小島秀夫監督の“遺伝子”を探る。小島監督を形作った初期のゲーム達【ゲーム保存協会コラム】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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小島秀夫監督の“遺伝子”を探る。小島監督を形作った初期のゲーム達【ゲーム保存協会コラム】

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小島秀夫監督の“遺伝子”を探る。小島監督を形作った初期のゲーム達【ゲーム保存協会コラム】
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本記事は、特定非営利活動法人ゲーム保存協会による寄稿記事です。

ゲーム保存協会では、毎月ひとつのテーマのもとに4本のゲームを取り上げ、当協会のアーカイブから実物のパッケージや保存データを用いたショート動画と解説記事を制作・公開しています(「保存録」シリーズ)。

今回のテーマは「小島監督の遺伝子」。小島秀夫氏の創作の土壌となった作品と、氏が生み出した初期作品を、当協会が保存するオリジナル版で辿りました。

保存録#0001『ポートピア連続殺人事件』(PC-6001)保存録#0002『夢大陸アドベンチャー』(MSX)保存録#0003『スナッチャー』(PC-88SR)保存録#0004『メタルギア』(MSX2)

本記事では、この4本の背景にある小島秀夫氏の創作の全体像に迫ります。

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日本のゲーム業界を代表するクリエイターのひとり小島秀夫氏は、現在世界で最も有名な日本人ゲームクリエイターとして知られており、その人気は揺るぎないものとなっている。

小島秀夫氏 "SXSW 2025”にて Photo by AirEdits , CC BY-SA 4.0 画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hideo_Kojima_2025_SXSW.jpg

小島氏は、コナミデジタルエンタテインメントに在籍していた時代に制作した『メタルギア(METAL GEAR)』シリーズや、コナミ退社後に自身が設立したコジマプロダクションで手がけた『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』など、革新的な作品を次々と発表し、高い評価を得ている。特に『メタルギア』シリーズは、2025年6月時点で累計販売本数が6,550万本を超える大ヒット(※1)となっており、「ステルスアクション」という新たなゲームジャンルを世に広めた功績は大きい。

(※1)国内外で知名度の高いブランドを数多く展開, 2026年4月19日閲覧。

1986年にコナミへ入社した小島氏は、当初はゲームプランナーとして活動していたが、本人はその役割を「監督」と表現している。彼の作品は、映画的な演出と深みのあるストーリーテリングを特徴とし、多くのプレイヤーに感動を与えてきた。

2025年6月26日には、待望の続編『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』がついに発売され、すでに世界中のゲーマーから熱い注目を集めている。

今回の記事では、小島秀夫氏がどうして世界中のゲーマーを魅了するゲームを次々と生み出すことができるのか、その秘密に迫りたいと思う。

2025年6月25日発売『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』 画像出典:https://www.kojimaproductions.jp/ja/death-stranding-2

小島秀夫氏のルーツと影響

小島氏は1963年、東京都世田谷区に生まれる。幼少期に父親の仕事の都合で神奈川・大阪・兵庫へと転居を繰り返し、その中で強い孤独を感じるようになったという。引っ越し先で環境に馴染めず、小島少年は部屋にこもってテレビや映画に没頭する日々を送る。小島氏は「自分の体の70%は映画でできている」と語るほど映画に心を奪われ、未知の世界を見せてくれる映画や小説が心の支えとなっていったという。(※2)

(※2)小島監督と3万字対談 ~今だから語り尽くす、ボクと本, 2018年11月9日閲覧。

幼少期からSFやミステリー作品に親しんだ小島少年は、小学校高学年で独自の探偵小説を書き始める。小学生の頃にはひとりで映画館に足を運び、米国の映画『ローラーボール』など大人向けの作品にも触れるほど早熟だったそうだ。また、1969年のアポロ11号による人類初の月面着陸や、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(大阪万博)といった大きな出来事も幼い少年に強い印象を与える。月面着陸を目の当たりにした小島少年は「宇宙飛行士になりたい」という夢を抱くほど宇宙に憧れ、万博で初めて外国人と接した体験から“世界”や“テクノロジー”への興味を深めていく。これら宇宙・技術・世界への関心は、後の作品テーマ(たとえば反戦・科学技術・国際社会など)に通じる土壌となる。

成長するにつれ、小島氏は自ら映画を撮ることにも挑戦する。中学生から高校生にかけて友人と8ミリカメラで自主映画を制作し、刑事ものやホラー映画を撮る真似事をしていたという。しかし設備や経験の限界から満足いく作品は作れず、次第に文章による創作へとのめり込んでいく。高校生の頃には本格的に小説家や映画監督を志し、大学進学も芸術系大学を望むも、家庭の事情で断念、普通大学へと進学せざるを得なかった。それでも「物語を作りたい」という情熱だけは失わず、大学時代も日中は学生生活を送りながらも、夜はノートに小説を書き綴る日々を過ごす。このような若き日の経験が「人を救う物語を世に送り出したい」という創作理念につながり、後にゲームという敬体で開花していくことになる。

コナミ時代

1980年代半ば、日本では任天堂のゲーム機『ファミリーコンピュータ(ファミコン)』の大ブームが起きる。小島氏も大学時代にファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』を熱中して遊び、また堀井雄二氏が手掛けたアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』をプレイしたことで、「ゲームでも映画のような物語表現ができる」ことを直感する。この新たな可能性に魅了された小島氏、映画業界への道を諦めてゲーム会社の就職試験を受け、1986年にコナミ(当時はコナミ工業)へ入社する。配属先は、1980年代に流行した8ビットパソコン規格『MSX』というパソコン向けゲーム開発部署だった。

コナミ時代の代表作と革新性

入社後まもなく小島氏はゲームプランナーとして頭角を現し、いくつかの企画に携わる。その中の作品のひとつに『夢大陸アドベンチャー』(MSX)がある。これはよく小島氏のデビュー作と言われることがあるが、実際には当時の上長から企画サポート(アイデア出し)を頼まれ、いくつかのボス戦やギミック等に小島氏のアイデアが採用されているだけで、企画・ゲームデザインは別の人であることをX(旧Twitter)にて自身がポストしている。

小島氏の名前を世に知らしめた最初の作品は、1987年にMSX2用ソフトとして発売された『メタルギア』だ。MSXは性能上、画面に多数の敵や弾を表示するのが難しかったが、小島氏は発想を転換し、「敵から隠れながら目的地に潜入するゲーム」にすれば高速な描画を必要としないと考えた。こうして誕生したのが“ステルスゲーム”という新しいジャンルだったのだ。『メタルギア』は骨太な軍事SFの設定と、敵に見つからないよう進む独特の緊張感のあるゲーム性を備え、さらに核兵器廃絶や戦争否定といった明確なテーマ性が打ち出された異色作だった。当時アクション全盛だったゲーム業界において、“戦わずに潜入する”ゲームは極めて異例で、これが小島流の革新の始まりだった。

Steam版『METAL GEAR & METAL GEAR 2 SOLID SNAKE』 画像はSteamページより。

翌年の1988年には、小島氏は『スナッチャー』という近未来の都市を舞台にしたコマンド選択式SFサスペンスアドベンチャーゲームを発表する。映画『ブレードランナー』から強い影響を受けたサイバーパンク的世界観が特徴のゲームだった。プレイヤーは事件を追う捜査官となり物語を読み進めるが、小説や映画のような重厚なストーリー展開と演出で、当時としては斬新な“映画的ゲーム”となった。

NEC PC-8801mkII SR以降版『スナッチャー』

さらに1994年にはNECのパソコンPC-9821向けに『ポリスノーツ』を制作する。警察官である主人公が宇宙で事件を追うSFアドベンチャーの『ポリスノーツ』は、『スナッチャー』で使われていた映画的手法をさらに発展させ、高い評価を得る。

小島氏の名声を不動のものとしたのは、1998年に初代PlayStation用ソフトとして発売された『メタルギアソリッド(Metal Gear Solid, MGS)』だ。1987年の『メタルギア』から続くシリーズ3作目の『MGS』は、初めてフル3Dとフルボイスで描かれたステルスアクションゲームだった。プレイヤーは特殊部隊員ソリッド・スネークとなり、武装要塞に潜入してテロリストと対峙する。実はその過程が、まるで一本の映画さながらに演出されていたのだ。発売当時、ゲームは日本国内中心の市場だったが、『MGS』はアメリカをはじめ海外で爆発的ヒットを記録し、全世界で数百万本規模の売上を達成する。巧みなストーリーテリング、映画的カメラワークや音響演出、奥深いテーマ設定に世界中のゲーマーが魅了されたのはいうまでもない。小島氏も「自分のゲームを待ってくれるファンが世界にいる」と実感し、これをきっかけに、以降はゲームクリエイターとしての国際的な責任感を意識するようになる。

2000年代に入ってからも、小島氏はコナミで次々と意欲作を手がけていく。2001年の『メタルギア ソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』では、物語中で情報社会やAI統制への警鐘を鳴らし、インターネット時代の「真実の希薄化」や「フェイクニュース」問題を予見するようなメタ的展開を盛り込む。2004年の『メタルギア ソリッド3 スネークイーター』では舞台を1960年代の冷戦期に移し、スパイ映画さながらの演出や、時間経過でキャラクターが老いるといったリアルなシステムを導入している。

2008年に完結編として発売された『メタルギア ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』では、次世代ハード(PS3)の性能を活かした長編映画級のムービーシーンと、戦争経済をテーマに据えた重厚なストーリーが展開された。これら一連の『メタルギアシリーズ』は、ゲームでありながら映画や小説に匹敵する語り口とテーマ性を備えた作品群として高く評価され、ゲームにおける物語表現の可能性を大きく押し広げたといえる作品となった。

現在も手に入れることができる現役シリーズコレクション 画像出典: https://www.konami.com/mg/mc/asia/ja/

映画的演出とゲームの融合

「映画とゲームの境界が消失していく未来を予見する」小島氏は、自らが映像的な演出をゲームに取り入れてきた。カメラワーク、照明、美術設定、カットシーン(ムービー)の構成など、従来ゲームでは脇役だった要素を積極的に活用し、まるで映画を観ているかのような没入感をプレイヤーに提供する。特に『MGS』シリーズ以降は長編映画さながらのムービーシーンが盛り込まれた。キャラクター同士の濃密なドラマや巧みなセリフ回し、さらにはハリウッド俳優顔負けのモーションキャプチャ演技を取り入れたことで、ゲームの物語表現力を飛躍的に高めたのだ。

一方で、インタラクティブ性にも独自のこだわりがある。ゲームならではの双方向性を活かし、単に映像を見るだけでなくプレイヤー自身が物語に関与していると感じられる工夫を凝らしている。例えば『MGS3』では、プレイヤーが一定時間ゲームを放置すると宿敵ザ・ボスとの対決シーンが変化する(ある条件下で戦わずして決着する)といったインタラクティブな仕掛けが存在した。こうしたゲーム性と演出の緻密な融合が、小島作品の真骨頂であろう。

クリエイティブ哲学

小島秀夫氏は単なるゲーム制作者に留まらず、明確な創作哲学を持った“作家肌”のクリエイターとして知られている。小島氏の語るクリエイティブ論の中で象徴的なのは「ゲームからゲームを作ってはいけない」という信念だ。過去のゲームの要素を流用して新しいゲームを作ることを「ゲームからゲームを作る」と、小島氏は表現する。これは漫画の神様・手塚治虫氏の言葉を引用しながら小島氏が何度も述べている信条である。

小島氏自身、幼少期から映画・小説・音楽・美術など多様な文化に親しんだ経験から、ゲーム以外のあらゆるインプットを取り入れて新たな作品を生み出す姿勢を貫いてきた。小島氏のゲームがしばしば現実の社会問題や科学技術のトピック、文学的引用を内包しているのはそのためであり、そうすることでゲームメディアに新鮮な視点や深みを与えられるという。(※3)

(※3)"Hideo Kojima: Connecting Worlds (2023) - IMDb", 2025年6月30日閲覧。

また、小島氏は「物語の力」を強く信じている。自身が10代で父親を亡くした際、映画や小説の物語に救われた経験から、「エンターテインメントには人を救う力がある」と確信するようになった。彼は「自分を救ってくれた物語を、今度は自分が作って世の中に還元したい」と考え、創作の道を志したと語っている。この信念は彼の全作品に通底するもので、どんなにゲーム性を追求しても根幹には必ず伝えたいテーマやメッセージがあることにつながっている。(※4)

(※4)夢を“あきらめる”ことは、“叶わない”ことを意味しない──ゲームクリエイター小島秀夫が語る、夢と挑戦の軌跡, 2026年4月19日閲覧(Internet Archive経由)。

『DEATH STRANDING』では、「分断された世界を繋ぎ直すこと」というテーマを掲げ、オンラインで他のプレイヤーとゆるやかに協力し合うゲームシステム(ソーシャル・ストランド・システム)を導入した。これは「孤独な人でも、世界には同じ思いを持つ仲間がいると知ってほしい」という彼の想いが形になったものだという。プレイヤー同士が直接会うことなく看板や物資を共有して支え合う仕掛けは、「あなたは一人ではない」というメッセージを、ゲーム体験を通じて伝える工夫だった。

『DEATH STRANDING Director's Cut』 画像出典:https://store.steampowered.com/app/1850570/DEATH_STRANDING_DIRECTORS_CUT/

クリエイターとしての美学と姿勢

小島氏は自らのことを「かなりの飽き性」と述べつつも、ゲーム業界で30年以上走り続けている。それを可能にしているのが新しい技術や表現への貪欲な挑戦だ。小島氏は「今日できないことが明日にはできるようになる」のがゲーム開発の面白さだと言い、新技術の台頭を常に歓迎してきた。実際、ポリゴンによる3D表現、ネットワーク通信、モーションキャプチャ、オープンワールド設計など、各時代の先端技術を積極的に作品に取り入れている。その際、単に技術を導入するだけでなく「その技術が人々にもたらす功罪」をテーマに物語で描くこともあった。

たとえば『MGS2』ではネット社会の闇を提示し、『DEATH STRANDING』ではSNS時代の人と人の繋がりの両義性(繋がることの癒しと危険)を表現している。テクノロジーの未来像を一歩先にゲームで提示するという小島氏の作風は、「ゲームクリエイターであり予見者」と評されるゆえんでもある。ただし小島氏本人は「テクノロジーそのものはポジティブに捉えている」とも語っており、最新技術に批判的というよりは良い面も悪い面も描いてユーザーに考えさせるというスタンスだ。(※5)

(※5)夢を“あきらめる”ことは、“叶わない”ことを意味しない──ゲームクリエイター小島秀夫が語る、夢と挑戦の軌跡, 2026年4月19日閲覧(Internet Archive経由)。

創作において小島氏が大切にしているもう一つの哲学は「チームで作ること」へのこだわりだ。小島氏は「ゲーム制作は総合芸術だ」と位置付け、映画や音楽、アート、プログラミングなど様々な分野の専門家と協働することを喜びとしている。(※6)

(※6)KONAMI・小島秀夫監督、公開インタビュー, 2025年6月30日閲覧。

コナミ在籍時、小島氏はゲーム制作の第一線で長年活躍し続け、社内でも要職を歴任する。2005年には社内スタジオ「小島プロダクション」を設立し、自身が率いるチームで開発を進める体制を整える。しかし2010年代半ば、コナミの経営方針転換(据え置き型ゲームからモバイルや他事業への注力)に伴い、小島プロダクションは組織再編によって解体されることになる。小島監督自身も役職を外され、会社から情報発信を制限されるなど不遇の状況に置かれた。

こうした状況下で2015年、小島氏はコナミを退社し約30年に及ぶ在籍に区切りをつける。小島氏の退社劇はゲーム業界内外で大きな話題となり、ファンからは先行きを不安視する声も上がるほどだった。しかし小島氏はすぐさま動き出す。退社翌日には独立スタジオ「コジマプロダクション(Kojima Productions)」を設立し、新天地での創作に乗り出す。コナミ時代に築いた豊富な経験と実績、そして世界中のファンからの支持を武器に、彼は新たな挑戦へと歩み始めたのだ。

コジマプロダクションを立ち上げた小島氏は「自分と同じタイプの人間ばかりはいらない。自分とは異なる感性を持つスタッフと組むことで作品に深みと刺激が生まれる」と述べている。小島氏の役割はビジョン(構想)を示すことであり、それを周囲に伝え共有するのは容易ではないが、最後は「自分を信じてついてきてもらうしかない」とも語っている。数年単位の長い開発期間を走り抜くために、一緒にゴールを目指す仲間の存在が不可欠であり、「孤独な創作もいいが、仲間となら困難も乗り越えられる」というのが小島氏の信条だ。

この姿勢は自身の過去に通じる。若い頃、一人で執筆や映画撮影をしていた彼は孤独と闘っていたが、コナミで志を同じくする仲間に出会えたことで初めて「創ることの喜び」を実感したという。その経験から、「物作りを志す人は仲間を見つけてほしい。評価されない時期をどう耐えるかが勝負だが、仲間がいれば挫けにくい」というメッセージを若手に送っている。(※7)

(※7)「完成なんて無理だと思っていた」:伝説のゲームクリエイター小島秀夫、「Death Stranding 2」を語る, 2025年6月30日閲覧。

さらに、小島氏は「ファンへの感謝と責任」を強く意識するクリエイターでもある。デビュー当初は「自分の好きなものを作って食べていければ満足」と考えていた小島氏だが、作品が世界的ヒットとなり多くの熱烈なファンレターやメッセージを受け取る中で、「自分の人生はもはや自分一人のものではなく、作品を待ってくれているファンのためにある」という境地に達したと語っている。

とりわけ『MGS』以降、「あなたのゲームに人生を救われた」「新作を遊ぶまで病気を克服して頑張る」といった声に触れ、作り手としての社会的責任とプロ意識を自覚する。小島氏は「ファンがいるからこそ創作を続けられる。発表の場がなく誰にも届かない創作の辛さは、自分も経験したからこそ痛感している。だからこそ一人でも理解し支持してくれるユーザーがいれば何十年でも頑張れる」と述べている。このように、自らの美学を追求しつつも受け手への敬意を忘れない姿勢が、小島監督のクリエイター哲学の根幹にある。

グローバルな影響

小島氏は日本のみならず世界的に高い評価を受けてきた数少ないゲームクリエイターのひとりだ。その作品群は多言語にローカライズされ、文化や国境を超えて受け入れられてきた。特に『メタルギア ソリッド』シリーズは、西洋のゲームファンやクリエイターに多大な影響を与えた。ステルスアクションという新ジャンルは欧米のゲームデザイナー達にもインスピレーションを与え、後に『スプランターセル』や『アサシン クリード』などステルス要素を取り入れた人気シリーズが生まれる土壌ともなった。また、ゲームに映画的演出を持ち込むという姿勢も各国で評価され、海外メディアから「ゲーム界の巨匠」「ストーリーテリングの革命児」と称えられることもしばしばだ。

2015年以降は、The Game Awards(ゲーム界の年次アワード)において特別賞「Industry Icon Award」を授与されるなど、国際舞台でもその功績が称賛されている。2020年にはイギリスの映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)からフェローシップ賞(ヒッチコックやスピルバーグなど歴史的映画人に贈られてきた栄誉)を日本人ゲームクリエイターとして宮本茂氏以来2人目の受賞を果たした。さらに2022年には文化庁から芸術選奨文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を授与されるなど、国内外で数多くの賞に輝いている。こうした受賞歴は、ゲームという枠組みを超えて映像・芸術分野への貢献が認められている証と言えるだろう。

ハリウッドとの関係と文化的影響

小島氏は根っからの映画好きであり、その縁でハリウッドとの交流も深めてきた。小島氏のX(旧 Twitter)などSNSには日々鑑賞した映画やお気に入りの監督・俳優へのコメントが綴られ、映画業界からの注目も集めている。実際、コナミ退社後に製作した『DEATH STRANDING』では、俳優のノーマン・リーダス氏(『ウォーキング・デッド』主演)やマッツ・ミケルセン氏(『007 カジノ・ロワイヤル』ほか)、女優のレア・セドゥ氏(『007』シリーズ)など豪華なハリウッド俳優陣が主要キャストとして参加した。また、映画監督ギレルモ・デル・トロ氏(『パシフィック・リム』監督)も友情出演し、キャラクターのモデルとなっている。

世界的な映画スターを起用したゲーム作品は当時画期的で、「まるでプレイするハリウッド映画だ」と話題になった。これは単に話題性だけでなく、小島氏が長年目指してきた「映画とゲームの融合」を象徴する出来事でもある。俳優たちも小島監督の熱心なオファーと独創的な世界観に感銘を受け、自ら出演を快諾したという。こうした異業界とのコラボレーションは、ゲームがより広いエンターテインメントの主流として認められる一助ともなった。

さらに小島氏は、憧れの映画監督との親交エピソードも知られている。例えば『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラー監督を敬愛して「私の神(GOD)」と呼び、その作品から多大な影響を受けたと公言している。2015年に両者が対談した際、ミラー監督は小島氏の独立と新作構想にエールを送り、お互いを「クリエイティブの兄弟」と称え合った仲でもあるようだ。このエピソードからも分かるように、小島氏は世界の名だたる映画人からも一目置かれる存在になっている。

2019年には彼のキャリアに迫るドキュメンタリー映画『HIDEO KOJIMA: CONNECTING WORLDS』が制作され、2024年にディズニープラスで配信された。この作品にはノーマン・リーダスやマッツ・ミケルセン、ギレルモ・デル・トロらと親交の深いクリエイターが多数出演し、世界から見た小島秀夫像が語られている。ゲームクリエイターが単独でドキュメンタリーの題材となるのは異例であり、小島氏の国際的な知名度と評価の高さがうかがえる。(※8)

(※8)Hideo Kojima: Connecting Worlds’ premiere date on Disney+ confirmed, 2025年6月30日閲覧。

ゲームの文化的輸出

小島氏の存在は「ゲームが文化として国を越えて共有される時代」を象徴しているとも言える。1980~90年代、日本のゲームは任天堂やソニーのハードを通じて世界を席巻したが、クリエイター個人がこれほど脚光を浴びる例は多くなかった。小島氏は宮本茂氏(マリオの生みの親)などと並び、“顔の見えるゲーム作り”を体現した人物。自らイベントやSNSで発信し、ファンとの交流を大事にする彼のスタイルは、海外のファンにも強い親近感を持って受け入れられている。彼の英語 Xアカウントは何百万ものフォロワーを抱え、日々の呟きがゲームニュースになるほどだ。また、欧米のゲームイベント(E3など)にも精力的に参加し、新作発表のたびに会場を沸かせる存在として知られている。

影響力はゲーム以外にも広がっている。小島氏の作品のテーマや用語はインターネット・ミーム(流行語)として扱われることもあり、たとえば『MGS』シリーズの名言や「!」マークの警戒音などはゲームを知らない層でも目や耳にしたことがあるほど有名だ。さらにハリウッドでは長年『メタルギア ソリッド』映画化企画が進められており、監督にはジョーダン・ヴォート=ロバーツ(映画『キングコング: 髑髏島の巨神』)が予定されている。小島氏本人も「いずれ自分で映画を撮ることが夢」と語っており、ゲームクリエイターの枠に留まらない活動が期待されている。

これからの展望

現在、小島氏は次なる展開として、ゲーム以外の領域への創作の幅を広げようとしている。2024年、小島監督はハリウッドの大手エージェンシー「WME(ウィリアム・モリス・エンデヴァー)」と契約し、自身のスタジオを「ゲームを起点に映画、アニメ、ドラマなど多角的にIP展開していく」というロードマップを発表した。すでに『DEATH STRANDING』の実写映画化が正式に発表されており、名門映画プロダクションA24との共同製作が進行中である。小島氏は「自分がメガホンを取るわけではないが、プロット監修や製作には深く関わる」とコメントしており、映画制作の現場にクリエイターとして積極的に参加する意欲を見せている。

また、小島氏は近年のインタビューで「誰も見たことのない新しいタイプのゲーム」に取り組んでいると語り、いくつかのプロジェクトが噂されている。その一つがコードネーム『OD』と呼ばれるプロジェクトである。『OD』は、小島プロダクションが開発し、 Xbox Game Studiosが発売するゲームで、映画『ゲット・アウト』などで知られるハリウッドのジョーダン・ピール監督とタッグを組むことが報じられ、出演者としてソフィア・リリス、ハンター・シェーファー、ウド・キアが決定しており、ホラー要素を取り入れた全く新しい体験になるのではないかと期待されている。

さらに、2024年には「新世代のアクション・エスピオナージ(諜報)ゲーム」を開発中であることも明らかになっている。仮タイトル『PHYSINT』として紹介されているこのプロジェクトは、スパイもののアクションゲームと見られているが、具体的な内容は依然として謎に包まれている。小島氏が得意とするスパイ・ミリタリー路線の復活なのか、または全く異なるアプローチなのか、世界中のファンが続報を待ち望んでいる。

小島氏は最近フランスの映画雑誌「Le Film Français」のインタビューに応じ、現在A24で制作中の映画『DEATH STRANDING』や、今後さらに映画に進出する意向について語っている。

小島氏は現在も複数のビデオゲームプロジェクトが進行中であり、『PHYSINT』の完成後ならば映画制作を検討する可能性もなくはないが、『PHYSINT』の発売は5~6年後になるであろうと報告している。

さらには、小島氏は最近60歳を迎え、新型コロナウイルスの流行下で重病を患ったことをきっかけに、自身の死後について真剣に考えるようになったと語っている。そのため、自身のアイデアを記録したUSBメモリを個人アシスタントに託し、ゲームのアイデアを含む遺言を残したと明かしている。(※9)

(※9)Hideo Kojima reveals his next espionage game ‘Physint’ is 5-6 years away, 2025年6月30日閲覧。

小島氏は他のインタビューでも「生きている間には決して到達できないような大きな夢を抱いてほしい」と語ったことがある。(※10)自らも常に“Dream Big”の精神で、新たなフロンティアに挑戦し続けている。「独立して成功した前例は無い」と言われたゲーム業界であえて大作ゲーム開発に挑み、結果を出した小島氏は、「自分が成功しなければ次が続かない。自分の背中を若い世代に見せて、道を拓きたい」とまで言う。その言葉通り、小島氏の挑戦する姿は次世代クリエイターへの刺激となり、ひいては業界全体の活性化につながっている。60歳を迎えても情熱は衰えず、「できれば開発スタジオか映画館で死にたい」と冗談めかしながら語る彼の眼差しは、常に未来を向いている。

(※10)夢を“あきらめる”ことは、“叶わない”ことを意味しない──ゲームクリエイター小島秀夫が語る、夢と挑戦の軌跡, 2026年4月19日閲覧(Internet Archive経由)。

(ライター:髙𣘺ピョン太)

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ライター:ゲーム保存協会編集部,編集:みお

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2011年に東京で設立された特定非営利活動法人。国内で発売されたすべてのゲームの保存を 目指し、現在パソコンゲームを中心に記録・研究を続けています。実物のパッケージや媒体、 そして雑誌・攻略本などの関連資料を収めたアーカイブを運営し、将来的には誰もが利用 できる公共のゲーム資料館として広く開かれた存在を目指しています。劣化が進む磁気 メディアからデータを救出する技術開発にも取り組み、市民の力で、世界のために、 ゲームの歴史を守り続けています。

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編集/Game*Spark共同編集長 みお

ゲーム文化と70年代の日本語の音楽大好き。人生ベストは『街 ~運命の交差点~』。2025年ベストは『Earthion』。 2021年3月からフリーライターを始め、2025年4月にGame*Spark編集部入り。2026年1月に共同編集長になりました。

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