPG的な特性を活かす、というアプローチは、ANIMEやOTAKUといったカルチャーと流れをひとつにした日本らしさを活かす、というものと、“伝統的な”RPGのゲーム性を踏襲するものがあります。そして後者はときに「王道」や「本格」といった言葉で表現されることもあります。

ここで、JRPGはどうあるべきか、などとおこがましいことは言えませんが、ひとつのキーワードを用いて、個人的な期待を挙げてみたいと思います。それが「リアル」です。繰り返しになりますが、ここでいうJRPGは「西洋によって後進性、不変性、奇矯性、官能性といった性質を付与され類型化された“異質な”日本のRPG」と定義しています。

■JRPGが立ち向かう「3つのリアル」

1)リアル(=現代) - ファンタジー

    『ペルソナ』とは、現代日本の街や高校を舞台に、「ペルソナ能力」に目覚めた少年少女たちが出会い、さまざまな事件や困難に立ち向かって成長していくジュブナイルRPGシリーズ。学校生活や友情、恋愛などの“身近な出来事”をベースに描かれると同時に、噂や都市伝説、不可思議な事件や社会の闇 など、オカルトなテイストが盛り込まれ、ミステリアスな魅力で多くのファンを魅了してきた。 (ペルソナ5 公式サイトより引用)

少年少女たちを主人公にしたRPGは日本にたくさんあります。同じく友情、恋愛などの身近な出来事を盛り込んだ作品も。では、こうした核となる部分を、「ファンタジー」という世界観に放り込むとどうなるか。それはしばしばライト・ファンタジーとも呼ばれ、典型的な“JRPG”となる可能性が高そうです(実際の作品がどうか、という話ではなく、そう見られるということ)。

前掲の『ペルソナ』シリーズは、「現代」の「日本」の街や「高校」を舞台にしており、一見するとひどく局所的な世界観なのにも関わらず、海外からの評価も得ているという作品です(少年少女を主人公にした現代劇は、海外RPGにはほとんど見られません)。ハイ・ファンタジーやSFと比べても、奇矯性や異質さを前面に押し出した形となっているペルソナシリーズ。剣と魔法からの脱却、ファンタジーからの解放は、類型化からのもっとも簡単な脱出法といえます。

一方でこうした「特別な能力を持った現代の少年少女たちによる成長物語」といった設定が大勢を占めてしまうと、再びオリエンタリズム的視線が待ち構えている、という危険も孕んでいます。現代の日本という「異文明の文化に対しての憧れや好奇心」が、日本のRPGの全体におよんでしまうと、結局は新たな類型化が待っています。ジャパン・カルチャーのひとつとして、新時代の「ゲイシャ」や「ニンジャ」のような視線にとりこまれてしまうと、東洋のRPGという意味の“JRPG”になってしまうのです。

そうならないためには、ペルソナが“JRPG”の中でも異彩を放ち続けるような立ち位置であることが大事ではないでしょうか。逆にいえば、現代劇でも日本でもない「RPGらしい」世界観の作品はやはり必要だということでもあります。

2)リアル(=現実) - フィクション

RPGにおけるお約束やテンプレ、予定調和、伝統といったものはしばしばネタにされ、揶揄される対象ともなってきました。第7回でも紹介したような設定や展開のパターン化は、そこで描かれるドラマを阻害することもあります。どうしてもそこでは既視感や嘘くささが出てしまうからです(嗤いにはなります)。そしてこれは、物語の失効の一因ともなってきました。画面上は感動のストーリーが展開されているはずなのに、どこか冷静に見てしまう。なぜならそれがゲームだと分かっているから、だとしたら……。

こうした“JRPG”的なお約束を残したまま、物語を描くためにはどうしたらいいか。まずRPG世界の外側に現実を措定し、ゲームの世界を「リアル(現実)」なものだとする認識をとりやめる。そしてRPG世界をあらかじめ「リアル(現実)」とは異なるヴァーチャルなものとして設定し、その虚構性やゲーム的な規則を相対化する。つまり、プレイヤーが「いまプレイしているのはRPGなのだ」という認識を持ちながらRPGをプレイする、ということです。

例えば『ログ・ホライズン』や『ソードアート・オンライン』のように、フィクションの内部にもうひとつゲーム世界というフィクションを置く。それによって、ゲーム世界のRPG的ルールに干渉していくメタフィクショナルな展開や、ゲーム世界と現実世界の実存の違いによるドラマを描くといったことが可能です。ただ、これらはもともとゲームではないので、「ゲームの中のゲームをプレイする」ことが実際にどのような状況になるかは分かりません(こうした設定のゲーム作品には『.hack』シリーズがありますが、全体として多いとはいえません)。

あらかじめ虚構だと分かっている世界と、一見リアルに見せつつ虚構性が透けて見えるような世界、言い換えれば、「これはウソなんだよ」と分かる世界と、「これはホントなんだよ、ホント」と主張する世界、そのどちらがマシか。前者では、RPG的なお約束やパターン化を逆に利用しつつ、定型化した「物語」の外で実のある物語を描くことができる……かもしれません。

「RPG」に慣れすぎたわたしたちにおいて、その世界でどんなにドラマやリアリティをアピールしても、結局は「RPGなんでしょ」という感覚からは逃れられない。それならば、RPG世界をはじめからフィクショナルなものとして扱うことで、メタレベルの現実世界のリアリティが増し、物語の意味が復活するのでは、というのが私のほのかな期待です。

3)リアル (=精細さ)= ディテール → ハイパーリアル

しばしば、わたしたちが「これすっげーリアル!」という言い方で表しているものは、グラフィックの精細さです。ゲーム世界が現実に近接しているものならば、リアルになればなるほど、現実に近づきます。そこでは「リアル=現実(写実的)」と言い換えることもできます。グラフィックの写実性は、ゲームの進化を端的に示すものともなっています。

一方で「リアル」と表現しうるはずなのに、リアル(=現実)とは言い切れない方向に向かっていく作品があります。それが『ファイナルファンタジーXV』です。

FFを象徴するキャラクターデザインは、現実の人間とは似て非なるものです。アニメキャラとも現実の人間とも異なる「独特な人型」は、いくらリアル(=ディテール)を追求しても、人間に近づくことはありません。ただ実際のところ、その辺りの感覚は麻痺している部分もあるかもしれず、リアルになればなるほど、それが現実に近づいているような気がしてしまうことも……。


《Kako》

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