
1997年11月、バンダイからPS1およびセガサターン用ソフトとしてリリースされた『R?MJ(アール・エム・ジェイ)』は、レトロゲームファンの間では、長らく「クソゲー」や「迷作」の烙印を押されて語られてきたタイトルです。

本作は、1999年の世紀末に、巨大総合病院で起きた大爆発事故に巻き込まれた主人公・ハジメたちが、院内に蔓延する致死性ウイルスや謎の感染症の脅威に晒されながら脱出を目指す、壮大なホラーアドベンチャーゲームです。

当時の評価が芳しくなかった背景には、操作性のもっさり感やテンポの悪さ、初見殺しの即死イベント、さらには終盤における唐突で破天荒なストーリー展開などが挙げられます。発売当時は「不自由で理不尽なゲーム」として厳しいレビューに晒されることとなりました。

しかし、本作を紐解いてみると、実は多くの魅力があり、単なるクソゲーとして片付けてしまうのはあまりにも残念です。
本稿では、『R?MJ』という作品の時代背景、独自のゲームシステム、そしてアートワークと演出の3つの側面から多角的に検証し、どのような臨場感と恐怖を表現しようと試みていたのか、その魅力に迫ります。
ちなみに、タイトルの「R?」はRevenge(復讐)、「MJ」はMutation Jack(突然変異の男)を組み合わせたものです。
◆『バイオ』直後のPS1ホラー黎明期 ─『R?MJ』が目指した表現の境界線

1996年3月に登場した『バイオハザード』の大ヒットは、日本のコンシューマーゲーム市場に「サバイバルホラー」という巨大なトレンドを生み出したのは皆さんご存知かと思います。固定カメラアングルとポリゴンキャラクターの融合、制限されたリソース、そして死と隣り合わせの緊張感は、それまでのアドベンチャーゲームの文脈を大きく塗り替えました。

この潮流を受け、1997年前後のゲーム市場には多種多様なホラーアドベンチャーが乱立することとなります。各メーカーが模索したのは、いかにして次世代機のスペックを活かし、プレイヤーに「体験としての恐怖」を提供するかにありました。そうした試行錯誤の時代において、バンダイが投じた一石が本作でした。

このゲームが目指したアプローチは、敵を倒しながら進むアクション性の追求ではなく、事前レンダリングされたグラフィックやムービーシーンをつなぎ合わせる「インタラクティブ・ムービー」の進化系でした。当時、飯野賢治氏率いるワープの『Dの食卓』や『エネミー・ゼロ』が切り拓いた一人称視点の表現手法に近く、プレイヤーの視界=主人公の視界としてリアルタイムに事態が進行する没入感を重視していました。

また、題材の選択においても時代性が強く現れています。怪物との直接的な戦闘ではなく、「爆発事故によって密閉された病院」というシチュエーションと、「目に見えないウイルス」という生理的な恐怖を軸に据えた点です。

90年代後半は、世界終末論や未知の病原菌に対する社会的な不安が、サブカルチャー全般に色濃く反映されていた時期でもありました。『R?MJ』の提示した恐怖のベクトルの根底には、当時の社会的な空気感とテクノロジーの制約が生み出した独自のリアリズムが存在していたと言えます。

プリレンダリングされた質感豊かな3Dグラフィックも本作の魅力で、無機質なコンクリート、錆びた鉄扉、点滅する蛍光灯など、閉塞した病院の湿った静寂が不快な生々しさで描かれています。

さらに面白いのが人物描写です。新人看護婦アヤをはじめトモヲ・リョウといったキャラクターたちは、ポリゴン特有の硬質な表情と実写的なリアル志向が交差することで、いわゆる「無気味の谷」的な表現に図らずもなっていました。
ウイルス感染による身体変貌などの生々しい視覚表現も相まって、技術的過渡期ゆえの「不完全なリアルさ」が醸し出す強烈な歪みは、プレイヤーの恐怖と好奇心を強く刺激していたのです。
◆テンポの悪さと役に立たない「斬新」なシステム━“クソゲー”と呼ばれる理由

本作が、「シュール」「クソゲー」として評価されてしまった最大の理由は、独自システムの不全、理不尽なゲームバランス、そしてジャンルそのものが崩壊していく強烈なストーリー展開にあります。

まず、ゲーム性の根幹をなすはずの各種システムが実質的に形骸化していた点です。たとえば、本作の売りであった「五感ボタン(見る・聴く・嗅ぐ・味わう・触る)」は、特定の場面でしか意味をなさず、基本的には選択しても無反応だったり、意味のないメッセージが表示されるだけのものが大半でした。
また、体調や汚染度を示す「V/Lチェッカー」も攻略における必要性が薄く、システムの存在意義そのものが疑われる結果となりました。

次に、プレイヤーに大きなストレスを与えたのが移動のテンポと即死イベントの理不尽さです。プリレンダリングCGを繋ぎ合わせた画面移動は非常にテンポが悪く、もっさりとした動作がプレイの快感を削ぎました。

さらに、事前情報なしでは回避が不可能な初見殺しの即死トラップや分かれ道が頻出するため、プレイヤーは何度も理不尽なゲームオーバーを繰り返すことを強いられました。
探索中にも同行者たちが「近寄らないで!」「早くして!」といった脈絡のない金切り声を頻繁に上げてパニックを煽ってきますが、具体的なアドバイスにはならず、ただ騒がしいだけのシュールな空間を作り出していました。当時のゲームらしく、ムービーが一切スキップ不可であることも非常にストレスです。

そして決定打となったのが、破天荒すぎるストーリーの展開です。序盤から中盤にかけては「爆破事故が起きた総合病院からの脱出」や「未知の感染症の脅威」といったサスペンスフルなJホラー・医療サスペンスとして展開します。
ところが、物語が終盤に向かうにつれて展開が急変。古代文明や超常的な要素、突如として牙をむく突発的なクリーチャーなどが脈絡なく乱入してきて、当初のリアルな世界観は跡形もなく崩壊していきます。

このように、革新的な意図で作られたシステムが機能せず、恐怖を煽る演出が滑稽さに変わり、真面目な医療ホラーが突如としてB級特映画のような展開へ飛躍してしまうギャップこそが、本作にシュールかつ「クソゲー」という烙印を押させることとなった理由です。
◆それでもなお、「愛されるべき」ホラーゲームである理由

本作が酷評を受けながらも愛され続ける理由は、完璧に整えられた現代の作品にはない「圧倒的な熱量と実験精神」が詰まっているからです。

最大の魅力は、当時最高峰を誇ったグラフィックと演出が醸し出す「生の恐怖感」にあります。事前にレンダリングされたCG映像と実写素材の重厚な質感は、薄暗く不気味な総合病院の静寂や冷たさ、漂う不快感をリアルに描き出していました。
また、一人称視点で展開される探索は、プレイヤーをその場に閉じ込めたような、強烈な没入感があったのは間違いありません。

さらに、単一の恐怖ではなく「集団パニックのリアル」を描こうとした試みも革新的です。同行者たちが混乱し騒ぎ立てる賑やかさは、一歩間違えればシュールでありながらも、「極限状態で理性を失う人間たちの空気感」を生々しく表現していました。目に見えないウイルスへの猜疑心や突如として襲いかかる危機など、プレイヤーの感情を力任せに揺さぶるパワーに満ちています。

未完成で理不尽なシステムや破天荒なストーリー展開すらも、今となっては開発陣の尖りすぎた野心が残した愛すべき個性です。時代に先駆けすぎた発想と、90年代末の熱気が生んだ歪な歪みこそが、『R?MJ』のカルト的魅力となっています。














