先日、『アーマード・コア』シリーズへの独自の視点からの言及をきっかけに、多くの日本人から「ロボゲー・ロボアニメ詳しすぎな外国人」として知られるようになったオリー・バーダー氏。実は、氏はゲームやアニメを中心として日本サブカルを海外に長年伝えてきた記者であり、様々なタイトルにかかわってきたゲームクリエイターでした。
弊誌の取材に対して、そんな氏がこぼした最近の悩みと言えば「ロボゲーを作らせてくれるスタジオが見つからない!」ということなのだそう。そこで、本稿では、氏の文章を通じて、氏のもつ「ロボゲー・ロボアニメ」への視点や美学の一端をお伝えしていきたいと思います。
海外の現代メカゲームに影響を与えた『Metal Warriors』、しかし発売されたタイミングはあまりにも悪かった

スーパーファミコンの寿命が終わりに近づいていた頃、アメリカでユニークなメカゲームが発売されました。LucasArtsの開発者たちによって制作され、コナミから発売された本作は、『重装機兵ヴァルケン』のようなゲームの精神的後継作でしたが、日本では発売されませんでした。
そのゲームが、1995年に発売された『Metal Warriors』です。LucasArtsが開発を手がけ、チームの多くはすでに、非常に大きな成功を収め、完成度も高かったさまざまな『スター・ウォーズ』ゲームの開発に携わっていました。
しかし『Metal Warriors』の場合、その基盤となる部分の多くは、同じくスーパーファミコンで非常に人気を博した『Zombies Ate My Neighbors』というゲームから派生したものでした。『Metal Warriors』と同様、このゲームも日本では発売されませんでした。
『Metal Warriors』(1995年)

『Metal Warriors』は、最初から明らかに、そして非常に強く日本のロボットアニメから影響を受けていました。当時本作が参考にしていた『機動戦士ガンダム』などのロボットアニメの多くが、アメリカではまだ正式に展開されていなかったことを考えると、これはさらに興味深いことです。
さまざまな意味で、本作は『重装機兵ヴァルケン』へのラブレターとも言えるゲームです。(『重装機兵ヴァルケン』については今後のコラムで取り上げる予定です)ストーリーの設定から6種類用意されたさまざまなメカ、探索要素が追加されてはいるものの横スクロールのステージ構成に至るまで、多くの共通点がありましたが、ひとつ大きく異なる点がありました。
それは、パイロットとして各メカから降り、飛び回りながら新たに乗り込むメカを探せたことです。これによって、さまざまなメカを操縦することができました。
また、パイロットの状態でも戦うことができ、人間サイズの敵を倒すこともできました。『重装機兵ヴァルケン』にも人間サイズの敵は登場しましたが、同じように自分のメカから降りることはできませんでした。(『Metal Warriors』と同様のメカニズムを持つ『フロントミッションシリーズ ガンハザード』についても今後のコラムで取り上げる予定です)
これらはすべて非常に注目すべき点です。というのも、『Metal Warriors』に携わった人々の中には、後に『タイタンフォール』シリーズにも携わった人たちがおり、そこでは徒歩での戦闘と、「タイタン」と呼ばれる大型メカに乗り込んでの戦闘の両方が重視されていたからです。
この仕組みはマルチプレイにも取り入れられており、プレイヤー同士で戦いながら、メカを失ってもパイロットとして生き残り、新たなメカを見つけて乗り込み、勝利を目指すことができました。
本作についてもう一つ興味深い点は、HUDが存在しなかったことです。プレイヤーが知る必要のある情報は、すべてグラフィックやアニメーションを通じて視覚的に伝えられていました。この「HUDを使わない」ことへのこだわりは、アメリカのゲーム開発者の間ではある種の傾向でもありますが、イギリス出身の私には、この奇妙な自己制約になぜそこまでこだわるのか、いまだによく理解できません。
PlayStationにとどめを刺された
ゲーム自体の完成度が高く、スーパーファミコンユーザーからも人気があったにもかかわらず、時は1995年で、『Metal Warriors』が発売されたのはその年の4月でした。PlayStationはすでに1994年末に日本で発売されており、アメリカでの発売も目前に迫っていました。
そのため1995年には、多くのゲーマーが年末のPlayStation発売に向けてお金を貯めており、スーパーファミコンやメガドライブのゲームを買い控えるようになっていました。
さらに、『Metal Warriors』は2Dのメカゲームでしたが、PlayStationの新作ゲームの多くは3Dで、当時それは非常に新しく、ほとんど革命的とも言えるものでした。
売れなかった良作の多くと同じように、『Metal Warriors』も、それ以前のスーパーファミコンタイトルと同じような売れ方をするには1年遅すぎるタイミングで発売されました。それが、世界展開の計画を限定することにもつながった可能性があります。
アメリカのゲーム開発者に明確な影響を与えた、ユニークなメカゲーム

『Metal Warriors』は日本ではあまり知られていませんが、アメリカのベテランゲーム開発者の間では非常に高く評価されています。
その理由の一つは、当時のLucasArtsというスタジオと、その開発チームの質の高さにあります。また、多くのアメリカのゲーム開発者が、この時代をゲームにおける「黄金時代」のひとつと考えていることも関係しています。
さらに、日本のロボットアニメなどからの影響は当時広く称賛され、公然と語られていました。実際、メインゲームデザイナーの一人であるマイク・エバートは、「装甲騎兵ボトムズ」と「機動戦士ガンダム」の大ファンで、ゲーム業界に入る前にはアメリカでアニメ雑誌まで運営していました。
『Metal Warriors』のクリエイティブな影響がどこから来たのかについては、明確な情熱があり、それを率直に認める姿勢もありました。これは、日本のゲーム開発者が海外ゲームからの影響について語る際の姿勢とは正反対だと私は感じており、その点については今でもかなり残念に思っています。
いずれにせよ、ここで重要なのは、『Metal Warriors』のカットシーンを手がけたハリソン・フォンのような開発者が、その後『タイタンフォール』シリーズにも携わったことです。そして『タイタンフォール』にも、『Metal Warriors』だけでなく、日本のロボットアニメからのかなり明確な影響が見て取れます。
海外に残した重要なレガシー

スーパーファミコンの寿命が終わりに近づいた時期に発売されたにもかかわらず、『Metal Warriors』は今でも、メカに関心のある海外のゲーム開発者や、より若い世代のレトロゲームファンの間でよく知られている作品です。
『重装機兵ヴァルケン』のようなゲームの遊びを、メカの種類を増やし、パイロットを直接操作できるようにすることで発展させただけでなく、2D横スクロールシューティングとしても非常によく作り込まれていました。当時は、『重装機兵ヴァルケン』がアメリカで『Cybernator』としてコナミから発売されていたこともあり、『Metal Warriors』をその続編だと思っていた人も多くいました。
一方で、2026年現在、『Metal Warriors』は現行ハードでは簡単に遊ぶことができず、その後プレイした人の多くは、(少なくとも日本国内においては)不法な方法を用いています。
そんな状況にある『Metal Warriors』が、何らかの形でLucasArtsのクラシック作品をまとめた復刻版などに収録されることを願っています。多くの昔のゲームと同様、残念ながら現在では広く遊べる作品ではなくなっているからです。
オリー氏とともに「ロボゲー」を作ることに興味のあるスタジオや団体は、この記事の末尾にある氏のプロフィールから個別に問い合わせていただけますと幸いです。








