
いまでこそゲームの中の世界は、現実と見まがうくらいにフォトリアルな風景で作られることが当たり前になりました。そのクオリティの高さから「仮想現実が出来上がった」とか、「もうひとつの現実が生まれた」みたいに言われることがありますよね。
昔はそんなことはなくって、ゲームの中の世界とは、ファミコンやメガドライブのゲームのような、ピクセルアートで描かれた記号的なものがほとんどでした。
ただ、「いやゲームではいいけど、現実で行動したならこんな風にならないだろ」みたいに、ゲームならではのアクションなどに対して詮無いことが考えられていた時期もあったんです。それもあってか、ゲームは進歩すると共に、記号的な世界を否定し、リアルな世界を描くことを模索し、表現の限界を拡大してきた面は大きいでしょう。
とはいえ、あらためて現実とゲームの違いを考えると「ゲームで本当の “リアル”は達成されたんだろうか? 」と思うことがあります。
結局、いくらゲームの中でリアリスティックなグラフィックが出来ても、圧倒的に現実と異なる点は埋めようがないのではないか。その点とは「ある行動を促すか、そうではないか」でしょう。
現実の空間とは、必ずしも人間に“行動”や“体験”を強く促すものではないところがあります。しかしゲームの空間とは、ジャンル上、絶対に何らかのアクションをさせたり、調査させたり、なんらかの “行動”をさせるために構築されていることがほとんどです。
こういうことを考えながら、 現実世界で偶然“ある行動”を促す場所に入り込んでしまうと、「なんだここは!? まるでゲームの空間に入り込んでしまったかのようだ」と錯覚することがあるのでした。
まさにこのあいだ群馬県にある太田市美術館・図書館に訪れたとき、そんな錯覚が起きたのでした。この図書館は、訪れた人間に “ある行動”をさせようとしている。そんな錯覚を覚え、まるでFPSやウォーキングシミュレーターの中に入ったような思いになったのです。
というわけで不定期連載「ゲームみたいに錯覚する現実の場所」第3回は、そんな図書館が促す “ある体験”のお話です。
現実の空間は人の “行動”に合わせて設計される。ゲームの空間は人に “行動”させる設計をしている。

さて太田市美術館・図書館とは、群馬県の太田駅北口のすぐそばに建設されている、名前の通り図書館と美術館が複合した施設ではあります。
一見すると、他よりも小さいけれど普通の図書館のようではあるし、普通の美術館のようでもある。ですが、ひとたび足を踏み入れてみると何かが違うのです。よくある図書館の印象から外れていくような空間が広がっていますから。

なにしろ入り口を通るといきなりカフェが広がっており、友達や恋人同士で来た人たちがテーブルで談笑している光景が目に入ります。単純にこれだけでも「ただの図書館とは違う」感覚があるのですが、本格的に太田市美術館・図書館が異質なのはほんのすこし奥へ進んだ時でした。

なにか、この場所には、“本を借りる”とか “本を読む”といった行動以外のことを、来た人にさせようとする設計がある。床のかたち、廊下の作り方、壁の設置、この建物を形作るすべてが、ある“行動”を促そうとしているのです。

そもそも現実世界における普通の図書館って、実のところ人に何らかの行動を積極的にさせることはしない空間設計ではないでしょうか。
図書館の空間には、様々なカテゴリーの本が用意され、本棚に収められていたり、読書用のスペースが用意されていたりします。これらは一応、基本的な行動として “本を借りる”、 “本を読む”をことを促しているのでは……と思うんですけど、別に図書館内に矢印なマークがたくさん配置されていて「この本を読むように動け!」とか、来館者を特定の書棚に足を運ばせるように廊下を狭く作ったり、部屋の間取りを調整したりすることはないでしょう。
基本的には、何もせずに過ごしてもいいし、別のことにも使ってもいい場所です。図書館に行く人は必ずしも “本を読む”、 “本を借りる”という “行動”をしなくとも、どんな行動をするかは人が決める事です。
だから図書館では「本を借りたい」という行動を決めた人には、本を探しやすくするように「小説」とか「歴史」などカテゴリを分けて本を整理していますし、学生が期末テスト前に「勉強をしたい」ときには、自習用のスペースを貸し出せるように設計されていますよね。
あたらめまして、現実の公共空間とは、基本的に「どういうふうに使いたいか?」という “行動”を決めた人に対して、「わかりました。ではご利用ください」というかたちで空間が提供されている形がほとんどでしょう。

翻ってゲームの空間とはなんでしょう?
たとえばFPSならその空間は「銃を撃つ」、「敵の攻撃から隠れる」、「アイテムを探す」、「複雑な空間を歩き回って全体を把握する」などの “行動”を促すために構成されていますよね。また、「ここで敵の大軍に囲まれて、絶体絶命の戦いをしてもらう」とか、「暗闇のなかで、迷いながら、出口の光を見つけてもらう」といった “体験”を促すことも多いです。
この原稿を書きながら『DOOM』をやり直してみたのですが、上記の “行動”を促す空間作りや、ステージごとに異なった “体験”をもたらす空間作りが徹底しています。さすがFPSの老舗! なんて思いました。

『Call of Duty』シリーズのように、一見リアリスティックに描かれた市街地を舞台にしたFPSであったとしても、そのビルの配置や道路の幅、ゴミ箱から電灯の配置に至るまで、要所でプレイヤーに敵との戦略的な撃ち合いを促すようにできているわけですよね。
こうしたゲームデザインで決めた “行動”や “体験”をプレイヤーに促すために空間を設計することを、ゲーム開発ではレベルデザインと呼んでいます。
当然ながらゲームはプレイヤーを遊ばせることが第一。だからこそ、現実みたいにリアルなグラフィックで描かれたとしても、その空間は徹底してプレイヤーに「銃で撃たせる」とか「何かを探させる」とか、何らかの “行動”をさせるように設計されているがために、現実とは違う気配をまとうことが多いのです。
もちろん現実でも「ある行動を促す」、「ひとつの体験をしてもらう」空間はあります。たとえば遊園地のお化け屋敷みたいなアトラクションがそうでしょう。そうした場所では、来場者は歩きながら怖がってもらう体験をすることが目的となっています。しかし、こうした場所の場合は、来場者は「ゲームのように錯覚する場所」というよりも、「ゲームやレジャーの一種」とわかった上で入場しているわけですよね。
太田市美術館・図書館が特殊なのは、来場者に一切「ゲームやレジャーの一種」という前提を与えないまま、「ある行動」を促す空間に入りこませるため、突然ゲーム的な空間に入り込んでしまったような戸惑いが起きるのでした。
「迷うかのように歩く」行動を促す図書館
以上の現実の空間と、ゲームの空間の違いを踏まえた上で太田市美術館・図書館の空間に話を戻しましょう。
この場所が現実のよくある図書館とまったく違うのは、まず訪れた人間を「歩かせる」行動へ導く空間になっていることなのです。


図書館なのに、「本を借りる」とか「本を読む」よりも、まず「歩かせる」ことを促されるいうのも妙ですよね。この図書館が特殊なのは、廊下の多くが曲線を描いていたり、別の部屋へ移動するために特定の部屋を通り抜けたりする構造になっていることです。

特殊なのは廊下が坂のようになっているところです。これにより、ふらふらと歩いているだけで、気が付いたら2階にいるなんてことが起きるのです。

さらにここは美術館も併せ持った場所です。この場所は図書館と美術館が溶け込むように共存しています。本を借りたり読もうとしたりしようと歩いていたら美術館にいた。何を言ってるかわからないと思いますが僕も何が起きているかわかりません。それが太田市美術館・図書館なのです。


もっと恐ろしいというか不思議さの片鱗があるのは、歩き回っているうちに気が付くと外に出てしまっていることです。廊下を歩いているように思っていたら、なんと外に繋がっていた。しかも、外でも「歩かせる」ように誘導する空間が続いています。

この図書館の奇妙さは、様々な境界が曖昧であることです。廊下と読書スペースの境目が曖昧。1階と2階の境目が曖昧。建物の中と外の境目が曖昧。そして、美術館と図書館の境目が曖昧。
このあたりは以前取材したこともある銀座のSony Parkの建築が、どこまで内側でどこから外なのか曖昧な設計に近いものがあるのですが、太田市美術館・図書館の場合は曖昧な領域がさらに広い。意図的に生活空間の境界線を取り払っている設計もまた、人を「歩かせる」ようにしているのは確かなのです。


こんな設計ですから、気が付くとこんな小さな図書館なのに迷ってしまったりも。図書館で迷うなんてことがふつうあるでしょうか? 現実の公共空間なのに、まるでゲームのように移動する場所がワープしたり、ループしたりするような錯覚があるのです。

歩いているうちに錯覚がひどくなってしまって、なんだか死角に並んだ本棚を発見したときは『DOOM』でシークレットゾーンを見つけた時のような言葉にできない興奮すら覚えてしまうくらいなのでした。

「歩かせて、迷わせもする」行動を促す建築を作った背景は、「街を歩くような “体験”をしてもらいたいから」だった。

やはり謎が残るのは、なぜ、こうしたゲームの空間であるかのように入り組んだ建築を公共施設として作り上げてしまったのかでしょう。普通、ここまで「歩かせる」、「迷わせる」行動を促すのは、レジャー施設やアトラクションになりやすいですから。
ちょっと謎を解くために太田市美術館・図書館の職員からお話をうかがったり、公式サイトの情報を読み込んでみたりしました。
すると設計には「太田駅で、もっと人が行きかう流れを活性化させていきたいんだ」というコンセプトがあったとのこと。

もともと太田駅は市の中心となる交通機関である一方、市民の多くは車を中心と生活を送っているがために、駅前が閑散としてしまうことに悩んでいたといいます。そこで「まるで街を歩いているかのような行動を促す場所」として図書館が設計されたことがわかってきました。
図書館の建築家である平田晃久氏は「人々は街からやってきて、この場所を通り、また街へと帰っていきます。これはそんな結び目のような建築です」と解説しており、来場者を歩き回らせる設計は当初から意識していたとのこと。「従来の『図書館』とか『美術館』というかたい殻を脱ぎ捨てた、自由で活気のある、街の中のような場所」と語っています。
これは図らずも “行動させる”、 “(クリエイターのコンセプトに合わせた)体験をさせる”というレベルデザインに近いものがあります。こうした設計の結果、おそらく太田市側も、平田氏側も意図していないかたちで、非常にゲームの空間に近い図書館が出来上がるかたちなったのだと思っています。
“行動”や “体験”を促す建築ができたとき、
ということで駅前の町おこしとしての建築が、結果的にゲームに近いような空間となった太田市美術館・図書館。ここで人を「歩かせる」体験を織り込んだ建築にすることで、街の賑わいを創り出そうとする試みがあるのです。

最後にゲームの側の建築を、太田市美術館・図書館の比較として挙げてみましょうか。現在開発中の『CultureHouse』などは、今回の比較対象としてうってつけかもしれません。
本作は、建築家の巨匠ル・コルビュジェによる設計のようなモダニズム建築を舞台に不条理な “体験”をもたらすアドベンチャーゲームです。ここでは、モダニズム建築が持つ生活感の薄れた気配をポイントとしていると思います。まだリリースは先ですけど、このゲームも現実とゲームの建築空間の違いを考える上で注目ですね。
人間の手で作られる空間の際たるものである建築。そこではただ人が暮らしたり、集まったりすることを目的とした建物ではなく、人を動かしたり、なにかを体験させるためにも使われる建物ができることもあるのです。
そしてなにかを体験させるように作られた建築ができあがったとき、その建築は人に「ゲームの中に入り込んだかのようだ」と錯覚させることもあるでしょう。太田市美術館・図書館とは、そんな建築のひとつなのです。













