
先日、『アーマード・コア』シリーズへの独自の視点からの言及をきっかけに、多くの日本人から「ロボゲー・ロボアニメ詳しすぎな外国人」として知られるようになったオリー・バーダー氏。実は、氏はゲームやアニメを中心として日本サブカルを海外に長年伝えてきた記者であり、様々なタイトルにかかわってきたゲームクリエイターでした。
弊誌の取材に対して、そんな氏がこぼした最近の悩みと言えば「ロボゲーを作らせてくれるスタジオが見つからない!」ということなのだそう。そこで、本稿では、氏の文章を通じて、氏のもつ「ロボゲー・ロボアニメ」への視点や美学の一端をお伝えしていきたいと思います。
私はこれまでにも、『BattleTech』や『Heavy Gear』が『太陽の牙ダグラム』や『装甲騎兵ボトムズ』から大きな影響を受けていることについて書いてきました。しかし、それと同時に、『MechWarrior』と『Heavy Gear』がいかにアメリカの文化的な風景を席巻し、多くのアメリカ人にとっての「メカ」の理解を形作ったのかについても理解する価値があります。
特に、比較的近い時期に発売された2本のゲームは、1990年代の時代の潮流を象徴する存在となり、その影響は現在でも非常に色濃く残っています。現在では、この種のゲームのアメリカおよびヨーロッパにおけるプレイヤー人口は数億人規模にまで達しています。
本コラムは、『MechWarrior』や『Heavy Gear』のような作品が、海外におけるメカの捉えられ方をどのように形作ってきたのかを追っていく、本連載でこれから行う全4回シリーズの第1回目でもあります。
すべては『BattleTech』から始まった
この物語の出発点となるのは、オリジナルの『BattleTech』です。本作は、最初はボードゲームとして誕生し、その後テーブルトークRPGへと発展しました。プレイヤーは、機体各部に武装を内蔵した巨大でカスタマイズ可能な「バトルメック」を操ることになります。
これらの巨大なメカは機動力こそ低いものの、非常に厚い装甲を備えており、そのため戦闘は長期戦になりやすく、戦術性の高いものとなっていました。
そして、よくある流れではありますが、『BattleTech』の成功によって、『MechWarrior』シリーズが誕生します。なお、「MechWarrior」という名称は、バトルメックのパイロットを指す呼称から採られたものです。ちょうど『聖戦士ダンバイン』において、オーラバトラーの搭乗者が「聖戦士」と呼ばれているのと似たようなものです。
初代『MechWarrior』は1989年に発売され、堅実な成功を収めました。一人称視点のシミュレーションゲームとして制作されましたが、当時としては簡素なグラフィックに加え、本作を快適に動作させられるPCがまだ十分に普及していなかったこともあり、その人気には一定の限界がありました。
しかし、その状況は続編によって大きく変わることになります。
『MechWarrior 2』――すべてを変えたゲーム

1995年に発売された『MechWarrior 2』は、数百万本を売り上げる大ヒットとなりました。当時のPCハードウェアの性能向上を活かした高度なグラフィックと操作性によって、本作は一大文化現象となったのです。
その背景には、この10年間で『BattleTech』シリーズが世界観やストーリーを大きく発展させてきたこともありました。つまり、本作は非常に緻密に作り込まれた物語世界を土台としており、多くのファンを惹きつけることに成功したのです。
これらのゲームに登場するメカのデザインのルーツは明らかに日本にありますが、その物語や世界設定は完全にアメリカ独自のものであり、非常に奥深く複雑です。さらに、数百冊に及ぶ小説やアニメ作品の存在も、『MechWarrior 2』の人気を大きく後押ししました。
比較のために触れておくと、『アーマード・コア』が発売された1997年時点での世界累計販売本数は約40万本強にとどまり、その半数以上は海外での販売でした。当時の状況を踏まえると、『MechWarrior 2』は、まさにその時代の『Call of Duty』とも言える存在だったのです。
『Call of Duty』との比較は、実は別の意味でも重要です。『MechWarrior 2』はActivisionが開発・発売を手がけており、前作も同社が発売していました。そのため、現在のActivisionがゲーム業界で圧倒的な存在感を示すに至った背景には、1990年代に『MechWarrior』シリーズを通じて培われた技術や経験が大きく貢献していると言えるでしょう。
Activisionはその成功を受けて、その後も『MechWarrior』シリーズの展開を試みました。しかし、ここで私が取り上げたいのは、もうひとつのシリーズです。
『Heavy Gear』――より小型で高速なメカへの転換

『BattleTech』と同様に、『Heavy Gear』もまた、ボードゲームおよびテーブルトークRPGをルーツとする大きなシリーズです。また、『BattleTech』に匹敵するほど奥深く複雑な世界設定を持ち、長年にわたって展開されたアニメ作品も制作されました。
一方で、『BattleTech』との大きな違いは、『Heavy Gear』に登場するメカがより小型であり、そのデザインが『装甲騎兵ボトムズ』のスコープドッグから明らかな影響を受けている点です。
Activisionはこのシリーズに着目し、1997年に第1作、1999年に第2作と、PC向けゲームを立て続けに開発しました。
両作品とも非常に完成度が高く、高い評価を受けました。しかし、その品質にもかかわらず、『MechWarrior 2』ほどの販売本数には届きませんでした。ただし、この数字だけでは、『Heavy Gear』が与えた文化的影響を正しく評価することはできません。
というのも、『BattleTech』と同様に、『Heavy Gear』もゲーム発売以前から世界観や設定が十分に築き上げられており、その文化的な影響力は『BattleTech』と肩を並べるほど大きなものだったからです。
もっとも、この2作品には共通する課題がありました。そして、その問題は、その後何十年にもわたり、この種のゲームを悩ませ続けることになります。
高速で移動するメカにおける武器照準の課題
『MechWarrior』と『Heavy Gear』は、どちらも「トルソーツイスト」と呼ばれるシステムを採用していました。これは、機体は一方向へ移動しながら、上半身だけを別の方向へ向けることができる仕組みです。
もちろん、このような繊細な操作は、当時としてはマウスとキーボードを備えたPCだからこそ実現しやすいものでした。その結果、これらのゲームはシミュレーター色の強い作品となりましたが、同時にそこには大きな課題も存在していました。
メカが高速で移動し始めると、目標との相対速度が急激に増加するため、従来の手動照準だけでは十分に対応できなくなってしまいます。
『アーマード・コア』は、この問題を大きなFCSのロックオンサイトを採用することで解決し、プレイヤーが目標を追尾しやすくしました。一方で、トルソーツイストは、プレイヤーが目標を追尾するための時間的な余裕を生み出すことを目的として考案されたシステムでした。
『MechWarrior』では、機体全体の移動速度が比較的遅かったため、トルソーツイストを用いた操作でも十分に対応することができました。しかし、『Heavy Gear』ではゲーム全体のテンポが速くなったことで、より高度な操作技術が求められるようになり、それが販売面にも少なからず影響した可能性があります。
少し残念なのは、このトルソーツイストを中心とした操作体系が、現在の『MechWarrior』シリーズの多くにも受け継がれており、そのことがシリーズのさらなる成長を妨げる一因となっている点です。もっとも、この流れには重要な例外も存在しており、それについては今後のコラムで取り上げる予定です。
競合するメカ作品がほとんど存在しなかった時代ここで理解しておくべきもう一つの重要な点は、『MechWarrior』や『Heavy Gear』が広く知られるようになった当時、それらと競合するようなメカ作品が実質的に存在していなかったことです。
当時、「ガンダム」はアメリカではほとんど視聴・入手することができず、「マクロス」も「Robotech」の一部として紹介されていました。さらに、「Robotech」は『BattleTech』とも一定のつながりがありました。そのため、『MechWarrior 2』が爆発的な人気を獲得した頃、多くのアメリカ人にとって、目にすることのできるメカ作品は事実上このシリーズだけだったのです。
日本には長い歴史と多様で奥深いメカアニメ文化がありますが、当時のアメリカでは、ファンが深く入り込める世界観としては、『BattleTech』の物語世界がほぼ唯一の存在でした。
また、『MechWarrior』が非常に強いミリタリーテーマを持ち、登場するメカも実用性や機能性を重視したデザインで描かれていたことも重要です。このような世界観はアメリカのファンに非常に強く支持される傾向があり、これらのゲームは、そうした文化的な期待と非常に高い親和性を持っていたのです。
最後に、最も覚えておいていただきたいこと
本コラムで一つだけ覚えていただきたいことがあるとすれば、それは『MechWarrior 2』が海外におけるメカというジャンルを決定づけた作品だったということです。本作は、メカが現実的にどのように機能するのかを説得力をもって描き出し、それを非常に奥深く複雑な世界設定によって支えていました。
本作はもちろん商業的にも大成功を収めましたが、それ以上に重要なのは、アメリカにおける「メカ」という概念そのものの文化的な土台を築いたことです。その影響は非常に大きく、現在でも多くの人が「メカ」を「メック(mech)」と呼んでいます。これは本来、『BattleTech』に登場する「BattleMech」という名称に由来する言葉です。
また、『MechWarrior 2』は、メカゲームを主としてシューティングゲームとして理解するための枠組みも築きました。アクションゲームとしてではなく、シューティングゲームとして認識されるようになったことは非常に重要な点です。実際、開発・発売元であるActivisionは、その後の数十年にわたりシューティングゲームというジャンルへ大きく注力しており、その代表例が『Call of Duty』シリーズと言えるでしょう。
最後に、もう一つだけ付け加えておきたいこと
私は大学時代に友人たちと『BattleTech』のテーブルトークRPGを遊び、PC版『MechWarrior 2』も実際にプレイしました。しかし、私はこのシリーズの熱心なファンというわけではありません。『BattleTech』の小説も何冊か読んで楽しみましたが、私自身は、その世界観やメカのデザインにはやや制約が多く、正直なところ少し単調に感じています。
実際、当時の私は『MechWarrior 2』よりも初期の『アーマード・コア』シリーズのほうを好んでいました。しかし、『MechWarrior 2』と同様に、『アーマード・コア』も操作体系が非常に複雑だったため、『BattleTech』を好んでいた私の友人たちの間では、大きな人気を得るには至りませんでした。
また、Activision自身も、その後の数十年で、よりテンポが速く、操作がより直感的なシューティングゲームへと大きく舵を切っていきました。この流れがメカゲームにどのような影響を与えたのかについては、今後のコラムで詳しく取り上げたいと思います。
オリー氏とともに「ロボゲー」を作ることに興味のあるスタジオや団体は、この記事の末尾にある氏のプロフィールから個別に問い合わせていただけますと幸いです。












